第一章 第20話 - 絶体絶命だブウ -
メリアの叫び声が響き渡る。
マルゴルはかまわず号令とともに、左手を振り下ろした。
「撃てえええええええええええぇぇぇっ!!!!」
次の瞬間、弦を弾き絞っていた弓兵たちの手から一斉に矢が放たれた。
風を切り裂く音とともに進む矢は、一直線に俺めがけて飛来する。
俺は牙製棍棒をかかえて蹲ったままでいた。
右前腕に、左上腕に、右腹に、左脛に────
ブツリブツリという音を立てながら、次々と身体に矢が突き刺さる。
何本かは固い牙製棍棒にぶつかり地面に落ちていく。
それでも、次から次へと矢は飛んできた。
「あぁ……やめて……!! もうやめてぇぇっ!! いやあああああ!!」
「がっはっはっはっは!! いいぞ! これでトドメだあああ!!!!」
マルゴルは歓喜の声を上げると、左手で空中を掴むような動作をしてから前に突き出した。
その動きに合わせ、周囲で燃えていた炎が一斉に踊り出す。
大小すべての炎が広場の中央へ吸い寄せられるように集まって行き、巨大な炎の渦になるとそのまま俺を飲み込んでいった。
あまりの炎の勢いに、仕掛けたマルゴル本人でさえも直視できないほどの熱風が吹き荒れる。
「見ろぉぉ!! オークの丸焼きだぁぁあ!! ぎゃーっはっはっはっは!!」
ごうごうと音を立てて回る炎。
獲物を焼き尽くす炎の渦は、時間とともに段々と小さくなっていった。
広場の中央を覆いつくしていた炎は徐々に上空へと昇り消えていく。
数秒後、わずかに地面に残る小さな種火を残して、ほとんどの火が消えた。
いつのまにか夜明けの時間が近づいていたのか、うっすらと明るくなりつつある空の光で周囲が照らされている。
黒く焦げた地面
焼け落ちた枝葉
矢を打ち尽くした弓兵
剣を構える兵士
勝利を確信したマルゴルが見ているのは、広場の中央。
燃やし尽くした標的は、もとの姿勢のまま動かない。
皮膚は煤で真っ黒に染まり、蹲ったままでいる。
炎により焼け落ちた矢は先端にあった金属製の鏃を残して全て燃え尽きており、炎の激しさを物語っている。
「あ……あ、ぁぁ…………オ、オークさんっ…………」
「そんな……なんて事っ……」
メリアとエッダは小さく嗚咽を漏らした。
メリアの大きな碧い瞳から、ぼろぼろと涙が溢れ出す。
矢で貫かれ、炎で焼かれるまで、すべてを見てしまった。
人間なら到底助からない。
たとえ魔物であったとしても、耐えられるものではないだろう。
段々と明るくなる空の光に照らされて、今も動かない背中が滲んで見える。
まだ熱が引かない広場の中央へ、マルゴルが踏み出す。
その右手には炎刀剣が握られており、マルゴルが歩みを進めるたびにゆらゆらと揺れた。
「フン……死んだか。散々手こずらせてくれたが、所詮はただのオークだったな……くっくっく」
炎の消えた広場は静寂に包まれていた。
踏み出されるマルゴルの足に合わせて、鉄靴の金具がカシャンと鳴る。
剣の届く範囲まで歩くと、マルゴルは獲物を見下ろすように止まった。
刈り取るべき首がよく見えるよう横につき、ゆっくりと剣を両手で持ち振りかぶる。
「あばよ、オーク野郎! 首だけは持ち帰ってやるから感謝しろ!!」
声とともに、振り下ろされる刃。
真っすぐに首へと落ちて行く。
「オークさあああぁぁぁぁぁぁんっ!!!!」
その光景を見ていたメリアが叫ぶ。
遠くに見える山の向こうから日の光が顔を出し、陽光が差し込む。
音の消えた村の朝、広場に響き渡る声。
俺が守りたいと願った少女の声を
俺はしっかりと聞いていた。
「ブウウウウウウウウウウウ!!!!」
「んなッ…………!?」
伏せていた顔が瞬時に上がり、赤い眼光がマルゴルを睨みつけた。
突然動き出した俺に驚くマルゴル。
俺は抱えていた牙製棍棒を手首の力だけで跳ね上げると、振り下ろされようとしていたマルゴルの炎刀剣に叩きつけた。
