#109 走って走って周りが見えない
「はははっ、それはさぞかし居心地が悪かっただろうね」
「ったく、他人事だと思って笑いやがって……!」
あれから俺は小野寺を送り届け、その足で翔太と合流した。
体育の授業でも実感したが、走りながら話せるようになったのは大きな進歩だと思う。
「それで、その空気のまま小野寺さんを見送ったのかい?」
「それが小野寺のやつ……すっかり機嫌直したみたいでさ。帰り道は逆にウキウキしてたよ……」
「あぁ……なんとなく想像できるよ」
そのご機嫌な様子が可愛いのなんの、俺の心拍の高低差はジェットコースター級だった。
『光君、来週も美味しいお弁当作るからね』
『へへ。私の作るご飯が好き、か……』
『私、飛鳥ちゃんにも負けないよ!』
「……ふっ……ふふ、ふふふふ……」
「おや、息が乱れているようだけど?」
「いや、これはちょっと小野寺の可愛いとこ思い出して……ふぅ」
「そのだらしない顔は、小野寺さんには見せられないね」
「……ほっとけ」
慣れきたとはいえ、まだ体力的な負荷は厳しい。そのせいか、走っている時はいつもより口が緩んでいる気がする。
今何か聞かれたら、うっかり口を滑らせてしまいそうだ。
「ところで、来週はいよいよ決意表明が行われるみたいだけど、大丈夫そうかい?」
「……大丈夫って?」
「大勢の前で啖呵を切れるのかってことだよ」
「それは……まぁ任せとけ」
はっきり言って怖さはある。全校生徒の前で上級生に宣戦布告をするのだ。集会の後、ひどい目に遭わされるかもしれない。あっちが不戦勝をもぎ取るつもりなら、俺に勝機はないようなものだった。
でも、俺は弥勒寺先輩を信じていた。もちろんそれは、彼の人徳とかではなく性格――気に入らないやつは自分の手で潰したいという傲慢さに関してだ。あの人は必ず、俺との勝負に応じるはずだ。
「なら、トレーニングにも気合いを入れてもらわないとだね。小野寺さんの可愛さにうつつを抜かしてなんかないでさ」
「……分かってるよ!」
俺はいたたまれなくなって、翔太を引き離してゴール地点の公園へ向かう。
後ろから呼び止める声が聞こえたが、俺の足は止まらない。こんな無理が通るのも、お前のおかげだ。ありがとう、ランニングシューズ。
「――はぁっ……はぁっ、はぁ……」
そうしてがむしゃらに走った俺は、初週以来のバテっぷりでベンチに横たわっていた。
「だから急に速度を上げるなって言ったのに……」
「はぁっ……うるさい、なぁ……」
「まだ抵抗する元気はあるんだね」
さすがにツッコミを入れる気力はなく、「お前はどこのドSキャラだ!」という返しはお蔵入りとなった。
「それにしても、この短期間でよくここまで走れるようになったね」
「自分でも……驚いてるよ……」
伸びた状態でそう言っても、なんだか説得力に欠けるような気もするが。
「バテバテのところ悪いんだけど、もう一ついいかい?」
「なんだ?」
「――期末テストのこと、忘れてないよね」
その瞬間、俺の背筋は凍りつく。それは、汗が冷えたなんて生温いものじゃなかった。
「すみません、忘れてました」
木枯らしの吹く公園の地面に、俺は額をぴったりと張りつけた。
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