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9 感性

 太陽はいつも赤くなんてない。

 だから、私は白い太陽を描いた。

 ひまわり畑に麦わら帽子の私。青い空に真昼の──白い太陽。

 ──奈緒ちゃん、お日様は赤でしょう

 幼稚園の先生が、笑顔でやんわり言った。

 私は窓の外を見る。ほぼ真上にある強い光を放つ夏の太陽は赤い色じゃない。

 赤いお日様がどこにあるの。私には見えない。

 ──赤で描こうね。その方がきれいよ

 白ではいけないの?

 白はきれいな色じゃないの?

 私はクレヨンの箱を前に、俯いて……。


「それで、描き変えたの?」

 星志に聞かれて、私は首を振った。

「覚えてないの。……多分、描き変えたんじゃないかと思う」

 でも、私には白い太陽の絵しか記憶がない。描き変えたとしても、それは『私の絵』ではないから記憶に残らなかったのだろう。

「僕にもそういうの、あるよ。幼稚園でトナカイのソリじゃなくてヨットに乗ってるサンタクロースを描いた時に」

「ヨット? どうしてヨットなの?」

 星志は軽く笑った。

「同じこと、言われた。なぜヨットなの、ソリは、雪は、って。……僕は南半球のサンタクロースを描いたんだけど」

 父親から地球の下半分はクリスマスの頃は夏だと聞かされて、夏のクリスマスのサンタクロースを描いたつもりだったのだそうだ。

「星志って……変わってる」

「奈緒に言われたくないよ。僕は白い太陽なんて描いたことないもん」

 でも、と星志は空を見上げる。

「今、幼稚園に戻って夜空を描けって言われたら、黒なんかで絶対描かないね」

 確かに。少なくとも今見えている夜空の色は、黒じゃない。

 グレー、と言えばいいのだろうか。繁華街のある方などは街の明かりのためか薄いオレンジ色を帯びて、イメージする夜空の色とはかけ離れている。

「人工の明かりのない所で、真っ黒な空を見たいよ。そういう場所じゃないと、星もきれいに見えない」

「例えば……アメリカあたりの荒野、とか?」

「うーん、それもいいけど、僕、モンゴルの大草原に行ってみたいよ。地平線ってのも見てみたいんだ」

 見渡す限りの草原。夜には満天の星。私も見てみたい。

 星志と一緒なら。



 昼休み、変にオロオロしながら柚木君が教室に駆け込んできた。

「あ、久保田、ちょ、ちょっと」

 近頃彼は私を敬称の抜けた呼び方で呼ぶ。席が隣になってからよく話すので、親しみの現れらしい。

「これ、どうしたらいいんだ?」

 近づいて来て、彼は両手で包み込んだものを私に見せる。彼の手の中で小さな雀が震えていた。

「こいつ、飛べないみたいなんだ。弱ってるし……なあ、どうしたらいい?」

 巣から落ちたのか、でなければまだ巣立ちの練習中の子雀なのだろう。

「久保田はいろんな本読んでるだろ。雀の飼い方の本読んだことないかな」

 杉野さんも一緒にいたのに仲のいい彼女でなく私の方を呼んだのは、単に偶然視線が合ったからかと思えばそういう訳か。

「どうしたのよ、どこで拾ったの」

 私の横から覗き込んだ杉野さんの問いに、彼は顎で窓の外を指す。

「中庭。なあ、どうしよう。このままほっといたら、死ぬよな」

「でも……雀って、人が飼うのは難しいって聞いたけど……」

 野鳥は弱い。人の手に慣れる前に死んでしまう。それ以前に野鳥を拾うのは推奨されていないし、どこかに届け出も必要だったはずだ。

 けれど彼は私の言葉に首を振った。

「だからって、ほっとけないだろ」

 教室にいた他の子たちも集まってきて、柚木君の手の中の小さな命に見入る。

 彼と同じ、優しい瞳で心配そうに。

「なあ、世話の仕方知らないか」

 柚木君の必死の問いかけに、私は以前誰かから聞いた話を思い出した。

「あの……私は世話の仕方は知らないけど、理科の織部先生が巣から落ちた子雀を自分で育てて自然に帰したって話を聞いたことがあるの。だから、織部先生なら色々教えてくれると思うんだけど。もしかしたらこの子も引き取ってくれるかも……」

「織部先生? 織部先生だな。わかった。ありがとう」

 柚木君は教室から走り出た。

 彼が教室を出て行くと、みんな口々によかったねと言って笑った。

 でも、よかったと言うにはまだ早いんじゃないだろうか。まだあの子雀を引き受けてもらえた訳でもないのに。引き受けてもらえたとしても、無事育つという保証もないのに。

 ……そんな考えをするのは、多分私一人だ。

 その証拠に、みんなもう安心して子雀の事など忘れて別の話を楽しんでいる。

 私だけが子雀の死を予想して、取り残されている。

 ──だからって、ほっとけないだろ

 柚木君の言葉が胸の中でリフレインする。

 自分の手には負えないものでも見捨てられずに拾ってくる、私にはない熱さ。

 私なら……手を出さない。自然は自然のままにと言い訳して。

 手を尽くしても目の前で死なれるかもしれない悲しみから目を逸らすために。

「あの雀、大丈夫だよね」

 杉野さんの少し不安そうな声に、私は笑顔で答える。

「うん、大丈夫よ、きっと」

 自分でも信じていない言葉でも簡単に言えてしまう私は──。

 やっぱり人ではないのだ。



 子雀は織部先生が引き取ってくれたそうだ。

 その夜、私は子雀の話を星志にした。

 星志は、助けるのも、見捨てるのも、所詮人間の側からの視点だから正解なんてない、と言う。

「生き物の生死は自然の流れだよ。自然はたかだか人間のちっぽけな意思でどうにかなるようなものじゃないんだから、結局は関わった人の自意識の問題じゃないの?」

 子雀を助けてやって、助かったら満足感得る。

 見捨てて、死んでしまったら罪悪感を背負う。

「……でも、普通なら助けたいって……思うよね」

「……場合によっては助けるより見捨てる方が辛いってこともあるよ」

 奇妙に重い、星志の言葉。

 何かを見捨てて傷ついたのか、今も見捨てられなくて苦しいのか分からないけれど。

 私にはまだ踏み込めない領域ある。

 どこまででも近づきたいのに。



 子雀は二日後に死んだ。

 柚木君が見つけた時点ですでに弱り過ぎていて、餌を食べる力もなかったのだそうだ。

 子雀の死を知って、柚木君はその日一日元気がなかった。

 それでも彼なら、また同じような子雀を見つけたら拾ってくるだろう。

 ほっとけない。

 そう言って。 

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