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ツバサ・アンタッチャブル  作者: 鏡十一
[3]傷跡のアプリケ
14/25

14.『人間らしく』

 今日の夕飯は鶏のから揚げ。キャベツサラダに味噌汁、主食の白飯に、きゅうりの浅漬けが食卓に加わっている。揚げたてのから揚げから上がる熱気と香りが否が応でも食欲を呼ぶ。

 六つの椅子が供えられたテーブル。そこに今は四人分が揃っている。食器は揃いのもの、ただしご飯茶碗と箸はそれぞれ専用のものだ。縫子の分は来客用だ。

 俺、切、ひつじ、縫子の四人が各々の席に着く。


「いただきます」


 それぞれが言い、食事に手を付け始めた……縫子を除いて。


「どうした、食べないのか?」


 問いの答えはない。何かを言いたそうにしながら、凝然と俺の手元と顔を見ている。とりあえず、から揚げを口に入れる。


「美味い」


 綺麗なきつね色をした衣がカリッと音を立てる。しっとりとした鶏肉を噛み切ると、中からじゅわっと肉汁が染み出してきた。上手に揚がっている。自分じゃあ、こうはいかない。経験的に、大体どれも黒くなるまで揚げ過ぎで、当然肉はパサパサになってしまう。しかも横着してから揚げ以外の皿を作ることはないだろう。コンビニ弁当の方がまだマシだ。

 ひつじがいて良かったと心から思うものだ。切もあれで料理というものを習ったことがなく、あまり期待できないからな。


「縫子ちゃん、どうしたの? ひつじが作った料理、食べてくれないの?」

「いや、その……」

「毒なんか入ってないぞ。入ってても効かないが」


 俺はそれだけ言って、またパクリ。

 なぜか縫子の眼が座ってきている。


「ひつじが作った料理……」

「だ、だって、私……」

「なんだよ、歯切れの悪い。遠慮なんかしなくてもいいじゃないか。ほら、切も何か言ってやれ」

「んー……から揚げだよ、から揚げ。から揚げってさあ、なんかこう……どうでもいいや」

「話を着地させなさいよ!」

「いやあー別にいいかなって」


 マイペースに食事を再開する切は放っておこう。

 縫子は言う。


「私は……翼人なのよ。翼人は何も食べなくたって死ぬことはないわ。だから食べる必要がない」


 それはその通りだ。翼人は餓死しない。俺も三か月の間、飲まず食わずで訓練したことがあったが全く問題なかった。翼人は身体を動かすのに本質的に化学的なエネルギーを必要としないのだ。

