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助けたギャルが高嶺の花だった  作者: 大豆の神
そして二人は――
120/123

#116 君にそれを伝えたくて

 戦いの火蓋は切って落とされた。号砲を合図に、列が一気に動き出す。

 中腹にいる俺は先頭が流れるのを待ち、時間差で足にリズムを乗せる。ふと、前で弥勒寺先輩が振り返っているのが目に入った。


 弥勒寺先輩は俺を一瞥し鼻を鳴らすと、ペースを上げて距離を離していく。


 翔太によれば、長距離走のペース配分は主に三種類あるという。

 常に一定のペースで走るイーブンペース、前半で飛ばし貯金を作るポジティブスピリット、後半で巻き返しを狙うネガティブスピリットと、それぞれに名前がついている。初めて聞いた時は、競馬の戦略か何かかと思ったものだ。

 そして、その分類で考えるなら、弥勒寺先輩の走法はおそらくポジティブスピリット。自信ありげな彼らしいペース配分だといえる。


 一方の俺は、ネガティブスピリットだ。これは単純に、マラソン初心者がペースと体力の管理が難しいからという消去法で選ばれたものだ。

 ……決して、俺がネガティブだって話じゃないからな!


「すっすっ……はっはっ……」


 つまり、今ここで弥勒寺先輩との差が開いても、後半で逆転の目があるというわけだ。だから俺は、下手な焦りでペースを乱すようなことはしない。堅実に、一歩一歩の足取りを大事にすると決めた。

 とはいえ、相手は運動部の元キャプテン。運動能力的に後半でバテバテになるとは考えづらい。離れすぎれば、そのまま逃げ切られてしまう可能性もあった。


「すーっ、はーっ……」


 そんな時の為に、俺は今まで翔太に鍛えてもらったのだ。

 余裕のある今のペースから、ギアを一段上げる。体が風を切る勢いが増し、冬の空気が身に染みる。決戦の舞台だという高揚感からだろうか、アドレナリンが全身を駆け巡り、体がとても軽い。もうしばらくの付き合いになる足元のランニングシューズも、今日はその力を最大限に発揮してくれているようだった。


『……嫌じゃなかった、というか……そういう大胆なのも……ありだと思います……』


 靴選びの時、押し倒してしまった俺に小野寺はこんなことを言っていた。

 ゴールしてから告げる言葉は、我ながら大胆なものになる。それを聞いた小野寺はどんな反応をするのだろう。


「すっすっ……ふっふっ……」


 それからも小野寺との思い出が頭に浮かんでは消え、その度に呼吸に笑みが混じる。

 翔太から言わせれば、呼吸を乱すようなことは避けるべきなのだろう。でも、走る目的――誰の為に、何を胸に、そして背負っているかを意識し続けることで、闘志が溢れてくるのだ。


 しばらく走ると、道の端に鎮座する大きなカメラが視界に飛び込む。あれは、中間地点を示す中継用のカメラだ。


 前半戦は、思っていたよりもすんなり終わりを迎える。ここからは後半戦、これまでよりペースを早めていく。

 幸い、弥勒寺先輩の背中はまだ捉えられている。スタート時点からは随分と小さな後ろ姿になってしまったが、俺の本気はここからだ。必ず追い抜いてみせる!


「すっすっ……はっはっ……」


 足元が奏でるリズムはテンポを上げ、コースもサビに差しかかる。

 アスファルトの擦れる音は小刻みになり、身で切る風の温度にも心地よさを感じ始めていた。


 前を走る生徒を抜く。また抜かす。抜かして抜かして――


「すっすっ、はっはっ……」


 ……ようやく、弥勒寺先輩の背後を捉えた!

 俺と弥勒寺先輩の間には、一人分のスペースしかない。今追い抜かすのは簡単だ。けど、そこで無理にペースを上げれば、体力を残りに回せる保証はなくなってしまう。


 耐えろ、耐えるんだ俺……!

 ここで欲を出して負けるなんて、そんなシナリオ最悪すぎる。今は雌伏の時、このまま背後について機をうかがうんだ。――そう、勝機を!


 心は熱く、思考は冷静に。走るのに、無駄な強張りはいらないんだ。決意で固くするのは拳じゃない、意志を固くするんだ。


「――……!」


 どうやら、弥勒寺先輩は俺に気付いたようだ。

 ちらと確認した目が、驚きに見開かれている。


「……ちぃっ!」


 弥勒寺先輩は、俺を引き離そうとペースを上げる。

 前半あんなに走ったっていうのに、ここからまだ早くなるのか……!


 離される距離に焦りを覚えるが、冷静な思考は翔太の言葉を反芻していた。


『長距離を走るうえで、ペースを一定にするのはとても大事なことだ』


 たとえペースを上げるとしても、それはコースの進度に合わせた最低限のものにするべきなのだ。


 そうしないと――


「はぁっ、はぁっ……くっ……」


 急な負荷に体がついてこれず、必要以上に体力を奪われてしまう。

 苦悶に顔を歪め息を漏らす弥勒寺先輩の様子に、俺はかつてがむしゃらに走った時の感覚を思い出す。


 息を吐く間隔と吸いたい間隔がズレて、地上なのに溺れているみたいな苦しさ。その喘ぎが息遣いを通して伝わってくる。

 俺と弥勒寺先輩の距離は、またしても元に戻る。呼吸が安定しない弥勒寺先輩は、ペースを落とすことを選んだようだ。


「すっすっ、はっはっ……」


 それでも、俺はまだ追い抜かそうとはしない。最後の最後、ラストスパートをかけるその時まで油断は禁物だ。決着が数メートルの短距離走になれば、俺には分が悪い。


 中継用に各地に配置されたカメラは、百メートルごとに置かれている。その総数は五十台だ。

 現在まで通り過ぎたカメラは、四十八台。次の一台を超えた残り百メートル、俺はそこで勝負に出る!


