表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

82/87

第82話 由梨の綺麗も可愛いも掬いたいの♡

 由梨をドレッサーに座らせて、私は自然とその後ろに立つ。


 鏡越しに視線が合うのが少し恥ずかしくて、わざと肩越しに覗き込む形になる。

 そっと肩に手を置いた瞬間、由梨の身体がわずかに強張ったのが、指先から伝わってきた。


 その反応が可愛くて、たまらなくて。

 胸の奥で、心臓がドクンと音を立てる。

 落ち着こうと思うほど、逆に鼓動が主張してきて、息が少しだけ浅くなる。


 はっきり言って、今の私は浮かれている。

 自覚があるから余計にタチが悪い。

 頬が緩むのを抑えきれなくて、口元に力を入れても、楽しさが漏れてしまう。


 学校でメイクしてあげる時間も嫌いじゃない。

 昼休みのざわめきの中で、周囲を気にしながら仕上げるあの感じも、それなりに楽しい。


 けれど、どうしてもみんなの目があるし、嫉妬されないようにって考える。

 学校という規則の場も意識しないといけない。


 そういう“無難なメイク”がウケるのは分かる。 

 でも、誰かを好きになる一番の近道は、正解をなぞることじゃなくて、試して、失敗して、それでも楽しいって思えることだ。


 鏡越しに見る由梨の顔は、近くで見ると想像以上に柔らかい。


 少し垂れた一重の瞳は、伏せると影が落ちて、上げると光を含む。

 派手さはないけれど、その分、感情がそのまま滲み出る目をしている。


 ちょこんと控えめに乗った鼻は、自己主張がなくて、触れたら消えてしまいそうなくらい繊細で。

 唇も薄くて、きゅっと結ばれると不安が、緩むと安心が、そのまま形になる。


 それでも、この輪郭を、由梨自身がこれまでどんな目で見つめてきたのか。

 きっと、褒められるよりも、比べられることの方が多くて、あまり大切に扱われてこなかったんだろうな、なんて、勝手な想像までしてしまう。


 それを今、私はすぐ後ろで見ている。

 由梨自身が、自分の顔に触れて、どうなりたいかを探す、その最初の場所に一緒に立っている。


 胸の奥がじんわり熱くなる♡

 喉の奥がきゅっと締まって、呼吸が少し浅くなる♡♡

 嬉しいとか、楽しいとか、そういう言葉じゃ足りなくて、身体の内側からふわっと持ち上げられるみたいな感覚♡


 由梨の可愛いも、綺麗も、美しさも、尊さも、健気さも♡

 今はまだ輪郭のはっきりしないそれ全部を、私が一緒に掬い上げていいんだって思えることが、どうしようもなく誇らしかった♡♡


 由梨……可愛い……可愛い……っ♡

 あぁっ……♡ もっともっと……可愛いって感じたい……♡

 私……もう無理……好きでいっぱいで……頭がふわふわする……♡♡


「で、メイクを教えてあげるとは言ったけど、由梨はどんな感じのメイクが好きなの? こういうふうにしたいとかある?」

「……えっと、私は沙織みたいになりたい」


 私は、ドレッサーの上に並べたブラシを指先で整えながら、鏡越しに問いかける。

 答えが重くなり過ぎないように、逃げ道を残した聞き方。


 鏡の中で、由梨の視線が一度、宙を彷徨う。

 私の目を見るでもなく、床を見るでもなく、どこに置いていいか分からないみたいに。


 それから、唇をきゅっと結んで、小さく息を吸った。由梨も私も、頬がじわっと赤くなっていくのが分かる。


 これは、由梨のメイクに対する前提と本音を確認するための質問。

 でも同時に、“基本”に入るための大事な入口でもある。


 どの分野でもそうだと思う。

 基礎や下積みと呼ばれる部分の知識や技術には、だいたい決まった型がある。

 自由に見える世界に入る前に、まず守らなければならない形があって、そこでは個性や感覚よりも「外さないこと」が何より重視される。


