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ラヴィング・プア Loving poor  作者: 戸理 葵
目が合ったら、手をつなごう
54/54

4(R)

 夕方も近くなり、なんとか二人を追い出した拓也は、組み立てたばかりの新しいソファに沈み込むように座った。

「ふーう、やっと帰ったー」


 正直、湊もやっと少し落ち着いた気になれる。

 食器を下げて洗いながら、微笑んで言った。


「割合部屋も片付いたじゃん。泰成さん、結構働いてくれたね」

「そうね。あの政治家は全く動かなかったけどね」

「機械を動かす事に興味は無いけど、人を操る事なら得意だぞ? って言ってた」

「あーゆーのはね、あんまり関わらない方がいいの。湊、何であの人の紹介、受けちゃったのさ?」


 ぼーっと前を見ながら、日常会話の延長の様に何気なく拓也が言う。

 本当は、相手の仕事の事になんて口を出したく無かったのだけど。


 テーブルやソファなど、以前の部屋の居間にあって湊が見慣れた家具は、拓也が全部置いてきてしまった。だから新しいこの部屋は、自分にはよそ行きの顔をしている様で、彼女は何だか寂しい。

 ……て、うん?


「……就職の事?」

「うん」


 湊が我に帰って聞き返すと、拓也が素直に頷いた。

 ……やっぱり、今日は珍しい。

 拓也と何となく付き合うようになって一カ月は経つが、お互い何となく、相手の核心に迫る様な会話は避けて来たから。


「……皆は、あたしに残ってほしい、って言ってくれたけど。あたしやっぱり、再出発をしたかったの。本当に色々あったから」

「……ふーん」


 ぐでっとソファに身を預けながら、前方の空中を見続ける拓也。湊は洗い物をしながら、それをそっと眺めた。

 新しい家具と新しい部屋、そこにいる見慣れた彼。

 異空間で唯一の心の拠り所みたいに、なんだか彼が際立って見える。

 重症だわ。


「それにシンクタンクって言うのも、前から興味があったしね」

「普通厳しいぜ、あの世界は」

「まあ、やるだけの事をやってみるよ」

「ちぇっ」


 そう言いながら拓也は、泰成が読みかけだった漫画を床から拾い上げると、パラパラとめくり始めた。


「……何が、『ちぇっ』?」


 彼の真意が見えない湊は、訝しげに首を傾げる。


 本当は、拓也は色々と画策をしていたのだ。後藤を警察に突き出さない代わりに湊を元の職場に戻す事。それがあの時上司と密かにかわした約束事だった。(そしてそれが上地にバレた)

 でもこんな事、湊に告げる気なんて更々無い。むしろ隠し通すつもりだ。恩着せがましくなるなんて絶対に嫌だし、なにより人生は、本人が自力で切り開くべきだ。

 少なくとも彼女には、そう思って貰わないといけない。


 だって彼女は、プライドが高いから。



「職場も家も離れちまったし。早く引越して来いよ。あんたがあの部屋は嫌だ、つーから、俺は出て来たんだよ?」


 湊の質問をさり気なくかわし、拓也は自分の我儘と上手くすり替えた。

 片付けを終えた湊は何も気付かず、拓也の隣にストン、と腰を降ろす。


「だってあそこ、泰成さんとこの社宅じゃん。そもそも何で拓が住んでたの?」

「もともと俺と泰兄が一時期一緒に住んでたの。家賃だって俺はちゃんと折半してたんだぜ?」

「嘘。幾ら?」

「9万」

「高っ」

「湊は?」

「4万」

「安っ」

「福利厚生だから」

「あー……福利厚生? 結構良かった、みたいな?」


 拓也がからかう様な眼差しで自分を指さすので、湊は少し赤くなった。


「……バカ」


 なんて今更な会話をしているんだろ、あたし達。どういう経緯であの部屋にいたのか、とか。

 これってよっぽど、お互いに遠慮と警戒をしていたんだろうなぁ。相手の領域を侵さない様に、踏み込まない様に、立ち入らない様に。

 振り返ると滑稽すぎる。


 大人の付き合い、と言えば理性的でカッコよく聞こえるけど。

 顔色を覗っての上っ面ばかりでは、誰とも繋がれない。カラダを繋げても、心は繋げない。


 それも、わかってた。

 でも、踏み込めなかった。

 例え上っ面だけでもいいから、それでも相手を失いたく無かったから。


 ……矛盾してるなぁ。

 


