第20話「もう一人」
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翌朝、真意ちゃんが妄執ちゃんの個室に来た。
ルーペを持っていた。昨日と同じルーペだ。
「もう一度、写真を見てもいいですか」
「どうぞ」と妄執ちゃんは言った。
真意ちゃんは中央の写真に近づいた。
ルーペを向けた。
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タグが浮かぶ。昨日と同じだ。
「収容者:——」
「収容開始:昨日の朝」
「状態:安定」
「自覚:——」
真意ちゃんはルーペを内部に向けた。
内側の空間が見える。部屋がある。ダブルチーズバーガーがある。温かい。人が一人、座っている。
今日も——こちらを見た。
今日は、笑顔だった。昨日より少し、はっきりした笑顔だった。
真意ちゃんはルーペの角度を変えた。顔を確認しようとした。
見えそうで、見えない。
真意ちゃんはルーペを近づけた。もう少し近づけた。
その人が——ルーペに向かって、少し首を傾けた。見せようとしているのか、確かめているのか。
見えた。
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真意ちゃんはルーペを下ろした。
しばらく動けなかった。
妄執ちゃんが後ろに立っていた。
「……見えましたか」と妄執ちゃんが言った。
真意ちゃんは振り返った。
「妄執さんです」と真意ちゃんは言った。「写真の中にいるのは——妄執さんです」
妄執ちゃんはそれを聞いた。
驚かなかった。
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◆秩序ちゃんへの報告
真意ちゃんがすぐに秩序ちゃんを呼びに行った。
「写真の中の人物が特定できました」
「誰ですか」
「妄執さんです」
秩序ちゃんが止まった。
「……え」
「写真の中にいるのは——妄執さんです」
「でも妄執さんは」と秩序ちゃんは言った。「フロアに」
「います」と真意ちゃんは言った。「今もフロアに向かっています。見てください」
廊下の向こうで——妄執ちゃんが歩いている。リボンをつけている。今日の業務の準備をしている。消えていない。ちゃんといる。
「フロアにいます」と真意ちゃんは言った。「でも写真の中にも——います」
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秩序ちゃんは妄執ちゃんの個室に入った。
中央の写真を見た。
呼吸している。かすかに、でも確かに。
「妄執さん」と秩序ちゃんは言った。「あの写真は誰ですか」
妄執ちゃんは少し間を置いた。
「……新しいお客様かもしれませんわ」
「いつ来ましたか」
「……覚えていませんわ」
秩序ちゃんが止まった。
「覚えていない——またですか」
「ええ」
「前回覚えていなかったのはNo.1でしたね」
「ええ」
「今回も覚えていない」
「ええ」
「なぜ覚えていないのですか」
妄執ちゃんは少しの間、黙っていた。
「……自分のことは、案外——覚えていないものですわ」
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秩序ちゃんは真意ちゃんを見た。
「もう一度、写真を調べてほしい。内部の人物の顔を、秩序ちゃんにも確認させて」
真意ちゃんがルーペを向けた。
内側の人物が——こちらを見た。
今日は、すぐに顔が見えた。
秩序ちゃんが覗いた。
見えた。
真意ちゃんはルーペを下ろした。
秩序ちゃんも少しの間、動けなかった。
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◆フロア
妄執ちゃんはカウンターに立っていた。
No.441が来た。
「いらっしゃいませ」と妄執ちゃんは言った。「またお会いしましたわね」
「また来ました」とNo.441は言った。「ダブルチーズバーガーを」
「かしこまりましたわ」
妄執ちゃんは厨房に下がった。
パティを鉄板に乗せた。焼けていく音がする。チーズを乗せた。ソースをかけた。バンズを合わせた。
持って出た。
No.441に渡した。
No.441が食べた。
「おいしい」と言った。
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その時。
壁の中央の写真から——声がした。
小さく、かすかに。
でも——確かに聞こえた。
妄執ちゃんの声で。
「おかえりなさいませ」という声が。
壁の中から。
