三十九.予想外
ビャッコが中心街の駅から降りてくる。
ハクアはビャッコが、高架から真っ直ぐに
伸びる一本橋を渡って王宮に出向くことを
想像したのだが、どうやら違うようだ。
彼は高架から延びる広々とした
階段を下り、時計台広場を通り抜け、
ずっと南へと進んでいく。
やがて緑が多い公園のような場所に辿りつく
のだが、それは公園ではない。ベンチには
多くの若者が座っているが、走り回ったり
する者はおらず皆熱心に本を読んでいる。
その緑地の道もずっとぬけていくと、目の前
にガラス張りの大きなドームが見えてきた。
ハクアは何となく話に聞いたことがあり、
ここがどこなのか容易に想像がついた。
ここはスカイジオ高学院の所有する国一番
の大きな図書館なのだと。
「父さんはどこに向かっているんだろう」
ハクアはシルクスの背の上でぽそりと呟く。
ビャッコは図書館の横を素通りし、
さらに奥にある、縦にも横にも長い
赤レンガで建てられた洋館、というより
城に近い風貌を持つ建物に入っていく。
「あそこがきっと高学院だ」
今日は休日と言うこともあってか、
建物から出てくる生徒は少ない。
学生であるテンジャクやミードも街で
息抜きをしているか、寮で寝そべって
いるかのどちらかだろう。
建物の中に入ってしまっては、
ビャッコがどこに向かうのか
空から観察することが出来ない。
ハクアは引き返すことにしたが、
彼の頭にはある結論があった。
この国を牛耳っているコノクロ卿
有する、ラニッジ鉱山の毒騒ぎ。
あれが無害なものだったと発表された日、
調査を担当していたヴィヴィアン教授は
行方をくらましていた。
ハクアは噂で聞いていたが、毒を
調査するという行動自体にかなり
コノクロ卿からの圧力があったらしい。
有害な毒が蔓延した危険な鉱山となると、
閉山になりかねないからだろう。
ということは危険なことをコノクロ卿は
以前から知っていて、それを隠蔽した
のではないかと疑念が浮かんだ。
そして教授の助手であるアンスルは、あの
場所が無害だと発表した。本当に無害ならば
コノクロ卿には都合よく、ヴィヴィアンは
姿をくらませる必要はなかった筈。
つまり、あの毒は無害なものでは
きっと無かったのだろう。
ハクアはそう確信していた。
「ヴィヴィアン教授関連で高学院にいる
人物となれば……、アンスル助手だな」
やはり、とハクアは思った。
ハクアは教授不在のもと、一人で会見を
行った皺皺の男を思い浮かべた。
アンスル助手はコノクロ卿に買収
されたとか、そんな理由できっと
偽の発表をしたのだろうと。
だが刹那、一つ気になることが
彼の脳裏をよぎる。
「そういえば、前に鉱山でシルクス捕獲作戦
が行われたとき、どうしてアンスルさんは
コウモリ避けの装置を持っていたんだろ」
それも、駆除薬を撒いて追い出そうとする
軍に提供するわけでもなく、ただ一人分。
「そういや駆除薬を撒く作戦に
すごく反対していたな。
貴重な山のバクテリアがどうとかって」
ハクアの独りごとを足下で静かに聞いていた
シルクスが、とんでもない発言をした。
「ラニッジ鉱山でアンスルと
呼ばれていた男か?
あいつは以前から夜中にこそこそと、
私のいた洞窟にやって来ていたぞ。
無論、私は隠れていたがな」
「!?
彼はあの場所を知っていたのか!?」
あの洞窟は人工的な隠し通路が
施され、従業員ですらその存在
を知らなかった場所――。
ハクアは驚きと疑惑に満ちた表情で、
学院を振り返り見つめた。
その頃ビャッコはヴィヴィアン教授
の応接室に通されていた。
教授の秘書だろうか、スカート姿の
若い女性がビャッコの前にある
テーブルにコーヒーを差し出す。
「捜査関係者に何度も聞かれたとは
思いますが、ヴィヴィアン女史に
最後に会ったのはいつです?」
ビャッコは向かいに座るアンスルに問う。
普段は不思議な位、ハイテンションな
人物であったがこのときはどういうわけか
アンスルは目を据わらせ、黙りこくる。
「アンスルさん?」
そんな助手に、ビャッコは再度問いかける。
アンスルは一点を見つめ、何も反応しようと
しない。そして、やがて静かに話し出すも。
「先生の失踪に関しましては、
すでに軍の捜索部隊に話しています。
どうかお引き取りを」
ビャッコはぽりぽりとこめかみを掻く。
「そうですな、つい探りを入れてしまい
ました。現役時代の悪い癖だ。
今日はまた違う用向きでして。
……先生の妹君であられるお方が私の友人
でしてね。彼女が使っていた万年筆が
欲しいとか、その用だけです」
「ああ、それでしたらこちらに……」
アンスルは安堵したような表情を見せ、
ヴィヴィアンの執務場所であろう机の
一番上の引き出しを探る。
そこから白地にピンクゴールドが入った、
いかにも女物らしい万年筆を取り出した。
それをビャッコに手渡すと、
「では、私も今後の研究がありますので」
と、ビャッコに引き取りを促す。
「ふむ」
とビャッコは万年筆の蓋を
開け、筆先を検分する。
「先が少々曲がっていますな。
何かを刺したのでしょうか」
そしてアンスルの腕をちらりと見ると、
「白衣の右袖に黒い染みがついていますが、
洗濯の仕方などはご存じで?」
と問いかける。
アンスルは、
「右?
いや確か左だった筈。
……!!」
言い終えてアンスルははっとする。
ビャッコはにやりとし、席を立った。
「ヴィヴィアン教授は常にこの万年筆を
胸ポケットに忍ばせていたそうで。
背後などから誰かに口を塞がれた場合など
の抵抗道具にも成り得ますね」
さらにビャッコは続けた。
「コノクロ卿にお話を伺うも、どうも女史の
失踪とは無関係の様子だと軍の仲間から
聞いておりましてね。
……毒騒ぎが本物の場合、鉱山は閉山になり
ましょう。坑道を閉じる際、入り口は固め
られ、その後は中に入れなくなると聞く。
そうなっては不都合な人物が他にいるやも
しれぬと、違う目線を持って捜査するよう
に進言したばかりです。
あとは女史が無事であればいいのですが」
ビャッコはアンスルとちらりと見る。
助手は浮き立ったワカメのような髪を
ぶるぶると震えさせ真っ青な顔をしていた。
「何かお話があれば、
いつでも私にお話しください」
ビャッコは万年筆を胸ポケットにしまうと、
研究室を後にするのだった。




