騎士団長と黒い少年
「おお、良い食いっぷり!」
「なあなあ、アメ食べるかアメ?」
「お前、いつの間にそんな物用意したんだよ?」
「うまいか?うまいか?」
厩舎の陰、むさ苦しい騎士に囲まれているのは。
「…………子供?」
みすぼらしい一人の子供だった。
うわっ団長、何でここに!と悲鳴を上げる部下達にどこか安堵しながらも、新たな種類の胃痛が襲いくる予感にリヒトはそっと胸を押さえた。
謀反でなくて良かった。
しかし、胃の痛みが無くなる予感は欠片も無かった。
取りあえず、と進み出たのは、副団長のマーカスだった。
「お前もグルだったのか、マーカス」
思いきり睨み付けてやったが、マーカスは柳に風といったふうにさらりとリヒトの視線をいなしてしまう。
柔らかい茶色の髪を今風に撫でつけた洒落者は、こんな時でも余裕綽々に微笑み、事情を説明し始めた。
4日前、この子供を最初に見つけたのはイアンだったそうだ。
騎士団を抜け出し夜の街で羽を伸ばしたその帰り、行き倒れていたという。
着ている物はボロボロで、靴も履いていない。手足には縄をうたれた跡があり、人さらいから逃げてきたのだろうと見当を付けた。
珍しい顔立ちで言葉も通じないことから、よほど遠くから連れ去られてきたらしい。
放っておこうかとも思ったが、何気なく与えた菓子を貪るように食べる様子にに情が湧いた。
そのまま見捨てるのも忍びなく、騎士団に連れ帰ってしまったらしい。
後は、一人にばれ、二人にばれ、気がつけばリヒト以外の全員が秘密を共有していたという。
何とも心温まる話である。
マーカスはこちらの同情を買うために、この子供がどれほど衰弱していたかとか、与えたパンにかぶりつく様がいかに愛くるしいかなどを、身振りも交えて切々と語った。
マーカスの語りは見事だった。感情たっぷりに、泣きどころや思わず微笑んでしまうようなエピソードをふんだんに用意して、この子供がいかに哀れで可哀想な存在かを語りつくしてみせたのだ。
そのマーカスの語りを聞きながら、ずきずきと刺し抉るような胃の痛みを和らげるため、リヒトはやんわりと息を吐いた。
「元いた場所に返してこい」
リヒトの第一声はそれだった。
「そんな団長っ、猫の子じゃないんですから!」
「猫ならまだ良い。子供はまずいだろう」
「でもっ、身寄り無いみたいなんですよ。腹減らしてるし、言葉も喋れないし!」
「道端に放り出したりしたら、一晩で凍死してしまいますよ、団長の鬼!」
雪崩を打って口々に訴えかける面々をギロリと睨み付けると、辺りは水を打ったように静まった。
「ここは騎士団であって、子供の遊び場ではない。そんなに気になるなら孤児院にでも連れて行けばいいだろう」
「でも団長、言葉も上手く喋れない子なんすよ。孤児院なんか行ったら苛められますって」
「そうっすよ!昨日までずーっと震えてて、今日ようやく笑ってくれたんですよ!!」
「俺ら、訓練サボらないようにしますし、真面目にします!」
「団長、お願いします!」
「団長!!」
必死の形相で食い下がる彼らを見ながら、リヒトは既視感にとらわれていた。
ああ、たしか弟が子猫を拾ってきたときにもこんな顔をしていたな、と遠い目をする。
かあさまおねがい、ちゃんとお世話するから。
エサもトイレも、ぼくがめんどうみるよ。
内気な弟であった。
いつも人の影に隠れ、無口な子だった。
その弟が、震えながらではあったが、珍しくも真っ直ぐな目で母を見上げてそう言ったのだ。
彼らの目は、その時の弟の目にそっくりだった。
汗と土にまみれ、鎧を着込んだ脳筋のむさ苦しい男どもが、可愛い弟と同じ目をして自分を見つめている状態にいささか気が滅入るものを感じ、リヒトはこめかみを押さえた。
「俺ら、夜遊びも控えますから!」
「賭け事もしません!!」
「団長、後生ですから」
「団長!!」
そういえば、騎士団長を拝命してからは一度も実家に帰っていなかった。
弟は元気にしているだろうか。リヒトの記憶の中の姿よりも大人びた姿へと変化しているだろうが、リヒトの記憶の中で弟はいつまでも、子猫を抱えて震えている小さな子供である。
そう、今目の前で震えているみすぼらしい子供と同じくらいの背格好だった。
本当は言わなければならないことは山ほどある。
なぜ、自分に言わなかったのだ。
なぜ、隠すような真似をした。
隠しおおせると思ったのか。
なぜ、なぜ。
しかし、それらは問う前にとうに答えの出ている問いであって、リヒトが『鬼団長』と呼ばれる事や、先日退団していった若者の主張する退団理由に通じるものがあるのだろう。
であるなら既に、問いは問いとして問う前に答えが出ている。
答えの分かる問いをなお問うのは愚か者のすることだ。
だから、問いの代わりにリヒトは溜め息を一つ吐いた。
「……分かった。だが、ただ住まわせるのは駄目だ。働いて貰う」
武力を維持するには金が要る。
剣帯の一本、磨き石の一欠片まで、全て国の金で買いそろえた物だ。
たかが子供の一人、されど子供の一人である。
