遠雷
闇を司る知将神エレヘスよ、そなたの送り子、ヴィンセント・クロヌロアが乞い願う。
理の海に闇の安寧を。小夜鳴鳥の褥。ふるわさぬ四方の波。静寂に揺蕩る。
安らけく。平らけく。
王城にある祈りの間で祝詞を唱え終わると、ごっそりと何かが削り取られ、闇に抜け落ちる気がする。私が落ちてどうするのだ。まだすることはあるのに。
大商人加護の私は、常時魔力を少しづつ流し続ける状態ではあるが、エレヘス神の加護である安寧を大きく使うとこうなる。シルヴァンのように倒れないのは、たんに常時魔力で加減を知っているせいか。
深い倦怠感に俯いていたせいか、顔を上げた拍子に肩から零れ落ちた黒髪が視界を遮る。苛立ちを隠さぬ指先で耳にかけると、溜息を隠さずにもらした。
その時に後ろから、シルヴァンの声がかかる。
「兄上」
「シルヴァンか…どうした?」
「ビンチョス家からの報告が上がった、水の軍神、カリプテス神殿跡の側に新たな小島が上がったと…」
ふらつく足を叱咤し、立ち上がる。
「……書簡にあった伝承通りではないか。見に行こう」
「大丈夫か、今…祝詞を上げていただろう」
片割れの気遣う声に力なく、それでも口元に笑みを浮かべた。
「ああ、焼け石に水とは思うがね、祈らずにはいられないだけだ。大丈夫だ、ついでだから、馬車の中であの不味い魔力草を噛もう」
シルヴァンがちらりと舌を出す。
「試しに俺も噛んでみたが、致命的にまずい。目減りした魔力が戻る感覚はあるが…どうも我が国の魔法薬は、味だの目薬にしても差し心地が二の次だな」
「落ち着いたら、改良の余地ありか」
エアリルが必死になって、精製をしている魔力草の製薬化は上手くいっていない。とにかく摘むと二時間ほどで、効能が落ちるらしい、それではいつ始まるとも、終わるとも知れぬ、災厄との闘いではあまりにも頼りない猶予だ。
「間に合うといいが…」
「いざとなったら、生で噛じるが…エアリルに頑張ってもらいたいところだな」
苦笑交じりにシルヴァンが言う、頷きながら王城のプライベートコリドーを抜けた。
「兄上、あれだな」
少し寝てしまっていたらしい、シルヴァンの低い声に促されて顔を上げれば、小窓からカリプテス神殿跡の先に白亜の小島が見えた。荒れる波間に割って現れた白い柱が、円柱の祭壇を支えている。カリプテス神殿を模しているようだが、気味が悪いほど白く異様だった。
口が乾き、先ほど噛んだ草の苦みだけではないものがこみ上げる。
あの場所にリュミエールが一人で赴くと言うのか……。
カリプテス神殿に近い岬、その荒涼とした岸壁に馬車を止めた。いつだったか、リュミエールとこの場所で夕陽を眺め、コーヒーを飲んだ事を思い出す。
シルヴァンが馬車から先に降りた。場を確かめるように足元を擦るとその先を見据える。
「この岬が…マリアベルの…炎の姫騎士の戦いの場…」
「ああ、贄の姫御子の祭壇が現れたことではっきりした」
「あの華奢な肩に…この国の災厄を背をわせると言うのか、早く…早く、自らの加護を扱えるようにならなくては…」
シルヴァンの加護は、この国で忌避ともされるセトゥス神「神々の清算」忌まわしき天災と呼ばれる。
人々の増長や傲慢が臨界点に達した時に、嵐や高潮、疫病といった自然災害の形をとると思われていて、何日か続いた日照りでさえも、セトゥス神からの警告と恐れる者がいるほどだ。
元々、王族の加護神は秘匿とされるが、シルヴァンが常に凛として、明るく、気さくな振舞いを崩さなかったのは、片割れである私への配慮。陰陽の双子として対比され、その陽の部分を買って出たにすぎない。
「兄上…俺は自分の加護は、隣国などからの侵略や、薄暗い政略に備えるべきものだと思っていたが…このためだったと思う。災厄を倒すために俺が生まれたのなら、こんなに嬉しいことはない」
「シルヴァン…」
馬車から降りようとした私をシルヴァンの手が押しとどめる。跪き、地に手を付ける。
低く、深く。
「天の鎖、雲の頂きより、その御身あらはせ。セトゥス御神の送り子、シルヴァン・クロヌロアが乞い願う。我が血、我が声を標とし、その咆哮、天揺らす雷鳴とせよ!波揺らし、災厄を裂き灰塵と還せよ!」
シルヴァンが空を睨み、その祝詞が空に溶ける。
「その…咆哮……天を揺らす」
しかし…思ったような劇的な落雷は起こらなかった。
ただ、遠く海の深淵の縁をなぞるような低い地鳴りがゴロゴロと鳴り響く。かわりに連れてきたのは、ひどい湿り気を帯びた雲。急激に天候が変わる。翳った雲から大粒の雨が打ち付けるように振り出した。
膝をついたままのシルヴァンの背中を、容赦なく穿つ。馬車の中から、彼の背を見守る窓を叩く激しい雨に目を細めた。
遠雷はまだ、遠い。
彼の覚悟もマリアベルへの思いも全て、まだ。
雨の向こう、白い祭壇は霧に煙り、ただ静かにその時を待っていた。
お疲れ様です。
いつも読んで下さってありがとうございます!
110話目です。シルヴァンの加護出せました。
後書きにも少し書きました。
良かったら、読んでやって下さいませ。




