隠した自分
入社して十年経ち、ようやく新人教育できる立場になった時、俺は人事部長に肩を叩かれた。
話によると、地価価格と不景気が重なったため部署を分割、移転するという。
俺が所属する営業部は偶然にも、俺の生まれ故郷への移転となっていた。
そのため、俺の履歴書を見た人事部長が一番に声をかけてきたらしい。営業成績もあがっていたので、栄転というかたちでの異動。
体が弱くなった母をひとりにしておくのは忍びないと思い、承諾することにした。
俺が戻ると聞いた母は喜んだ。続けてお付き合いしている人はいるのかとも訊いてきた。
孫が見たいというのが母の口癖でもあったのだ。俺がいる営業部の女性社員は既婚者だけ。それなので、良縁など考えられない。そう説明すると母は残念がった。
二か月後に異動となり、母と住むことになった。
十年ぶりの自室に荷物を運びこむ。トラックから荷物を降ろしていると、背後に人の気配がした。振り返ると、女性と小学低学年くらいの子供が立っていた。
「もしかして、柳沢くん?」
名前を訊かれた俺は、誰なのかすぐに気づいて興奮した。
「能勢か! 子供ってことは、結婚したのか?」
「あっ、やっぱりそう思われた。兄の子よ……そうだ、丁度よかった。柳沢くん、週末に時間があいていたら手を貸してくれない?」
「手を貸してって?」
聞いた直後に、能勢が紙を出した。大きく「ハロウィン」と書いてある。
「町内会のお年寄りの家をまわるの。子供とお年寄りの交流も兼ねて」
ただのハロウィンではないんだな。面白いなと思った。
「俺にできることなら喜んで」
即決したのには訳がある。能勢は俺の初恋の人だった。
小学生の時、俺はいじめに遭っていた。理由は口が達者だから。その口達者のお蔭で、競争の激しい都心でも営業ができていた俺なのだが、子供の頃は生意気としかとられなかった。そんな時、いつも庇ってくれたのが能勢だった。
いじめていた側は女を相手にするのは恥ずかしいと思ったのかもしれない。同時に俺は女に庇われる男というレッテルを貼られてしまっていた。
「良かった。引き受けてくれて……じゃあ、迎えにいくね」
そんな能勢の誘いを俺が断るわけがない。むかしと同じ笑顔を見て心休まる自分がいた。
週末。俺は迎えにきてくれた能勢と彼女の兄の子とともに、集合会場へとむかった。
能勢が俺に地図を渡してくれる。さすがに物騒なので、許可を得た家のみに行く方針らしい。
しかし、一件目の家を見て俺は息を呑んでしまった。そこにあった苗字は俺が小学生の頃、いじめに遭っていた男の家だった。前は祖母と暮らしていると聞いていたが、今はどうなのだろうか。嫌な汗をかいてしまう。
「はい、これ被って」
その時、能勢の声とともに何かかけられた。目の前が真っ白だ。慌てていると、二つの穴から景色が見えた。
「似合う! 幽霊のコスプレだよ」
はしゃぐ能勢に、全て覆い隠されているのに似合うもないだろうと言いたくなる。
けれどこれなら、いじめられた相手にばれずにいられそうだと安心した。
集合場所から一番近い場所なので、子供たちの足でもすぐに到着する。
「トリックオアトリート!」
玄関前で子供たちの声が響く。
ところが、返ってきた音は何かが勢いよく倒れる音だった。
続けて、「だから、金貸せって言っているんだよ」という怒号が聞こえてくる。俺が知っている、あいつの声だ。
子供たちの声を聞き、あいつの祖母が顔を出した。顔を顰めながら右腕をさすっている。倒されたのかもしれない。先程の音で、そう感じた。
子供たちも怯え、出てきた老婦も「ごめんね、驚かせて」と言い、用意していたお菓子を渡す。老婦のこの生活は日常化してしまっているのだろうか。
「警察や誰かに相談はしているんですか?」
聞いた途端、老婦は肩を縦に動かして震えた。
「できませんよ。息子ですから……」
消え入りそうな声。明らかに、あいつの暴力に抑えつけられているとわかった。小学生の自分を思い出す。あの頃は生意気で終わってしまった口達者も今は武器になる。
大きな足音を立て、「金は?」と言った、あいつに俺は答えた。
「恐喝ですか? 署までご同行願いたいのですが」
途端に、むこうは動きをとめた。俺は声変りをしているし、仮装もしていて顔が見えない。俺が誰だか詮索してもわからないだろう。
舌打ちを鳴らすと、「こんな金のねえ場所には二度とこねえよ」と言って、出て行った。
安堵で胸を撫でおろした老婦が頭をさげる。暴行を加えられたらと思ったがそれもなく、思いきって言ってよかったのかもなと感じた。
「なにかあったら言ってください。微力ですが、力になりたいので」
去り際に老婦に言うと彼女は、「ありがとう」と言いながら、頭をさげた。俺の母と同じ年ぐらいだ。助けてあげたいと純粋に思った。
一件目を出て、子供たちの手を取って歩く。そんな俺に能勢が笑いかけた。
「むかしの柳沢くんと違っていて驚いちゃった。思った以上に頼もしくて」
「思った以上って、褒め言葉なのか?」
言い返した俺だが、それ以上は続けて返せなくて。布越しで見える能勢の笑顔を見つめてしまった。
やはり能勢は可愛いと思う。布越しでなければ強くなれない俺が、この仮装をはずして、勇気をもって「好きです」と言えるのはいつの日だろうか。
そして、今日は変装した子供たちが主役だ。そして、違う自分になりきって言うのだ。
「トリックオアトリート!」と。




