14 ー完ー
ここまで読んでくださりありがとうございました。最終話です。
誤字報告いただきましたので訂正しました。
「貴方が留守の間、厳選に厳選を重ねたんですから、絶対目を通してくださいね!」
他国視察から帰ってきて2日の休暇をもらった後、出仕したクリスは実に勇ましい捨て台詞を吐いて執務室から出てきた官吏とぶつかりそうになった。
身分はクリスの方が上で、ぶつかりそうになったのは相手の不注意だというのに睨まれ、不機嫌丸出しで「失礼」と早々に去って行く。その背を見送ってから部屋に入った。
何だったのかという疑問はジークの机の上に積まれたもので解決した。
「またか……」
「まったくしつこい奴らだ」
先に来ていたジークが忌々しげに吐き捨てて、足を机に投げ出す。厳選を重ねた官吏の努力の結晶は憐れ、足蹴にされている。行儀の悪さにすかさず足を払いのけた。
残っていたそれらが残らず周りに散らばる。
「何をする」
「机に足を乗せるんじゃない」
クリスの叱責にジークはふんっと鼻を鳴らした。
「あーあ、どうするんだ、これ」
見る気がないものをわざわざ拾う訳がない。ジークは一転、ご機嫌でクリスを見据える。
「クリスのせいだぞ。文句はお前が受けろよ」
ジークの嫁取りに積極的に協力しないクリスは、なかなか相手を決めないジークと一蓮托生だと、すでに後宮官吏たちに恨まれている。
だからと言って文句を言われるのは納得がいかない。ついこの間ジークに令嬢を勧めたばかりなのだ。
「素直にエリシア様を迎えてれば良かったんだ」
あの時居場所がなくなるエリシアを大国に連れていくと言えば、誰も反対できなかった。本来なら手放さないだろう存在のエリシアを簡単に手に入れられる好機だったのに。
クリスは早々にサミュエルとの婚約を整えたジークを未だに恨んでいた。
「まだ言うか。どう考えてもあれが最善だろ」
ステュアートを断罪した後、部屋に帰ってからクリスに散々愚痴られたので、ジークはうんざりしているのだ。
「へぇ、エリシア様が故郷を離れなくて済むように配慮したって?ジークにそんな気遣いができたなんて驚きだ。成長して嬉しいよ」
これでもかと嫌味を込めてやると、分かりやすく拗ねたジークが耳を塞いだ。乱暴に立ち上がると廊下にいた雑用係に床に散らばった令嬢の姿絵を片付けるよう言う。
さすがに他人の目があるのでクリスも黙して待った。これでも一応冷静沈着で通っているのだ。
ようやく全ての姿絵が運び出され、雑用係の足音が聞こえなくなり、不満をぶつけられる状況になったのだが、時間は無情だ。気分はすっかり落ち着いてしまった。
今更改めて言葉にするほどの不満が消え去ってしまったので、開いた口を閉じる。それを見てジークがにやりと笑う。怒りが長く続かないことを知っていて、わざと時間を空けたのだ。
まったくたいした男だ。クリスはただため息を吐いた。
あの後、客がいては後処理に専念できないだろうと言って、二人は次の日には帰路に着いた。大いに気を使われるだろう宴を避けるためでもある。
予定より長く滞在し、他国の事情に口を出し、厚かましいことこの上ないのを重々承知で、早く帰りたいと自分の希望を優先させたジークはもはや天晴れである。
強い王になれるだろう。悪く言えば独裁者だ。まぁ、宴より早く帰りたかったのはクリスも同じだが。
そもそもアミリがエリシアを貶めようとした理由を、二人は知ることなく帰国した。理由を聞くより先に彼女が退場させられたからだ。
後に別室でアミリは大好きなステュアートの側にいたいがため、彼もエリシアに好い感情を持っていなかったので、彼女を悪者にすれば婚約は破棄され、
一緒にいられると思ったと語ったが、ジークは訊ねなかったので王もこれ幸いとそのことには触れなかった。
もともと二人はアミリの動機に興味がなかった。クリスは理不尽に貶められたエリシアを救いたかっただけで、ジークに至ってはステュアートにむかついたからである。
明らかな偏見と浅慮に同じ王太子として思うところがあったのだろうが、廃嫡まで追い込んだのはやり過ぎだった。本来ならその国の王に判断を全て任せるべきなのだ。
一応王が判断した形にしていたが、ジークが仕向けたのは明らかで、恨まれても仕方ないほど横暴だった。
幸いあの王は思慮深く、道理を弁えた人物だったので問題にならずに済んだ。もちろんジークは大国に楯突かない温厚な性格であることも見越していただろう。
それでも人間、いざという時思いがけないことをしたりする。ジークがいつか痛い目に合うのではとクリスは密かに心配している。
帰国後すぐにジークは父王に事のあらましを報告していたが、この数日で周辺諸国全てに知れ渡っていた。
あの国が各国に伝達を出したのだ。曰く第一王子が不治の病にかかり、政務が困難として、静養に専念させること。よって王太子を第二王子に変えたと。
すでに婚約していることも書かれていて、他国からの結婚の打診がないように手を打っていた。絶対にエリシア嬢を王家に嫁入りさせるという決意の表れもあるだろうとクリスは思っている。
エリシアの幸せを想うなら今回の結末は良かったのだろう。自分の愛する国で、自分を愛してくれる伴侶と共に生きていく。ジークの世話をさせるのは却って可哀想だった。
そう自分に言い聞かせる。まだ未練はあるが。
「もう私は知らないからな。自力で探せよ」
「まかせとけ」
