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第42話 血塗られた杭

「私たちには、ここにいる理由があります。師匠とあなたのボスを支えるために、できることをしましょう」


 彼女は、少しだけ微笑んだ。


「……それに、また厄介事に見舞われないよう祈りましょうね」


「……おいおい。今の、完全にフラグじゃねえか」


 ゼロが、ぼそりとつぶやいた。


「私は迷信なんて信じませんよ、ゼロ。知っているでしょう?」


「……へえ、そうだったか?」


 ゼロは、にやりと笑った。


「じゃあ、あんたの鏡の上にぶら下がってる、小さなドリームキャッチャーは何なんだよ、シオンたん?」


「あれは、家族からもらった形見のようなものです! この馬鹿!」


 シオンが、声を張り上げた。


「御者台にいるからよかったですね。ここにいたら、今すぐ――」


「――じゃあ、幸運を呼ぶウサギの足はどうなんだ?」


 ゼロは、止まらなかった。


「蹄鉄も、四つ葉のクローバーも見たぜ? お嬢さん」


「そんなもの、持っていません!」


「へええ、そうですかあ……」


「もう! あなたって人は、ときどき本当に信じられません!」


 俺は、また始まった二人のやり取りに、思わず笑ってしまった。


 ……それにしても、次の統治者として誰が理想的か、か。


 俺なら、たぶんボスを推薦するだろうな。


 金持ちだろうと、貧乏人だろうと。


 人間だろうと、亜人だろうと。


 あの人は、誰に対しても同じように敬意を払ってくれる。


 シオンなら、学院の誰かを推すのかもしれない。


 ……あくまで、俺の想像だけどな。


 評議会の面々は、俺たちより先に出発してしまったので、まだ誰とも会えていなかった。


 統治者としてどんな資質があるのかも、ほとんどわからない。


 まあ、そのうち知る機会もあるだろう。


 今回の旅では、ほかにも大勢の実力者が参加している。


 俺たちは、どちらかといえば脇役になりそうだった。


 ……別に、それで構わないけどな。


 俺だって、好き好んで戦いたいわけじゃないし。


 ただ、そうは言っても――


「シオン嬢!」


「……噂をすれば、ですね」


 馬の駆ける音が、馬車へ近づいてきた。


 俺たちがカーテンをめくると、ミルトンが馬を寄せていた。


 乗っているのは、白い牡馬だった。


 灰色のたてがみに、緑色の瞳。


 ……何だか、また別の俺のそっくりさんを見ている気分だな。


「ギルドマスター、外の様子はいかがですか?」


 シオンは、アイマスクを外して脇へ置いた。


「思っていたよりも、ずいぶん暗いようですが……」


「そうなんだよ。どうやら、先遣隊の最初の報告が正確ではなかったらしい」


 ミルトンは、前方を見つめた。


「森の瘴気が、時間とともに濃くなっているようでね」


 そして、少し表情を曇らせる。


「まだ原因はわかっていないが……。やはり、ミストラルの結界樹に何か問題が起きているのかもしれない」


「……ミストラルの結界樹?」


 俺は、聞き返した。


「ここから数マイル西へ進むと、ミストラル湖の岸辺にツリーウォークという村があります」


 シオンが、説明した。


「そこには、三本の巨大な古代樹があるんです。それらが結界樹となって、森全体を守る防護結界を維持しています」


 彼女は、窓の外へ目を向けた。


「魔物の脅威を軽減してくれますが、完全になくせるわけではありませんけどね」


 そして、続けた。


「ただ、今回はそちらへ向かいません。最後に聞いた話では、村の長老たちの様子を確かめるため、冒険者の一団が派遣されたそうです」


「そのとおりだよ、シオン嬢」


 ミルトンは、頷いた。


「腕利きの部下たちに任せてあるからね。ひとまず、こちらが心配する必要はないだろう」


 彼は、隊列の前方へ目を向けた。


「今は、全員が無事にエンバーへ到着し、戻ってくることを最優先にしなければならない。使える人手は、すべて必要になるからね」


「今んとこ、怪しい奴は?」


 ゼロが、尋ねた。


「まだ何も見つかっていないよ」


 ミルトンは、答えた。


「だが、三人とも、気を抜かないように。これほど濃い闇魔法の領域ができているとなると、何が引き寄せられるかわからないからね」


 その声が、少し厳しくなった。


「いつ、何が現れるかもわからない。先頭の馬車にも、警戒を強めるよう伝えておこう」


 そして、俺とゼロを見た。


「このお嬢さんを、しっかり守ってあげるんだよ?」


「ふふふ。こう見えても、私はギルドマスターよりずっと年上なんですよ?」


 シオンは、くすくすと笑った。


「でも、ご心配ありがとうございます」


「それでも、だよ」


 ミルトンは、微笑んだ。


「では、私はこれで失礼するね」


 彼は、俺へ素早くウインクをした。


 そして、馬を走らせる。


「はっ!」


「……」


 ……今の、何だったんだ?