「俺は生きているブウウウウウウウウ!!」
バキャンという割れるような金属音とともに、飛び散る破片。
あとわずか数センチで首に到達しようとしていた刃は、真正面からぶつかった牙製棍棒の硬さを受けきれずに粉々に砕け散った。
マルゴルの部下が持っていた両手剣にぶつけたときは剣を吹き飛ばしただけだったが、精巧に作られた波打つ剣は通常の剣と比べて脆くなっていたようだ。
空中に舞ういくつもの破片が、一気に差し込んできた日の光を浴びてキラキラと輝いた。
「ばッ、馬鹿なああっ!? あれだけ矢を食らって、魔法の炎で焼かれて……い、生きているだとおおおおおおおおおおおおお!!??」
すぐ目の前で、マルゴルは絶望の顔で叫ぶ。
俺はこの時を待っていた。
弓兵たちの持っている矢を残らず全て受けることで、メリアたちが狙われないようにする。
太い腕と牙製棍棒で腹部や頭部を覆い隠し、矢が急所に当たるのを防ぎながら耐える。
そして俺を倒したと思って、油断したマルゴルが近づいて来る瞬間を狙っていた。
魔法の炎に耐えられるかどうかは、イチかバチかの賭けだったけどな!
脇に差した短剣を抜こうと身構えたマルゴルだったが、一瞬早く俺の左腕が首を掴む。
「おげっ、ぐえぇぇぇぇッ…………!?」
マルゴルは首の周囲も重鎧で守られていたが、俺は左腕の筋力にまかせて防具ごと握りつぶしていく。
ゆっくりと立ち上がると、マルゴルの足が地面につかないよう高く持ち上げた。
俺が動いたことで、皮膚に突き刺さっていた金属製の鏃がポロポロと抜けて地面に落ちる。
凄まじい貫通力の矢だったが、やはり刺さっていたのは先端の数センチのみ。
皮膚こそ貫いたものの、その下にある分厚い脂肪と筋肉を貫き通すことはできなかったようだ。
少し動いただけで、全身から次々と鏃が抜け落ちていく。
女神から授けられた、このオークの身体は
人間の放つ矢などでは倒すことはできない。
パキパキと防具のつぶれていく音とともに、首を掴まれたマルゴルの顔がどんどん赤く、そして次第に青くなっていく。
「ご……! オッ、ゴ……! ダッ、ダズ、ゲ……ゴボッ……!!」
苦悶の表情を浮かべ、血走った目からは涙がにじみ出ている。
鼻水を垂らしながらブルブルと震え、足をばたばたさせてもがくマルゴル。
どうやら慈悲を求めているようだが
こんな奴、助ける理由などどこにもない。
そう頭の片隅で思った瞬間、全身の筋肉が膨れがるのを感じた。
戦闘モードだ。
ミキミキと音を立てて大きくなっていく腕の筋肉は、マルゴルの首を締め上げる握力を増大させる。
焼かれた皮膚よりも更に熱いエネルギーが体内から湧き上がってくるのを感じる。
マルゴルの首を守っていた金属はもはやボロボロにひしゃげており、防具の役割を果たしていない。
あとわずかに指に力をこめるだけで、マルゴルの首をへし折ることができるだろう。
こいつのせいで、デオール村がめちゃくちゃになった。
こいつのせいで、何人もの村人が悲しい思いをした。
こいつのせいで、メリアが泣いた。
殺せ。
首をへし折れ。
慈悲など無い。
頭の中に響く衝動のまま、左腕に力を入れようとした
その時
「オークさんっ!!!! もういいんです!! オークさぁんっっ!!!!」
突然、腰のあたりにメリアがぶつかってきた。
両腕をいっぱいに広げて、俺の身体を抱きかかえるように飛びついてきたのだ。
「…………メリアっ!!」
ハッと我に返った俺は、マルゴルを掴んでいた左手をぱっと放した。
支えを失ったマルゴルはズルリと地面に落ちていく。
足腰が立たなくなるほど締め上げていたようで、そのまま黒焦げの地面のうえでピクピクと痙攣している。
俺はすぐさまメリアのほうへ向き直ると、メリアの肩を抱いた。
「メリア!! だっ、大丈夫かブウ!? さっきの炎で火傷とかしてないかブウ!?」
「……だいじょうぶ、私はだいじょうぶです、オークさん……! あぁぁ……良かった……! よかったぁぁ……!!」
