#86 爽やかなのは見た目だけかもしれない
翌朝、俺の下半身は筋肉痛に襲われていた。久しぶりの痛みのせいもあって、足取りがどうもぎこちない。登校中にそれを指摘された俺は、小野寺に昨夜の話をした。
「そっか、それで筋肉痛なんだね」
「筋肉を使えてる証拠だって喜ぶしかないな……」
翔太の協力を取りつけた後、本格的にランニングが始まった。相変わらずゆっくりではあったものの、走り慣れていない俺からするとそれでも十分過酷だった。
「今日もランニングするの?」
「いや、やりすぎも良くないらしくて、今日は縄跳びで持久力を鍛えるんだとさ」
「縄跳び……。なんだか懐かしい響きだね」
「そうだな」
「(……ランニング用の靴と一緒に、縄跳びを買いに行かないとな……放課後に買って帰れば……)」
ぶつぶつと小声で思考を整理していると、制服の裾がくいっと引っ張られる。
「ねぇ、光君」
「どうした?」
何事もない風を装ってはいるが、名前で呼ばれるのにはまだ慣れていない。ハロウィンの一件があったとはいえ、恥ずかしいものは恥ずかしい。逆に、よく小野寺が平気だなと感心している。
「その、買い物に行くなら……私も行ってもいい?」
「買い物って言っても、靴と縄跳び買うだけだぞ?」
「私の為に光君が頑張ってくれてるのに、私何もできてないから。せめて荷物持ちくらいは――」
「それはちょっと任せられないな……」
何より絵面がまずい……。
「私、腕の力には自信あるよ!」
俺の懸念とはズレた方向で安心させようと、小野寺は両腕の力こぶを誇示するように示す。しかし、制服に隠されたそれは俺からは全く見えなかった。
「ふっ……」
「光君、なんで笑ってるの?」
「なんか可愛らしいなって思って」
「か、かわっ?! ……分かった、子どもっぽいって言いたいんでしょ!」
口を尖らせて怒りを表現する小野寺を見て、俺は前にしたやり取りを思い出していた。
『間宮君、なんで笑ってるの?』
『いや、子どもみたいなことするなって思って』
『子どもじゃないよ! ……私は立派なレディです』
あの頃から比べて、小野寺との距離は近くなったのだろうか。あれから文化祭を経て、矢野の転入、定期テスト、生徒会選挙と色々な出来事を小野寺と共有した。そのどれもが大切な思い出だと胸を張って言える。
そして、これからも思い出を積み重ねる為、俺は弥勒寺先輩に勝たないといけないんだ。
そんな決心と共に、俺は校門を通り抜ける。
その先の昇降口には、何やら人だかりができていた。驚くことに、それを形成しているほとんどが女子生徒だと、遠目からでも分かった。
「なんだか騒がしいな」
「うん……どうしたんだろう」
群衆の一角には、大きな空間が作られていた。というよりも、そこを中心として人が集まっている。――その中心は、奇しくも俺達のクラスの下駄箱のある場所だった。
「やぁ、待っていたよ。――渚さん」
昇降口に足を踏み入れた途端、正面から声がかかる。爽やかな笑顔を見せびらかす男が、輪の中から一歩前に出てきた。
男は丁寧な口調ではあったが、内に秘めた高圧的な声音は隠し切れていなかった。
「弥勒寺、先輩……」
小野寺の呟きが、目の前の人物が誰かを明らかにする。
……そうか、この人が俺の戦うべき相手なんだな。
闘志を胸に留め、俺は小野寺の前に出る。
弥勒寺先輩の冷めた目が、俺を見下ろす。だが、ここで引くわけにはいかなかった。
「……俺達に、何か用ですか?」
「なんだお前。お前に用があるわけないだろ?」
そうぶっきらぼうに言い放ち、俺の肩を掴んで小野寺から引きはがそうとする。足を踏ん張り耐えようとするが、その抵抗は少ししか続かなかった。
乱暴に俺を追いやると、弥勒寺先輩は小野寺に近付いて言った。
「実は、渚さんを昼食に誘おうと思ってね。良ければ、俺と一緒にどうかな?」
そう言って弥勒寺先輩は、先ほどの笑みで小野寺に手を差し伸ばす。
別人、と言っても良かった。俺と小野寺への対応、振る舞い、口振りには天と地ほどの差があった。
驚くほどの二面性。それが弥勒寺先輩に対する第一印象だった。
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