 それは面白みがない。

 選択肢が少なくて、制限ばかりで、窮屈だ。

 でも、外さないために制限されているからこそ、誰でも同じスタートラインに立てる。


 ただ、それだけでは、どうしても気持ちが追いつかない。正解をなぞるだけの時間は、長くなるほど、目的を見失いやすい。


 自分が何者なのか分からないうちは、好きも、似合うも、全部が曖昧で、不安ばかりが先に立つ。


 そんな時に──

 「この人みたいになりたい」という、分かりやすい拠り所があるだけで、迷いは一気に減る。


 この人みたいになりたい。

 こういう雰囲気が好き。

 そういう、分かりやすくて、仮の目標。


 それが一つあるだけで、選択はぐっと楽になる。迷いは減って、進む方向だけが残る。


 そもそも、私たちが「自分で出来る」と思っていることのほとんどは、誰かの模倣から始まっている。

 言葉の選び方も、声の出し方も、手の動かし方も、歩き方や走り方だってそうだ。

 幼い頃から誰かの背中を見て、無意識に真似をして、失敗して、修正して、ようやく自分のものになる。


 最初から出来たわけじゃない。

 最初から「自分らしさ」なんて、どこにもなかった。


 だから、基本の段階で「なりたい誰か」を選ぶのは、正しい。

 むしろ、それ以外に現実的な選択肢はない。

 相手との距離は近ければ近いほどいい。

 手の届く位置にいて、声や息遣いまで感じ取れるくらいの存在の方が、学べる情報量は圧倒的に多い。


 憧れが強ければ強いほど、真似を続ける理由になる。上手くいかなくても投げ出さずにいられる。

 それは依存でも、逃げでもない。


 まだ自分の輪郭が定まっていないからこそ、一度、誰かの型枠を借りるというだけの話だ。

 型があるからこそ、いずれ「これは違う」「ここは残したい」という選別ができるようになる。


 そんな中で、「沙織みたいになりたい」と言われるのは、やっぱり嬉しい。

 胸の奥で、小さく、でも確かな音が鳴った。


 予想していなかったわけじゃない。

 そう言ってくれたらいいな、という期待が、質問の底に少しだけ沈んでいたことも否定できない。

 そう思いながら聞いたんでしょう、と突かれたら、「そうです」としか答えられない。


 だからこれは、ちゃんとした自惚れだ。

 分かっている。分かっているからこそ、頭の中では有名な女優さんやアイドルの名前をいくつか思い浮かべていた。


 由梨なら、きっとそっちを挙げるだろう、そうしたら私は少し安心して、少しだけ残念に思って、それで終わるはずだった。


 なのに、由梨の一言で、私の中にあったその薄い防御膜が、あっさり溶けた♡

 胸の奥が、じんわりと熱を持つ♡♡


 心臓が一拍、強く脈を打って、次の呼吸が少し遅れる♡

 喉の奥がきゅっと締まって、言葉が詰まりそうになり、無意識に唾を飲み込む♡♡

 肩から背中にかけて、微細なぞわっとした感覚が走り、指先がそわそわと落ち着かない♡


 照れくさいのに、否定したくなくて、顔に熱が集まってくるのが自分でもはっきり分かる♡

 用意していた逃げ道も、自惚れを隠すための軽口も、由梨の素直な視線の前では、全部意味を失ってしまう♡♡


 ……ずるい。

 こんなふうに、無邪気な一言で、人の内側を柔らかくしてしまうなんて。


 私は一度、わざとらしく息を整えて、平静を装う。でも胸の奥の温度だけは、なかなか下がってくれない。


「私? でも、由梨と私は骨格も違うし、なんていうかタイプも違うから。由梨は由梨に合ったメイクをする方が、いいと思うけど」


「……ほら、初めは何かを真似るところから始めた方が良いって言うし。それに、沙織は……私の憧れだから。沙織ちゃんみたいになりたいって、ずっとずっと思ってた。だから……どうやったら、沙織みたくなれるか、教えて欲しい」

