2 大公令嬢と村人A
もう怪我をさせないなどとは言っていられない。
喧嘩を売ったのはお前だ。少しは痛い目に遭ってもらおうか。
今度はこちらから攻めてやる。私は一見隙なく剣を構える魔王に斬りかかった。
【風の加護】
「!」
風の精霊に命じ、肉体の速度を上げて一閃。先ほどまでとは比べ物にならない鋭い攻撃を魔王役に浴びせる。
……模造魔剣で防がれた。ふん、勘が良いな。
しかし二閃、三閃と繰り返して気づく。まぐれではない。急に動きが良くなった私に驚いているようだが、ぎりぎりのところで防いでいるのだ。
私のスピードについて来られるなんて、こいつは一体……ああ、そうか。アポロ村の出身者だったな。
おそらく戦場に出て命のやり取りをしていたのだろう。護身術程度の感覚で剣術を習うお坊ちゃんたちとは気迫が違う。剣に型がないし、遊びもない。隙が見つからない。
……筋力を魔力で補い、さらに精霊の力を借りている私は立つ瀬がなかった。
だけど、もう四の五の言っていられない。ふん、魔力の扱い方や精霊との交流は貴族の嗜み。卑怯なんて言わせない。
魔力をごっそりと差し出し、もっと力をよこせと精霊に命じる。
しかし精霊たちは魔力を受け取らず、イヤイヤと私の命令を拒絶した。
「な!?」
こんなことは初めてだ。まるで精霊が魔王役と戦うことを拒否しているかのだった。
なんだ、私よりこいつの方がいいって言うのか?
まさかと思うが、“上級精霊の加護印”を持っているとか……?
「……っ!」
……悔しくて爆発しそうだが、仕方ない、認めよう。
こいつは強い。身体能力と戦闘センスは私より上、剣の技術も遜色ない。魔力というアドバンテージがなければ、勝負にすらならないだろう。
怒りの感情はそのままに、頭が徐々に冷静になっていった。
今は私が速さで圧倒している。だが、決め手に欠けていた。私の一撃は軽く、この勢いも長くは持たないだろう。
その分析を証明するかのように、魔王役が力づくで私の剣を薙ぎ払った。
私はまた防戦に回ってなるものかと踏ん張り、戦況は拮抗する。私と魔王役の一撃一撃が火花を散らしながら、お互いの体力を削っていく。
ギリギリのやり取りだった。
少しでも手元が狂えば、あるいは、剣筋を読み違えれば致命傷となる。
もしもこの剣が私の手に馴染んだものであれば、こんな動きづらい鎧を着ていなければ。
あるいは、観客の目がなければ……。
勝ちきれない理由が頭の中に並び始める。
違う。そうじゃないだろ。言い訳なんて考えてる時点で、私は負けている。
……言いたくはないが、やはり男と女では根本的に体力が違う。いくら魔力で補っているとはいえ、私はもう限界だった。
腕は痺れ、上がらなくなってきている。脳が酸素不足で揺れる。観客たちの熱狂的な叫びがかろうじて意識を繋げていた。
「六十二! 六十三! ……六十四っ!」
いつの間にか、打ち合いの数をコールされていた。
どこか楽しげで期待に満ちた声に心が折れそうになる。
七十七を超えてしまえば、完全に入学の儀は失敗だ。今年の勇者役の失態は後世へと語り継がれるだろう。
その歴史的な珍事を目撃したい。それとも、女勇者が魔王に屈する姿が見たいのか?
「くそが!」
私は歯を食いしばり、腹の底に力を入れて、地を駆ける。
絶対に負けない。たとえただの儀礼試合でも、勇者が魔王に負けるわけにはいかないんだ!
そのとき、魔王役の兜の奥から声が漏れた。
それは、笑い声だった。
私を馬鹿にするような気配はなく、無邪気な少年の声。剣を通じて彼の楽しい気持ちが伝わってくる。
普段なら「なに笑ってんだこの野郎」と苛立つところだが、不思議と腹は立たなかった。
それどころか気づけば私も笑みを浮かべていた。
……ちょっとだけ嬉しかった。
まさか現実世界でこんなに思い切り戦えるなんて思わなかったから。
やってやろうじゃないか。七十七回目にこいつが倒れてくれる保証はない。ならば、完膚なきまでに叩き潰して負かす。
私が初代勇者の戦いを完全再現してやる!