メリアはぎゅっと俺に抱き着きながら、何度も繰り返した。
嗚咽まじりの声だったが、覗き込んだその顔には笑みが浮かんでいる。
俺が攻撃に晒されていたことを心配してくれていたのだろうか。
メリアの声を聞いた俺は、そっとその背中を抱きしめた。
触れ合う皮膚を通して伝わってくる、メリアの温もり。
こうしていると、自然と気持ちが和らいでいく。
なんて小さくて細い背中なんだ。
今も泣きながら震えている。
怖くてたまらなかったに違いない。
この小さな背中を守ることができて、本当に良かった……。
「……残る両手剣士団、第四部隊の隊員たち、聞きなさい!」
いつのまにか近くまで来ていたエッダが、武器を構えている残りの騎士団員たちに対して叫ぶ。
「あなたたちの隊長は、隊の規律に背いて暴力行為を働き、然してこの村の守護者により倒されました! 隊長の倒れた今、あなたたちに問いましょう!! この罪が王都にて裁かれし時、今これより抵抗を続ける者は死罪相当と見做します! 投降の意思ある者は、今すぐすべての武器を捨てなさい!!」
空っぽの矢筒を持つ弓兵と、くたびれたように両手剣を構えていた兵士たちは互いに顔を見合わせた。
すると、後列にいた一人の騎士団員がおもむろに剣を地面に捨てたかと思うと、隣り合う団員たちも次々と剣を地面に置き、腰や足に差してあった短剣も抜き捨てていく。
弓兵たちも矢筒を下ろし、腰に差していた小刀で複合弓に張られた弦を断ち切ると、そのまますべての武器を地面に置いた。
そうして、あっという間に全員の武装解除が完了した。
「と、投降します……。エッダ様……お、俺たちはマルゴル隊長には逆らえない立場で……今回のことも隊長からの命令で仕方なく……」
「弁解は王都の審問で聞きます。少しでも長く弁解の時間を与えられたい者は、指示通りに動きなさい。まずは全員の武器をこの広場に集め、村の各所にいる残りの騎士団員たちも集めること。そして、今回の主謀犯であるマルゴル隊長を厳重に拘束し、移送の準備をしなさい!」
エッダが命令すると、残っていた騎士団の連中は我先にと動き始めた。
エッダの凛とした姿がそうさせたのかもしれないが……なんとも現金な連中だ。
俺に矢を放った奴には、一発くらいビンタしてやってもいいと思うんだけどな。
オークの全力で。
でも、おかげで一件落着となりそうだ。
「はぁあ~~~~~~~……! つ、疲れたブウ~~~!」
「きゃっ! だ、大丈夫ですか? オークさんっ」
俺は安堵のあまり、そのままゴロンと仰向けに倒れた。
抱き合っていたメリアも巻き込まれるように倒れ込んでくる。
朝日の強い光に照らされた広場の真ん中で寝ころび、俺はようやく笑顔になることができた。
騎士団員たちに命令を下したエッダが、こちらに向き直り口を開く。
「オーク様、御健在で何よりです……。オーク様が動かずにいたのを見た時は、私も最悪の事態を想像してしまいましたわ」
「いやァ~、正直に言えばイチかバチかだったブウ。魔法で焼かれるなんて経験したことないしブウ……。でも、思っていたよりも熱くはなかったブウ!」
「オーク族は元々火属性に耐性のある種族ですからね。その皮膚は山火事の中でさえも平然と歩けると言われるほどです。ですから、熱い地方や火山地帯で暮らしていることが多いと聞きます」
マルゴルの操る炎に包まれても耐えきることができたのは、俺がオークだったからこそなのか。
喉が焼けないように息を止める必要はあったものの、皮膚のすぐ上を炎が通っているというのにさほど熱さを感じることは無かった。
「しかし、マルゴルを生け捕りにできたのは本当に良かったと思います……。もしオーク様がマルゴルを殺してしまっていたら、王都はこの男の非を認めながらも、オーク様の討伐をしなければならなかったかも知れません」
それもそうか。