「はぁっ、はぁっ……」


 弥勒寺先輩の呼吸は、まだ乱れたままだ。

 勝つ為の舞台は整った。四十九台目のカメラを通過し、俺はここからペースをさらに上げる。


「すっすっはっはっ……」


 一人分の距離はあっさりと縮められ、弥勒寺先輩の隣に並ぶ。そこから追い抜かすまでに時間はかからなかった。


「くっ……はぁっ……」


 俺が前に立ったことで弥勒寺先輩にも火が点いたらしく、負けじと足を早めようとするが、体がついてきていなかった。

 弥勒寺先輩の姿を確認するなんて余裕、俺にはない。ただ前を見据えて、小野寺が待っているゴールに向かって走るんだ!


「すっすっはっはっ……」


 残りは数十メートル、このまま走り抜ければ俺が先にゴールすることができる……!

 しかし、その安堵は後ろからの駆ける音に上書きされる。


「はぁっ、はぁっ……はぁっ……!」


 慌てて振り返ると、弥勒寺先輩がなりふり構わないフォームで全力疾走していた。

 どんどんと詰まる距離は、うかうかしていたら抜かれてしまう勢いだった。


 ……翔太、悪い。俺はお前の教えに背くことになりそうだ。

 心の中で謝罪を済ませ、俺は走りながら息を整える。


 短距離走をしている弥勒寺先輩に対して、安定を求める長距離走の走り方では勝てない。

 二の舞を踏まないよう注意を払いながら地面を蹴り、俺は駆け出した。


「はぁ、はぁっ……」


 呼吸が乱れる。けど、あの時よりはマシだ。ここまで継続してきた呼吸が、心肺への負担を軽減してくれたのかもしれない。

 足音を通して、弥勒寺先輩が迫っているのを感じる。


 絶対に負けるか……! 俺は勝って、小野寺に伝えなきゃいけないことがあるんだ!

 もう、フォームを気にしてなんかいられなかった。自分の中の最速を求め、腕を振り、足を動かし、少しでも早くゴールに到達しようと駆ける。そして……


「はぁっ……! はぁっ……!」


 俺はゴールを通過し、地面に身を投げ出した。

 全身から力が抜け、もう何も考えることができない。本来であれば一番に気にするべき順位も、今は頭になかった。


「間宮君、お疲れ様。それからおめでとう」


 頭上から花森先輩が俺を覗き込む。その表情は、心なしか穏やかに見えた。


「花森……先、輩……」


「あぁ、無理して話そうとしなくていいわ。これを渡そうと思って」


 花森先輩が手にしていたのは小さな紙片。それには順位が記されている。


「そうだ、順位……!」


「ふふっ、それも忘れるくらい必死だったのね。……小野寺さん、読んであげて」


「はい……!」


 そう言って小野寺は、花森先輩から紙を受け取る。


「えっと……光君は、四十三位でした」


「それ……いいのか悪いのか分からないな……」


「全体を通して上の方だと思うよ」


「そうか……」


「大事なのはここからよ。間宮君が四十三位で、この四十四位の紙を受け取るのはね……」


 花森先輩の足取りを、俺は顔だけ動かして追う。

 花森先輩は、そんな俺のすぐ側、壁に背を預けている弥勒寺先輩のもとへ向かう。


「残念でしたね、弥勒寺先輩。ここに結果が書いてありますからね」


「はぁっ、くそっ……俺を笑いにきたのか?」


「いえいえそんな。結ばれるべき二人が結ばれたのを喜んでいるだけですよ」


「ちっ……」


 二人の会話を聞いて、俺はようやく事態を認識することができた。


「小野寺……」


「どうしたの?」


「俺、勝ったんだよな……」


「うん、そうだよ。光君が勝ったんだよ……!」


 こうして言葉にされて、実感が全身を包み込む。

 俺は勝った……弥勒寺先輩に勝つことができたんだ……!


「光君、ありがとね。私の為にここまで頑張ってくれて」


「走る前にも言ったけど……俺が走ったのは、それだけじゃない……」


 俺は力の抜けた腕を動かして、胸のゼッケンを指差す。

 そこに書かれた文字を見て、小野寺の顔が赤らんだ。


「小野寺、聞いてくれるか……俺の話……」


「う、うん……」


 俺は上体を起こして小野寺と向き合う。

 それから大きく息を吸って、覚悟を決めて口を開いた。


「小野寺……クリスマスの日、俺とデートしてほしい」


 小野寺は目を丸くする。もしかしたら、拍子抜けだったのかもしれない。ここまで引っ張っておいて、飛び出したのがデートの誘いだなんて。

 本当は、今すぐにでも言いたい。小野寺が好きだと、これからもずっと隣にいてほしいと。でも、こんな疲れ果てた姿では言いたくなかった。これはきっと、男のプライドというやつなのだろう。


「クリスマスの日……」


「ああ。二十五日に、俺と……デートしてほしい」


 あぁクソッ! デートって単語を出すだけで唇が震える! 今だけは堪えてくれよ、羞恥心……!


 小野寺は、「クリスマス……デート……」と確かめるように何度か呟いた後、にこりと微笑む。

 その顔が、誘いの返事を表しているみたいだった。


「はい、喜んで!」

お読みいただき、ありがとうがとうございます。

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