コールが七十台に突入し、ますます闘技場の熱が上がる。
「七十一! ……七十二!」
【始まりは自然に四つ。火の精霊、水の精霊、風の精霊、地の精霊が循環し、世界を形作った】
息も絶え絶えの声で、私は詠唱を始める。口の中に血の味が広がった。
同時に模造聖剣が淡く発光する。
「七十三、七十……四!」
【次に心から二つ。光と闇の精霊が溶け出すように生まれ落ち、喜劇と悲劇を生んだ】
私と魔王役は踊るように地を蹴り、緩急をつけながら剣を振るい続けた。剣の光が強さを増し、魔王役と観客たちが異変に気づく。しかしカウントは止まらない。
「七十五っ……七十六っ!」
【最後に己が己に問い、声が一つ。我が魂は刻み込まれた希望の数だけ輝き、絶望を打ち払わん!】
剣が七色に光り輝く。かつて初代勇者が用いたという七属性魔法……その縮小版ともいえる魔法だ。幼い頃から勇者に憧れていたがゆえに、長い間こっそり練習してきた。威力は本物とは比べようもないほど弱いのだろうが、見栄えだけは完璧なはず。
私は最後の力を振り絞り、全体重と全魔力を乗せた剣を振り抜いた。
「七十七!!」
最後のコールとともに七色の光が魔剣を打ち砕く。そのまま魔王役の体を宙高く吹き飛ばした。
完璧。渾身の一撃。
確かな手応えに私は剣を高く掲げた。
闘技場の時が止まった。全員が一斉に息を飲んだかのような静寂。
「――――っ!」
その直後、観客たちが総立ちとなり、拍手と歓声、足踏みで闘技場を大きく揺らす。
自分に向けられるありったけの賞賛に酔ってしまいそうだ。
やった! やってやった!
私は勝った。魔王を倒した。勇者とシェリアーク家の誇りを守り抜いたぞ!
きゃっきゃっと飛び跳ねたくなるほどの浮かれ気分は、「ぐしゃんっ!」という破壊音で木端微塵に砕け散った。
それは魔王役の体が地面に叩きつけられる音だった。
……これは殺った。殺ってしまった。
魔王役は仰向けに倒れたまま動かない。黒の鎧は砕け、マントは魔力の熱で燃え尽きている。
闘技場の興奮は未だに続いているが、私の体からはすっかり血の気が引いていた。学院の教師たちが慌てて魔王役に駆け寄っていった。
私も恐る恐る近づく。
ど、どうしよう……。
今までいろいろと大公令嬢らしからぬ無茶はしてきたが、入学初日に退学するどころか、殺人を犯すことになるとは思わなかった。
悪人や犯罪者ならともかく、これから同じ学び舎で過ごすはずだった同期生を……。
途方もない罪悪感と恐怖にガタガタ震えていると、黒い鎧がピクリと動いた。
「痛ってー……はぁ、目がチカチカする」
い、生きてた!
魔王役はゆっくりと起き上がり、首を揺らした。そのけろりとした様子に、教師たちが周りであわあわしている。
「きみ! 大丈夫なのか!?」
「へ? ああ、大丈夫。俺、頑丈だし、魔法が効きづらい体質なんだよ」
「そんな馬鹿な……とにかく、急ぎ医術師の診察を受けなさい。歩けるかね?」
魔王役が頷いて立ち上がると、観客から万雷の拍手が贈られた。彼はそれに手を上げて応えながら教師たちと退場していく。
私ははっとして、慌てて後を追った。
「ま、待て。待ってくれ」
入場口まで戻り、観客の目が届かなくなったところで私は魔王役に声をかけた。
儀礼試合のシナリオを無視され、恥をかかされたものの、私はやりすぎた。
ちょっとムカつくくらいピンピンしているが、常人ならば死んでもおかしくないような攻撃をしてしまったのだ。このまま済ますわけにはいかない。
「あ、あんた! なんだあの最後の魔法! すっげー綺麗だった!」
私に気づき、魔王役が引き返してきた。まだ戦いの興奮が残っているのか、随分と声が弾んでいる。
「やっぱり貴族ってすごいんだな。こんなに小さな女の子に負けるとは思わなかったぜ。いやー、マジであんた強いよ。びっくりした。賞金欲しかったけど、あんたが相手じゃ仕方ねぇや」
なんて馴れ馴れしい。私が三大大公家の娘だと知らないのか?
