鍛冶王、釣り針を鑑定する
国王は、朝早く城を出た。もちろん、熊の外套を肩に羽織って。
「お前が居ないと心細いからな」
熊公は大きく口を開ける。
――カチリ。
牙が小気味よい音を立てた。返事の代わりらしい。そのどこか得意げな表情を見て、国王は思わず笑みを漏らす。
「機嫌がいいな」
熊公は胸を張るように鼻を鳴らした。
まだ朝靄の残る王都は、人影もまばらだった。市場では魚屋が桶へ海水を張り、威勢よく魚を並べ始めている。
パン屋の煙突からは焼きたての香りが漂い、道端では八百屋が野菜を荷車から降ろしていた。王都がゆっくりと目を覚ましていく。
そんな穏やかな朝の景色の中を、国王は執事を従え、港町へ向かって歩いていた。
執事も当然のように同行している。
本人は「護衛のためです」と胸を張っているが、本当の理由は別にあった。
出発前、「今回は留守番を」と丁重に断ったところ、熊公に首根っこをくわえられ、そのまま城門まで運ばれたのである。
本人は最後まで「お願いされて同行しております」と言い張っていた。
国王も熊公も、その件については何も触れない。
執事のささやかな名誉を守るためである。
向かう先は、先日、巨大魚フフググを釣り上げた漁師の家だった。
港へ近付くにつれ、潮の香りが風に混じる。網を干す音。船をつなぐ鎖の軋み。
波が岸壁を叩く音。漁師たちの威勢のいい掛け声。平和そのものの朝だった。
一軒の家の前で、国王は足を止める。
「まさか……国王陛下自らお越しになるとは……」
漁師は戸口へ飛び出すと、何度も頭を下げた。妻も子供たちも家の奥から顔を覗かせ、緊張で身体を固くしている。
国王は苦笑しながら片手を振った。
「そんなに畏まらなくていい」
「今日は魚を食べに来たわけじゃない」
「え?」
「釣り針を見せてもらいに来た」
漁師は一瞬きょとんと目を丸くした。しかし次の瞬間には「ああっ」と声を上げ、家の奥へ駆け込んでいく。
「残してあります!」
「捨てられるわけがありません!」
やがて戻ってきた漁師は、小さな木箱を胸に抱えていた。
両手で大切そうに抱える姿は、まるで宝箱を扱うようだった。
卓へ静かに置く。
布を一枚、また一枚と丁寧にめくる。
現れたのは、一本の折れた釣り針だった。
先端は折れている。それでも黒鉄の肌には鈍い光沢が残り、長く使い込まれた道具だけが持つ風格を漂わせていた。
「命懸けで釣り上げた時の針です」
「折れてしまいましたが、我が家の宝でして」
国王は静かにうなずく。
「ありがとう」
短い一言だった。だが、その言葉だけで漁師の表情は誇らしげにほころんだ。
国王は両手で釣り針を受け取る。
まるで壊れ物を扱うように、指先だけでそっと持ち上げた。
折れてなお、美しい。
鉄肌には余計な傷がない。使い込まれているのに、荒れていない。
執事には、ただ古びた釣り針にしか見えなかった。
しかし国王の目は、宝石を鑑定する職人のように鋭くなっている。
まず掌へ乗せる。人差し指でゆっくりと転がす。重心を探るように目を閉じる。
ほんの僅かな重さの偏りまで、指先が読み取っていく。
やがて窓辺へ歩き、朝日に掲げた。ゆっくり。本当にゆっくりと角度を変える。
すると針先だけが一瞬、青白く光った。
また消える。さらに角度を変える。今度は針の腹が細く光る。
執事には違いがまるで分からない。
「何をご覧になっているのでしょうか」
「研ぎ跡」
「研ぎ跡……ですか」
「ああ。この角度でしか見えない」
執事も隣へ並び、同じ角度で覗いてみる。しかし、ただ光っているようにしか見えない。
「私には、さっぱり……」
国王は笑う。
「職人は光で鉄を見る」
「鏡みたいに磨けばいいって話じゃない」
「刃物にも針にも、光の流れがある」
「研ぎが狂えば、光も乱れる」
「その乱れは誤魔化せない」
そう言って釣り針を指先でくるりと回した。
「鉄は嘘をつかない」
「だから面白い」
執事は感心したように息を吐く。
「人ではなく、鉄と会話をしているようですね」
国王は少し照れくさそうに笑った。
「いや」
「鉄に教わってるだけさ」
「叱られることの方が多いがな」