軽い調子のジークに眉をしかめる。こっちは本気で言っているのに。
「本気で急げよ。私はもう側にいられないんだから」
「あ?」
怪訝そうに見遣ったジークに真剣に対する。
「父の後を継ぐためにそろそろそっちの勉強をするつもりだ」
「早いだろ」
「もう決めた」
どのみち男性と偽るにはもう無理があるのだ。これ以上続けるのはただの自分の我が侭だ。
これからの人生女性として生きるのならば、結婚適齢期が過ぎる前に女に戻っておかねばならない。
「なんだよ、それ」
クリスの固い決意を感じ取り、ジークが口を曲げる。判りやすい拗ね方に苦笑が洩れる。
「悪いな」
「本当にな!もう少し時間があると思ってたのに……」
一番近しい側近がいなくなるのだ。大部分を担っていたクリスの分を他の者に振り分けるのは難しく、苦労は容易に想像できた。早急に人を増やさなければいけない。
「妃よりも先に官吏選びだな。あんまり選り好みしてないで妥協しろよ。早く決めてやらないと彼らが可哀想だ」
ジークの側近達は数が少ない分負担が多い。自分も大変だったと離れることへの寂しさを噛み締めていると、さっきまで不機嫌だったジークが「大丈夫だ」と言い放った。
「王太子妃にはお前を迎える。今までの仕事も続けられるから人数を増やす必要もないし、全て万事解決だ!」
「また、そんな戯言を」
小国でクリスに女装をしろと言った冗談をまだ引っ張る気か。さっきまでしんみりとした気持ちでいたのに、どうしてこうなる。
こちらの本気を理解してくれたと思っていたのに。
「いや、本気だ」
「あのな」
呆れて怒る気も起きない。諭すべきか、放っておくべきかと悩んでいるとジークが歩み寄ってきた。
「仕方ないだろ。こんな近くに理想とする相手がいるんだ。他の女に目が行くわけないだろ」
あごを指で摘まれ、上を向かされる。ジークの目は楽しげに輝いていた。
気心が知れていて、仕事ができる。おまけに女に負けない美貌とくればジークにとって都合が良いだろう。しかし男だと思っている相手にそれでいいのか。
そんなに探すのを嫌がるとは、呆れるばかりだ。手で振り払うとジークの手は簡単に離れた。バカバカしいが問題点を指摘してやる。
「跡継ぎはどうする気だ」
「直系である必要はないしな、どうにかなるだろう」
「公爵領は?私しか継ぐ者がいないんだが?」
「存命のうちは王妃領としてお前が管理すれば良い。子ができれば継がせても良いし、託すに値する者がいれば」
「は?」
聞き捨てられない言葉にするどく反応する。鬼気迫るものを感じたのかジークが少し仰け反る。
「死ぬまでにまだ時間はあるから、じっくり吟味すれば一人くらい」
「そこじゃない」
すぐさま否定すると、ジークがにやりと意地の悪い笑みを浮かべる。その意味を瞬時に悟り、クリスは最悪だと心の中で呟いた。
「いつ、なんで……」
「さぁ?動物の本能かもな」
素直に答えてくれないひねくれやだと解かり切っているが、憎らしくて堪らない。混乱ともやもやを早く晴らしたいのに!
「あ、オレは別に巨乳好きじゃないから安心しろ」
確かに自分は大きくはない。どうせ難なく隠せてしまえる程度だ。甘い言葉なんか囁かれたら鳥肌が立つが、それでも普通求婚した相手にこの言い様はどうなのか。
こんな失礼な男と誰が添い遂げたいと思うだろう。
「生憎と、私はお前じゃ無理だ」
「選り好みをするなと言ったのはお前だろう」
「そういう問題じゃない。長年友としてきた君をそういう対象として見れるわけないだろう」
「オレは見れるぞ」
「私は繊細なんだ!」
一緒にするなと睨みつける。これは決して我が侭ではない!!ジークとあんなことや、こんなことなんてできるか!
やっぱり選り好みだろうとジークが眉をしかめる。
「仕方ない奴だな」
だからどうしてこう偉そうのか。何が仕方ないんだ、我が侭なジークが悪いんだろう!と言ったところで無駄なのは解っているので、腹立たしいがクリスは黙っておいた。
下手に噛み付いて、蒸し返されると困る。このまま諦めてくれるなら汚名も甘んじて受けよう。
「折角求婚してやったのに台無しにしたのはお前だからな」
「あれのどこが求婚」
台無しにしてたのはジークじゃないか、呆れてため息を零しかけて、ジークの意地の悪い笑みにそれを呑み込んだ。ものすごく嫌な予感がする。
獲物に狙いをつけたように目を細め、ジークがゆっくりと囁く。
「ゲームに勝ったご褒美、まだだったよな?」
「!!」
後に王位についたジークベルトは意外にも穏やかな治世を築いた。もっと引っ掻き回されるのではと危惧していた周囲は驚き、戸惑い、戦々恐々としていたが、
やがて本当に他意はないと知り、安堵した。
それはきっと王妃のおかげだろうと誰もが口にする。一番のお気に入りを一生側に置けたことで、暇を持て余すことがなくなったジークベルトは満ち足りた人生を送った。
王の我が侭は王妃に向けられているのだろうと、その苦労に涙する者もいたが、民がそれを知るわけもなく。国王夫妻の人気は凄まじく、寄り添う絵姿は良く売れ、深く長く民に愛された。
無駄に争わず、周囲を乱すことは避け、気長に進めていった改革は王が在位のうちには終わらず、子にも引き継がれていった。
周りはその気長さを意外に思ったが、反発もなく円滑に進んだ改革は後の世に高く評価されている。長く続いた平和に誰もが王とそれを支えた王妃を讃えたのだった。