第一章 第17話 - 守るべきものブウ -
夜空を覆う雲は刻刻とその厚みを増していく。
すぐにでも雨が降りそうなほどに低くなった雲は、山脈の頂を覆い隠すように空一面に広がっている。
まるでこの異世界全体が蓋をされてしまったのかと思うほどだ。
山々の中腹に位置するデオール村は至る所で炎の赤い光が揺らめき、上空へ熱風を巻き上げている。
その村の中央に位置する家々に囲まれた広場では、炎のごとく激しい感情を燃やした俺が、その全身を以て怒りを露わにしていた。
「ブフッ……! ブフウッ……!!」
豚鼻から噴き出す白い呼気、握りしめられた牙製棍棒。
俺は赤く光る瞳で周囲を見渡す。
荒らされた家屋、割られた窓、燃えた納屋、踏み荒らされた畑……
夕方訪れたときに目にした美しい村の景色は、たった数時間のうちに赤と黒に塗りつぶされたかのように壊されてしまった。
やったのは、おそらく全部あいつらだ。
黒い重鎧を着て、両手剣と複合弓で武装した集団。
悪名高き、王都の騎士団。
「い、痛てて……く、くそッ! 今のは例のオークか!? 本当にあの小娘を助けに来やがった……!」
メリアの髪を掴んでいた男が、身体についた瓦礫をバラバラと落としながら立ち上がって来た。
着地の際の衝撃波で納屋の脇にあった物置まで吹き飛ばしてやったが、傷を負わせるまでには至らなかったようだ。
そいつの部下と思われる者たちが数名、その男を支えようと駆け寄ったが、男は差し出された手をギロリと睨むと払いのけてしまった。
善意で近寄ったはずの部下に対し、怒声を発する。
「バカ野郎! 俺は一人で立てる! あ!? それよりもお前、納税公証人の女はどうした!? さっきまでお前が捕まえていただろ!?」
「そ、それが……す、すみません! さっきの衝撃で自分も飛ばされてしまい、その隙に逃げられて……」
「な、何だとおお!? バッカ野郎おおお! あいつに逃げられたら何もかも終わりだ! ま、まだ近くにいる! お前は死ぬ気であの女を探してきやがれええ!!」
八つ当たりに近い怒鳴られ方をした部下は、慌てて駆けていく。
周囲では、先ほどの俺の怒りの叫びを聞きつけた騎士団員たちがわらわらと集まりだしていた。
「さっきの大声は何だ!? あいつが喋るオークか!?」
「ま、まさか本当に現れるなんて……?!」
「全員広場に集まれーっ! 剣を持ってこい!」
「お、オークの討伐なんて初めてだぞ!? 本当にいけるのか!?」
と、怒鳴り合いながら間隔を開けて整列していく。
村の奥にある家を物色していた連中も、次々と広場に集まってきているようだ。
広場から外に繋がるすべての小道に数名ずつ陣取ると、騎士団の男たちは皆一斉に背中の剣を抜いた。
引き抜かれた刀身が鞘口に擦れるジャリンという音が幾重にも聞こえると、皆訓練されたように同じ姿勢で剣を構え、その切っ先をピタリと俺に向けた。
先端がわずかに震えているのが見える。
その間から見えるはるか後方で、先ほどの指揮官と思われる男がこちらを指さしていた。
「や、やっぱりオーク野郎だったか……! てめぇ……さ、さっきはよくもやってくれたな! だが、よくぞ来てくれた……こっちはお前を殺すために探し回ってたんだよ……!」
うすら笑いを浮かべているが、その顔は汗でびっしょりになっている。
先ほどから偉そうなことばかり言っているものの、一向に前に出て来ようとしていない。
何人もの騎士団員のずっと後ろの方でようやく頭が見えるかという位置から、やかましく指示を出している。
「マルゴル隊長ぉーッ! や、やりますかぁ!?」
「いいや、まだだ……! この大人数だ、オーク一匹に負けるなんてことはありえないが、余計な損害を貰う訳にもいかねぇ……。複合弓隊の弦が張られるまで待て……! 矢を射かけたあと、俺の号令で切りかかるんだ、いいな!」
マルゴルと呼ばれた男は、広場を取り囲む部下たちに向かって命令した。
どうやら剣を抜いている連中以外に、どこかで弓矢を準備している奴らがいるらしい。
「おい、マルゴルとかいう奴! そんなにご丁寧に作戦をベラベラ喋ってたら、俺にも丸聞こえだブウ!」
「しゃ、喋ったァァア!? ま、マルゴル隊長ぉ! あのオーク、やはり噂通り人語を理解しています!」
