時には、勇者らしく
一行は山を超え、村に辿り着いた。すると、すぐに異変に気がついた。
「お、おい…こりゃあ…」
「ええ」
シーンと静まり返った村。
廃墟ではない。生活の気配がしっかりと残っている。
二人は村人を探しに、村のなかをまわった。
「なんてこった…」
二人は言葉を失った。
そこは、まるで時が止まったかのようだった。
食事をする人、会話をする人、薪を割ろうと斧を振り上げている人…
全てがその時のままに、静止していた。
「…おい、勇者。何なんだ、これは…」
「…わかりません。魔王にこんな力があるなんて話は聞きませんし…一体、どうして…」
一行は近くの民家に入り、探索した。
やはりそこも、ついさっきまで、普通に生活していた名残があった。流し台に置かれた食器がそれを物語っている。
「お、おまえら…っ!」
その時。
ドアの影から、若い男が出てきた。
手には小さなナイフが握られている。
「ちょっ…!」
「これは、お前らがやったのか…!?俺の村に、一体何をした!」
男が二人にナイフを向ける。
「何が狙いだ!この村に、金はないぞ!」
「待て!俺達もわからんのだ!」
「嘘をつくな!」
「ミー!」
コロがさっと飛び掛かり、男の手からナイフを叩き落とした。
「うっ…」
すかさずAが拾いあげ、男の腕を掴んだ。
「落ち着け!俺達はただ、旅の途中で寄っただけなんだ」
「魔王を倒す旅をしているんです。それで、こちらの村にちょっと用事がありまして」
「魔王…?」
「どうかあなたの話を、聞かせてくれませんか」
興奮が冷め、すっかりおとなしくなった男を二人は椅子に座らせた。
「まず、あなたの名前を聞いてもいいですか?」
「…ユウ、です」
「ユウさん。あなたはこの村の人なのですか?無事なのは、あなただけですか?」
「…俺…町に出稼ぎに行ってて…昨日、戻ってきたら、こんなことになってて…」
「どのくらい村を離れてたのですか?」
「一週間、くらい…」
「それ程長くはないですね。何か、気づいたこと…心当たりはないですか?例えば、見慣れないモンスターがこの辺りをうろついていた、ですとか。いつもと違うことは」
「そういうのは、なかったと、思う…。村を出るまで、本当に普通の村だったんだ…」
ユウはガタガタ震えながら言った。
「村は…俺の村は、一体、どうしちゃったんですかね…みんな、人形みたいに動かなくなって…。母さんが…母さんが、起きないんだ…」
「母さん?」
Aは奥の部屋を除きみた。母親らしき女性がベッドの上で眠ったまま固まっている。
他に人気は無い。どうやらここは、ユウとその母親、二人で暮らしている家らしい。
「…」
「母さん…」
ユウは項垂れている。
母を失う怖さを、Aはよく知っていた。
「…勇者。村を調べて回ろう。外からの原因が無いとすれば、村の中のどこかに手がかりがあるはずだ」
「そうですね…。ユウくん。僕達に、村を案内してもらえませんか」
一行はユウに着いて家々を片っ端から調べていった。が、特に変わりはないようだ。
「…」
ユウの顔が曇る。やはり、モンスターか何かの仕業だろうか…。
「ミー!」
村長の家に入ったコロが、声を上げて知らせた。何か見つけたようだ。
「…なんだこりゃ?」
物置の中に、乱雑に置かれた木製の台。年代物なのかひどく黒ずみ、所々割れて歪んでいた。
「それは、玉の台座です」
ユウがいった。
「玉?」
「はい。この村には滝があって。そこに神が宿る玉を祀っているんです。俺も、詳しいことはよくわからないんですが…そういえば、台座の傷みが激しいから、そろそろ取り替えるって言ってたな」
「…!」
勇者ははっとした。
「ユウくん!その滝に連れて行ってください!」
「ここが、ニオガの滝、です…」
「…これが?」
Aも勇者も呆気にとられている。
それは滝とは名ばかりの、大きな氷の柱だった。
10メートルはあろう岩肌の割れ目から下へと真っ直ぐ伸びた、青白い氷柱。
滝壺は浅く、膝くらいの深さだ。それも全て凍りついてしまっている。
「ミー…くしっ!」
コロがくしゃみをした。
「コロ、大丈夫か?」
「ちょっと冷えましたかね」
勇者はコロの鼻水を拭いてやった。どうも、この滝の周辺だけ、妙に肌寒いのだ。
