↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/39

第1話 喧嘩屋の意地

 四方を囲まれ、俺は壁を背にしていた。


 雨季の真っただ中とあって、空気は湿りきっている。ぼろぼろになった制服の上着が、首筋の汗に張りついて気持ち悪い。


 普段の俺なら、喧嘩でどれだけ数的不利に立たされようと、そう簡単に慌てたりはしない。いざというときの逃げ道さえ確保できれば、大抵は何とかなるものだ。


 だが、今回は……


「今のうちに膝をついて命乞いでも始めたらどうだ? そうすりゃ、なるべく早く終わらせてやるぜ。なあ、異世界人さんよ?」


 街でも特にタチの悪いオークの一団。その頭目が、以前からやたらと俺に目をつけていた。


 奴にとって俺は、てっぺんへ上り詰めるための邪魔者なのだろう。薄汚い路地裏にたむろする連中の中でも、少しばかり腕っぷしが強く、目つきの悪い野郎を一人叩きのめす。ただ、それだけの話のはずだ。


 なのに……今日の遭遇は、どうにも妙だった。


 少々、個人的な恨みが混じりすぎている気がする。


 そもそも、俺はこいつと同じ地区で寝泊まりしているわけでもない。


 というか、この忌々しい世界へ放り込まれて以来、まともに「家」と呼べる場所すらなかった。


 それでも、物乞い横丁の外にまで俺の名前が知れ渡っているということは、喧嘩屋としての評判が先回りしていたらしい。


 路上の喧嘩なんてものも、噂が一人歩きし始めれば、いつの間にか伝説めいた話になってしまうのだから面白い。


 ついさっきまでは、目の前にいる大男どもと一時休戦する道も考えていた。


 しかし、どうやらそういう流れにはならなさそうだった。


「そんなにやる気なら、一対一で勝負しようぜ。それとも怖いのか、豚面野郎?」


 考えなしに挑発しているように見えただろうが、実際には相手の出方を探っていた。


 こいつがどれほど挑発に乗りやすいのか。そして、どれほど最初の一発を打ちたがっているのか。


 それを確かめたかったのだ。


「……ちっ」


 思わず舌打ちした。


 意外にも、奴は動かなかった。


 残念ながら、そう簡単に頭に血を上らせて、隙を作らせることはできないらしい。


 何しろ、向こうは六対一という圧倒的な数の優位に立っている。


 妙な話だが、思っていた以上に頭が回ることには少し感心した。


 ……いや、感心している場合じゃねえな。


 これは、なかなか厄介な状況になってきたぞ。


 楽な喧嘩にはならなさそうだ。だが、何の策もなしに、こんな場所へ追い込まれる俺じゃねえ。


 俺は、この路地裏の乱闘に至るまでの経緯を、ほんの一瞬だけ振り返った。


 この街で生き延びるために戦えば戦うほど、俺に喧嘩を売りに来る奴が増えていく。


 そんな悪循環が、毎日のように続いていた。


 頼れる相手は、自分以外に誰もいない。


 生き残れるか。それとも、あがいた末に死ぬか。


 すべては俺次第だった。


 考えてみりゃ、地球にいた頃も似たようなもんだったな……


「へっへっへ…… 面白え野郎だとは思ってたが、まったく、大した度胸じゃねえか! わざわざ会いに来た甲斐があったってもんだ。隅っこで小便漏らして震えてるような奴だったら、退屈で仕方なかったぜ」


 一団の頭目――残虐なるコラグとして知られる男が、殺意を滲ませた目で俺を睨みつけていた。


「だがなあ……」


 威圧感たっぷりのオークが、大きく口を開けて笑った。口元には、何本もの牙が並んでいる。


 長く脂ぎった髪は後ろへ撫でつけられ、太い緑色の首の後ろで一つに束ねられていた。


 噂には聞いていたが、大体は本当だったらしい。


 こいつの身体は、今にも噴火しそうな火山みたいな迫力がある。


 しかも、気性の荒さは火山以上ときた。


 何の前触れもなく、拳が俺の腹へめり込んだ。


 ほんの数センチの距離から放たれた一撃だったというのに、肺の空気を根こそぎ叩き出されるほどの威力があった。


 もちろん、こういう汚い手を使ってくることは予想していた。


 だからといって、今の俺にできることは、ほとんどなかった。


「その威勢は買ってやるよ、坊主。そこは認めてやる。だが、アイアンタスク・オーク団をコケにした罪は、そう簡単には許されねえんだ。わかるな?」


 コラグは片手を振り、数歩後ろへ下がった。


 その動きに合わせて、革の外套が翻る。


「お前ら、たっぷり可愛がってやれ」


 俺が腹への一撃から立ち直るより早く、容赦のない袋叩きが始まった。


 拳、肘、膝。それから、ほかにもいろいろ。


 コラグの手下どもが次々と殴りかかってくるせいで、何を食らっているのかさえ、まともにわからなくなっていた。


 当の頭目は、にやにやと笑いながら、その光景を眺めているだけだった。


「ほらほら、異世界人さんよ! ご自慢の魔法でも見せてみろって!」


「はっ! できるわけねえだろ! 使えるんだったら、とっくにほかの化け物どもと一緒に学院へ入ってるさ! なあ、嘘つき野郎!」


 俺は歯を食いしばり、奴らの罵声に耐えた。


「……おう、その辺にしとけ」


 ようやくコラグが、手下どもに暴行をやめるよう合図した。


 もっとも、慈悲の心が芽生えたからではないだろう。


「ひょろひょろのガキにしちゃ、ずいぶん打たれ強えじゃねえか」


 奴は嘲るように身を屈め、得意げな笑みを浮かべたまま顔を近づけてきた。


 ここまで近ければ、鼻筋を横切る傷痕もよく見える。


 過去の戦いで負ったものだろう。


 全身が、とんでもなく痛かった。


 だが、こいつにだけは悟らせるものか。


「お前らのパンチがへなちょこなだけじゃねえのか? そう考えたことはないのかよ、このクソ野郎!」


 咳き込みながらも、俺は言い返した。


「いい大人が寄ってたかって学生一人を袋叩きかよ! 戦士としての誇りはどこへ行ったんだ?」


「ほう? 今のはなかなか面白えことを言うじゃねえか」


 コラグが、もう少し近づいてきた。


「一番になりたきゃ、一番強え奴と戦わなきゃならねえ。負けたあとになって、ガキだから手加減しろなんて言い出すんじゃねえよ、坊主」


 奴は、俺の理屈に心底呆れたとでもいうように首を振った。


 俺は膝をついたまま、コラグを睨み上げ続けた。


 あとは、奴が不用意に間合いへ踏み込んでくるのを待つだけだ。


 そこが、俺の狙っていた隙だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
設定が面白うですね、レンが異世界人であることも周りに知らされてるみたいですね。これからどうなるのでしょう。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。