この騎士団に、子供一人を無駄に飼っている余裕など無いのだ。
「この子供は騎士団の雑用として働かせる。それでいだろう」
取りあえずそれが一番無難だろうと思われる結論を出し、全員に聞こえるように宣言すると、わっと歓声が上がった。
団長っ!と、感涙にむせびながら抱きついてくるむくつけき男どもを適当にいなしながら、リヒトは苦笑いを浮かべた。
傍らでは、少年が頭をぴょこぴょこ上下させている。
恐らく喜びを表しているのだろうが妙なジェスチャーだ。彼の住んでいた地方の踊りだろうかと思って観察すると、少年はびくりと身をすくませた。
「少年、名は」
問うと、少年は首を傾げた。
そういえば言葉が分からないと言ったか。
少年が脅えないように膝をつき、目線を合わせると、少年の目が驚きに見開かれた。
黒い。
少年の両の目の黒さに、リヒトも驚いて目を見開いた。
しばし、互いにしげしげと互いの姿を観察し合っていると、マーカスが咳払いをした。
「団長、そんなに見つめたら脅えてしまいます」
「そうっすよ、団長~。熱心に見つめるのは貴婦人だけにして下さいよ~」
傍らで混ぜっ返すイアンを冷たい目で睨むと、大げさに後ずさりながら土下座された。
「俺は、リヒトだ。」
出来るだけ聞き取りやすいようにゆっくりと言いながら、自分を指してみせる。
少年は何となく分かったのだろうか、こくこくと頷いて、りひゃと、と舌っ足らずに発音した。
そこで今度は少年を指さして、やはり出来るだけゆっくりと、一語一語を区切って。
「な、ま、え。お前の名前は何だ」
聞くと、少年はハッと目を見開き一つ頷くと、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「ミ、シャ、キ。ハリュカ・ミシャキ」
変声期前の柔らかな少年の声が、不思議な音程を形作る。
恐らくそれが名前だろう。ハリュカが家名か。家名があるという事は、それなりの地位にある家の子だろうか。よくよく見れば両の黒い目は知性の光が宿っている。
「ミシャキ?」
確認のためにそう聞くと、首を振った。どうやら発音が気に入らなかったらしい。
「ハ、リュ、カ。ミシャ、ティ。」
「ハー・リュカ・ミスャ・ティ?」
リヒトなりに発音を訂正してみたが、少年はまた首を振った。正直どこがどう違うのかさっぱりだが、少年には明確に違って聞こえるらしい。
「ハリュカ・ミーシャ・ティ?」
もう一度発音してみる。すると少年は諦めたらしく、もうそれでいい、というように頷いた。
様々な種族が入り乱れるセスティーナ大陸で、発音が地方によって変化するのは良くあることである。同じ単語でも地方ごとに変わった読み方をするのはよくあることだし、獣人などは人とは人体構造が異なるのでそもそも人には発音できない音もある。
しかし、たとえ言葉が通じずとも、発音の仕方で何処の国の者かの目星を付けられるのが普通だが、少年のような発音は、ついぞリヒトは聞いたことがない。
成る程、マーカスの言葉通りよほど遠くから掠われてきたのだろう。
そんな事を頭の隅で考えながら、何気ない振りを装って少年を観察する。
今まで見た事もない程に黒い髪をしている。黒髪の人間は騎士団内にも幾人か居るが、この少年に比べたらまだ柔らかい茶色に見えた。
顔立ちと肌の色からして、この近辺にいる種族ではないだろう。
顔立ちが違うので年齢がいまいち把握できないが、背格好からして10を少し過ぎたところだろうか。
エルフや竜族の血を引いていればもっと年が上である可能性もあるが、人間種の耳をしているので、ひとまずは外見通りの年齢と考えても良いだろう。
「黒いな」
ぼそりと呟くと、少年はびく、と震えた。
見た事のないほどに黒い目が、おどおどとこちらを見返してくる。
そのおびえの色を見て、リヒトは少し安心した。
この状態に不安を感じられるのだ、少なくとも阿呆ではないだろう。
状況を認識する力は多少備わっているらしい。
無理矢理に笑おうとしてヒクヒクと引きつる口元が何とも滑稽で、ふっと笑うと、どうやらショックを受けたようで、少年は驚愕した顔で固まってしまった。
「取りあえずリュカでいいか。付いてこい」
身振りで付いてくるように示して歩き出すと、少年は慌てた様子でリヒトの後に続いた。
「ああそうだ」
そこでリヒトは思い出したように厩舎を振り返ると、
「お前達、明日から訓練の量を倍に増やすからそのつもりで覚悟しておけ。休日に町に遊びに出られるような元気が残っていると思うなよ」
自分のここ数日の心労と胃痛を考えたなら、これくらいのしごきは許されるだろう。
子供を世話するならば訓練を真面目にやると言ったのは彼らだ。
弟も、子猫を育てるのを許された代わりに、やると言ったことは全てやらされたものだ。
そうと決まれば、明日からの訓練の予定を立てなければなるまい。
幸いなことに彼らはまだ若く、伸びしろはまだたっぷりと残されている。
ひいい、という悲鳴を背に、リヒトは明日からの訓練メニューを頭の中で組み立てはじめた。




