第四十一話 戦いの終わりに
王の間──
玉座に座る男は、笑っていた。
男の周囲には、誰もいない。
守る筈の兵士も、仕えるはずの高官も誰一人として残っていなかった。
誰もいない空間に、乾いた王の笑い声だけが不気味に響いていた。
「ほう。愚息は負けたようだな。まあ、もとより期待などしておらん。役立たずめ」
一言一句、前回と変わらない言葉を吐く男に、ルシアはため息をついた。
それを見咎めた王が、苛立たしげに口を開く。
「なにがおかしい」
「あなた、なんで一人なの?」
ルシアの言葉に、マレディア王の濁った小さな瞳が見開かれた。
「なっ──」
自分でも自覚はあったのだろう。
誰一人、自分に真に従っていたわけではなかったことに。
最後の最後の局面で、誰もが彼を見捨てたことに。
広すぎる玉座にただ一人、偉そうにふんぞり返るその姿は、かえって滑稽だった。
なぜこんな男が怖かったのか、憎かったのか。
全くもって理解できない。
「うっ、うるさいっ!」
喚き散らしたマレディア王が、身体を揺らし、玉座の後ろからなにかを持ち出した。
それを見たルシアは、即座に魔法を展開する。
「なっ!」
ピクリとも動かなくなった身体に、今さら恐怖を覚えたのだろう。
男の瞳は大きく見開かれ、痙攣する瞼だけが小刻みに震えていた。
「回収させてね」
マレディア王が取り出したスイッチを、ゆっくりと近づいたルシアは奪い取った。
それは、城の起爆装置だった。
前回、この城はそれによって爆破されたのだ。危機一髪、ルシアたちは脱出することが出来たが、逃げ遅れた兵士もいただろう。
自分だけが死ぬならともなく、死の間際にもなって醜く足掻くこの男の心情は分からなくもないが──
だが、だからこそ、見逃すことなど出来なかった。
「ルシア、こいつはどうする?」
殺すか、と。大佐の静かな視線が問いかけてくる。
ルシアとしては、どちらでもよかった。もう怒りすら、どこか遠くへ置いてきてしまったから。
だが──そんな綺麗事は人々には通じない。
彼に家族を奪われた人々は、村を焼かれた人々は、少なくない。
この男が生きている限り、憎しみの連鎖は続いてしまう。断ち切るには、この男を殺すしか思い浮かばなかった。
そして──その役目は、大佐に背負わせるべきではない。
「ん、大丈夫」
ミアにさえ、それを背負わせたくなかった。
そんなことのために、彼女の力を使いたくなかった。
彼女の魔法は──とても美しいものなのだから。
そっと手を上げたルシアに、大佐はルシアがなにをするか、察したのだろう。
「待てっ」
彼の言葉が響くと同時に、ルシアの魔術が展開された。
風の刃が、玉座へと埋まった身体を両断する。
目を見開いたまま、男の身体が静かに崩れ落ちた。
ゴトリ、と鈍い音が王の間に響く。
傷口は見事なまでに凍り付いていて、ミアが最後に手を添えてくれたのだと気づいた。
ルシアは天を仰ぎ、自分の上に浮かぶ妖精へ視線を向け、小さく微笑む。
──彼女は、私に優しすぎる。
すべてが終わったはずの戦い。
その結末は、どこまでも後味が悪かった。
⸻⸻⸻⸻
「終わったのかなぁ……」
国奪還の知らせを受け、その知らせは中将の網によって王国内へと知らされた。
国王軍は手のひらを返したように、ルミナリア軍へと従っているらしい。
全土へ掌握するための高官を事前に把握しているとは、中将の先を見る力には舌を巻いた。
マレディア城は、集まっている人々に向け宿として一部を除き開放している。だが、騒ぐ方が楽しいと、轟々とした火を灯し、その周りに円となって歌い踊っていた。
そんな人々を、ルシアは目を細めて城の高台より眺めていた。
いつの間にか、大佐が横へと現れた。
「結局……君一人で終わらせてしまったな」
「ん……? そんなことないよ。これだけの人が背中を押してくれたから、私も迷うことなく歩けたんだよ」
同じように下を見下ろした大佐の横顔は、清々しくも未来へと明るい希望に満ちていて。それがとても今のルシアには眩しかった。
時を戻り、精霊国への入り口を開いた。
王国もこの手に手に入れた──
だけど、
隣に立つ男の顔を覗き見る。
この人は、どうなんだろう。
初めはただ、大佐に一緒にいて欲しかった。
彼に、ルシアを、見て欲しかった。
だけど──
この人は、ルシアのはるか上をいく。
今世では、苦労する姿を見せることを厭いもせずに、自分の想いを隠さず伝えてくれる。
自分は、どうだろうか。
ふっと息を吐いて、人々へと視線を戻す。
「ルシア」
「……ん?」
僅かに返事が遅れ、声が震えてしまい慌てて背筋を伸ばした。
「私は、騎士を辞めないよ」
「それって……つまり……」
騎士と王女の恋はない──
そう言ったのは、彼の方で。
好きだと言ってくれた、待っていてほしいとも言われた。
だけど、まだ、駄目なのか。
賑やかな人々の声が、遠く聞こえて、明るい炎が滲んで見える。
「そっか……」
「今度……旅行に行かないか?」
唐突に切り出された
「旅行……?行っている時間、なくない?」
これから先は、国を建て直すのにルシアには時間がない。まぁ大佐にはあるかもしれないけれど……
とてもではないが、今抜けられては困る。
「行かなくてはいけないだろう、挨拶に」
「……挨拶?今回の人たちには結構もう会えたけど」
夕方、顔を合わせた未来の高官たちの姿を思い浮かべる。どの顔も希望に輝き、やる気に満ち溢れていた頼もしい面々。
そんなルシアの答えに、なぜ分からない?というように大佐がため息を吐いた。
「精霊国の、国王陛下にだよ」
「えっ……」
確かに、行かなくてはいけないと思ってはいた。少なくとも、この戦いを終わらせた暁には。
「王族しか行けないよ……?」
顔を見たい。けれど、見られない。
自分の望む答えではなかった時、どんな顔をすればいいのか分からなかった。
だって──それって、つまり……?
