第10話 ※由梨視点 彼氏と2人で下校デート♡
放課後の帰り道。夕日が傾いて、住宅街の影を長く伸ばしていた。
歩道に並んで歩くのは、私とその彼氏である中村 直樹。さっきまで彼について白鳥さんに相談していたはずなのに、横に彼がいるだけで、胸の中のざわざわは少し和らいでしまう。
不安はある。いつまでこの関係が続くのかも分からないし、幼馴染という付き合う前の関係性すら壊れてしまうかもしれない。でも、彼といると、そんなことは一瞬忘れてしまう。胸の奥が、じんわりと温かく満たされていくのを感じるから。
直樹のことを本当に好きかどうか──それはまだ曖昧だ。けれど、他の人より気楽に話せるし、誰よりも自然に笑える。
それに彼に「選ばれた」んだ、という感覚は確かにある。彼女として私を選んでくれた、という優越感が、この胸の穴を埋めてくれている気がする。
直樹なんかを選ぶ女も他にはいない、なんて流石にそれは失礼か。
だけど同時に、彼を“彼氏”という私の穴を埋めるための消費物のように見てしまう自分に気付いて、胸がぎゅっと締め付けられる。──いつから私は、こんな嫌な考え方をするようになったんだろう。
小さい頃はただの遊び仲間。からかい合って、バカをやって笑って。それだけで十分楽しかった。
今もその頃の関係性の面影は残っている。だからこそ、私が“彼女”として本当に好きなのか、それとも幼馴染としての延長なのか、分からなくなる。
どうせ直樹は鈍いから、私の醜い心の奥なんて気付かないんでしょ。
でも──本当は気付いて欲しい。気付いた上で、それでも「好きだ」って言って欲しい。それがないから、余計に不安で、恐い。
直樹は別にイケメンでもないし、誰かに自慢できるような彼氏じゃない。
それでも「幼馴染」という響きが、私たちを守ってくれている気がする。誰にも文句なんて言わせない。
それは、あの白鳥沙織ちゃんでさえ口にした。「いいなー、そんな恋愛してみたい」なんて──もちろんお世辞だろう。
でも、その瞬間に心がふわっと浮かぶような高揚感を覚えたのは事実だ。背中をなぞられるような恍惚感は、今でも忘れられない。
白鳥さんにそう言われた瞬間、胸の奥で弾けるみたいに熱が広がって、頭が真っ白になった♡
心臓は暴れるみたいに打ち続けて、息を吸うのも追いつかない♡♡
視界がぐらぐら揺れて、声を返すことすらできなかった♡♡♡
嬉しいとか誇らしいとか、そんな簡単な言葉じゃ追いつかない。私の体の奥で、何かが勝手にあふれ出して止まらなくなったみたいだった♡♡♡
……白鳥さんが、そんなふうに言ってくれる人が彼氏なら、抱きしめられたり、キスしたり、その先のことだって許してしまっていいのかもしれない。
頭の隅に浮かぶ「エッチなこと」という言葉が、夕焼けより熱く私の頬を染める。興味がないわけじゃない。むしろ知らないからこそ、その先を覗いてみたい気持ちが強くなる。でも、本当にいいのかはまだ分からない。
……エッチなこと。
白鳥さんとキスの“練習”をしようとしたあの瞬間に思いを馳せる。
白鳥さんはみんなの、そして私の憧れ。
いつも光に包まれてるみたいで、ただそこに立っているだけでみんなを惹きつけてしまう。
優しい声も、少しだけ首をかしげる仕草も、全部が絵になる。
彼女の笑顔に見つめられると、胸の奥が痺れて、体のどこかが勝手に震え出す♡
そんな彼女と向かい合っていただけで、まるで自分が知らない誰かに生まれ変わったかのようで、ただ怖いほどに心を奪われてしまった♡
ほんの少し指が触れただけで、胸がドキンと大きく跳ねる。心臓の音がうるさく響いて、息を吸うことさえ忘れてしまう♡
全身がぎゅっと固まり、爪の縁をなぞられたときには、そのわずかな刺激が火のように熱くなって広がっていく。指先から腕の奥へ、そして胸の奥へ。じわじわと広がっていく♡♡
自分の身体の持ち主はもう私じゃない──そんな錯覚に囚われて、触れられた箇所の所有権を白鳥さんに明け渡してしまった気さえした♡♡♡
椅子を傾けられて立ち上がったときには、まるで糸で操られる人形のように、全身が白鳥さんの望みに合わせて動いていた。そのことに、どうしようもない恍惚感を覚えた。自分が「動かされている」ことすら嬉しかった♡
手を握られて、指を絡め取られた瞬間には、私の心ごと捕まえられたみたいで、もう頭の中には白鳥さんしか存在しない♡
腰に触れられたとき、びびっと電気が全身に走って、息を飲んだ拍子に身体が固まって、力が抜けたまま動かなくなる♡♡
背骨を一本一本、光の波が駆け抜けていくようで、全身が壊れてしまったのかと本気で思った♡
腰に添えられた腕に少し力が込められるたび、脊髄に直接触れられているかのように痺れて、甘い電気信号をびりびりと直接流し込まれるようで、全身が甘く震えた♡♡
顔を上げたら、すぐそこに綺麗な白鳥さんの顔があって。ほんの少し見下ろされてる感じで、その瞳の中には確かに私だけが映っていた♡
教室でも廊下でも、いつも誰よりも輝いていて、誰にでも優しく、完璧で美しいと評される白鳥さん♡♡
その彼女が、今だけは他の誰でもなく、私一人を見ている。その事実に、胸がいっぱいになって、脳の奥が痺れるように熱くなった。幸福感が波のように押し寄せて、息が浅くなる♡♡♡
