桜木カレン
「やっちまった…」
楓は昨日の出来事を思い起こす。
ブチ切れてしまった……。確かに亜美にはムカついたけど……。
「あー」
ゴスッ
鈍い音がする。木葉は食堂の机に頭を打ち付ける楓を見た。
「風紀委員長と副委員長の真ん前で思い切り刀を振り回すなんてなかなかよね……」
「あー……」
ごんっ
「……やっちまった」
「ラーメン溢れるわよ」
「あ、はい、すみません」
木葉はその様子に苦笑いを浮かべ、頬杖をつく。
「まぁ……霞浦、ちょっとウザかったから清々したわ」
「あははは……」
「何、その棒読みな笑い」
「……」
木葉と話していると気持ちが軽くなる。まあ、いいか、そう思えてくる。
「なになに? 昨日の例の出来事?」
ちょうど食糧を確保しに行って来た夕姫と夏美が帰ってきた。夕姫はトレーを机の上に置くと、ずいっと身を乗り出した。
「まあな、」
「聞いたよ! すごい噂になってる!」
夕姫と違ってお淑やかに腰を下ろした夏美が嬉しそうに頷いた。
「うん、なんでも、目で捉えきれない速度で前髪だけを斬ったんだよね!」
「ねね、それホント!? ホント!?」
2人の勢いに押され気味に楓は頷く。
「あ、ああ」
楓の返事を聞くと、夕姫は突然背もたれにもたれかかって両手をバッと上に広げた。そのままなぜか手をグーパーさせる。
「それがホントってことは楓、どんだけ強いの!」
「術を使わない光希よりも大分強いわよ、光希は身体能力強化してたけどね」
なぜか木葉がにこにこしながら質問に答えた。
「ほぇー! あの『九神』のエリートよりも強いなんて凄すぎでしょ!」
目を輝かせた夕姫の顔がさらに楓に近づいてくる。
「え、えっえ……何?」
「是非是非我が剣道部にー!」
「夕姫のじゃないでしょ!? そもそもまだ入部してないよっ!?」
夏美は忘れずにツッコミを入れる。楓はそんな2人をにこにこと眺めた。少し嬉しい。孤児院では楓の強さは気持ち悪がられた。霊力がない分、必死こいて修練を積んだ楓の努力は、孤児院のみんなと楓の間の溝を深めただけだったのだ。
「ところで、先輩たちに見られたのはどうするつもり?」
雰囲気ぶち壊しな木葉の発言。楓の目の前が速やかに真っ暗になっていく。
「……あー……、やっちまった……」
がしゃんっ!
重力に引っ張られて楓の頭がラーメンに沈む。
「「「……」」」
しばらくの沈黙。
「あぶぶぶっ!? ほへ!?」
楓は丼から頭を引っこ抜く。顔も眼鏡も前髪も油に汚染されている。
「ばーか……」
木葉は呆れながら濡れタオルを持ち出して楓の顔を拭く。流石にラーメンを綺麗に片付ける術式はないらしい。
「んー!?」
楓は木葉にされるがままになっている。とはいえ、わりと無理矢理だな、おい、と思わなくもないが。
眼鏡を楓は濡れタオルで拭き拭き、そのまま机の端に置く。木葉の努力のおかげで楓の顔は浄化されつつあった。
「あんがと、木葉」
にへらぁ、と楓の緩みきった笑顔に、木葉は満更でもないな、と思ってしまう。疎まれる者としてはあまりにも純粋な表情だった。
「じゃ、戻ろっか!」
楓の顔が綺麗になったのを見届けた夏美は立ち上がる。
「そっすね!」
4人はトレーを返却すると、食堂を出た。楓の眼鏡を机に置き去りにして。
5時間目が始まるまで、まだ時間に余裕がある。4人はゆっくりと歩きながら話を続ける。
「次はアレだよ、理論だよ……。私理論嫌いなの!」
「あー、確かに理論ができなさそうな顔してるわね」
木葉は真面目くさったように腕を組む。
「もー! 木葉に言われるとグサってくるー!」
夕姫は木葉の頬を唐突にもにゅんと引っ張った。
「!?」
「ほっぺたモチモチ! いいねぇー! 木葉!」
嬉しそうに夕姫は木葉の頬をいじり続ける。思わぬ攻撃に木葉は反応に困った。
「ちょ、ちょっと、やめなひゃいよ……」
「やーめなーい!」
「なになに、そんなに木葉のほっぺたはもちもちなのか!? ボクにも触らせろ〜!」
楓もほっぺたいじりに参戦。木葉のキレイな肌の程よい弾力と触り心地を堪能する。気づいたら、しれっと夏美も参加していた。
「ちょ、かへで! めぎゃねは?」
「あ……」
