13.ドラゴンの聖女の目には
カイの怪我の治療はうまくすすんだ。ティア=アンの治療もだ。彼女は耳やなにかに相当な怪我をしていたが、怪我を治療する不可思議な力でなんとかなった。
王、王后、王太后は、幽閉されている。カレンなど、一部の貴族もだ。皆、ティア=アンの殺害未遂の場に、わかっていて参加した。
ティア=アンは、国内に居るミーグァ家唯一の生き残りに、指環を渡した。意外にも、あの扉を見張っていた、ティア=アンにマントをかしてくれた兵士、ケルがそうだったのだ。母がミーグァ家の出身だったという。母の叔母にあたる人物が、若くして病死したと聴かされていたが、どうやらそれが、あの勇ましい娘のようだ。
リスエロは殺されそうになったが、一瞬で長い距離を移動する力をつかい、逃げていた。大怪我をしているが、以前、公爵の仕事で赴いた農村で、匿われていたという。
調べたところ、ティア=アンには『力を無効化する力』があることがわかった。といっても、程度の問題で、ティア=アンよりも相当力が勝ればそれは意味がない。治療の力を持った者達は、ティア=アンよりも力がつよく、ノウェスパルはそうではなかったということだ。
今、国は、ホーがなんとかしていた。夫の(急遽、結婚したのだ)ヴォスとともに、仕事を片付けている。
『花嫁』云々には、高位の貴族だけでなく、ほとんどの貴族が関わっていた。体が弱かったり、賢くなかったりする持て余し者の娘が、国の為になると聴いて、皆さしだしていたのだ。爵位持ちならほとんど全員が知っている、公然の秘密だった。罪の重さをはかる方法は、この国の法にはない。他人の娘だけでなく、自分の娘もすすんで殺していたのだから。
事実は、国民にも報された。ティア=アンはしなくてもいいのではないかと思ったのだが、カイとホーが相談し、そう決めたらしい。王族の罪だから、認めない訳にはいかない、と。その上で、民が王家にそっぽを向くなら、仕方がないと。
知っていた人間は全員爵位を返上、子どもが事情を知らなかったのなら後を継がせる。程度の重い者は死罪。それが穏当ではないかと、ヴォスはいっているらしい。
「君はどう思う、ティア=アン」
傷痕の残るカイは、掠れた声で、静かにいった。まだ、まっすぐ歩くことはできず、医師のいいつけで横になっている。彼は複数の人間に痛めつけられ、あの塔に放置されていた。愛娘との結婚をいやがったと、ノウェスパルがはらをたて、兵士達に命じてさせたのだ。それも、不可思議な力を持った者達に。
王太后の縁者であるノウェスパルは、王家に次ぐ力がある、命ぜられた者達は
喜んでそれをした。
ティア=アンは肩をすくめ、肩に流した髪を、そっと撫でる。大人の女性なら髪をまとめているのが普通だが、頭が痛くなるのがいやで、ティア=アンはそれを拒んでいた。ティア=アンがいやがっても、誰も強制しない。官女達の多くは捕まったし、残った者らは鷹揚だった。
膝にひろげていた妹達からの手紙を、たたむ。意外にも、妹達は、ティア=アンがさらわれたと聴いてから、寝込んでいたらしい。そもそも、気弱で優しいティア=アンが、宮廷のようななにがあるかわからない場所に行くことに、妹達は反対だったようだ。
兄達も、リスエロに個人的に懸賞金をかけたり、自分達でもさがしたりと、ティア=アンを心配していた。
妹達は本当にティア=アンを心配していたようで、お姉さまを戻してくれるなら結婚できなくてもいいと、黒いドラゴンへ祈っていたそうだ。だから婚約は解消するなどとばかなことを書いて寄越したので、それは辞めてほしいと返事をした。それに対する手紙がこれだ。黒いドラゴンとの約束だから、まもらないといけない、とある。井守もどきに会わせたら、ばかなことを考えないでくれるだろうか。
