ロゼの記憶
進軍前日の夜。
ロゼイルは一人外へ出ていた。霧雨が降っていて少し肌寒かったが、気分が沈んでいたロゼイルにとってはあまり気にならないことだった。
広く外を望める場所の縁側に座り、ほぅ、と息を吐き出した。
「どうしてみんな、目の前からいなくなるんだろうな」
何も望んでいない筈なのに、自分には失うものが多いなとつくづく思う。
今まで何かを守れた試しがない。常に守られ、逃げ続けてきたのが自分だった。
六年間もそうだった。
誰かに仕え、忠を尽くすのがシラルガンの役目だった。ロゼ最後の子供ロゼイルも例に漏れず、剣と学を磨き続けていた。
そしていよいよ、14歳になり、一年早いが一人前として旅立つ日。
最後のロゼの旅立ち、新たな主が待つ場所まで一家総出で送っていた最中に全てが始まり、全てが終わった。
目の前に現れた緑の髪色の集団。
抵抗出来ないことはなかった。当然、中には腕のたつロゼもいたが、根本的な性質が違かった。
自分たちの子供を守ろうとロゼイルを庇ってはバタバタ倒れていく。ロゼイルの身体をきつく抱き締めた母親も、引き剥がされ心臓を刺し抜かれて死んだ。
それからは、覚えていない。
おぼろな意識のなかで確かなのは、生きている自分と死んでいる皆だった。
血の匂いが鼻につく。それでようやく、自分というものが戻ってきた。
ああ……っ!ああああああああああああー!
喉が潰れるのではないかと思うくらい叫んだ。まばたきを忘れた目からは涙が溢れた。
ごめんなさい生きててごめんなさい何も出来なくてごめんなさいごめんなさいごめんなさい
血の海のなかで、必死に謝った。
涙も枯れ果て、生きる気力を無くしたロゼイルはその場で死のうと考えた。このまま衰弱していけば同じところへ逝けると。
しかし、心の片隅では生きたいとも願っていた。相反する心でロゼイルは、地面に穴を掘り始めた。手が血だらけになろうが関係なかった。何日も何日もかけて仲間の分の穴を作り、骸を埋め木の棒で十字架を立てる。
墓標だ。
そして、疲れ果てた身体を木に預け、深い眠りについた。もしかしたら死ねるかな、という期待も込めて……。
結局目が覚め、墓標を見つめる。夢ではない事を改めて感じ、再び嫌悪感に襲われる。
ロゼイルは木を頼りに立ち上がる。上手く力が入らず、ガクガク膝が震えている。時間が経ち、自力で立てるようになると歩みを始める。
数歩歩き後ろを振り返る。そこには、血を吸った土と木の棒の墓標が風に晒されているだけだった。
数歩歩き後ろを振り返る。
やはり、何も変わらない悲惨な風景。
何度も何度も繰り返し、少しずつ離れていく。そして、何も見えなくなった時、ようやく前だけを見て歩く事が出来た──
「随分遠い記憶になっちまったなあ」
これが、ロゼイルの記憶の全てだった。
そして彷徨い、見つけたのがアルゼリータだった。人を殺す戦争をしようとする主を止めるのが一つの目的であり、彼を助けるのも目的だった。
それに何よりも。
「一人になるのは……もう嫌だ……」
一人ぼっちは嫌だ誰かいて欲しいもうお願いだから一人にしないで────!
はっとして知らず知らず目尻に溜まっていた涙をごしごし拭う。気持ちを落ち着かせるために深呼吸をする。冷えた空気が心地良かった。
「お前にゃ分からんだろうな。身内を殺された気持ちは」
ほうと息を吐く。そしてそのまま霧雨が降る闇を眺め続けた。
「お前には分からんだろう。身内に捨てられたオレの気持ちは」
物陰に隠れ、ずっと聞いていたアルゼリータがそっと呟く。
あいつは他人の手で一族を殺されたが、オレは一族自身の手で地獄へ堕とされたのだ。
それが、ロゼイルとアルゼリータの持つ覚悟の差だった。
「明日だ。泣いても笑っても、なあ姉さん。」
王を打倒する。イコール姉を殺す。
「さあ、生死を賭けた姉弟喧嘩だ」
反逆の王は嗤う。夜が明ければ、全てが動く。
まだ灯りが点いている主の部屋を不審に思い、マナはそっと扉を開けた。そこに、鏡台に座る女性が一人。金の髪は美しく、顔立ちも整っている美女の名はスティエラ。
この世界の若き女王だ。
「眠れないのですか、スティエラ様」
マナは優しく声をかける。するとスティエラはゆっくり口を開いた。
「おかしいわよね。まだあの子の事考えてるの。もう救えない……マルイスの話でわかった事なのに」
見た目はたおやかで物静かな令嬢なのに、国民を率いるために鍛えられた声は力強く、よく通る。まだ迷い多き女王にマナは問う。
「それは、姉としてですか、王としてですか?」
「……きっと姉としてね。私はまだ王になりきれてないもの。ごめんなさい、こんなダメな王様で……」
泣きそうに顔を歪めるスティエラに、マナはいえいえと首を振る。
「迷う事は良いことです。それだけ選択肢が残されているという証拠ですから。でも、時間をかけすぎてはいけません。これ以上ない判断をこれ以上ないタイミングで行動するのも王の責務というモノです。私はどちらでもいいと思います。貴女の判断に全て委ね、指示に従いましょう」
逞しい従者の言葉に、スティエラは微笑んだ。
「ありがとう。貴女は、私のお姉さんね」
「なに言ってるんですか。……まあ、貴女よりは年上ですけど……」
「嬉しいのよ。頼りになる人がいるだけで、こんなにも気持ちが軽くなる。すごく幸せ」
「まあ、喜んで貰えてるならいいんですけど……。ほら、もう寝てください! せっかくの美貌が台無しです!」
「あら、それは大変。貴女の美貌も、台無しになっちゃうわね」
「か、軽口はいいですから! はいっ! おやすみなさーい!」
ようやく主を寝かしつけ部屋を出ると、外が見渡せる広場まで足を運ばせる。さほど遠くない場所に灯りがポツポツついている。
「来るか、蛮勇な反逆者どもよ」
先ほどとはまるで違う、冷たい声音。マナは腰にある剣をすらりと抜き放つ。霧雨で、剣身に細かい水滴がついていく。
「さあ、この不肖、マナ。ノーザ王家のシラルガンがお相手しましょう」
誰だろうが、スティエラ様を害する者は許さない。たとえ、その弟君だとしても──