全員の手が木葉から離れる。木葉はほんのり赤くなった頬を両手でおさえ、ほっぺたの解放の喜びを噛みしめる。
「ちょっとみんな、先行ってて! たぶん、てか絶対食堂にあるからさ!」
「うん、わかった〜! みんなでゆっくり歩いてるよ!」
夏美の可愛い笑顔に送られて、楓は食堂まで走る。食堂にたどり着いた楓はキョロキョロしながら自分たちが使っていたテーブルを探す。もうあまり生徒は残っていなかった。
「あった……」
思った通り、食堂にあった。眼鏡をかけていないと周りが見えないほど楓は目が悪い。あまり景色を見ていなかったからなのかは知らないが、全くもって気がつかなかった。言われてみると、視界がぼやぼやしていることがわかった。それまでははっきり見えていた気がした。
そんなことはどうでもいいか、気のせいだ、きっと。
楓は赤い縁の眼鏡をかける。一気に視界がクリアになって、落ち着く。
「ふぅ……」
息を吐いた楓の後ろからいきなり声をかけられた。
「あの、天宮さん……?」
驚いて振り返る。そこにいたのは見覚えのある女子生徒だった。
「あ、はい、ってキミは……桜木……さん?」
楓に名前を覚えていてもらったことが嬉しかったようだ。少女は顔をパァッと輝かせる。
「はい! そうです……。私は桜木カレン、えっとその……B組です」
カレンはぴょこんとお辞儀をした。低めに結んだツインテールが一拍遅れて動きについてくる。確かカレンは霞浦亜美の取り巻きだったはずだ。なぜ今になって接触してきたのかわからないが、そのままの態度でカレンに接する。
「あ、あの! その……いろいろとすみませんでしたぁ! そ、その……その……、亜美様は本当はお優しい人なんです! でも、その、あの亜美様を止めていただきありゃがとうございます!」
セリフを噛みつつも、カレンは最後まで言い切った。少し内容が飛んでいる気もするが、言いたいことは伝わった。楓は優しく笑いかける。
「全然いいよ、別に霞浦を恨んでるわけじゃない」
そう、恨んでいるのは自分自身だ。このどうしようもなく無力な自分自身が。
「えっと、天宮さんは本当に強いですね! あんな剣技始めて見ました!」
正確には見えてませんけどね、とカレンは苦笑した。
「天宮さん、その、風紀委員、頑張ってくだひゃいっ! 私、感動したんです! 無能力者でも誰かを守れるって……。私、見ての通り内気なのでなかなか自分の言いたいこと言えなくて。でも、なんか天宮さん見てたらそんなこと些細なことだって……。そ、その、えっと、だから、天宮さんを応援したくて、こ、これ!」
カレンは水筒を楓に突き出した。楓は少し驚きつつ、水筒を受け取る。
「これは……?」
「私特製のスポーツドリンクでしゅ!」
セリフを噛んで、カレンは顔を真っ赤にした。確かにかなり恥ずかしい噛み方をしたと思う。楓は顔を真っ赤にしたカレンを見る。
「ありがとう、ありがたく貰っとくよ」
「はいぃ! あの! もしよければ、ちょっと味見してくれませんか?」
「ああ」
楓は水筒の蓋を開けて、中の液体を煽る。はちみつレモンのような爽やかな甘酸っぱさが口に広がった。
「どうですか?」
カレンが顔を覗き込んでくる。楓は頷いた。
「すごく美味しいよ!」
カレンは天にも昇る感じの、満面の笑みを浮かべた。言ったそばで、楓は木葉たちに追いつくと言ったことを思い出した。
「あっ、ちょっと、人を待たせてるんだ。行かなくちゃ、あ、これ、ありがとう!」
楓は水筒を軽く持ち上げてカレンに見せると、木葉たちに追いつくため、走り出した。
「木葉ぁー!」
木葉たちは思ったより遠くには行っていなかった。楓の声に全員が振り返る。
「何よ、遅いじゃない」
ムスッとした顔で木葉は言う。
「あれっ? その水筒は……?」
夕姫が楓の手にある水筒に気づく。夏美は水筒をまじまじと眺めた。
「あ、これ?貰った!」
「誰に?」
「なんだっけ、B組の桜木カレンって子。なんかあの昨日のことを見て感動したとかなんとか……」
あ、なんだ、そういう系か。木葉たちはそろって遠い目をした。
「え、何?」
「よかったね、楓」
少し憐れみのこもった表情で夕姫は楓の肩を叩いた。わけがわからない楓は3人の顔を見たが、結局よくわからなかった。