というか賞金……? 何の話だろう。
教師たちが絶句しているし、何を言っているのかよく分からないが、まぁいい。
覚悟を決めて私は兜を取った。そして、胸に手を当てて頭を下げる。
「す、すまなかった。その……あの魔法はやりすぎた。一歩間違えたら大怪我を、いや、命を奪うところだった」
治療費は全額負担するので診察の後で連絡してほしい、そう言いかけて顔を上げると、魔王役が凍りついたように動きを止めていた。
「…………か」
「?」
私が魔王役を見上げ、首を傾げると、相手は小さく悲鳴を上げた。ヒトの顔を見てなんて声を出すんだ。本当に何から何まで無礼な奴だな。
魔王役は我に返ったように自らの兜に手をかけた。慌てるあまり取るのに手間取っていたが、外した瞬間、今度は私の時間が止まった。
赤茶色の髪と瞳、少し日に焼けた肌。特筆すべき点のない平凡な色を持つ少年だ。顔立ちだって端正な部類だとは思うが、貴族社会で賛美されるような美形とは言えない。
しかし、目を奪われた。
キラキラと輝く瞳や血色の良い頬。これほど清々しく、生命力に満ち溢れた輝きは見たことがない。
「俺はルルタ。ルルタ・アルシャインっていうんだ。あんたの名前は!?」
儀礼試合の印象で、性格の悪そうな強面を想像していた私は完璧に不意を突かれた。
魔王役の少年が私に詰め寄る。
真っ白な頭に浮かんだ言葉は……。
くっそイケメン。
目が合うと心臓が大きく脈打って、呼吸が上手くできなくなった。男の顔を見てこんな風になるなんて生まれて初めてだ。
「わ、私は……ライラ」
やっとの思いで口にすると、ルルタは心底嬉しそうににこっと笑った。
全身が痺れて、なぜか泣きそうになった。私は何か危険な病を患ってしまったのではないだろうか。精神も脈拍も安定しない。
「そっか、ライラか! 名前も声も可愛いんだな。あ、あのさ、良かったら、俺と――」
「それ以上近寄るなっ」
私の前に誰かが……リュカットが割って入り、ルルタを突き飛ばした。私が魔王側の入口から退場してしまったので、急いでこちら側にやってきたらしい。息が上がっている。おまけに珍しく本気で怒っていた。
「下民の分際でシェリアーク大公のご令嬢に気安く声をかけるなど、無礼にも程がある。跪いて頭を下げろ。さもなくば――」
「大公……?」
ルルタは愕然とした表情で私を見る。
その顔を見て、私の中で膨らんでいた感情がしゅんと萎れた。
彼の存在が急速に遠ざかっていく。そのことがひどく寂しく感じ、先ほどとは別の意味で泣きたくなる。
「大公って確か、王族の次に偉いお貴族様のことだろ……? そうなんだ、すげーお嬢様じゃん……」
「そうだ。本来なら言葉を交わすことも、視線を合わすことも許されない方だ。身の程を弁えろ。さぁ、早く頭を――」
リュカットの厳しい声音をシカトし、ルルタはパッと顔を上げて笑った。
「なら俺、ライラにふさわしい男になるよ! 見ててくれ!」
その言葉が私の心に突き刺さった。全身に稲妻が走ったと言い換えてもいい。
これが始まり。
後に王国を騒がせることになる私とルルタ・アルシャインの出会いだった。