 しかし。


「別に食べちゃいけないってことはないだろう」


 それに、俺が思うに。


「こうやって人間らしい生活を送ることで、我々は心に余裕を持てる。そうは思わないか、縫子」

「わからないわ、そんなの」


 彼女の視線が迷い、手がピクリと動く。それは逡巡を表している。

 何がダメというわけではないのだろう。出来ない理由はないはずだ。ただこれまでやって来なかったことを再び始めようとするのにも、理由がないのだ。


「そういえば……」


 そう言って席から立ったのは、ひつじだ。彼女は全員の見えるところに立ち、言う。


「まだちゃんと言ってなかったけれど……ここにいる皆、同じなんだよ」

「どういうこと?」


 ひつじが同意を求めるように俺を見た。別に構わないと、俺は頷きを返す。

 了承を得た彼女は瞼を閉じる。

 すると、僅かに光を纏ったように見えた。

 続いて背中側から現れたのは、毛だ。

 密集した毛の塊。

 それが彼女の背から波が寄せるように現れ、彼女の胴に巻き付いた。

 そして遅れて彼女の頭に一対の角が伸びてきた。ぐるりとカーブを描いて固定されるそれは、曲がり角。

 これが、彼女が≪力≫を解放した姿。


「ひつじは、羊の翼人なんだよ」


 翼人の中には動物を象った翼を持つ者がいる。ひつじはその一人。その翼は毛皮だ。そして角はさらにもたらされた≪力≫の現れである。

 サングラスの機能を通して度数が測定される。3.86ピルチェだ。


「さっき、私を打ち下ろした時と同じ姿……やっぱり、翼人だったのね」


 縫子もその身で体験して、当然わかっていたことだろう。そして、次に浮かぶ疑問もわかる。


「あれ、あの時の剣は……?」

「それはアタシだよ」


 そう言ってひつじの隣に立ったのは切だ。彼女も一瞬、淡い光に包まれたかと思うと、それが凝集し細長い形へと変化する。

 およそ二メートルの長物が、ふわりと宙に浮いた。それをひつじが掴み、保持する。


『この真柄切が、切断の≪力≫を持つ翼人さぁ』


 その声にはどやぁ……という色味が含まれていた。いつものことだ、彼女が説明する時は。

 切が変化した長剣の柄からは二対の青白い光の帯が垂れている。切の切断の≪力≫を持つ翼は、常に接触する空間を切断し続けている。その時に青白い光が発せられているのだ。

 度数は3.44ピルチェ。


「そんな、剣と人間の二つの姿があるなんて、見たことないわ……」

『そういうのもいるってこと。翼人にだって色々いるもんだよ』


 切が人の姿に戻り、ひつじと共に食卓に着く。


「そういうことだ。ここにいるのは翼人だけ」


 そう、第八十三部隊は翼人だけで結成された部隊なのだ。


「まさか一カ所に三人も翼人がいるなんて。ここに三人集められるなら、SKYは他にどれだけ翼人を抱えているのかしら……」

「そんなことはどうだっていいじゃないか。俺が言いたいのは、飯は食ってもいいじゃないかってことだ」

「……もしかして、縫子ちゃんはずっとご飯を食べてないの?」

「そうだけど……」

「ダメだよ。ちゃんと食べないと元気出ないよ?」


 翼人だって、人間らしい生活を送る権利を持っている。翼人は人間と何ら変わりない。それが俺の基本理念であり、行動理由だ。これまでもこれからも変わらない。

 第八十三部隊がここで普通であるように暮らしているのも、俺が望んだことだ。

 彼女は、縫子はどう考えているのだろう。


「でも、私、二年間何も口にしてこなかったから……」


 二年。それは縫子の言う限りでは、彼女が翼人になってからずっとということだ。

 今更、食べることができるのだろうか。そんな疑問の色を声に含んでいた。


「いただきます……」


 縫子は自信のために用意された箸を手に取り、ぎこちない動きで、小さなから揚げを一つ摘まんだ。

 恐る恐るといった様子で口に運び、入れた。

 噛む。

 二度、三度、繰り返し、咀嚼する。

 そして、嚥下。


「……美味しい」


 安心したように、縫子は微笑んだ。

 ……そう言えば、初めて見たな。縫子の笑った顔。


「ふあ、良かった。好きなだけ、食べてね。おかわりもあるからね」

「うん」

「あんまり食べ過ぎるんじゃないぞ」

「言われなくてもわかってるわよ」


 一度手を付けてしまえば後は速かった。これまでの埋め合わせをするかのように、目の前の食べ物をどんどん口の中に運んでいった。

 意外と大食…健啖家なんだな。

 それからお茶をぐぐっと飲み干して、一息。


「その、あのね」

「何だ?」

「食欲だとか満腹だとか、こういう感覚すっかり忘れてたから、私。だから……ありがとう」


 視線を逸らして、気恥ずかしそうに縫子は言った。

 それを見たひつじは柔らかく微笑み返す。


「ふあ、これからは朝も昼も、毎日ちゃんと食べなきゃダメだよ」

「にへへっ、そうするわ」


 無邪気に照れ笑いを見せた。

 ……「にへへ」?

