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私は

 ミーレンとリエン、時折部屋を出入りするその他の魔族たちの手を借りながらハンカチを縫い、カーテンを縫い、テーブルクロスの解れを修理し、新しい雑巾を端切れで作り……。

 日が傾き、ミーレンが部屋のランプに明かりをともした頃、外から部屋のドアが開かれた。


「ただいま、リン」

「あ、アル様!」


 一番にミーレンが反応し、外から帰ってきたばかりのアルを出迎えた。彼は今日、魔界の東端にある火山の様子を見に飛んでいったのだ。活火山だったのはもう何百年も前だが、近頃噴火の兆しがあるということで調査に向かっていたのだ。

 アルは火山灰の付いた上着を払ってミーレンに渡し、せっせと縫い物をする凛を見て口元を緩めた。


「やあ、リン。調子はどう?」

「上々よ。あ、そうだ。アル用のハンカチ作っておいたから、ちゃんと使ってね」

「ありがとう! ……あ、これかな? 何か刺繍が入っているみたいだね」

「ええ。私の国の言葉だけど、きっと模様に見えるかと思って」

「うん! 字は読めないけど綺麗な模様だね。ありがとう、リン!」

「どういたしまして」


 ぽんぽんと淀みなく言葉のやりとりをするアルと凛。そんな二人を交互に見つめ、はあっとリエンが艶っぽいため息をつく。

 美貌の人魚が悩ましげな息をついたため、「便所マット」ハンカチを広げていたアルは「ん?」とリエンを見つめる。


「どうかしたのか、リエン?」

「いえ……」


 リエンは魚の尾をピチピチ鳴らせ、白魚のように細い腕を胸の前で組んで艶やかに身をくねらせた。

「やっぱり、リン様とアル様が並ぶと夫婦みたいだなぁ、って改めて思いましたの」

「リエン、昔の話題を引っ張り出さなくても……」


 ゴシップ好きなリエンを諭そうと、凛は顔を上げたのだが、


「……え? 僕とリンが、夫婦?」


 馬鹿正直純粋無垢な魔王様は徐に凛を見、ぽっと白磁の頬を薄紅色に染めた。なるほど、美形男は何をしても絵になるというのは本当だな、と凛は感心する。


「な、何を言ってるんだ、リエン!」

「あら? でもお二人の仲は魔族中でも評判ですよ」


 ミーレンもまた、嬉々として口を挟む。評判になっていたのか、と今更自分の身に降りかかっていることを悟った凛なのだが。

 魔王様は頭を抱え、うううう、と低い声で唸った。


「あ、あのねえ、ミーレン! 僕は魔族、リンはニンゲンだ!」

 話題の人物は蚊帳の外のまま、アルはミーレンに噛みつく。


「そういうこととは無縁だ! 種族が違うんだから!」

「何をおっしゃいますか! アル様もご存じでしょう! 魔族の中でも位の高い方はニンゲンと交配することも可能なのですよ!」


 もうやめてやれ、と凛は心の中でミーレンに注意を促すが、恋バナに燃える女子生徒の怖さは凛も痛いほど実感していた。下手に逆らえばこちらが攻撃を受ける。言いたいことをぐっとこらえ、真顔で状況を見守る凛だが、残念ながらピュアな魔王様はそこまで平常心を保てなかったようで。


「な、ななななな! 何を、何を、言うんだミーレン!?」

「魔界の常識ですよ!」

「そ、それ、それは、うん、そうだ、そうだよ、そうだけど……」


 美白顔を赤く染め、わたわたと不自然に両手を動かし、凛の方を見ては奇声を上げる魔王様。おまえは思春期真っ直中、保健体育に興奮する中学生男子か、と一方の凛は冷めた目でアルを睨む。そういった事柄とは無縁の凛だが、交配だの何だので赤面するほど若くはない。むしろ、この程度で取り乱せば中学生にからかわれること必至だから。