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No.441が少し止まった。
壁を見た。中央の写真を見た。
「……今、声がしましたよね」
「ええ」と妄執ちゃんは言った。カウンターの向こうで、静かに言った。
「壁の中から」
「ええ」
「妄執さんの声で」
「……そうかもしれませんわ」
No.441が妄執ちゃんを見た。
妄執ちゃんを見て——壁の中央を見て——また妄執ちゃんを見た。
「妄執さんは——二人いますか」
妄執ちゃんは少し間を置いた。
「……そういうことかもしれませんわ」
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◆深夜・妄執ちゃんの個室
No.441が帰った後。
フロアは静かだ。
妄執ちゃんは個室に戻った。
テーブルに新しいノートがある。
開いた。
今日の業務記録を書いた。一件。No.441。ダブルチーズバーガー。退店。外部カメラ映り込みなし。
ペンを持ったまま、少し止まった。
それから——
No.441の次の行に、別のことを書いた。
*妄執。来店。ダブルチーズバーガーを注文。*
一行書いた。
ペンを置いた。
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壁を見た。
七百万枚の空の写真の中に——中央だけ、呼吸している。声がしている。
自分の声が、している。
「……みなさん、幸せそうですわ」と妄執ちゃんは言った。
本当のことだけを言っている。
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鳥籠型ベッドに入った。
上を向いた。
天井の写真たちが、ピンク色の光の中で薄く照らされている。
中央の写真を見た。
声がしている。
自分の声が、している。
幸せそうだ。
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妄執ちゃんは本当のことだけを言っている。
「みなさん、幸せそうですわ」——本当だ。
「おかえりなさいませ」——本当だ。
「また来てくださいね」——本当だ。
全部が、本当だった。
その全部が——永久機関の、最後のピースだった。
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グリマス博士の端末に、静かにログが追記された。
```
永久機関、稼働継続。
ドナルド・コアへの供給、継続中。
収容者:妄執(自己収容型)
供給効率:最大値更新。
```
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◆深夜・秩序ちゃんへの業務報告
*接客・感情部門・日次報告書*
*提出者:妄執*
本日の指名対応件数:一件
本日の全客のご注文:ダブルチーズバーガー(一〇〇%)
退店後行動確認:一件、退店後外部カメラへの映り込みなし
翌日指名:一件、受付済み
特記事項:なし
以上。
*(秩序ちゃんによる返信)*
「妄執さん。確認しました。」
「今日——写真の中の方が誰か、わかりました。」
「……あなた自身ですね。」
*(妄執ちゃん)*
「そうかもしれませんわ。」
*(秩序ちゃん)*
「どちらが本体ですか」
返信まで、少し時間があった。
*(妄執ちゃん)*
「……どちらも、本当のことだけを言っていますわ。」
*(秩序ちゃん)*
「…………」
「妄執さん。」
*(妄執ちゃん)*
「はい。」
*(秩序ちゃん)*
「幸せですか」
また、返信まで少し時間があった。
*(妄執ちゃん)*
「……みなさんがいますわ。」
「No.441がいますわ。」
「来てくださっていますわ。」
「それだけで——十分かもしれませんわ。」
*(秩序ちゃん)*
「……そうですか。」
「おやすみなさい。」
*(妄執ちゃん)*
「おやすみなさいませ。」
───── 返信なし。 ─────
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翌朝、業務端末に通知が来た。
*「担当者指定:妄執」×一件。*
妄執ちゃんは承認した。
壁を見た。
中央の写真から声がしている。
自分の声が、している。
「また来てくださいね」と妄執ちゃんは言った。
壁の中から——「また来てくださいね」という声がした。
同じ言葉が、重なった。
どちらが先か——わからなかった。
どちらが外か——わからなかった。
妄執ちゃんはフロアの準備を始めた。
今日も、来る。
一人が、来る。
それだけのことだ。