「…不思議だな。外は暖かいのに、ここだけ冬みたいだ」
Aが腕を擦りながら尋ねると、ユウも困惑している様子で答えた。
「いや、前はこんなんじゃなかった…こんな滝、見たことないです」
「?なんだと?」
「俺が村を立つ前、旅の無事を祈りにここに寄ったんです。少なくともその時までは、普通の滝でした」
「…」
Aと勇者は顔を見合わせた。
「もしかしたら」
「おう…ここを調べれば、何かわかるかもしれん。ユウ。玉が祀っているのはどこだ」
「え…あ、この岩を登った先の…あの、滝の裏側に…」
ユウは滝の上部を指さした。
そびえ立つ岸壁の中程、深く抉ったように落ち窪んだ場所がある。その奥に、小さな屋根がちらと見えた。
「岩を削って作った道が有るので…社までは、ここを登って行けます」
目でたどると、確かにうっすらとだが、細く削り出された階段が岩肌に沿って伸びていた。
「行きましょう…。危ないからコロは、ここで待っているんだよ」
「みー」
登り慣れているであろうユウを先頭に、一行は道を登り始めた。
石の階段は長い時間を経て風化し、やすりでもかけたかのように滑らかな表面になっていた。
そこに、ところどころ滝から跳ねた水分が凍りつき、ただでさえ不安定な足場を更に危険なものにしている。
「…足、滑らせたら…死ぬかな」
Aは下を見た。だいぶ高いところまで登ってきたようだ。さっきまで自分の立っていた場所が小さく見える。
置いてきたコロが不安げに見上げている。
「着きました!ここです」
ユウが言った。
最後の一段を登り終えると、目の前に小さな社があった。
「ユウくん。玉は?」
「…この、中です」
ユウが社を開けようと扉に手をかけた。
「…」
ユウの動きが、止まった。
「ユウ?」
「…」
ユウは何も答えない。身動き一つしないのだ。
「ユウ!?」
「…」
彼もまた、他の村人たちと同じように固まってしまった。
「ユウ!ユウ!おい…!」
「そんな…」
「やっぱり!この社に何か原因があるんだ!」
Aはユウに代わって社の扉を開けようとした。その時。
『…旅の人…旅の人…』
どこからか、女の声が聞こえた。
『社に、触ってはいけません…』
「!誰だ!」
『社を開けないで…どうか、私の話を聞いてください…』
二人は声のする方を振り返った。
凍った滝の中に、女がひとり、立っていた。
「…!」
ありえないその光景に、二人は言葉を失った。
『私は、この滝に棲む神…。あなたたちは、村の人ではないですね?』
女は氷の中から二人に語りかける。
『どうか、その社に触らないで。そして、すぐに立ち去ってください…。長く居れば、あなたたちもいずれ、彼らのように動けなくなる…』
「!?なんだと!」
「これはあなたがやったのですか?」
勇者が問いただすと、女は静かに首を振った。
『いいえ…。でも、私の力のせい、なのです』
女は、語りはじめた。
『私は、もとはミーヤの村に暮らす人間でした。しかし、物心ついた時から、私には、不気味な力がありました。そのせいで人々は私を恐れ、私を、村から追い出したのです。父も、母も、かばってはくれず…。他の村人と一緒に、私に向かって、石を投げました』
「ひどい…」
勇者は思わず、顔をしかめた。
『私は悲しくて…この滝から、身を投げました。私の肉体は死に、この魂と、呪われた力だけは、残ってしまいました。力は村人を襲い続け、村は、氷漬けに…。そのせいで作物は実らず、人々は飢え、凍え、死んでいきました』
「……」
『彼らは私の呪いから逃れるためにこの祭壇を作り、私を祀りました。時には生贄まで、捧げました。しかし、皮肉なことに、それは私の力を更に屈強なものとすることになりました。力は膨れ上がり、やがて、少しだけ残っていた私の自我までも、侵食しはじめました』
女は苦しそうに、胸に手を当てた。
『私は完全に、力に支配されていた。力はタガが外れたように強靭なものになって、更に人々を苦しめました。そんな時です。あの人が、やってきたのは…』
「あの人…?」
『あの人は、私の力などものともせず、私に近付いた。そして、私に触れた』
「……」