たくさんの「好き」っていう白鳥さんの声が、まるで魔法のように耳の奥に染み込んで、私をまるごと縛りつける♡
体も心も魂も、すべてがその言葉に支配される。私はこの瞬間のために生きてきたんだって思ってしまうほどで、ここで全てを差し出してもいい──そんな気持ち♡♡
ゆっくりと近づいてくる白鳥さんの唇を見たとき、私はただ自らを捧げるためだけの供物になった♡
瞳を閉じて、ただ奪われるのを待つだけの時間が永遠のように感じられた♡♡
けれどその圧倒的な幸福感が、逆に恐怖に変わって、理由も分からず涙があふれる。
喉が勝手に震え、意識より先に口が動いて「やめて」という言葉を零していた。
触れることもなかった唇。その一線を越えなかったことで、ほんの少しの安堵を覚えた。
あのまま一線を越えてしまえば、この気持ちに取り返しがつかなかったんじゃないか。
けれど同時に、ショックを受けたように後ずさった白鳥さんの姿が、あまりにも愛しくて、切なくて。あの時、全てを受け入れてあげればよかったと、今でも思う。
直樹に告白されたときだって、胸がいっぱいになって、本当に嬉しかった。あの瞬間を嘘にするつもりなんてない。
でも、白鳥さんから「好き」って言葉を聞いたときの衝撃は、比べものにならなかった。心臓が破れそうに高鳴って、体の奥が熱くなって、全身が小さく震えて止まらなかった♡
頭の中が真っ白になるのに、同時に光に包まれたみたいで、ただその一言だけで生きてる全部を肯定された気がした。息を吸うのも忘れてしまうくらい、幸せに溺れてしまいそうで♡♡
どうしてなのかは、私にも分からない。
だけど、こんなふうに他の人に心を奪われてしまう私は、やっぱり駄目な彼女なんだと思う。
もし私が、もっとちゃんと直樹のことを好きになれたなら──。
あの「好き」という言葉よりも、直樹の言葉の方が私を幸せにしてくれるのだろうか。
そのとき、私はようやく「彼女」として胸を張れるのだろうか。
それに、直樹もまだ「彼氏」として、ちゃんと準備が出来てないよね。
幼馴染としての私なのか、彼女としての私なのか。どっちとして扱うつもりなのかを、はっきり決めて欲しい。
今のままじゃ、宙ぶらりんな関係のままで、私はまだ「彼女」って気がしない。
「……今日は先に帰ってていいって連絡したのに。なんで遅くまで待ってたの?」
私が聞くと、直樹はバツが悪そうに目をそらして、頭をかきながらへらっと笑った。
怒られてるのをごまかしてるのか、ちょっと照れてるのか、その顔を見てるとつい笑いたくなった。
「そりゃあさ、由梨のクラスの友達が『由梨が白鳥さんに告白するらしいぞ!』とか言うからさー。『お前ら付き合ってるんじゃないの?』って聞かれたら、そりゃ真相確かめたくなるだろ?」
「それでずっと待ってたの?」
「そうだよ。バカみたいだろ?」
「うん、バカみたい。そんなわけないじゃん」
でも、少し嬉しい。次会う時は白鳥さんにちゃんと彼氏として直樹を紹介できるかな。
でも、さっきみたく私のこと無視して見惚れられるのは嫌だ。
「で、白鳥さんと何話したん?」
その一言に、思わず眉が寄ってしまう。
どうして彼は、そんなふうに踏み込んでくるんだろう。
そして私といるのに、他の女の名前を出すなんて。
「……ないしょ。あまり言いたくない」
本当のこと──直樹との関係を白鳥さんに相談してた、なんて言えるわけがない。
「なんだよそれ。余計気になるじゃん」
「ちょっと相談したいことがあったの! だから話を聞いてもらっただけ」
「それをわざわざ白鳥さんに? 俺に言ってくれればいいのに」
彼からしたら、彼氏の自分にまず相談すべきだろうってことが言いたいんだろう。そう思うのは当たり前で。
でも、それをしないってことは相談しにくい内容だってことも察して欲しい。
「いいでしょ、別に。それより直樹も、さっき白鳥さんのことばかり見てたの、私が気付かないとでも思った?」
「……あー、それは……」
直樹が白鳥さんに見惚れている時、潜在的な恐怖と僅かな苛立ちが私の中を駆け巡った。
直樹を獲られるかもという恐れと、相手にされるわけないものに揺らいでいるそのバカさ加減に。
「ほら、言葉詰まった!」
「ち、違うって! 由梨と白鳥さんの組み合わせが意外で、ちょっと気になっただけ!」
「はぁ? そんな言い訳が通じると思ってる?」
「言い訳じゃないって!」
「もう……そういうところがイライラするの! 私より白鳥さんの方が可愛いから見惚れてたって、素直にそう言えばいいじゃん!」
「はぁ!? そんなの言えるわけないだろ!」
「ほら、やっぱりそうなんじゃん」
「え、なんで俺怒られてんの!? 理不尽すぎる!」
「うるさい! もう知らない!」
「ちょ、待てって。ごめん、ごめんって!」
私は怒りにまかせて、駆け足で直樹を追い抜いて行く。背中に夕日が刺す。なのに、彼は言い訳するように少し速足になるだけで、ギリギリ追い着いて来ない。胸の奥がきゅっと冷たくなる。
「ったく……」
直樹の呆れる声が遥か後ろから微かに耳を掠めた気がした。
ねえ、なんで走って追いかけてくれないの。なんで「お前が一番可愛いよ」って言ってくれないの。白鳥さんは言ってくれたのに。どうして一番言って欲しい人から、その言葉が貰えないんだろう。
もし貰えたのなら、本当の直樹の「彼女」になれるかもしれないのに。ねえ、どうして……




