独りにさせない
「おぉ、ラヴィおはよう。何だか眠そうだね?」
「ふあぁ…あ、ロゼ。おはよう…」
ロゼットの酷い寝癖も目に入らず、私は顔を洗いに洗面所に向かった。洗面器の前に立ち顔を何度も洗い、ふと鏡を見た。目のクマは変わらず濃いままだ。昨夜もあまり眠れなかった。
最近、変な夢を見るようになってしまった。私がロゼットやフォルズと楽しく会話している様子を、幼いカルシュトが泣きながら見つめる夢だ。しかも私以外彼の姿は見えていないらしく、誰もが気にせず話を続けている。私がカルシュトに声をかけると、
「…楽しそうでしたね。邪魔してしまいましたか?」
と言って決まってその場を去る。追いかけても何故か距離は縮まらず、走っている途中でいつも目が覚めるのだ。だから夢の続きはわからない。それでも、少なくとも良い気分はしないのは確かだ。
「ふぅ、今日も頑張らないと。」
鏡の自分にそう言い聞かせ、リビングに行った。相変わらず良い匂いがする。ドアを開けると、私が挨拶するより先にアメラさんが話しかけてきた。
「ラヴィーネちゃん、今日はちゃんと寝れたかしら?」
「あぁえっと…はい。今日も良い夢が見られましたよ。」
「あら、それは良かったわ!最近元気ないから心配してたのよ。」
アメラさんの純粋な笑顔に、少し胸が痛くなる。私に優しくしてくれたこの人に、今嘘をついてしまった。だがこの人達と居られるのもきっと卒業までだ。この嘘は必ず突き通して見せよう。
学校の昼食休憩、その日は昼食を食べる場所を探して校内をふらついていた。いつもは教室で食べるが、今日は何となく気分転換に別の場所で食べたくなったのだ。廊下を歩いている時、ふと中庭の自然豊かな風景が目に入った。一年生の時に行ったことがあるので、道は大体分かる。今日は中庭で過ごしてみよう。
庭に足を踏み入れる直前、何か物音が聞こえた。どうやら先客がいるらしい。周りを見渡しながら座れる場所を探すと、見覚えのある姿が映った。
「うっま!我ながら上手く出来たなぁ。」
「…フォルズ。貴方それ何?」
「うん?これ、ガレット。レイニーに教えてもらったんだよ。」
色々とつっこみたいところはあるが、取り敢えず一つずつ聞いてみよう。フォルズの隣に座り、昼食を取りながら質問をした。
「ガレットって、大皿に盛り付けて食べるものでしょう?」
「んーまぁそうなんだが。家で作ってみて余ったから入れてみた。おやっさん大喜びだったしウマいし、結果オーライだ。」
「作ったって…貴方が?料理するの?」
「そりゃするわ。これでも家の家事全般は俺がやってるんだぞ。」
正直フォルズが料理する光景が思い浮かばない。人は見かけによらないとはこの事か。
私が呆気にとられていると、フォルズはガレットの口をつけていない部分を一口サイズに千切り、私にくれた。
「ほい、やるよ。ラヴィーネも実は食べたいんだろー?」
「…食べたいわ。」
それ以上は何も言わず、目の前のガレットにかじりついた。そこで初めて気がついたのだが、何と中にチーズが入っている。文句なしで美味しい。
「(ラヴィーネが、俺のお菓子夢中で食べてる…)」
「何見てるの。早く食べ終わらないと、時間がなくなるわよ。」
「その時は多分ラヴィーネが全部食べてくれるだろ。」
「……」
言い返したい気持ちは山々だったが、全ては昼食を食べ終わってからだ。美味しいガレットを粗末にしてはいけない。そこから十数分間、二人で黙って昼食を食べていた。
「…なぁラヴィーネ。今日の放課後、久しぶりに手合わせしないか?」
「手合わせ?急にどうしたのよ。」
フォルズからの突然の提案に少し驚いた。普段あまり他人と手合わせをしない方なのに、何と自分から誘ってきたのだ。どういう風の吹き回しだろうか。
「どうしたっていうか…何となく。ラヴィーネと稽古がしたくなった。」
「私は構わないわよ。場所はそうね…校庭にしましょうか。」
「おう、りょーかい。」
こうして私とフォルズは中庭で口約束を交わしてその場を後にした。しかし教室に戻ってから、ある重大なミスに気づいてしまった。
「ガレットの作り方、聞いてなかった…」
放課後、私達は初めて会った時と同じように、校庭の真ん中で互いに剣を構えた。これは訓練用の模造品に過ぎないので、怪我をする心配はない。
「合図を決めてなかったな。どうする?」
「じゃあ私が最初に攻撃するわ。そしたらフォルズも好きに動いて頂戴。」
フォルズがおもむろに頷くのを確認すると、私は強く踏み込んで彼に斬り掛かった。フォルズは少し体を反らして回避し、脇腹めがけて素早く剣を振りかざした。咄嗟に距離を取り、間一髪で躱す。すると今度はフォルズがこちらに向かってきた。恐らく直前の方向転換で背後を取る気だろう。
予想通り、私の間合いに入った直後にスライディングで背後を取ろうとしてきた。下から振り上げた攻撃に合わせ、剣と剣とのぶつかり合いに発展する。
「何で分かるんだよ…」
「単純な思考をしているからね。何考えているかなんて丸わかりよ。」
上から押すのと下から押し返すのでは、加わる力の大きさが違う。段々と押されていったのは私ではなくフォルズだった。すると彼は両手で持っていた剣を片手に持ち変え、グッと押されたところで右足で私の足を引っ掛けた。予想外の搦め手に反応できず、尻餅をついた。
フォルズはすかさず攻撃を仕掛けてくる。このままでは負ける、そう思い何故か私は剣の持ち手でフォルズの顔面を殴りつけた。どうやら額に直撃したようで、彼は一瞬よろけた。その隙に剣を持って立ち上がろうとしたが、その前にフォルズが私の剣を遠くに蹴り飛ばす。しかし私は一切怯まず、そのままフォルズを押し倒した。馬乗りになり、彼の頭を強く押さえつける。
「はぁ…はぁ。ちょっと降参、ホントに降参。」
フォルズのその言葉で急に全身の力が抜け、手の力を緩めて地面に座り込んだ。
「疲れたわ、流石ね…でも、今回は私の勝ちよ。」
「ははは…そうだな。まぁ気分転換にはなっただろ?」
その言葉を聞いて、私は思わずフォルズの顔を見た。勝負に負けたのに、彼は曇り一つない笑顔を見せていた。まるで勝つためにやった訳ではないように。
「ラヴィーネは、俺等に悩み事を何か隠してる。」
「別に…隠してなんか。」
「バーカ。顔見たら誰でも分かるっての、嘘つくの下手だな。」
何も言い返せず、私は俯いて黙ってしまった。フォルズは地面に寝転がって空を見上げ、こう続ける。
「あのな、打ち明けるかどうかはラヴィーネの自由だ。でも…周りの人が何も気がついてないと思ったら大間違いだぞ。皆ラヴィーネの方から相談してくれるのを待ってるだけだ。」
「どうしてそう言い切れるのよ?」
「…実際にロゼットがそうだからだよ。ラヴィーネの力になりたいって、アイツは多分ずっと前から胸に秘めてる。頼りにされたいと思ってる。」
フォルズは急にムクッと起き上がり、近くに置いた自分のバックを手に取った。
「少なくとも、俺もレイニーもシトラも、友達を独りにさせる気はないからな。」
それだけ言うと、フォルズは服についた汚れを落としながら校門へと歩き出していった。