騎士団の隊長をしていた男が魔物であるオークに殺された、などとあっては、穏やかな解決はできなかっただろう。
もしかしたら、王都騎士団が名誉のためだとか何とかで復讐に来る可能性だってあったかもしれない。
「そうか……それなら、途中で止まることができて良かったブウ。メリア、あの時に俺を止めてくれて本当にありがとうブウ」
「いいえ、オークさん……私の方こそ、何度も……何度も助けて頂いて、本当にありがとうございますっ……!」
メリアは仰向けに倒れている俺の横で、穏やかな笑みを浮かべながら座っている。
「いやぁ、この身体はすごい頑丈だから大丈夫だブウ!」
「それでも……こんなに傷だらけになるまで……。血も沢山出てますし、火傷になってしまったところだって。……オークさん、ちょっとそのままの姿勢でいてください」
「ブウ? どうかしたブウ?」
「うふふ……”おまじない”ですっ」
そう言うとメリアは、俺の身体に手を当てて優しく撫で始めた。
鏃が刺さって出血していた部分や、ところどころ炎が続けたせいで焼けてしまった部分をゆっくりと手でなぞっていく。
だが、ただそれだけで不思議と痛みが和らいでいくような気がした。
そういえば、森を歩く際にもやっていた『魔物に会わないためのおまじない』も、本当に魔物に遭遇しなかったな。
今やっているこれも『痛いの痛いの、飛んでいけ』の類なのだろうが、本当に効果があるのかもしれない。
「あぁ~……、メリアの”おまじない”は良く効くブウ~……痛みが楽になってきたブウ!」
「えへへ、私もお役に立てましたか?」
「そりゃーもう! メリア、ありがとうブウ!」
俺はもそりと上半身を起こすと、空に向かって腕を伸ばした。
メリアの気遣いのおかげで、本当に身体が楽になった気がする。
周囲では騎士団員たちが武器を外してがちゃがちゃと一か所に纏めている。
マルゴルは未だに白目を剥いたまま気を失っているようだが、部下たちに縛られて移送されようとしていた。
穴だらけになった広場、荒らされた畑、散らかされた家屋。
これを元通りにするためには、もうひと頑張りが必要だ。
「よぉし! 眠いけど、もうひと踏ん張りするかブウ! まずは森に避難した村の人たちを迎えに行ってあげようブウ」
「はいっ! 皆さんにオークさんが村を守ってくれたことを伝えてきましょう!」
「ふふ、じゃあメリアちゃん、私と一緒に行きましょう。オーク様はここで騎士団の人たちを見張って頂きたいのですが……」
それを聞いていた騎士団員たちが、ビクっと肩をすくめているのが見えた。
投降したとは言え、ついさっきまで狼藉を働いていた連中であることには間違いない。
指揮官が倒されたとしても、ちゃんと見張ってないとダメだろうな。
「ふっふっふ、任せろブウ~! 変な動きをしたヤツがいたら、マルゴルみたいにしてやるブウ~!」
ギラリと赤い目でひと睨みする。
こちらを見ていた騎士団員の中から「ひっ」と悲鳴が聞こえ、より一層てきぱきと動くようになった。
よしよし、そうだ。キリキリ働け。
怠けてるやつがいたら、首を掴んで防具を「パキパキ」言わせてやるぞ。
「ふふ、よろしくお願いします! 行ってきますっ!」
「オーク様、宜しくお願いしますね」
そういって二人は、村の脇にある森の方へと歩き出した。
俺はそれを見送ると、牙製棍棒を掴んで立ち上がった。
あれだけ空を覆いつくしていた雲は、朝の光とともに青空へと変わっていったようだ。
どこからか鳥のさえずりが聞こえてくる。
高山地帯特有のひんやりとした風が広場を抜けていき、夜中の熱を奪い去っていく。
「さぁ~て! 俺も働くかブウ! おい、そこのお前! お前の水筒に入っている水をよこせブウ!」
気合を入れなおした俺はドスンと音を立てて足を踏み出すと、騎士団員のひとりが腰から下げていた水筒を奪い取り、中身をすべて飲み干してしまった。




