#115 その胸にあるのは、”愛”か”女”か
「間もなく出走開始時間です。男子の皆さんは、速やかに校門前に集まってください」
花森先輩のアナウンスがかかる。
「じゃあ俺、そろそろ行くから……!」
駆け出そうとした矢先、その手が最上先輩に取られる。
「……先輩?」
「間宮君、一人でゼッケンをつけるつもりかい?」
「あ……」
そういえばそうだった。このゼッケンは前だけではなく、後ろにもつけなければいけない。始まるまで時間がない今、トイレで作業をしている場合ではなかった。
「僭越ながら、僕達が手伝わせてもらうよ。小野寺君、前をお願いする」
「わ、分かりました……!」
ゼッケンを受け取った二人に挟まれ、俺は無防備な状態を晒す。
両手を広げてゼッケンをつけてもらっている俺は、されるがままといった感じで、どうにも気恥ずかしさが拭えなかった。
「光君……」
不意に、小野寺が俺を呼んだ。
動くと手元が狂いそうで顔は見られないが、何か大事な用がある雰囲気を感じ取った。
「どうしたんだ?」
そう聞くと、ぽすんと小野寺の頭が胸元にもたれこむ。俺の体操着を掴み、微かに震える声で小野寺は言った。
「私、待ってるから。……だから絶対、勝ってきてね」
「――ああ、絶対だ」
短い返答。でも、今の俺にこれ以上の答えはなかった。
校門前に到着すると、すでにかなりの列を形成されていた。
場所は自由とはいえ、ここがスタートラインだ。できれば真ん中あたりは陣取っておきたい。
「光! こっちだ!」
聞き覚えのある声は列の中頃、翔太のものだった。
集団から少し顔を出した翔太は、こちらに手招きするような動きを見せる。
「こっちに来い……ってことか?」
疑りながらも、人ごみをかき分け翔太のところへ向かう。
「良かった、間に合わないかと思ったよ」
「……悪いな、立ち話が思ったより盛り上がったんだ」
「その様子、さては小野寺さんと何かあったね?」
「……なっ! 何もないぞ!」
「カマかけてみたら、あっさりボロ出してくれるじゃないか」
「翔太、お前……」
「ごめんごめん、これ以上聞く気はないから安心してよ」
俺からすれば、それがバレただけでも十分な辱めなんだが……。
すると、列の前方からこれまた聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「おい、ふざけるのもいい加減にしろ。こんなものを俺につけさせるつもりか?」
「す、すみません……けど、つけてもらわないと困る――」
「そんなことは聞いてないんだよ。いいか? このふざけたゼッケンを俺につけさせようとしてるのかって聞いてるんだ」
激しい剣幕を見せているのは、弥勒寺先輩だ。そして、その怒りを一身に受けているのは生徒会会計の一年生。
一年生相手にあそこまで容赦ないとか、さすがに大人げなくないか? 俺も最初はゼッケン恥ずかしかったけど、いざつけると様になってて悪くないですよ?
「こんなのつけて走れなんて、生徒会は馬鹿の集まりなのか? おい、ここに書いてある文字読んでみろよ」
「お、女……です」
「ぶふっ」
……まずい、つい吹き出してしまった。
慌てて顔を背けた俺は、同じく顔を背けただろう翔太と顔を見合わせる。
「くっ……光聞いたかい? 弥勒寺先輩のゼッケン……」
「笑うなって、失礼だろ……ふっ」
まさか”女”というゼッケンをつけて走ることになるとはな。弥勒寺先輩、ご愁傷様です。
「誰だ? 今俺のこと笑った――」
「皆さん、用意はいいですか? 私の方でスタートの合図を出します。まだゼッケンをつけていない方は、至急つけてください」
弥勒寺先輩が標的を俺達に切り替える寸前、再び花森先輩のアナウンスが入る。
校門前に用意した特設台の上でマイクを持つ花森先輩は、列の前方に目をやると口の端を吊り上げる。
「代表者がゼッケンをつけずに走った場合、失格になるので気をつけてくださいね」
「……ちっ!」
花森先輩の意図が通じたのだろう、弥勒寺先輩は苦い顔をして閉口した。
「――それではいきます。位置について、よーい……スタート!」
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