「……もう。そんなふうに言われたら、困るんだけど」


 私は由梨に言葉を返しながら、少しだけ声のトーンを落とす。けれど、全身がムズムズと痺れて、止まらない。

 誰かの「なりたい」に選ばれるのは、素直に嬉しい。けれど、それをそのまま受け取ってしまうのは、どこか無責任な気もしてしまう。


 由梨は、膝の上で指先が絡まり、ほどけて、また絡める。

 鏡越しに、由梨の視線がほんの一瞬だけ揺れて、それでも逸れない。

 そんな由梨の表情を見ると、私は何も言えなくなる。


 ささやかな抵抗のつもりで言った言葉も、由梨の前では形だけのものだった。

 理屈を並べても、慎重さを装っても、由梨の気持ちは簡単に引き下がらない。


 鏡に映る由梨は、相変わらず少し落ち着きがなくて、視線も表情も揺れている。

 でも、言葉の芯だけは驚くほど真っ直ぐだ。

 一度口にした想いを、自分でちゃんと抱え込んでいる顔をしている。


 ──ああ、見えてしまう。

 私に向けられた信用。信頼。理想の投影。

 そして、憧れ。


 全部が混ざり合ったその視線を向けられてしまうと、簡単に距離を取ることなんて出来ない。

 逃げることも、誤魔化すことも、突き放すことも、どれも不誠実に思えてしまう。


 裏切りたくない、って感情が、考えるより先に胸に広がる。

 由梨の想いの重さに、押し負けるみたいに心が傾いていく。


 敵わないなぁ、なんて思いながら、胸の奥がじんわりと熱を持つ。

 それは負けた悔しさじゃなくて、任されてしまったことへの、静かな高揚だった。


 学ぶことの基本は模倣だ。けれど、それは誰かをそのまま写し取ることじゃない。

 顔立ちや雰囲気、仕草や立ち居振る舞いをなぞったところで、同じ存在にはなれないし、なる必要もない。

 真似るべきなのは、あくまで“考え方”であって、“存在そのもの”じゃない。


 女の子の「可愛くなりたい」「もっと綺麗になりたい」という想いは、とても普遍的だ。

 置いていかれたくないという不安や、ちゃんと認められたいという承認欲求。


 そういった恐怖と願いが絡み合って、自然と生まれてくる感情でもある。

 周囲の視線や評価を意識すればするほど、その気持ちは形を持ち始めて、焦りや比較に姿を変えることも少なくない。


 それでも、それだけじゃ説明できないものがある。誰に見せるでもなく、理由もなく、心の奥底から湧き出てくる衝動。

 「こうなりたい」という、言葉にする前の感覚。


 それをちゃんと拾い上げられるかどうかが、たぶん一番大事で。

 同時に、拾い上げたそれを、現実や周囲の評価とどう折り合いをつけていくのかを考える必要もある。


 私が由梨に教えてあげられることなんて、本当はそれくらいしかない。

 やり方や正解を与えることじゃなくて、考え方の向きと、選び方の基準。

 それ以上踏み込めば、それはもう“教える”じゃなくて、“決めてしまう”ことになる。


 物事の基礎というのは、教える側にとっても責任が重い段階だ。

 今回で言えば、由梨にとっての「可愛い」の基準に、私が深く関わることになる。

 どんな型を最初に渡すかで、その後の迷い方も、進み方も変わってしまう。


 もし、間違った型を渡してしまえば、由梨はしばらく"可愛い"という言葉に迷ってしまう。

 それは自分が悪いとも思えず、でもしっくりこないまま、同じ場所をぐるぐる回るような時間だ。


 私が「いいね」と言えば、由梨はそれを正解として覚える。

 私が少しでも怪訝な顔をすれば、その選択肢は自然と遠ざけてしまう。

 その一つひとつの反応が、由梨の中に積み重なっていく。そう思うと、軽い気持ちではいられない。


 女の子は、どんな瞬間でも綺麗で、美しくて、ちゃんと輝いている。

 それは完成された状態じゃなくてもいいし、誰かに評価される前でもいい。

 メイクをして、もっと可愛くなろうと鏡の前に立つその行為そのものが、すでに光を放っている。


 その光の行き先は一つじゃなくて、無数に枝分かれしていて、可能性はどこまでも広がっている。

 だから私は、その道を狭めるようなことはしたくないし、遮る権利なんて持っていない。


 由梨には、いろんな方法を知ってほしい。

 可愛くなるやり方は一つじゃないってことも、努力や工夫でまだまだ変われるってことも。

 「これしかない」じゃなくて、「こんな選択肢もあるんだ」って、たくさん触れてほしい。

 その中から何を選ぶかは、由梨自身が決めればいい。


 別に、私だけが正解なわけじゃない。

 恵美の軽いギャル風メイクは、気取らなくて、肩の力が抜けていて、それが素直に可愛い。

 莉里の少し強めなギャル風は、可愛いを超えて、近寄りがたいほどの芯の強さと気高さがある。


 結菜ちゃんの、幼さを残したまま華やかさを足すバランスも、守ってあげたくなるような可愛さだ。

 誰かを真似なくても、誰かを参考にしながら、それぞれにちゃんと“可愛い”が宿っている。


 由梨は、その中から何を拾うんだろう。

 どの要素に惹かれて、どう組み合わせて、どんなふうに自分のものにしていくんだろう。


 そう考えた瞬間、胸の奥がきゅっと締めつけられるように熱くなる♡

 心臓の鼓動が少し早くなって、呼吸が浅くなるのがわかる♡♡


 喉の奥がひりっとして、背中をなぞるように小さな震えが走る♡

 期待と高揚が混ざり合って、胸の内側がじんわりと蕩けていく♡♡


 あぁ、由梨。そして、由梨ちゃん。

 貴女が持っている魅力も、揺れる想いも、迷いも憧れも、全部ちゃんと拾ってあげたい。


 無駄にしないし、否定もしない。

 その全部を材料にして、どうやったら由梨が一番輝けるのか。


 どうすれば、自分自身を好きになれるのか。

 大丈夫。可愛くなる方法も、綺麗になる道も、ちゃんとここにある。


 私はその灯りを示すだけ。

 歩くのは由梨自身で、その先にある光は、由梨だけのものなのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