不意に、大佐が膝をついた気配がした。
チャリ、と小石を踏む音が、やけに大きく耳に響く。
恐る恐る視線を向ければ、さらりと落ちた黒髪がその表情を隠していて、窺うことはできなかった。
「待っていてくれと──言っただろう?」
「……うん」
知っている。
何度も何度もあれは夢だったんじゃないか、と思ったこともあった。
けれど。時折絡む視線。肩を叩かれる手のひらの温度。「ルシア」と呼ばれる声が少しだけ低くなったこと。
その全てが、あれは夢じゃなかったと伝えてくれて。
ここまで立ち続けることができたのは、あなたを信じることが出来たから。
「私は、騎士を辞めない」
闇に響く声は、低い。
その声は鼓膜を震わせるだけではなく、ルシアの全身を打つようで。
「君だけの騎士になろう」
忠誠を誓うように、そっと左手を取られる。
ひんやりとした手とは対照的に、額へ落とされた熱はひどく熱かった。
動くことなどできるはずもなく、ルシアは息をすることさえ忘れていた。
「あ……の……」
やっとの思いで絞り出した言葉は、みっともないくらいに震えていて。
「私で……いいの?」
「君が、いいんだ」
いつもとは視線の高さが逆転しているはずなのに、ルシアの胸は大佐に鷲掴みにされたように苦しい。
すっと細められた紫色の瞳から、逃れることができない。
「私……汚れてるよ?」
「私がどれだけ殺してきたと思っている」
「けど、それは──っ!」
あなたの意思じゃない。
そう、言いたかった。
言いたかったけど、言わせてもらえなかった。
きつく抱きしめられた腕の中で、ルシアは息を潜めた。少しだけ高い位置から降り落ちる吐息が耳を掠めるたび、心が落ち着かなくなる。
「君は、全てを背負ってしまった」
抱きしめる力が、痛いほど強くなる。
悔いるように零された声が、ルシアの耳を打った。
くすぐるような吐息に意識を乱されそうになる。けれど、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。
「だから!」
「次なんかないには越したことはないが、王座という場所はそんな軽いものではないだろう──きっと、絶対、ある」
大佐は、ルシアの言葉を遮るように続けた。
「次は、君の隣に立つ。そして、君を守る」
「──絶対だ」
言い切ったその瞳に、射抜かれる。
至近距離から落とされた言葉は、力強く、熱を帯びていて。頭がじわりと溶けていくようだった。
そっと身体が離される。
代わりに、角張った大きな手がルシアの顎へ添えられた。
魔術を使えるはずのその手には、銃や剣を握り続けてきた証のように硬いタコがある。
──それが、たまらなく愛おしかった。
「返事は? ルシア」
言葉を返したいのに、漏れるのは熱い吐息ばかりだった。
「あ……ぅ……」
情けないほど、言葉にならない声しか出てこない。
それに、大佐がふっと笑った。耳を掠めるその吐息だけで、心臓が跳ねる。
「声が出ないなら、動きでもいいぞ」
その言葉に、何度も何度も頷いた。
胸がいっぱい──とは、きっとこういうことを言うのだろう。
なんて、残念なほど冷静な自分が頭の隅で囁く。
その様子を見て、満足げに大佐が笑った。紫色の瞳がゆっくりと閉じられ、そっと顔が寄せられる。
至近距離にある熱に耐えきれず、ルシアはぎゅっと瞼を閉じた。
静かに重なった二つの熱が、春の夜へと溶けていく。
欠けることのない満月だけが、寄り添う二人を仄かに照らしていた。
これにて完結です!
なんと書き終わることが出来ました。
本当に感謝です。
次作、妖と棲むアトリエ〜挫折した絵描きは不思議な古民家で幸せを紡ぐ〜 でもお会いできたらとても嬉しいです。
これからもよろしくお願いします。
月焔 レイ




