#106 中学生だって、まだまだ甘えた盛り
斯くして、色違いのクラゲをぶら下げた俺達は帰りの電車に乗り込んでいた。
季節はもうすぐ冬。日が暮れるまでの時間は、小野寺と出会ったあの頃に比べて随分と早くなっていた。
俺は隣に腰かける小野寺に、前を見たまま質問を投げる。
「……今日、楽しかったか?」
「うん、すっごく」
「それは良かった」
今日一日を通して、小野寺が楽しんでくれたのは伝わっている。それでも直接言葉で聞くまで不安を覚えてしまう、弱気な自分が情けなかった。
「光君は楽しかった?」
「え?」
思いがけない問いに、俺は声の方を向いた。そこで、真っ直ぐな光を宿した小野寺の瞳と視線が交錯する。
「駅で会った時に言ったでしょ? 私は光君にも楽しんでほしいって」
――そうだった。今日の成功は、”小野寺が”ではなく”俺達が”楽しめたかどうかにかかっている。結局俺は、小野寺に大したエスコートはできなかったけど、今日を振り返った小野寺は楽しいと口にしてくれた。
あとは俺だけ。それなら答えるのは簡単だ。
「俺も、今日はすごい楽しかった。ありがとな」
「ううん、私の方こそありがとうだよ。今日、光君に誘ってもらえて良かった」
その誘いは、翔太に煽られ飛鳥に助け船を出してもらわなければ、実現しなかったかもしれない。二人には感謝しているが、この前日譚は胸に秘めておくことにした。
会話は途切れ、電車の走行音だけが車内に響く。夕焼けの差し込む電車での無言の空間――詩的な言い回しが浮かびそうなこの状況は、思わぬ弊害と隣合わせだった。
小刻みな電車の揺れが、程よく疲れが溜まった体を眠りに誘おうとしてくるのだ。
……くそっ、眠い! 車内の暖房が、余計に眠気を促進してくる……! でも、起きなければ……小野寺を、家まで…………
何か、果たさなければいけない使命を抱いたまま、俺の意識は暗転する。
「――さん! 兄さん!」
「……はっ!」
聞き覚えのある声に驚きながら、俺は目を覚ます。
……俺は、寝てしまっていたのだろうか。そんなことより、今どこの駅だ?!
「もうすぐ家の最寄り駅です。もし私が乗り合わせなかったら、どうするつもりだったんですか?」
「そ、そうか……」
なんて普通に会話していたところで、強烈な違和感を覚える。
……ん? どうして飛鳥がここにいるんだ?
「二駅先のスーパーが特売だったんです。買い物終わって電車に乗ったら、目の前で兄さん達が眠ってて……」
「まだ俺、何も聞いてないぞ?」
「見たら分かります。兄さんが何を聞きたいかくらい」
俺の妹は、こんなにもできた妹だったのか……。言葉を交わさずとも、兄の意思を読み解く。
「まさに、以心伝心だな」
「な、何恥ずかしいこと言ってるんですか!」
「俺にも飛鳥の心が伝わってくるぞ……ははーん、飛鳥は照れ隠しで怒ってるんだな?」
「いい加減にしてください!」
「ごふっ……!」
買い物袋のアッパーを受け、俺は背もたれに倒れ込む。
飛鳥のやつ、見ない間に腕を上げたな……。
「……あれ? 飛鳥ちゃん……?」
俺達のしょうもない乱闘騒ぎで目を覚ましてしまったらしい。小野寺は寝ぼけ眼を擦りながら、俺と飛鳥を交互に見ていた。
「悪い、起こしちゃったか?」
「ううん、大丈夫だよ……。それより、どうして飛鳥ちゃんがここに?」
「買い物終わりに電車に乗ったら、ちょうど兄さん達が寝てる現場に遭遇したので起こさせてもらいました」
「私達、二人して寝ちゃってたんだ……。年上なのに格好悪いね……」
小野寺は恥ずかしそうに頬を掻く。そう言われてしまうと、俺もなんだか恥ずかしくなってきたな……。
「小野寺さんはいつも素敵なんですから、それくらいの隙があった方が魅力的ですよ。あ、兄さんは小野寺さんをほったらかしにしたことを反省してくださいね」
「……はい」
ここ、公共の場だぞ……。俺こんなところで妹に説教されるのか? うっ、さっきまでと違う恥ずかしさが湧いてきた気がする。
「それにしても、早い帰りですね」
「イルカショー観たら満足しちゃってな。お土産買って今に至るって感じだ」
「小野寺さん、今日まだ時間ありますか?」
「うん、あるけど……」
「それなら、うちで夕飯食べていってください! 特売で少し買いすぎちゃったんです」
「特売で買いすぎたら、本末転倒じゃないか……?」
「何か言いました?」
「いえ、何も……」
怖いよ、飛鳥! そんな目でお兄ちゃんを見ないで!
「ご両親に迷惑にならないかな……」
「二人とも今は出張なのでいませんよ」
「うちの親は出張ばっかでほとんど家にいないんだ」
「だからいつでも遊びにきてくださいね!」
飛鳥の満面の笑みにあてられ、小野寺も気圧されかけている。
まったく飛鳥のやつ、どこでこんな交渉術を学んできたんだ? 同級生(特に男子)にやってたら承知しないからな!
「じゃ、じゃあ……お言葉に甘えさせてもらおうかな」
「決まりですね! やったー」
「飛鳥、電車の中だから静かにな」
「は、はい……」
こういう飛鳥の姿を見るのは久しぶりだ。いつもは大人びた物言いを心がけていそうな飛鳥が、年相応にはしゃいでいることが嬉しく感じる。
「(ありがとな、小野寺)」
「(ん? ……ああ、うん)」
飛鳥に聞こえない小声で感謝を伝えると、小野寺は察しがついた様子でにこやかに頷いた。
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