「ぬえぇッ!? く、くそォッ! 作戦がバレちまった……! て、てめッ! オークのくせに人語なんか喋ってるんじゃねえ!!」
「うるせぇブウ! オークが人間の言葉を喋って何が悪いブウウ!」
なんとも間抜けな問答だ。
こんな連中に、このデオール村が滅茶苦茶にされてしまったのかと思うと余計に腹が立つ。
特に指揮官ぶっているマルゴルという男は、メリアに乱暴をしていた張本人だ。
俺個人的にはこいつにだけ格別の恨みを抱いている。
拷問にかけてやってもいいだろう。
縛り上げて、叩きのめして、全身にカデンの果汁を塗りたくって痒みで発狂させたあと、馬車で轢いてやりたい。
そんな恐ろしい復讐計画を思い描いていると、不意に後ろから声をかけられた。
「……オ、オーク殿…………!」
見ると、地面に倒れているダナク村長が上半身を起こして呼んでいた。
騎士団の連中に暴行されたのだろうか、口からは血が滴っていて服は土で汚れている。
傍らにはメリアがおり、ダナク村長の肩を抱えて優しく抱き起していた。
「ダナク村長、ごめんブウ。イヤな予感がしたから、また来ちゃったブウ」
「……違うのだオーク殿、謝るのはワシのほうだ……」
ダナク村長は悔しそうに俯き、地面に向かって言葉を絞り出す。
「ワシは自分の判断でお主を追い返した上、愚かにもこんな連中を村に入れてしまった……。ワシの過ちのせいで、こんな……!」
「ダナク村長っ! まだ動かないで……!」
メリアに支えられながらもゆっくりと膝立ちになっているが、怪我の状態は芳しくなさそうだ。
夕方に見た時とはまるで異なり白髪はぼさぼさに乱れて、立派だった顎鬚は血で薄暗く汚れている。
「し、しかし……何故戻って来たのだ……。奴らはお主を殺すために探していた! 今ならまだ逃げられるかもしれない……今すぐメリアを連れて、この村から逃げるんだ……! でないと、お主まで奴らに殺されてしまうぞ……!」
「そんな……ダナク村長っ! 皆を置いて逃げるなんて、私……そんな事できませんっ……!」
「ひゃっははは! 無駄だぁぁ! 逃がさねえぞ、浅知恵のオークめ!! 俺たちは魔物の討伐を生業としている王都の騎士団だぞ! てめぇなんざ、あっという間に片付けてやるぜぇぇ!」
上空へと舞い上がる熱気とともに、全員が声を荒げている。
まるで映画のクライマックスシーンだ。
この小さな山間の村、真夜中の闇のなかにいくつもの感情が渦巻いている。
俺は炎の光に照らされ赤黒く見える雲が広がった空を見上げた。
「みんな、勘違いしてるブウ」
俺は豚鼻から大きく息を吐くと、少し顔を伏せて一歩前に出た。
ドズンという足音が響き、その場にいる全員が俺を見る。
たった一歩を踏み出しただけなのに、広場にはただならぬ緊張が走る。
「俺は浅知恵でここに飛び込んできた訳じゃないブウ!」
「ぬぅっ!?」
もう一歩。騎士団の連中が身じろぎ、鎖帷子の擦れる音がチャリチャリと鳴る。
牙製棍棒を握る掌から、ぎりっと握りしめる皮膚の音が響く。
「俺は逃げるつもりなんて最初から無いブウ!」
「お、オーク殿……」
また一歩。迫力に気圧されて、騎士団の前衛たちがじりじりと後ずさる。
湯気を立てるほどに熱を帯びた全身の筋肉が、みしりと音を立てて盛り上がった。
「俺がお前たちに負けるワケなんか無いブウ……!」
「お、オークさんっ……!!」
力を込めて、一歩。ズシンという足音とともに、広場の地面が陥没する。
ゆっくりと顔を上げると、オークの赤く輝く眼光がマルゴルたちを射抜いた。
俺は怒っている。
だが、口元は笑っていた。
この異世界に転生してから、俺の目に入るものは美しいものばかりだった。
雄大な自然、神秘的な夜、苦労しながらも楽しい生活。
そして出会ったメリア、過ごした時間、初めて見たデオール村。
何もかもが美しい、人間のまま生きていたら一生出会えなかった光景。
その美しい世界にも、それらを壊す奴らがいることを知った。
そいつらは俺が出会った大切なものを壊した。
許すことなどできない。
俺がこの異世界に来た意味があるとするならば
それはこの美しい世界を、そこで暮らす人たちを守るためだ。
誰にそう言われた訳でもない。
だが俺の中で芽生えたその気持ちは、俺のことを強く突き動かした。
この身体、この力が、誰かを守るために使えるのならば
俺は今日、ここで戦うんだ!!