実際、政治的なことはホーが一任されているが、法的には王はカイだった。誰がどうしたのかわからないけれど、あっという間にそうなっていたのだ。だから、ティア=アンは王后ということになる。
そう、ティア=アンも、いつの間にか結婚していた。ホーがうまくやってくれたのだ。彼女は男のように働くし、男のように賢い。
今のところ、ホー、それにカイの評判は落ちなかった。祖先がなにをしていたとしても、彼ら兄妹に罪はない。
もともと、ホーはあの慣習をやめさせようとしていた。髪をあれだけ短くされたのも、両親や祖母に逆らったかららしい。それでも殺されなかったのは、ヴォスという許嫁ができてから、彼を人質に黙らされていたからだ。ヴォス自身は、ティア=アンが宮廷に来るまで、悪しき慣習のことは知らなかった。
母も祖母も嫁いできてから儀式に参加するようになって、次第に慣れていったから、わたくしもそうだと思ったのじゃないかしら、と、ホーはいっていた。
ティア=アンは、開け放たれた窓を見る。庭には、彼女が好むような榎があった。その枝には、あの井守もどきが居て、ぐうぐう寝ている。彼は宮廷が気にいったのか、ティア=アンを気にいったのか、帰る気配はない。兵士達に干し肉をもらい、また少し大きくなっていた。
「彼らは、不可思議な力を持っている。流刑にしても、たいした罰にはならないと、判事達がいうんだ」
ティア=アンは、カイを見る。「……ちからが、あるのですか?」
「ああ」
カイは傷痕をゆがめて、微笑んだ。「久し振りに、君の、可愛い声を聴けたよ、ティア=アン」
ティア=アンは微笑みを返し、彼の手をとる。
「あのこのおよめさんを、さがしてもらいましょう」
数日後、判事や学者達の判断で、特に罪が重いとされた者らが、山へつれていかれた。その者らは、縄ばしごを垂らしたあの裂け目のなかへとはいらされた。不可思議な力を持っているし、衣裳はしっかりしたもの、おまけに食糧と武器の携行もゆるされている。
しかも、慈悲深い王后陛下、黒いドラゴンをつれてもどった聖女さまが、正しい道を教えてくれた。『かぞえうたのとおりにすすむように』そう、伝言があったのだ。
裂け目へはいった者達は、たかをくくっていた。
着地に失敗し、ノウェスパルは足をくじいた。食糧と武器を娘にとられ、彼はそこへ置いていかれた。
猿もどきが出てきて、力で火をつかえる者らが戦った。一行は数え歌の通りにすすみ、『さいころ』の横穴へはいった。
その直後、猿もどきに不意を打たれ、貴族数人が攻撃された。彼らは耳や目を失ったが、それを退治し、奥へとすすんだ。
『ぬの』の道では虫に襲撃された。王太后が目玉をやられたが、それだけで澄んだ。
『たて』を渡り損ねたのは王だけだ。彼は落ちて流され、すぐに見えなくなった。誰も助けようとはしなかった。
坂道で、彼らは決定的に間違った。犬もどきを攻撃したのだ。
犬もどきは怒った。彼らは弱いのではない。ただ、臆病で、人間が苦手なのだ。以前、ここに居る生きものを殺したら、不可思議な力を手にいれられることに気付いた人間達が、彼らを襲った。大人しい犬もどきは殺しやすく、標的になったのだ。その時も、最初、数匹姿を消したくらいはこわくて我慢したが、それ以降は我慢しなかった。いつしか人間は来なくなった。犬もどきは知らないが、力が次世代へと受け継がれることがわかったからだ。
犬もどきは、彼らに反撃した。徹底的に反撃した。甘いものをもっていた、小さくて礼儀正しい娘と違う、攻撃的な人間達を。
人間達はちりぢりになって、逃げ惑った。
道を間違えた貴族らは、蛭の巣へはいりこんでしまった。