 すると突然、拓也が湊の膝の上にゴロン、と転がった。

 湊はドキ、とする。膝枕の体勢。

 自分を見上げる茶色い瞳と、視線が絡んだ。

「みーなとさん」


 そう言って彼は両腕を伸ばす。そっと湊の頬を包んでくる。

 可愛い笑顔なのに、暖かいその手はしっかりと男性の手で。


「ん?」


 湊は彼の頭に手を乗せ、髪をすく様に優しく撫でた。堪らなく愛しい。拓也が気持ち良さそうに笑う。その額に、キスを落としたくなる。


 色々と臆病な自分だけれど、今この瞬間の想いは止められないくらいに溢れていて、胸を締め付ける様な甘い愛しさに、何も考えられなくなる。


 

「……無理してない?」


 拓也が低い声で、優しく聞いてきた。

 湊は怪訝な顔をする。無理?


「……何が?」

「溜めんなよ?」

「……何を?」

「俺はさ」


 拓也は湊の空いている手に指を絡め、片手で彼女の頬をさらっと撫で上げた。

 甘く煌めく瞳に、湊はドキッとする。



「もう、あなたの事しか考えられない。あんたは俺でなくてもいいかもしれないけど、俺はあなたじゃ無ければ駄目だ。どんなにあがいてみても、無理なんだ。……無駄なんだ」



 ドラマ顔負けの赤面モノの台詞。湊は心拍数が一気に上がり、うろたえた。


「……と、突然何を……っ」


「長い付き合いだから、あなたの事は大抵知っている。この数カ月間でもっと分かった。だから安心して、余計な事は考えんなよ? 俺の顔色なんか、覗うなよ?」

「……」


 核心ど真ん中を突かれて、湊は言葉を失った。

 拓也の包み込む様な優しさから、ポーカーフェイスに隠された情熱が見える。


「ありのままの自分で……」


 誘惑する様な甘い瞳。


「俺にいっぱい、我儘言って? 沢山甘えて、俺を試して。それであなたが安心するなら、いくらでも付き合うから」


 誘惑する様な甘い言葉。



「……ありのままのあたしって……」


 湊は思わず、彼から顔を背けた。僅かに、下唇を噛む。



 ヤバい。


 心の琴線に、触れられた。



「あ、ごめん。それも無理なら、いつも通りでいい」


 湊の動揺をどう解釈したのか、拓也は少し慌て気味に言葉を訂正した。

 そんな彼の様子にすら気遣いと想いやりを感じ、あまりに大事にされている自分を感じる。湊は先ほどの恥ずかしさが一気にぶり返してきた。


 でも、せっかくの彼の(照れを隠してまでの)勇気、受けて立たねば女がすたる。

 でも、でも……我儘って、甘えるって、何? あんたじゃあるまいし!


 恥ずかしくて顔を背け続けながらも、湊は一生懸命、考え得る限りの「甘えた我儘」を口に出してみた。



「……じゃあ、夜は……たらこスパゲッティーが食べたい……」

「オッケー。作ってやる」


 ……え? 何? あっさりクリア? もうお終い?

 ……もしかして、次……?


「えっと……ケーキも付けて」

「ミツワのモンブラン? じゃ、今から銀座行く?」


 え? それもクリア?

 何、そのカッコ優しい笑顔。

 

「……外、歩くとき……手を繋ぎたい……」

「うんいいよ。こんな風に?」


 ひゃぁ、一本一本指を絡まれたっ。甘すぎるっ。


 ……段々、いい気になってきた。



「オールナイトで、海沿いをドライブしたい」

「じゃあ帰りに、レンタカーを借りよう」


「……夜寝るときは……抱きしめて欲しい……っ」

「いいよ。あなたが眠るまで、ずっと頭を撫でてあげる」



 そしていつの間にか、本気になっていた。



「……絶対、どこにも、いか、ないで……」

「……湊が、俺から離れないなら」


 拓也がゆっくりと体を起こす。

 そして湊を、自分の胸にそっと抱きしめた。


「俺も、ずっと側にいる」


 