 だが、凛より百倍近く生きているはずの魔王様は耐性がなかったようだ。

「ミーレン! レディが、こ、こうは……なんて……そう、そんなことを軽々しく口にしちゃダメだろう!」

「アル様……ご自分が経験ないからって、ミーレンに当たらないでくださいませ」

「リエンまで!」

「そうですよ、アル様。アル様は歴代随一の魔王なのですから、きっとお子様も優秀な魔族になりましょう。早くいい相手を見つけて子孫を残さねば」

「ミーレン、わたくしが聞いた話では、異種族間の方が優秀な子どもが生まれやすいのだそうよ。例えば、魔族とニンゲン……とか」

「そうなの?」

「そ、そんな、僕はまだ、えっと……関係ないだろう! ねえ、リン!」

「よし、できた!」

「何がぁっ!?」


 いきなり嬉々とした声を上げた凛と、その体勢のまま飛び上がるアル。凛は玉結びをして残り糸を歯で噛み千切り、大判の雑巾を広げて満面の笑みを浮かべた。


「これなら蹄を持つ魔物たちも使えるね! どう、ミーレン?」

「ええ、私でも難なく使えそうです。ありがとうございます、リン先生」

「じゃあ次は、虫食いマットの修繕ね……リエン、布を取ってくれる? ミーレンはこれを隣の部屋に運んでおいて」

「はい」

「お任せくださいませ」


 お喋りタイムをきっぱり切り上げ、凛の指示に従っててきぱき動くケンタウロスと人魚。アルは頬の赤みが引かないまま、自分そっちのけで仕事をこなす二人を見、そして何ごともなかったかのように……実際彼女にとっては何ごとでもなかったのだが……新しい糸を針に通す凛に目を移す。


「……ねえ、リン」

「なぁに?」

「ひょっとして、リンってさ……」

「うん」

「……男だったりする?」


 爆弾投下。


 片目をつぶり、小さな針穴に糸を通そうとしていた凛の手がぴたりと、止まる。


「……あ?」

「いやだって、僕はこんなに恥ずかしいのにリンは平然としてるし、いつも勇ましいし、ひょっとしたら男じゃ」

「私が男になるよりも、あんたが女になる方が手っ取り早そうね」

「え? あ、ちょ、何、何なの、そのハサミは……何を切るつもり?」

「……切り取られたくなかったらさっさと出て行きなさい。セバスに仕事押しつけてんじゃないわよ」

「は、はいぃぃぃ!」


 シャキシャキとこれ見よがしにハサミの刃を鳴らせる凛と、お決まりのように脱兎のごとく部屋を飛び出す魔王。魔法を使わずともあそこまで俊足になれるものなのかと、地上を走ることのできないリエンはしみじみと思ったそうな。



 魔界にも季節は存在する。寒い時期と暖かい時期。雨が降りやすい時期と乾燥する時期。気温が安定し、暖かい日が続くと枯れた魔界にも新しい草の芽が芽吹き、空の色もいつもよりは明るく、澄んだオレンジ色に見える日があった。そんな日はカーテンを全開にし、日の光が部屋に入るようにする。日が傾くとオレンジ色の光が部屋に満ち、どことなく地球の夕暮れを思わせるような色合いになるので、凛はそんな時間帯が好きだった。


 南向きのテラスに干していた洗濯物を取り込み、ぽいぽいと部屋の中に放る。凛がプロデュースした物干し竿は魔王城でも大変人気で、最近ではニテらが新型物干し竿を開発しているとかしていないとか。


 洗濯物を入れる凛の背後では老魔族がゆったりと椅子に腰掛けていた。もう若くない彼はめっきり仕事の量が減り、天気のいい日にはこうして、日向でまどろんでいることが多くなっていた。