『くびかざり』の道の先、『てぶくろ』の部屋には、あの植物がもう繁茂していた。犬もどきから逃げるのに必死でろくろく確認もせずに足を踏みいれた貴族が、毒で死んだ。残りは、不可思議な力で焼いたので、そこを通れた。前後のよくわからない虫は、カレンの足をかじったが、それも燃やされた。
辿り着いた部屋で、王太后は木箱を開けるようにいった。
木箱には飛ぶ夜光貝がはいりこんでいて、飛びだしてきたそれに、箱を開けた貴族は殺された。
反撃しようと壁にかかった武器を男達がとると、それがきっかけだったように夜光貝が大量に飛んできて、またちりぢりになって逃げた。
間違った道へはいった者は、穴へ落ちた。
人間もどきをなんとか退けて、辿り着いた先の死体に、王后が悲鳴をあげた。
憐れなミーグァの娘は、かつて王后と競い合っていた。王后は王に頼んで、彼女を『花嫁』にしてもらったのだ。
度重なる戦いで、王后の神経はもろくなっていた。自分が殺した娘と呪いの言葉を見て、彼女は叫びながらどこかへ走っていった。
カレンと王太后は、そこで分かれた。ふたりとも数え歌をそれ以上正確には覚えていなかった。
カレンは雫を選んだ。
王太后は四角を選び、複数の貴族にまもられながらすすんでいった。
虫と戦いながら、正しい道を選んだカレン達はすすんだ。次は、ティア=アンのおかげで命拾いした。彼女がわざわざ、百合と書いてくれていたからだ。
それ以降も、彼女のおかげで命を救われた。ティア=アンはあとの脱出者の為に、道導を遺していたのだ。
数え切れないくらい戦い、カレン達はドラゴンの像まで辿り着いた。
カレンは、自分の苦労はこれの所為だと、はらだたしくて思わず像をひっ叩いた。どうしてこんな目に遭わなくてはならないかといえば、この国に『いけにえ』なんていうばかな習慣があったからだ。そんなものがなかったら、自分はなんの苦労もなく王子の妻になっていた。のろま娘が介入することはなかった。
長い間そこに放置され、誰にも整備されていなかったからだろうか?
ドラゴンの像はあっという間に倒れた。
痕は残ったものの、カイの容態はだいぶよくなった。
民の評判もなかなかだ。正直に悪事を公表した結果、カイもホーも民に受け容れられた。ティア=アンが黒いドラゴンをつれてかえったのも一因だろう。黒いドラゴンは宮廷に居つき、兵士達から干し肉をもらっては食べ、どんどん大きくなっている。力があり、軍の荷運びなどを手伝っているらしい。
折角、不可思議な力を持っていて、能力の高い、賢いひと達を送り込んだのに、井守もどきのお嫁さんはまだ誰もつれてかえらない。自分のようなのろまが大丈夫だったから、もっとできるひと達が、きちんとした装備と食糧を持っていけば、大丈夫だと思ったのに。落下で死ななければ問題ない、と。
ティア=アンは、仕返しをしたい訳ではなかった。ただ死なれても、別になんともない。それより、自分を助けてくれたあの子に、仲間をつれてきたかった。といっても、カイが心配だし、ずっと傍に居るといったから、自分はいけない。だから、その仕事をしてもらった。うまく行けばそれで不問に付そうと、カイやホーとも相談した。ふたりは、殺してもなんにもならないというティア=アンの言葉に、大きく頷いていた。国の為に働いてもらうのがいいでしょうとヴォスもいったので、そうなったのだ。
しばらくぶりに実家へもどったティア=アンは、祖父の寝台の傍に居た。カイと一緒に、やってきたのだ。護衛にリスエロと、ミーグァのケルも居る。彼はその行動が評価され、カイの見張りをしていた三人、それにティア=アンにお茶をくれた兵士とともに、儀仗兵になっていた。リスエロもだ。
