フフググを獲るということ
王宮大広間。
卓上には、折れた針が並べられている。
太いもの。
細いもの。
妙に美しいもの。
妙に安そうなもの。
エノキダケにしか見えないもの
縄の切れ端もある。
網の切れ端も
切れ端というより、無惨な残骸だ。
広間の空気は重い。
兵は直立。
侍女は壁際。
宰相代理は、なぜか一歩下がっている。
国王が、顎に手を当てた。
「ふむ……情報が足りんな」
熊が、こくり。
なぜか絶妙なタイミングで頷く。
「フフググのことを、もっと知る必要がある」
執事がすっと前に出る。
「口の構造、習性、回遊時期、棲息域」
さらさらと書き記す。
完全に会議。
「誰か、知っている者はおらぬか?」
静まり返る広間。
兵は目を逸らす。
料理長は腕を組んでいる。
宰相代理は、目を合わせない。
その時。
「……あの」
控えめな声。
若いメイドが、おずおずと手を挙げた。
「私の祖父が……」
全員が見る。
「祖父?」
「はい。昔、海で……」
空気が、ぴたりと止まる。
「呼べ」
国王が即答する。
熊が、こくり。
この二段構えの決定がずるい。
しばらくして。
連れて来られたのは、痩せた老人だった。
杖をつき、背は曲がり、
妙に雰囲気だけはある。
漁師風の服だが、だいぶ年季が入っている。
年季というより、ほつれている。
若いメイドが小声で言った。
「祖父です……」
「……わしは何も知らん」
開口一番、それだった。
「恐ろしい魚の話など、したくもない」
本当に震えている。
だが、その震えが寒さなのか、演出なのかは分からない。
宰相代理が、ごくりと喉を鳴らす。
「どれほど恐ろしいのだ」
国王が静かに問う。
老人は俯いたまま、低く言った。
「……あれは魚ではない、悪魔そのものじゃ」
広間に、既視感が流れる。
執事が、ゆっくり目を閉じる。
(またか)
「どこに棲む」
「汽水域じゃ」
即答。
「川と海の境目」
「河口?」
「うむ」
急に具体的。
空気が少し現実に戻る。
「外洋には出ぬのか」
「出る」
「出るのか」
「出る……時もある」
「出ない時もあるのか」
「……ある」
曖昧の連打とその間。
「大きさは?」
料理長が低く問う。
老人は、ゆっくり顔を上げた。
「外洋船と同じ」
沈黙。
「……船と?」
宰相代理が震える。
「同じじゃ」
「どの船ですか」
執事が冷静に尋ねる。
「大きいやつじゃ」
「どの大きさですか」
「でかい」
「具体的に」
「……白い」
「船が?」
「いや、魚が」
話が揺れる。
「白鯨のようでな」
執事は目を伏せる。
老人が遠い目をする。
「潮を割り」
「割れません」
執事、即修正。
「……割るように見えるのじゃ」
弱くなった。
「その顎は山のよう」
「口は骨質層でございます」
執事が静かに補足。
老人が咳払いする。
「そうじゃ!骨じゃ」
乗っかった。
老人は、急に袖をまくった。
「この手を見よ」
皆が見る。
ある。
普通にある。
指も五本全てそこにある。
なんなら少し爪が伸びている。
「……持っていかれた」
沈黙。
「ありますが」
執事が即座に指摘。
「比喩じゃ!」
老人が声を張る。
「心の手をを持っていかれた!」
方向転換が速い。
熊が、こくり。
なぜそこだけ同意する。
「脚もじゃ」
老人が言う。
ここまですたすた歩いてきたし、勿論両足がある。
「……ありますな」
「あるが!」
老人が焦る。
「魂の脚を持っていかれた!」
もう概念の話になっている。
メイドが小声で。
「おじいちゃん、河口で転んだだけで……」
「黙れ!」
老人、赤面。
兵が肩を震わせている。
「わしはな」
だんだん声が大きくなる。
「沖へ出た」
「河口では?」
「沖も行った」
「汽水域では?」
「行った!」
「外洋船と同じ大きさ?」
「……そのくらいに見えた」
弱くなった。
宰相代理が、青ざめる。
「船ほどの魚が、河口に……」
料理長が冷静に言う。
「河口の水深は?」
「……浅い」
老人が小さく答える。
執事が頷く。
「外洋船サイズは入りません」
老人、沈黙。
とても長い沈黙。
「……大きかった」
それだけは譲らない。
広間に、微妙な空気が流れる。
誰も信じていない。
だが、誰も完全には否定できない。
その時だった。
老人の背が、わずかに伸びた様に見えた。
杖を握る手が、ぎり、と鳴る。
声が、低く落ちた。
「……笑うな」
広間が静まる。
「わしはな」
一歩、前に出る。
「十七日、舟の上におった」
誇張の色が消えている。
「餌も尽き、水も尽き」
「縄だけを握っておった」
宰相代理の背中に汗が流れる。
「水の中でな」
目が座って雰囲気だけはやたら強い。
「やつと目が合うんじゃ」
皆んな偉い。
誰も笑わない。
「逃げぬ」
「暴れぬ」
「ただ、見ておる」
静かな声。
「わしを」
熊が、ゆっくりと頷く。
今度の頷きは、軽くない。
「……引きずられたのでは?」
執事が、静かに問う。
老人の目が揺れる。
「縄を、握ったままであったな」
老人は、わずかに目を逸らす。
「……放さねば死ぬ」
ギョロリと周りを一望する。
「だが」
顔を上げる。
「あれが、引いたのじゃ」
都合のいい再解釈。
だが。
恐怖は本物だ。
「針の音がな」
老人が呟く。
「カチン、と鳴る」
広間が静まる。
「その音だけは」
更に目が鋭くなる。
「忘れられん」
沈黙。
そこだけが、誇張ではない。
しばらくして。
老人は、また背を丸めた。
「……大きかった」
最初と同じ言葉。
だが今度は。
少しだけ、意味が違った。
熊だけが、老人をじっと見ていた。
その瞳には、なぜか光るものがあった。
本当に、何故だ?