 湊は自分の中の、何かの決壊が、崩れた音を聞いた。

 涙なんて出ていないのに、出す気も無いのに、喉が詰まって声が震える。

 それが悔しくって恥ずかしくって、彼の胸から顔を上げられない。



「死なないで。絶対に、死なないで!」

「大丈夫。大丈夫だよ」



 彼女の頭を抱く。

 宥める様に何度も何度も、拓也の手が湊の背中を滑る。

 優しく抱きしめ、何度も何度も。



「いつでも、どんな時でも、俺が側にいる。だから安心して」



 その声は、言葉は、湊の耳へ魅惑的に響く。一番落ち着く腕の中、なんて言えない。それが言える程は、心臓が穏やかではない。

 でもここが一番、恋しかった。

 もう絶対、手放したくない。

 安心をするには、あまりに切なく愛し過ぎるよ。



「そん時は、一緒の墓に入ろうな」



 低く誘う様な声で囁かれ、湊は一瞬息を止めた。



「……ぶっ、お墓?! おじいちゃんみたーいっ」

「なっ、言わせたのはあなたでしょ?」

「現実見てるなー」


 すると拓也は顔を赤くしながらも、開き直った様に彼女を見た。そして威張って言った。


「あったり前よ。夢見る公認会計士なんて、どうやっても胡散臭いだろ。俺は現実主義者だよ。だからあんたと夢を見たいんじゃない」


 そこには人前で見せる気取った表情も、裏を秘めた光も、何も無くて。

 ひたすら自分に惚れてる、ちょっぴり拗ねた男がいる。

 

 湊は彼の首の後ろに両腕をまわした。


 大好きよ。

 


「屁理屈小僧」

「んだよ、こんなに素直なのに」

「……毎日、キスして」

「いいよ」



 二人の唇が、甘く重なる。

 いつもこの瞬間が、最高に幸せ。

 柔らかくて、温かくて、包み込まれて、奪われる。すればするほど、より一層誘われて、離れるタイミングが掴めない。

 

「んっ……」


 彼の口づけは、まるで湊の奥から何かを引きずり出す様。湊はそれに絡み取られた様に、体の奥がゾクゾクしてきた。

 必死で彼の舌を追いかける。まるで何かをせがむかの様に、拓也に小さくしがみついてしまう。いつの間にか、甘くて幸せなだけのキスでは無い。激しさと官能が濃くなり、追い詰められる。


 もっと。でもダメ。だけどもっと。


 その時不意に、唇が離れた。

 霞んだ頭が気付く前に、それは首筋に寄せられた。


「ひゃっ……あ……んっ……」


 中で舌が官能的に蠢き、湊は思わず意識が跳びそうになる。

 耳朶を口に含まれ、咄嗟に声が漏れた。


 全身の毛が逆立つ。肌が粟立つ。

 キスだけで、躰が反応し過ぎる。やだっ。


 すると急に、彼がすっと顔を離した。

 しばらく時間が過ぎる。湊は荒い息を整えた。そして徐々に我に返る。

 見れば彼は、いつもの可愛い笑みを浮かべていた。


「じゃ、銀座に行きましょうか」


 ……え?


 湊は一瞬事態が飲み込めず、それから少し焦った様な声を出してしまった。

「あ、えっ、あの……」

「ん?」


 ……ヤバい。


 拓也の、邪気の無い瞳。


 あたしったら、つい夢中になって、とんでもない反応を……。


「何? ……どうしたの?」

「いや、何でも……」


 慌てて眼を反らすけど、湊の胸のドキドキは収まらない。

 だって熱を帯びてしまった躰に戸惑いを感じ、彼と視線を合わす勇気が無い。

 そんな湊の心を知ってか知らずか、拓也は少しからかい気味に、暖かく覗きこんできた。


「ほーら。さっき言ったばかりだろぉ? 遠慮しないって。言ってみ? 聞いてあげるから」

「いや、あの……」

「ん?」


 つい見てしまった。

 彼の丸い瞳。笑っているけど、何でも見透かすような「黒い」瞳。

 ……げっ。


「やっぱ何でも無い」

「俺が欲しくなっちゃった?」

「なっ!」

「だって目が誘ってる」

 

