隠し事
「あれ?もしかしてもうみんな行っちゃった?」
楓は誰もいない風紀委員会本部で首を傾げた。殺風景な部屋は人がいないせいか更に寂しく見える。
「……どうだろうな」
光希は鞄を部屋の隅に放りつつ、そう口にする。荷物はあるようなので、おそらくもう他の当番は見回りに行っているはずだ。楓は光希の鞄の隣に自分のを下ろした。
「……どうかした?相川」
楓は窓際で外を眺める光希に声をかける。光希は何かが心に引っかかっているような表情をしていた。その溜息が出そうなほど整った横顔が何を思っているのか、楓は知りたかった。光希は静かに振り返る。その瞳は真っ直ぐに楓の瞳を見つめ返した。
「……お前、何か隠してるだろ?」
「……ボクは別に、何も隠してないよ」
楓は手を振ってそう言った。あくまでアレは楓個人の問題。光希を巻き込むわけにはいかないのだ。
「嘘だな」
光希が近づいてくる。楓は何も後ろめたい事は無いはずなのに、後ろに下がってしまった。それでも光希の顔は真剣そのもの。楓が心に隠しているものを見透かしているようでもあった。コツン、と楓の靴が壁にぶつかる。楓は光希の顔を見上げた。
「相川……どうして?」
光希は表情を崩さない。壁に追い詰めた楓を逃がさないように手を伸ばす。
楓はぎゅっと目を瞑り、身体を固くした。しかし、いつまで経っても何も起こらない。楓は恐る恐る目を開けた。光希の手が楓の逃げ場を塞ぐように壁に触れている。楓はさっきよりも近くなった光希の顔に、目を見開いた。
「全部話せ。隠してる事全て」
光希は静かにそう言った。楓は真剣な光希を見て、このまま隠す事はできないと悟る。
光希になら、話してもいい。そう思った。光希は自分の秘密を守ってくれる。そしてきっと、この話をしても大丈夫だろう。
……それくらいには光希は信用できる。
楓は思わず顔を緩めた。光希が少し、驚いたような顔をする。
信用。そんな言葉が頭に浮かぶなんて思わなかった。みんな自分を置いてどこかに行ってしまった。だから誰も信用しないと決めたのに……。
自分の心が制御し切れなくなってきている。やはり、今の生活が心地よいからだろう。自分はワガママになってしまっている。気をつけなければ、……また。
楓はそっと微笑んだ。
「……全部、話すよ」
光希は息をゆっくりと吐き出した。いつのまにか息を止めていたみたいだ。楓の吹っ切れたような表情に安心して、光希は壁から手を離した。
「一つだけ聞いていい?なんで、ボクが何か隠してるってわかったの?」
楓はそれがとても不思議でたまらなかった。別にすぐわかってしまうほどのヘマはしていないはずだ。それなのに光希はなぜ?
光希は楓から視線を逸らした。楓にはその理由がわからない。
「……お前が何か悩んでいることくらい、俺にはわかる」
ぶっきらぼうに光希は言った。その言葉は少しだけくすぐったくて、楓はそっと胸に手を当てる。
「相川には隠し事なんかできないな」
へらっとした笑顔を見せた。光希はその笑顔にどきりとする。楓の笑顔はあまりにも無防備な笑顔だった。信用されていると思えるくらいに。人を信じることをあれだけ怖がっているこの少女が自分を信じてくれるのなら……。
楓は顔から笑顔を消した。仁美について話す心の準備をする。それに合わせて光希も顔を引き締めた。楓は窓の外に目をやり、それから口を開いた。
「……今朝会った子がいたよね?ボクに挨拶してきた子、」
「ああ、あの髪の長い女子か」
光希は楓の言う少女を思い出す。冷たい瞳をした少女だった。楓に「久しぶり」と声をかけた事を見ると、その少女が楓の古い知り合いである事がわかる、それもかなり複雑な事情を抱えた。あの笑っていた楓が一瞬顔を強張らせるほどに、あの子と楓の間に何かがあったように思える。
「うん、あの子の名前は小野寺仁美。ボクの……親友だった子だよ」
楓の顔が陰る。光希の前だからか、自分の表情すら自制が効かなくなっていた。もう色々知られてしまったから今更、という所でもある。ただ気になるのは光希に自分の事をどう思われているかという事だ。光希にだけは嫌われたくない。そう思ってしまうのは何故だろう。楓にはわからなかった。
