1 カミングアウト
拙著『ダンジョンメンタルクリニック』の主人公に焦点を当てたスピンオフです。
本編では、あまり触れていない主人公の過去についてのお話ですので、未見の方は、併せて本編もご覧いただけたら幸いです。
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「孝浩、医学部に入ったからって油断するなよ」
お前の言いなりで医大に合格してやったんだから、たまには子供のことをほめるとかできないのか。
私は「うん……」と、気のない返事をした。
父親は、そんな私の気持ちにはお構いなしで、延々と説教臭い人生訓を垂れ流し、唐突に「欲しいものはあるか」と聞いた。
「え……?」
私は純粋に驚いて聞き返した。子供の誕生日プレゼントに、知育玩具を買い与えるような父親が、私に「欲しいもの」を聞いたのが意外だったのだ。
父親の真意がわからず、気まずい沈黙がリビングに広がる。テレビでは、昨年S県に出現したというダンジョン『樹界深奥』についてのニュースが流れていた。
「本当に欲しいものを言って…… いいの?」
私は意を決して沈黙を破る。
「ん? ああ。何が欲しい?」
私の真剣な様子に、少し戸惑いつつ父親が言った。
ダメだ、この父親に、私が本当に欲しいものなんて言ってはいけない。
心の中で、激しい葛藤が生まれる。
でも、言って楽になりたい。自由になりたい。
「…… おっぱいが……」
私は、意を決して小さな声で言った。
父親は「え? なんだって?」と言い、じれたように聞き返した。
「私は…… おっぱいが欲しい」
こんどは、父親の目を見てはっきりと伝えた。
父親は、その時はじめてその存在に気付いたかのように、斜め向かいに座っている母親のほうを見た。
母親は元看護師で、父親と結婚して専業主婦となった今も、医師である父親の世話を献身的に行っている。
もちろん私の世話もしてくれていたが、それは父親の機嫌を損ねないため、というように思えてならない。
そのような母親にとって、今の状況は非常にまずい。突然息子が「父親の意に沿わない」ことを言い出し、父親は黙って母親を責めるような目つきで見ている。
「孝浩ちゃん、何言ってるの?」
父親からの無言のプレッシャーに負け、母親はおろおろしながら、とりあえず言葉をつないだ。もう少しで「頼むから、これ以上父親の機嫌を損ねるようなことを言わないでくれ」という本音が出てしまいそうな勢いだ。
「私は、これまで自分のことを男だと思ったことない」