 俺は、シオンへ目を向けた。


 彼女は、窓の外を見つめていた。


 その手は、窓枠を強く握りしめている。


 ……そうだ。


 シオンは、前回の戦いですべての魔力を使い果たしたままだった。


 同じ属性を持つ師匠から、力を補充してもらうのを待っている。


 ……なるほどな。


 ミルトンが、言葉にしなかったことも、ようやくわかった気がした。


 今回は、シオンが俺たちを助けてくれるわけじゃない。


 俺とゼロが、自分たちの役目を果たさなきゃならないんだ。


 ……特に、俺は。


 何があっても、シオンを無傷でエンバーまで送り届ける。


 そのために、ここにいるんだからな。


「……何だ、ありゃ?」


 ゼロが、突然声を上げた。


「おい、前のほうに見えるあれ、何だよ?」


 奴が指さした先には、道端に何本かの木の杭が立っていた。


 近づくにつれ、胸の奥へ嫌な感覚が広がっていく。


「……杭か?」


 血にまみれた、鋭い杭。


 数十本はあるだろうか。


 道の両側に、ぎざぎざの列を作るように突き立てられていた。


「……おいおい。ここで何があったんだよ……?」


 俺は、思わずつぶやいた。


 ……嫌な予感がする。


 突然、馬車の列が止まった。


 馬たちが一斉にいななき、不安そうに足踏みを始める。


 俺の手は、自然と短剣の鞘へ伸びていた。


「おーい! 何があったんだ!?」


 ゼロが、口元へ両手を当てた。


 すぐ前を走る馬車へ向かって叫ぶ。


「そっちじゃ、何かわかんねえか!?」


「いや、すまん! こっちもわからねえ!」


 乗っていた冒険者たちが、答えた。


「たぶん、倒木か何かだろ!」


「……」


 俺は、不安を感じながら、木々のあいだへ目を走らせた。


 そのときだった。


 ……ん?


 奇妙なものが、見えた。


 宙に浮かぶ、仮面。


 舞台役者が身につけるような形をしていた。


 ほんの一瞬。


 仮面は、俺へ向かって笑いかけた。


 そして――


 消えた。


「……なあ、ゼロ。今、何か見え――」


 俺は、少し身を乗り出した。


 だが、言い終える前に、袖を引かれた。


 ……震える手だった。


 シオンが、俺の袖を掴んでいたのだ。


 表情は、いつもどおり落ち着いている。


 しかし、この場所の雰囲気に動揺していることは、伝わってきた。


 俺は、小さく頷いた。


「……どうした、相棒?」


 ゼロが、振り返った。


「……ああ、いや」


 俺は、仮面が見えた場所へ、最後にもう一度目を向けた。


「何でもねえよ。たぶん、見間違いだ」


「……そっか。なら、いいけどよ」


 張り詰めた時間が、しばらく続いた。


 だが、やがて馬車の列は、少しずつ前へ動き始めた。


 ……結局、何も起きなかったわけか。


 拍子抜けだな。


 こういうときこそ、隠れていた敵が突然飛び出してくるんじゃないかと思ってしまう。


 ……でも、シオンの言うことも、たぶん正しいんだろう。


 これほど大勢の戦士が揃っているところを襲うなんて、自殺行為みたいなものだからな。


「みんな、あと少しだよ!」


 ミルトンが、隊列の後方へ速度を落としながら、俺たちへ声をかけた。


「エンバーまでは、あと二時間ほどだ!」


「いやあ、楽しみだな! 地元の酒を飲んでみてえぜ!」


 ゼロが、息を吐いた。


 ようやく、少し空気が和らいだ。


「それより、俺に飲み比べで勝てる奴がいるかどうか、楽しみだな!」


「ほどほどにしてくださいね、ゼロ」


 シオンが、呆れたように答えた。


「また面倒事から助け出す羽目になるのは、御免ですから」


「俺が、そんなことしたことあるか?」


 ……あるだろ、絶対。


 先ほどまでの緊張は、少しずつ薄れていった。


 森を包んでいた瘴気も、南へ進むにつれ、弱まり始めている。


 俺たちは、オパール湾に面した、ゼン王国の南の宝石――エンバーへ近づいていた。


 ……それでも。


 あの笑う仮面と、血にまみれた杭の光景だけは、どうしても頭から離れなかった。


 むしろ、何だか……


 昔見た、嫌な夢を思い出すような気分だった。

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