#92 舞踏会も靴を履かなきゃ踊れない
縄跳びを買い終え、ランニングシューズを求めて靴屋へ向かう。
「わぁ……こっちもたくさんあるね」
小野寺の驚きはもっともだろう。さっきまで見ていた縄跳びとは比べ物にならないくらい、ランニングシューズの数は多岐に渡っていた。
こういう時は店の人に一から教えてもらって買うのがいいんだろうけど、俺には翔太というトレーナーがついている。
『まず初心者におすすめなのは、衝撃を和らげるクッションが入っていたり、左右のブレを抑える構造をしているものだよ』
ランニングフォームの安定していない初心者は、補助的な一足から始めるといいらしい。
さすがに靴は試してみないと、何も分からない。俺は近くにあった”足の負担を軽減する”と銘打っている一足を手に取る。
「ちょっと試しに履いてみたりするので、時間かかるかもしれません」
「いいわよ、気にしなくて。私達が間宮君の買い物に付き合ってるわけだし」
「そうだよ。だから気にしないでじっくり選んでね」
二人の言葉は、ありがたくはあるが申し訳なくもあった。なるべく早く選び終えたいものだ。
俺は椅子に腰かけ、翔太が言っていた靴選びの極意を反芻する。
翔太曰く、試着のポイントは三つある。最初にかかとを合わせ、次に靴紐をつま先から順に締め、そして最後に足へのフィット感を確かめるそうだ。
慣れないながら、一つ一つ順に行っていく。……この靴は俺の足の形には合っていないみたいだな。足への締めつけが強く感じる。
自分の靴に履き替え、元の場所に戻すついでに新しい一足を見繕う。だが、中々理想の一足に出会うことができずにいた。その結果、椅子と売り場の往復作業は数を重ね、五回を超えたあたりから、それを気にかけるような小野寺の視線が刺さり始めていた。
「光君……どう?」
「あんまりかな……」
本筋に迫らない小野寺の問いに、俺も濁した答えを返す。
「良かったらなんだけど、私が靴持ってこようか?」
「それはちょっと……」
「何度も靴を履き替えて売り場に取りにいくの大変じゃない?」
だからといって小野寺を顎で使うのはダメだろ。
しかし、俺が答えを渋っている間に小野寺が行動を起こしてしまう。
「光君はそこで待ってて……! 私が取ってくるから」
勇み足で背を向ける小野寺を止めようと、慌てて立ち上がる。けど、それがいけなかった。
まだ履きかけの足元はバランスを崩し、前のめりになった体が小野寺へ倒れ込んだ。
「うわっ!」
「きゃっ!」
二つの悲鳴が店内に響く。直後、衝撃が引き暗転した視界が光を取り戻し始める。
同時に柔らかな香りが嗅覚を刺激した。
「っつつ……――!」
俺の目に信じられない光景が飛び込む。
「ひ、光君……?」
戸惑った表情を見せる小野寺の顔を、俺は見下ろしていた。
小野寺の美しい黒の髪は、放射状に広がりフロアの白との対比を生み出している。その髪の下に、俺の手はあった。
……ぼやかした状況説明で現実逃避するのは止めだ。
俺は、俺は今――小野寺を押し倒している。
「ご、ごめん! すぐ離れるから……!」
動揺した俺の身体は、ギシギシと音を立ててぎこちなく小野寺から距離を取る。
それから俺には、聞かなければいけないことがあった。
「……俺、小野寺に何したんだ?」
自分が犯した事実から目を背けた質問をすると、立ち上がった小野寺は口を開いた。
「靴を取りにいこうとしたら、光君が急に私をその……バンって」
やけに口ごもりながらではあったが、小野寺の説明が全てを証明していた。
……バンって押し倒したんですね、俺が。
「本当にごめん! 俺の不注意だ……」
思いっきり頭を下げ、どうにか俺の誠意を伝えようとする。
「今回は危なかったから、ちゃんと反省してもらいます……。……でも」
「でも?」
思わぬ言葉に、つい頭を上げてしまう。
そこで俺が目にしたのは、なぜかモジモジと照れ臭そうな様子の小野寺だった。
「……嫌じゃなかった、というか……そういう大胆なのも……ありだと思います……」
「……さいですか」
……俺は今、何を告げられたんだ? …………――あぁそうか、反省させた後のアフターケアってことだな……! 小野寺は体を張って、空気を和ませようとしてくれたのか!
妙な納得感で頭を埋め尽くし、違和感や疑問は全て胸の内に押し込んだ。
しかし、小野寺の献身あっても微妙な空気は変えられず、花森先輩に訝し気な顔を向けられたのはここだけの話だ。
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