修行−4
師匠は何事もなかったかのように歩き出した。
「来い」
国王とサファイアも後を追う。
作業場を出ると、村の上方へ続く長い石段が見えてきた。
朝の光を受けた石段は、上へ行くほど急になっている。
見上げれば、かなりの高さだ。
しかも、ただ登るだけではないらしい。
その頂上には、大きな水瓶が置かれている。
水瓶は人の背丈ほどもあり、
空のまま静かに二人を見下ろしているようだった。
国王はその水瓶を見上げる。
そして、石段の下へ視線を戻した。
そこには二つの桶。
さらに、その桶を左右へ吊るすための天秤棒。
「……」
国王は嫌な予感を覚えた。
これまでの師匠の修行を思い返す。
鉄下駄。
兎跳び。
箸を使った鉄鉱石運び。
どれも最初に見た時は意味が分からなかった。
そして、今回も――。
「……今度は何です?」
「水を運べ」
「どこへ?」
「上だ」
師匠は、当然のことのように石段の頂上を指差す。
「水瓶を一杯にしろ」
国王は水瓶を見る。
次に桶を見る。
最後に、石段を見る。
その距離を目で測った。
「……水瓶を、一杯に?」
「ああ」
「この桶で?」
「そうだ」
「何往復です?」
「しらん。一杯になるまでだ」
「つまり、決まった回数は?」
「そんなもん、ないわ」
「……」
国王は言葉を失った。
師匠は、それ以上説明する気がないらしい。
サファイアは当然のように天秤棒へ手を伸ばした。
「はい」
桶を左右へ掛ける。
水を汲めば、かなりの重量になるはずだ。
それでもサファイアは慣れた様子だった。
肩へ天秤棒を担ぐ。
位置を少し調整する。
「行ってくるね」
「おう」
師匠は短く答えた。
サファイアは石段へ向かう。
その姿を見て、国王も慌てて桶を手に取った。
「待て待て」
国王も天秤棒を肩へ担ぐ。
”ずしり”。
まだ水を入れていないというのに、棒の重さが肩へ食い込む。
水を満たせば、さらに重くなる。
「……」
国王は石段を見上げた。
長い。
そして急だ。
どう考えても、楽な修行ではない。
だが、ここまで来て逃げるわけにもいかなかった。
「やるしかないか」
国王は小さく呟く。
そして、水を汲む。
桶の中へ水が満たされていく。
ちゃぷん。
水面が揺れる。
国王はその音を聞きながら、石段へ目を向けた。
その瞬間だった。
「……」
何かがおかしい。
この光景……、どこかで見たことがある。
水を汲む。
桶を担ぐ。
長い階段を登る。
何度も往復する。
……妙に懐かしい。
どこか記憶の奥に引っかかる。
国王は眉をひそめた。
(……なんだ、これ)
思い出せそうで思い出せない。
だが、確かに見覚えがある。
それも、かなり強烈な既視感だった。
国王は石段の上を見た。
水瓶。
桶。
天秤棒。
そして、その下から弟子を見上げる師匠。
「……」
どうにもおかしい。
だが、考えてみれば当然だ。
この世界にテレビはない。
映画もない。
フイルムもない。
そもそも、この世界には映像作品そのものが存在していない。
そんなものを国王が見た記憶があるはずがない。
なのに――
ぜか見覚えがある。
「……師匠」
「なんだ?」
国王は振り返る。
「これ……」
「何だ?」
師匠は何でもない顔で国王を見る。
国王は言葉を探す。
「いや……」
説明しようとしても、説明できない。
こかで見た。
しかし、どこで見たのか分からない。
それどころか、本当に見たことがあるのかすら怪しい。
国王は首を振った。
「何でもないです」
「そうか」
師匠は、それ以上追及しなかった。
国王は再び石段を見る。
考えても分からない。
きっと気のせいだ。
そう思うことにした。
すると、すでにサファイアは階段を登り始めていた。
カッ。
カッ。
足音が石段へ響く。
天秤棒が肩へ食い込む。
左右の桶が揺れる。
ちゃぷん。
ちゃぷん。
水面が揺れるたび、光が桶の中で細かく踊る。
それでもサファイアの足取りは安定していた。
一段。
また一段。
身体を上下させることなく、一定の歩幅で登っていく。
国王はその姿を見ながら、感心した。
「……慣れてるな」
「毎日やってるから!」
サファイアが振り返りながら答える。
「毎日?」
「うん」
「これを?」
「うん」
国王は呆れた。
「お前、本当に鍛冶師の家の娘なんだな」
サファイアは笑った。
「兄弟子さんも早く!」
「分かってる!」
国王も天秤棒を担ぎ直す。
肩へ重みがかかる。
身体がわずかに傾く。
「……重いな」
水が左右の桶で揺れる。
そのたびに天秤棒が肩へ食い込む。
国王は一歩目を踏み出した。
カッ。
二歩目。
カッ。
三歩目。
カッ。
すぐに脚へ負荷がかかり始める。
それでも止まらない。
石段を一段ずつ登る。
そのたびに桶の水が揺れる。
ちゃぷん。
ちゃぷん。
国王は無意識に歩幅を調整した。
歩幅を大きくすると水が揺れる。
急ぐと身体が上下する。
逆に、歩幅を小さくして一定の速度を保てば、
水の揺れが小さくなる。
国王は少しずつ身体の使い方を変えていった。
すると、先ほどまで激しく揺れていた水が、
わずかに落ち着いてくる。
「……なるほど」
国王は呟く。
師匠が下から声を飛ばした。
「何がなるほどだ?」
「いや」
国王は少し笑った。
「これも鍛冶と同じなんだろうなと思って」
師匠は満足そうに鼻を鳴らした。
「やっと分かってきたか」
水を運ぶ。
ただそれだけの作業に見える。
だが、重心を崩さない。
足を安定させる。
身体の上下動を抑える。
余計な力を使わない。
それは確かに、鉄を扱う時にも必要な身体の使い方だった。
国王は一歩ずつ登る。
しかし、石段の頂上はまだ遠い。
そして――。
国王はまだ気付いていなかった。
この修行には、身体を鍛えること以外にも、
師匠なりの別の目的があることを。