「仁美ちゃんとは孤児院で仲良くなったんだ。仁美ちゃんは優しくて、ボクが『無能』だと言われた時もボクの隣に居てくれた。本当に優しい子だよ」
楓は笑って言う。仁美の事を嫌った事なんて一度もない。裏切られていたのだとしても、ずっと好きだった。あの優しさ全てが嘘だったわけじゃない、そう信じていたくて。だが、それと裏腹に楓の心はあれ以来人を信じる事を拒絶していた。……それは今であっても。光希達のことを心から信じたい。でもそれは無理だった。それなのに……。
どんどん自分の中の矛盾が増えている。もう自分がどうしたいのかがわからなくなって、ぐちゃぐちゃになっていた。
「でも、仁美ちゃんはボクから離れていったんだ」
それで口を閉じようとする楓を光希は止めた。
「何があった?全部話すっていっただろ?」
「……そう、だね。仁美ちゃんに連れられて、いつもは入っちゃいけない森に連れていかれたよ。そこで待ってたのはボクの刀を持ったヤツとたくさんの子供たち。たくさん殴られた。たくさん蹴られたー」
まずい。楓はそう思う。感情が言葉に乗って暴れ出す。そして口から出ていく言葉は止められない。止まらない。
「ー術で攻撃された。たくさん、たくさん……。でも一番、一番ボクが辛かったのは……、仁美ちゃんを助けようとして霊獣に噛み付かれたその後、仁美ちゃんから向けられた拒絶、恐怖……。ボクの事を『バケモノ』だって……」
楓は声を詰まらせた。今まで誰にも話したことのなかった事だった。誰かに話すことなんかできなかったし、誰かに話そうなんて思わなかった。本当はこの話をすれば感情が抑えきれなくなることが何となくわかっていた。そして、やっぱり感情は溢れて心の奥に埋めて隠していた感情が表に出てしまった。
楓は頭を振る。瞳から溢れた涙が宙に散る。楓は手で乱暴に目元を擦った。
光希の手が楓に向かって伸びる。楓は身体を縮こまらせた。反射的に殴られると身体がそう思って。
「……天宮」
「……!」
気づいたら楓は光希の腕の中にいた。暖かくて安心できる腕だった。楓は力を抜く。
「他の人の事をそれだけ思う事ができるお前が『バケモノ』なわけがない。少なくとも俺はそう思ってる。だから……、泣くな」
「あ、いかわ……」
楓の瞳から涙は更に溢れ、頬を伝う。暖かい涙だった。楓はそのまま光希の胸に顔を埋める。ずっとこうしていたいくらい光希の腕の中は心地が良かった。
「ボクは……、怖いんだ。誰かから『バケモノ』だと思われる事も、誰かに嫌われる事も、誰かを信じる事も……。怖くて怖くてたまらない……」
光希は楓を抱いた腕に少しだけ力を込める。あんなにも強いのに、楓は今、力のない子供のように震えて泣いている。
「大丈夫だ。何があっても俺がお前の側にいてやる。だから、安心しろよ」
「ほんとに?ほんとのほんと?」
「ああ。ほんとのほんと、だ」
楓は顔を上げ、光希の顔を見た。それと同時に微妙に光希は顔を逸らす。楓から見た光希の顔はほんの少し赤く見えた。
「……そもそもお前は色々抱え込みすぎなんだ。……心配なんだよ、色々と」
「む、お前に言われたくない」
楓の声にはいつも通りの元気さが戻りつつあった。楓は光希の言葉にむくれて見せる。
「知ってるよ?……相川が色んな事を隠してるって事くらい」
光希の目が大きく見開かれた。図星だと光希の顔が語っている。
「……なんでそう思う?」
「……お前が何か隠している事くらい、ボクにはわかる」
楓はニヤッと笑ってそう言った。光希はやれやれと言ったように手を上げる。
「天宮には隠し事なんてできないな」
光希はニヤッと笑って楓に返す。楓もそれに答えて笑顔を浮かべた。
「じゃあさ、ボク達お互いに隠し事は無しって事にしない?」
「……わかったよ。隠し事は無し、な」
「うん、ボクが相川の秘密を知って、相川がボクの秘密を知る。これでおあいこだ」
楓は拳をそっと光希の胸にポンポンと当てた。そして楓は心の底から嬉しそうに笑う。本当に、反則なくらい可愛い笑顔で。
夏美はそっとドアの前を離れた。全部聞いてしまった。聞かなかった方が良かった。夏美は唇を噛んで、踵を返す。ここから一刻も早く逃げたかった。
壁ドンしている(されている)のに全く気づかないお二人さん……。
夏美は何やら複雑そうな気持ちを抱えています。




