#113 今度は君のヒーローになる為に
「はぁ、はぁ……――ふぅ」
「お疲れ様。その感じだと、結構余裕出てきたみたいだね」
「かもな。けど、翔太と同じペースってのは俺にはまだ早そうだ……」
約一ヶ月半、翔太と共にランニングに励んできた。おかげで見違えるくらい走れるようにはなったが、それでも俺の浅い呼吸は翔太より早いリズムだ。
弥勒寺先輩が翔太と同じ――いや、それ以上に走れる人だとしたら、俺に勝ち目はあるのだろうか。今さら気にしてもしょうがないと分かっていても、見えない不安はしつこく纏わりついてきた。
明日のマラソン大会、目の前に迫った本番が俺の気持ちに波を立て続けている。準備はしてきた、覚悟は決めた。そのはずなのに、負けた時のことからどうしても目を逸らせない自分がいた。
この時ばかりは弥勒寺先輩が羨ましかった。自分が勝つことを疑わない、あの自信に満ちた姿が脳裏に浮かぶ。
「光、どうしたんだい?」
「……俺、今すごい怖いんだ。明日もし負けたら、小野寺と離れることになったらって想像して、逃げ出したくなるくらい。今日まで翔太に助けてもらったし、負けないって意志もある。でも、怖い。……やっと手に入れたものを、また失いたくないんだ」
こんなこと、ここまで付き合ってくれた翔太に言うべきじゃない。これじゃまるで、翔太が力不足だったみたいじゃないか。
だが、動き出したネガティブな思考は、雪だるま式に大きくなっていく。
「運動部でもない俺がさ、弥勒寺先輩に勝負を挑むなんて間違ってたのかもしれないな。それなのに、自分の力を過信して上手く運ぶって思い込んで……。その行動の結果がこの弱腰じゃ、目も当てられないだろ」
自虐的な言葉を漏らす度、顔が俯いていくのが分かる。街灯に照らされて伸びた影――その先の翔太が、俺の名前を呼んだ。
「――光」
俺は顔を上げない、何も答えない。俺の弱音を聞いた翔太が、どんな顔で俺を見ているのかを知りたくなかった。
「光、顔を上げて。……こっちを見るんだ!」
「……!」
不意に上がった大声は、翔太から発せられたものだった。
翔太が声を張り上げるところなんて、今まで見たことがなかった。だから俺は、思わず翔太の方を向いてしまった。
翔太は肩で息をしながら、俺を睨みつけていた。目の前の翔太のどれもが、これまでにない表情をしていた。
「僕は怒っている。……光、どうしてだか分かるかい?」
「……こんだけ手伝っておいて、俺が今さら弱気になってるからか?」
「違うよ。僕はね、自分を悪く言う光が許せないんだよ」
「悪くって……でも、翔太もそう思うだろ? 俺なんかが――」
「『俺なんか』? それなら聞かせてくれ、そんな光に助けを求めたのは誰だ!」
翔太の激情は、俺に考えることを強要させるには十分だった。
そして、俺はすぐにその問いの答えに辿り着く。
「……小野寺だ」
「そう、小野寺さんは光に助けを求めたんだ。彼女は信じているんだよ、光ならなんとかしてくれるって。その信頼に応えようとしたからこそ、光はここに立っているはずだ」
「……そうだな」
「その光が、自分で自分を貶めるようなことを言ったら、君を信じる小野寺さんの気持ちはどうなるんだい?」
「…………」
――どうして気付かなかったんだ、こんな簡単なことに。
弥勒寺先輩と戦う俺は、間宮光という個人ではなく、皆の思いを乗せたランナーなのだ。俺は明日、俺と小野寺と、翔太と蓮と矢野……そして花森先輩、最上先輩、綾音先輩、今日まで協力してくれた全員の気持ちを胸に走る。
つまり、俺を否定するということは、その思いを否定するということだ。そんなことをするやつは、俺自身であっても許せなかった。
俺は自分の頬を思い切り叩き、気合いを入れ直す。
「ありがとう翔太、おかげで目が覚めた」
「そうかい。それなら、慣れないなりに怒った甲斐があったってものだよ」
すっかりいつもの様子に戻った翔太は、俺の全身を眺めて頷いた。
「うん、それでこそ僕のヒーローだ」
「ヒーロー?」
それに『僕の』って、そこは『僕達の』とかじゃないのか? 俺、翔太の為だけに走るわけじゃないぞ?
「その顔、やっぱり覚えてないんだね」
「なんのことだ?」
「小学三年生の時の話だよ。ほら、僕って転校してきただろう?」
「あぁそういえば……」
急に懐かしい話を振ってくるな。転校初日は、とんだイケメンがクラスに来たと大盛り上がりだったけ。
「最初はちやほやされていたんだけど。どうやら僕は顔がいいらしいからね、ガキ大将に目をつけられちゃったんだ」
「……その自慢にはツッコんだ方がいいのか?」
「聞き流してくれて構わないよ。ともかく、僕は転校してきて数ヶ月でいじめの標的ってわけさ」
「そんなことあったのか……」
「光が気に病む必要はないよ。それにこの出来事は、僕の中では清算されているしね」
「そうなのか?」
「本当に覚えていないんだね……」
なぜか俺は、翔太に呆れ顔を向けられている。しかし、覚えていないものは覚えていないのだ。
ガキ大将を叩きのめしたとかなら、覚えていそうなものだけど。
「あれは、僕がいつもみたいに校舎裏に呼び出された時のことだ」
「校舎裏とは、これまたベタなところを……」
知らなかったとはいえ、小学生怖すぎだろ! イケメンに生まれなかったことを、今日初めて感謝するぜ。
「彼らに囲まれたいたところで、ちょうど光が現れたんだ」
「え、俺がか?」
「当時も、その場にいた全員がそういう呆けた顔をしていたのを覚えているよ。それで光、なんて言ったと思う?」
「うーん……『殴るなら俺を殴れ!』とか……?」
「はははっ、全然違うよ。正解は、『一緒に帰らないか?』だ」
心底嬉しそうな翔太に反して、俺は戸惑いを隠し切れなかった。
……俺、ちょっとダサくない?
「その日以来、光は何かと僕の世話を焼いてくれてね。少しすると僕への嫌味は落ち着いていったんだ」
「……あ」
ようやく思い出した。あの時、俺が翔太を帰りに誘ったのは担任に頼まれたからだ。
翔太があまり馴染めていないからって、家が近いことを理由に俺に白羽の矢が立ったらしい。当時もそんなに友達のいなかった俺は、これを機に友達になろうという打算的な考えで翔太に近づいたのだ。
まさか、その目論みが翔太の窮地を救っていたなんて。どうりで覚えていないわけだ。
「だからね、僕は感謝しているんだよ。新しい世界で手を伸ばしてくれた光にさ」
「……そうか。俺も、翔太の手を取れて良かったよ」
ここで俺が真実を伝えて、美談に水を差す必要もないだろう。
過程はどうであれ、俺は翔太と友達になれて良かったと思っている。それは決して慰めではなく、俺の本心だった。
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