「よぉく聞けブウウ! 騎士団どもおおおおおお!!」
右手に掴んでいる牙製棍棒を勢いよく振り回し、地面に打ち付ける。
俺は、胸を張って名乗り上げた。
「俺はオーク!! このデオール村を守る者だブウ!! 俺がここに来たからには、もう村の人たちには指一本触れさせないブウウウウウ!!」
夕方からなにも口にしていない。
水を飲もうとした直後に走り出してしまったものだから、喉もカラカラだ。
だがその渇きと飢餓感が、俺の闘う意思をより強くしてくれている。
走ってきた疲れなんて、メリアの顔を見たら吹っ飛んでしまった。
さぁて、もうひと頑張りしようじゃないか。
「……オークさんっ……」
後ろでダナク村長とともに立ち上がっていたメリアが、俺を呼ぶ。
「オークさん……あなたは……なぜ私たちを、ここまで助けてくれるんですか……!?」
「オ、オーク殿……!」
俺は二人に言葉ではなく、ニカッと笑顔を返す。
俺は人間の心を持ったオーク。
そしてメリアは、そんな俺の心を受け入れてくれた、この世界で最初のひとり。
彼女と、彼女の大切なもののためならば、何だってやってやる!
「ダナク村長! 俺はあの黒い鎧の男たちを全員ぶっ飛ばす! それでいいかブウ!?」
ダナク村長は、伏せていた顔を上げた。
その目にはじわりと涙が浮かんでいる。
しかしその瞳は、先ほどまでとは違って力強い意思を感じる瞳に戻っていた。
ダナク村長は意を決したように頷くと、いつもの掠れた声とは違う張りのある声で叫んだ。
「ああ!! 村の皆を、メリアを守ってくれ、オーク殿!!」
「合点承知! 俺に任せろブウウウウウ!!」
ダナク村長の願いを聞き届けた俺は、牙製棍棒を持ち上げ肩に担ぐ。
大きく左足をあげ、踏み下ろす。四股を踏む動作をして地面を踏みしめた。
小さな地震のような地響きが周囲に発生するほどのストンプ。
自然とこうした動作が出たが、不思議と力がみなぎる。
俺はメリアに目配せをする。
自分がとるべき行動を察してくれたかのように小さく頷くと、ダナク村長をそっと支えながらすぐ隣の大きな扉のある民家の中に入って行った。
さぁ、これで心置きなく戦える。
異世界転生を果たした俺の力
今日ここで、存分に発揮してやろうじゃないか!!
「な、舐めやがってオーク野郎め! お前ら、もういい! やっちまえぇ!!」
「マ、マルゴル隊長!? 弓矢の準備ができるまで待つのでは……!?」
「う、うるせぇ! 俺が行けと言ったら行くんだよ! あんな奴、剣だけで十分だ! さっさと行けぇぇ!!」
マルゴルの号令で、十数人ほどの部下たちは戸惑いながらも突撃してきた。
どうやらこのマルゴルという男は、まるで定見の無い人物のようだ。
指揮官のでたらめな号令のせいで、部下たちの歩幅はバラバラで連携が取れているとはとても言い難い。
いくつもの鉄靴が地面を蹴る度に、やかましい音が鳴り響く。
部下たちが徐々に迫る。
俺は牙製棍棒を思いっきり後方に振りかぶると、ありったけの握力と筋力をつかって目の前の地面に打ち下ろした。
地面に当たる直前、棍棒の先端が妙に重くなるのを感じる。
負けじと右手に力を込めると、次の瞬間に何かを破いたような衝撃とともに棍棒が打ち下ろされる速度が増した。
あまりの馬鹿力で棍棒を振った結果、どうやら音速の壁を超えてしまったようだった。
「ふんがああああああああああああああああああああああああ!!」
オークの筋力、牙製棍棒の重量、振り下ろされる遠心力に、さらに音速突破時の衝撃波が加わった結果……
騎士団員が迫りつつあった地面は、まるで炸薬が破裂したかのような爆音とともに広範囲に渡って抉れ飛ぶ。
俺を切りつけるために突進していた騎士団員の十数名は、この衝撃波の直撃を受けた。
両手剣を振りかぶったままの体制で後方に吹き飛んで行く。
ある者は住居の壁に叩きつけられ、ある者は畑への坂道を落ちて行き、またある者は後方で待機していた別の騎士団員に直撃して昏倒した。
バタバタと倒れていく騎士団員。
突撃していった十数名は、わずか一撃で残らず無力化されてしまった。
その向こう側で、ようやく見えるようになったマルゴルがあんぐりと口を開けたままブルブルと震えている。
「んな……!? バっ、馬鹿……な……!? 何が起きたああああああああ!?」
「さぁ、次は俺が仕掛ける番だブウ!」