『私の力を玉に封じ込めると、その人は私に言いました。この滝の神として、生きろと。村の幸福を祈りなさい、そうすれば、きっと力は善いものに変わっていくはずだと』
「じゃあ、どうしてこんなことに…!」
『…力が、暴走しているのです…。社は、私の力を移した玉を閉じ込めている場所。その玉に、何かがあったようなのです』
女は顔を伏せた。
『私は力が人々を傷つける前に、村の人々の時を閉じ込めました。しかし、それももう、限界のようです。私には、あの力は抑えられない…。止める術は、ひとつ。私が、消滅すること。今度こそ、私は、死なねばらならない…』
「そ、そんな…」
『私に希望をくれたあの人を…あの人が、愛した世界を、壊してしまう前に…。今度こそ、あの時できなかったことを…』
「待ってください!」
突然、勇者が叫んだ。
「その人の名は…名は、覚えていますか!」
「勇者…?」
「あなたに触れたその人の名前です!なんといいましたか!」
『名前…?確か…』
女が、答える。
『…と、おっしゃって、おりました…』
「やっぱり…!」
『?』
「それは、僕の祖父の名です!あなたの力を玉に移したのは…僕の、祖父だ!」
Aは、耳を疑った。
「ほ、本当か!勇者!」
「はい。祖父から聞いた冒険の思い出話の中に、そんな話がありました」
「じゃあ、なんとかできるのか…?」
「…とにかく、やってみます。危ないので、Aさんは離れていてくださいね」
勇者はふう、と一息吐いて、扉に手をかけた。
「…、…、……、……、…」
勇者は呪文を唱えた。
Aにはわからない、言葉の羅列。
合わせて、社の扉が、ギイイ、と音をたてて、ゆっくりと開かれた。
「おお…!こ、これは…!」
社の中。真新しい木製の台座の上に、玉が乗っている。
「勇者…これが、玉、か」
「はい、たぶん…。ちょっと、よく見てみますね」
玉の中で、白い靄がゆっくりと渦巻いている。
「ん、…あ、ここ!」
玉に大きなヒビが入っている。そこから少しずつ、中の靄が漏れだしていた…。
「ここだ。きっと、台座を代えるときに落としたか何かして、壊したんだ!」
「直せるか?」
「それには、パスワードが必要なんです。封印した時に設定した言葉が…。祖父の性格からして、どこか分かりやすいところに書いてあると思うんですが…」
勇者は社のあちこちを調べてみたが、それらしいものは見つからない。
「うーん…」
「無いのか?」
「……」
その時。
「ミー!」
上空から、コロの鳴き声がした。
「ミー、ミー!」
コロが、空を飛んできたのだ。
「おい、お前、翼大丈夫なのかよ!」
「ミー」
コロは嬉しそうに答えた。そして、足に掴んでいた物を勇者に差し出した。
「ん?古い台座の…?」
村に置いてあった、ボロボロの台座。その脚の部分だ。
「あ…!」
勇者は気づいた。
「あった!ここ、これ、パスワードです!」
「何!本当か!」
「はい!これは、確かに祖父の字です…!」
勇者は嬉しそうに叫んだ。
「これで玉が直せますよ!」
「よっし!でかしたな!コロ!お前、勇者より勇者してるじゃねえか!」
「…一言、余計です…」
勇者によって、玉は元通り。力は、再び封印された。
「うまくいきましたよ」
『…あなたは、あの人の、孫だったのですね』
女は勇者をじっと見つめている。
「はい。祖父はもう、ずいぶん前に亡くなりましたが…」
『そう…』
「…祖父は、どんな人でしたか?」
女は、ふっと笑った。
『あの人は、優しい人でした…。そう。私に笑いかけ、手を握ってくれた。怖くなどないと…。初めて触れた人間は、とても暖かかった…』
「……」
『私が望んだのは、力や、ましてや生贄などではなく…ただ、生きる糧が欲しかったのです。だから、あの人は私の力を、わざわざああして封じ込めたのでしょう。希望と、再び生きる道を、与えるために…』
女が手を伸ばした。細い指先で、勇者の頬を、そおっと撫でた。
『あの人はもう、この世にはいない。けれど、あなたに会えた。あなたはあの人に似ている。心の形が似ている。ありがとう。私はまた、この村のために生きていける…』
そう言って、女は、滝の神は、消えていった。
氷が溶け、滝は本来の姿を見せた。
岩の間を流れ落ちる、美しい滝。
澄んだ水がとうとうと満ちていた。