 いつの間にか彼の笑顔は、どこか勝ち誇ったような、それでいてやけに色っぽいものに変わっていた。


「言ってご覧よ。俺が欲しいって」


 やっぱり嫌な予感は当たったーっ。


「えっ、あの、いや、あの……」

「ほらほら、練習。我儘言う練習。俺だって言ってんだから、お互い様だろ? みなはそーゆーとこで溜めちゃうからイケナイの」

「でも、いやほら」

「言ってご覧」

「やんっ」


 いきなり首筋を舐められた。全身を駆け巡る電流に思わず叫ぶ。

 そのままの勢いで、再び深く、口づけをされた。ソファの背に押し付けられる。

 一度火がついてしまった体は、簡単に再燃される。

 湊はあっさりと拓也の手に堕ちた。


「あっ……あっ……んん……」


 自分の瞳が、与えられる快感で熱を帯びていくのが分かる。

 なのに頭が朦朧とし、何も考えれなくなる。

 彼の手に、支配されていく。


 切れ切れに零れる湊の吐息に、拓也は滑らかな肌に唇を這わせながらほくそ笑んだ。


「はぁ……やっ……ぅんっ」


 彼女の喘ぎ声を聞きながら、拓也はゆっくりと上に圧し掛かっていく。湊を一つ一つ、自分の思い通りに反応させていく。


 あなたの信頼を得る作戦、その2。俺が欲しい、って自分から言わせる事。


「……た……く……」


 いつもオレから襲ってばかりじゃ、彼女みなとは不安になるかも知れないから。


「……ぁっ」

 

 錯覚でも洗脳でも、何でもいい。俺を求めているって思わせたくって。


「あっ」


 でもそれには、いくつかステップがあって。



「ひゃんっ」


 胸の頂きを下着越しに引っ掻くと、湊が悲鳴の様な嬌声を上げた。

 拓也は彼女の首から顔を離し、挑発的に口角を上げる。


「シたいんでしょ? 俺と」


 バカ言わないでっと頭で叫ぶ。でも湊は答える事が出来ない。ただひたすら、彼の手に翻弄されている。

「……んっ……」


 眉根を寄せて、口を小さく開けて。濡れた唇からは聞こえるのは、細かな息継ぎだけ。

 拓也は湊のそんな反応を楽しみながら、再び唇を彼女の肌に這わせた。


 結局、襲っている気がする。

 ま、過程なんてどうでもいいんだけどね。

 

 肝心な所は触らずに、ひたすら彼女を焦らす。堪らない様に体を揺らし、湊は快感を逃そうとする。

 ついにその中心を上から軽くなぞると、弾ける様に彼女は叫んだ。


「も、ダメっ」


 固く閉じていた目蓋を開き、潤んだ瞳で拓也を見上げる。


「責任、取って」

「取るよ。言って?」


 拓也は薄く笑ってすかさず言う。

 湊の瞳がゆらっと動き、濡れた唇がゆっくりと開いた。



「……拓が、欲しいの」



 貞操観念の薄い湊は、誰かと体を重ねる事は出来ても、その行為自体はあまり好きではなった。

 だけど今は、拓也を見る度に、切ないくらいに体が疼く。奥が濡れる。

 そんな事絶対口には出来ないけれど。


 だからこんな台詞はもう、今更なんだよ。

 いつでもどこでも、私はあなたが欲しくて堪らないの。


 降ってきた彼の唇にそんな想いを込めて、湊は舌を絡ませた。

 もう他の人と、こんな事なんて出来ない。



 拓也はキスを続けながら彼女の服をほどいていった。そしてソファに沈めながら、彼女を乱し狂わせていく。

 優しく、意地悪く、丁寧に、そっけなく、

 お互いの体が溶けあい、出しつくし、飲みつくすまで。



 まずはあなたのカラダに、快感を刻みつける事。

 奥深くまで。

 体の芯まで。

 俺のやり方で。

 俺にしか、反応出来なくなるくらい。



 ほらね。もう、こんなに啼いている。




 結局、銀座ケーキもオールナイトドライブも叶わず、全てを奪われつくした湊が拓也から解放されたのは、真夜中だった。


「……新品ソファの、最初の使い道がコレなんて……」

「でも使い心地は、俺が吟味を重ねただけの事はある。ふふ」



 

ここまでお読み下さり、ありがとうございました。残す所、あと一話です。二人の騒々しくて穏やかな(?)日常が描ければ、と思っております。少し時間がかかるかもしれませんが、お待ち下さいませ。

割と気に入ってるカップルなので、ちょっぴり名残惜しい気持ちです。

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