 セバスは目を細め、せっせと動く凛を見つめていた。配偶者を持たないセバスだが、凛のことは孫娘のように思っている。

 ほほえましく凛を見つめていたセバスはふと、凛が動きを止めてこちらを見つめてきたため背筋を伸ばした。


「……ねえ、セバス」

「何でしょうか」

「……ずっと、考えていることがあって」

「左様ですか。わたくしでよろしければ相談に乗りますが」

「ありがとう、そう言ってくれると思ったわ」


 凛は笑い、最後の洗濯物を抱えてベランダの戸を閉めた。老体にはすきま風も苦しいだろうと、しっかり鍵も掛ける。


「……五百年前、私はあるによってクラン・クレイルから地球に返されたわ。その時の私は確か、満身創痍で包帯まみれ、着ているのも白っぽい寝間着だったはずよね」

「はい……寝間着の色までは忘れましたが、いつも着られていた白と黒の衣服ではなかったのは確かです。あれは、もう着られないほどぼろぼろになったので」

「そう、そうなのよね」


 勇者ディルフィードからの襲撃を受け、凛が着ていたワイシャツとズボンはズタズタになった。教育実習用にデパートで買った黒のナースシューズもベルトが切れ、靴として使い物にならなくなった。それら一式は全て、こちらの世界に置いてきたはずだった。


「……でもね、私が向こうの世界に帰ると、私は傷一つなかったし、服もきれいだった。……クラン・クレイルで過ごした時間の分、あっちでは十数分私は『存在しない』ことになっていたの。でも、あっちに戻った私は無傷。こっちになんて来ていなかったかのように、何一つ変化がなかったの」


 凛は首を振り、今自分が羽織っている薄手のガウンをじっと見つめた。

「……てっきり、こっちの世界の私とあっちの世界の私は別人なのだと思ってた。でも、真奈実さんは……こっちで勇者に殺されると、地球でも亡くなっていた。死因は不明らしいけど、クラン・クレイルで死ねば地球でも死んでしまう……」


 魔王アルでさえ解明しきっていない、クラン・クレイルと地球の相互関係。

「どういうことだと思う? 私はこっちの世界とあっちの世界との繋がりがよく分からなくて……それがずっと、引っかかっていたの」


 セバスは黙って凛の話を聞いていたが、しばし瞑目して何か編み物でもするかのように両手指を弄った後、ゆっくりと瞼を起こした。


「おそらく……置き換え的な何かなのではないでしょうか」

「置き換え?」

「リン様がこちらへ来たときの衣服や身体状況は、あちらの世界で召喚された瞬間のものと全く同じなのでしょう。おそらくその地点でリン様の体の情報はひとつの個体として保存され……精神レベルのリン様がこちらへいらっしゃったのでしょう」

「精神レベル……?」

「……まあ、これもわたくしの推測に過ぎないのですが」


 セバスはかさかさに乾いた髭を撫でつけ、遠い眼差しで窓の外を見やる。


「今この瞬間も、チキュウで暮らしていたリン様の体は別の場所に保管されているのです。リン様がこちらを去り、チキュウに帰られると精神が肉体に帰還し、心身共に無事にチキュウに舞い戻ることができる。リン様があちらで感じた『空白の時間』は、あなたの体がいずこへか保存され、精神がこちらを旅している、その時間だったのでしょう。肉体は持たずとも、空腹や痛みを感じ、血を流す。この世界で死なない限りはあなたはクラン・クレイルのニンゲンとほぼ、同じ体質をされているのです」


「……それじゃあ万が一、クラン・クレイルで精神体の私が死んだ場合には……」

「ええ……マナミという女性と同じく、こちらの世界で実体を持たないあなたは消滅し、精神を失う。精神を失った肉体は保存場所から強制返却され、空っぽのままチキュウに戻る……それが、あなた方の世界では『死』として扱われるのでしょう」