祖父は寝入っている。先程まで本を読んでいたティア=アンは、それを閉じた。傍では井守もどきがのたのたうごいている。祖父にも見せたが、なにかわかっていないようで、でぶの蛙だなといっていた。
隣に座っているカイが、傷痕をゆがめて優しく微笑む。祖父は、カイのこともわからないらしかったが、カイはそれにはらをたてたりはしなかった。「疲れてしまったようだね」
「陛下、お菓子をお持ちしました」
妹達がやってきた。今、祖父の面倒は、彼女達がほとんど見ているそうだ。ケーナ家の財政はもっと厳しくなり、めしつかいはほとんど解雇されていた。
結局、上の妹は、願掛けをしたのは自分だからと、婚約を解消してしまった。
ふたりは小さな卓にお菓子を並べ、てきぱきとお茶を淹れた。護衛のふたりにもお茶をあげている。井守もどきの好物だと伝えたので、干し肉も持ってきてくれていた。
ティア=アンはお茶をすすり、爵位を継いだ兄が見付けたという、祖父の日記を読んだことを思い出す。ひと月前、宮廷へ送られてきたのだ。
そこには、頭がぼんやりする前の祖父が、苦悩を書き付けていた。のろまなティア=アンが『花嫁』候補になったことを、最初は喜んでいたのに、祖母が亡くなると途端に考えがかわった。祖母が死の床で、ティア=アンを殺させないでと祖父に頼んでいたらしい。
祖父はそれに、心配するなと約束した。祖父自身、祖母の看病をしていたティア=アンを騙して殺すことに、罪悪感を持ったのだ。だが、王家との約束は重たいものである。ティア=アン当人に、はっきりと教えることはできなかった。
だから、祖父は何度も、ティア=アンに数え歌を聴かせた。
上の妹が、井守もどきに干し肉を投げた。あいつはすばやくやってきて、干し肉をくわえ、もごもごしている。カイが屈みこんで、井守もどきをかまった。あの子はカイにもなついている。学者が調べたところ、間違いなく雄だそうだ。いつか、あの裂け目へつれてもどろうか、それとも一緒にお嫁さんをさがそうか、と、ティア=アンはこのところ、カイと相談していた。
「お兄さま、ばりばりやってるよ」
下の妹が、低声でティア=アンへいい、にっこりした。「わたし、お手伝いしてるの」
「あたしも。結婚なんてしなくてもいいや。お母さまみたいに、毎日子ども達のあらさがしするより、書類の整理してるほうが楽しいに決まってるから」
「それに、お姉さまのことあてにして求婚してくる男なんて、いやだもの」
「あたしなんて、お金の為の婚約だったからね、もともと……」
いつもなら黙り込むティア=アンだけれど、今度ばかりは勇気を出した。
「だめ。ふたりとも、けっこんしたがってたのに、わたしのために、それをやめないで。このこも、きにしないから、きっと」
干し肉をもごもごしている井守もどきを示す。
妹ふたりは目をまるくしていたが、揃って大笑いした。「お姉さま、そんなに喋れるの!?」
「すごい、はじめてきいた、お姉さまがそんなに喋ったの! あたし達と喋るの、いやなんだと思ってたのに!」
ティア=アンは赤くなって、口ごもる。
妹ふたりはくすくす笑いを続けている。やたらに楽しそうだ。カイが微笑んで、ティア=アンの顔を覗きこむ。
「わたしも、君がそんなに喋ったのは初めて聴いたよ、ティア=アン。妹さん達が羨ましいな」
カイは護衛のふたりを振り返り、肩をすくめる。「お前達も、彼女達に考えをかえてほしいのじゃないか」
リスエロとケルが、カイの言葉にぱっと頬を赤らめた。ティア=アンは意外に思いながら、小さく頷く。どうやら、井守もどきのお嫁さんよりも先に、妹達のお婿さんが見付かりそうだ。
井守もどきが干し肉を、ごっくん、とのみこんだ。何度いわれても、ティア=アンにはそいつは、偉い黒いドラゴンには見えないのだった。