 はっとした様子で、縫子が口元を押さえた。


「ふあ……可愛い、ね?」

「ちが、ちょっと気を抜いてただけだから!」

「気を抜いてたらそういう風に笑うんだな、縫子」

「ちょぉっと、意外だよネー」

「な、何なのよ、もうっ!」


 まあまあ、そんなに真っ赤になるなよ。


「いやー和むわー、まさか敵対関係にあるとは思えないわー」

「今言わなくていいだろ。あと縫子、今から仏頂面になってももう遅いからな」


  □


 第八十三部隊宿舎の洗面所兼脱衣所に、由布縫子はいた。

 食事の後、しばらくしてからお風呂を勧められた。翼人だからそういうのは必要ないと、最悪公園の水道とかで身体を洗っているくらいだと言って断ったら、ひつじちゃんい尚更強く勧められ、断り切れなかった。

 だから、これからお風呂に入る。

 私自身、これは変だと思う。だってお互い敵対しているんだから、厚意を得られるなんておかしいと思う。

 個室に一人でいるのだっておかしい。これならいつだって脱走できるじゃないか。きっとどこかに監視カメラでも仕込んでいるのだろうな。それならむしろ好都合だ。自分に何の企てもないのだと証明することができるのだから。

 だから、私は毅然とした態度で、これからお風呂に入る。

 夕方の戦いの後、気が付いた時には着せられていた白の服を脱ぎ、カゴの中に放り込む。下着も同様だ。分厚く野暮ったいが、新しくて清潔なものだと思う。代えの服は寝衣で、フリル付きのワンピースは少し、らしくなくて恥ずかしい。

 曇って見える浴室扉を見ていると、六畳ほどのこの部屋の中にも微かに熱気と湿度を感じるような気がした。

 扉を開けると、それは確かな実感となる。


「広い……」


 浴室全体で脱衣所の二倍はあるだろうか? 三倍だろうか? ちょっとした民宿くらいはあるんじゃないか。こんなに広くてどうするんだろう。

 浴槽の面積はその三分の一くらいを占めている。壁に面した洗い場が三つ。そのうちの一つの腰掛けに座り、蛇口を捻った。

 頭の上にシャワーの水が降ってきた。


「冷たい」


 そう感じるが、けれども冷たさに身を捩じらせることは無くなってしまった。公園で水浴びするときだってそうだ。二年前、翼人になってからというもの、以前は平静でいられないかったであろう五感の訴えにまるで鈍してしまった。感じるけれど、どこか他人事のように思えてならなかった。

 冷たい。でも、逃げるほどじゃないと。

 そして鈍したことに対しても随分と慣れてしまった。二年とはそれほどまでに長い時間だった。

 けれども、とも思う。自分は何も感じなくなったわけじゃないとも思う。

 だって。

 ……さっきのごはん、美味しかったなあ……。

 生きるために食事は必要としないし、ならそこでお金を浪費する理由もないしで、ずっと食べていなかった。それでも何とも思わなくなっていた。

 でも、美味しいという感覚は自分の中で消えていなくて。

 ……また、何か食べたいなあ。

 AMMの使命を帯び、ただそれを果たすことを役目としてきた私が、それを得てもいいのだろうか。不安になりながら、でも私の中には抗いがたい欲求があるようだ。


「……温かい」


 考え事をしているうちに、シャワーの水が温水に変わっていた。

 温かいシャワーもお風呂も久しぶりだ。翼人になる前は当たり前だったのに、今ではそれらを得難いものになっていた。

 ……どうしたんだろう、私。

 今のおかしな状況と以前の私の比較ばかりしている。調子が狂ってる。まるで、あの事件よりも前、両親が生きていて、まだ私が普通の私だったころに戻りたいみたいだ。

 ……そんなのできっこないのに。

 正面、壁に取り付けられた鏡の中。自分の肌には斑に布が縫い付けられている。さらに両腕は無く、綿の詰まった布が代わりに動いているだけだ。

 これが、今の私なんだから。

 戒めなくちゃいけない。今はぬるま湯の中なんだ。本当の私は翼人の≪力≫を人々の役に立てる使命を持ったAMMのエージェント。だから、こんな普通の生活を送っちゃいけない。こんな居心地のいい場所に居続けたら、もう二度と出たくなくなってしまう。ぬるま湯に溺れてしまうのだ。


「ぬるい……」


 この場所は、ぬるい。


「ふあ、さっきから形容詞しか喋ってないけれど、だいじょうぶ?」

「ひっ!?」


 咄嗟に振り返れば、まだ幼い少女の瞳が私を覗いていた。


「ひつじ、ちゃん……?」

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