 セバスの私説を聞き、しばし黙って腕を抱えていた凛。何度か膝に顔を埋め、考え込むように頭を揺らし……。


「……最近、考えるようになったの」

 ゆっくり、小声で口にする。

「この世界で暮らすことになっても……私はもう百年も待たず、死んでしまうわ。あなたたちにとってはあっという間に歳を取って、動けなくなって、老衰で死ぬの」

「……はい。リン様の寿命はニンゲンと同じですものね」

「うん……でも、そうなったら私はどうなるんだろうって」


 クラン・クレイルでの百年は地球ではわずか一日。きっと凛は通勤中に自転車を残して失踪し、翌日、遺体となって発見されるのだろう。真奈実のように、死因不明の遺骸となって。


「もし、セバスの言う通り今の私が精神体なら……私は死のうと、ここに留まることはない。いくら歳を取っても二十一歳の私の体がどこかで精神の帰りを待っている……そう思うと、胸の奥がぐちゃぐちゃして……結局、私はクラン・クレイルの住人じゃないんだと思うと……」

「リン様……」

「こっちに帰ってきたのも、アルの頼みを聞き入れてここに残ることも、私自身が決めたこと。後悔はしないつもり。それだけど……」

「リン様、どうか気を病まないでください」


 伏せたままの凛の肩に、セバスの手が乗る。五百年前より軽く、節が目立ち、水分を失った、老人の手が。

「あなたの道を決めるのはあなた自身。五百年前、アル様はあなたを無理矢理召喚し、そして無理やりチキュウに返した……ですが、今回は違う。あなた自身の意志で、あなたの足で歩んでいるのです」


 慰めるように、労るように優しく凛の背中を撫でる、セバスの手。

「我々はリン様のご意見を第一に致します。ですから……どうか、ご自分の選んだ道を後悔なさらないでください……我々も、リン様が後悔なさらぬよう、精一杯努力いたします……」


 凛はしばし、考え込むようにつま先で床のカーペットを弄った後、ぽつりと零した。

「……私は自分でも気付かないうちに、みんなに迷惑を掛けていたのね……」

「それは……」

「いいのよ、セバス」


 凛はようやく顔を上げ、目元を掻くついでにさりげなく、こそっと頬に付いた水滴を払う。


「ごめんなさい、弱気になってしまって。アルたちの前ではどうしても、弱さを出すわけにはいかなくて……私らしくなかったわね」

「誰しも、弱みや辛みは持つもの。それはニンゲンも魔族も同じでしょう」


 セバスは凛を見つめ、皺だらけの口元を歪めて微笑んだ。

「リン様、もしお辛いことがあれば、なんなりとこのセバスに申しつけください。」

「セバス……」


 凛は祖父のように優しく目元を綻ばせる緑色の魔族を見、ごくっと唾を飲み込んだ。妙な緊張で両手が汗でぬめる。


「……あのね、セバス。私、きっと……」

「はい」


 真摯な眼差しで凛の言葉を待つセバス。きっと、彼に言えばずっと胸の内も軽くなるだろう。だが。


 のどの奥……否、歯の裏まで溢れかけた言葉は最後の理性によって押しとどめられ、未練がましく糸を引きながら胸の奥へと引き戻されていく。ごくっと唾をのみ、凛はひとつ首を振った。


「……いえ、何でもないわ。それより、引き留めてごめんね。アルに呼ばれているんでしょう」

「お気になさらず。アル様のことです、きっと茶が零れたから新しいのを入れてくれ、という程度でしょうから」

「あはは、容赦ないね、セバスは」

「お褒めくださり光栄です」


 とは言うものの、凛の用が済んだからには主の元へ向かわなければならない。ゆっくり腰を曲げて一礼し、引き戸を開けたセバスを見……


「あ、そうだ。今言った内容は……」

「ご安心を。誰にも口外いたしません。アル様の命令だろうと、このセバス、墓場までリン様の言葉をお守りします」

「……うん、ありがとう」


 淡いオレンジ色の光の中、凛は儚く微笑んだ。

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