#103 やれば……できない
クラゲの水槽以降は、俺の思い描く一般的な水族館の様相を呈していた。
サメや熱帯魚など、テーマごとに集められた生き物が薄暗い環境の中で光を放っている。一度通っただけでは観きれない水槽の配置は、どこを歩いても楽しめるよう施された工夫だろう。
「そういえば、ショーは何時からやるんだろうな」
現在、俺達がいるフロアは二階。この階に上がる時に見かけたイベントスペースが気になっていたのだ。
「もしかしたら、サイトに載ってるかも」
「ちょっと調べてみる」
公式サイトにアクセスし、画面を突っついていると目当てのページに辿り着く。
今日のスケジュールは……十四時半、十六時の二回か。
「十四時半って、あと五分もないぞ。……多分、今行っても席埋まってるだろうし」
「じゃあ十六時の回にしようか」
「そうだな」
会場の席取りを意識して、開始三十分前まで歩いて回ることにした。
ふらふらと歩いていた俺達は、人の波に流されるまま館内を漂っていた。そうしてやってきたのは、今日一壮大な景色を生み出すエリアだった。
「――……」
そこに足を踏み入れた瞬間、俺達は揃って息を呑んだ。一直線に続く通路、その上方を水槽が取り囲んでいるのだ。
天蓋のように降り注ぐ水のベールは、別世界に訪れたとさえ感じさせる。
「すごいね……」
「ああ……」
今日何度目か分からない感嘆の言葉――レパートリーがない気もするが、本当に感動した時、人間というのはこれくらいの語彙になるのだろう。
悠々と泳ぐエイを、都会に出てきた田舎者よろしく見上げていると、辺りで佇む男女の会話が聞こえてきた。
「ねぇ知ってた? ここで結婚式挙げられるんだよ」
「へぇ、いいじゃないか。……式、ここで挙げるか?」
「え……」
大胆な男の発言に、女はほの字だ。
だが、第三者の俺からすれば、女は男の返しを期待している風にも見えた。デキる人というのは、こうした駆け引きもお手の物ということらしい。
自分には決して真似できないと息を抜いたところで、小野寺と目が合った。……いや、正確には小野寺の目線は俺を通り過ぎ、たった今挙式を取りつけた男女に向けられていた。
「け、結婚……」
恥じらいを感じながらも、小野寺は確かめるように呟く。
小野寺も女の子だ。やはり、結婚式で着るウェディングドレスには憧れを抱いているのだろう。
……これはひょっとして、男を見せる時がきたのか?
『光、いいことを教えてあげよう。格好つけたセリフを言う時は、相手の顎を持ち上げるんだ』
『雰囲気も必要かもしれなけど、大事なのは内容よ!』
『いっけー、光君! 格好いいところ見せちゃって!』
矢野が新たに加わり賑やかになった脳内は、珍しく一致団結して俺の背中を押そうとしている。……でも待ってほしい。一度、言っている現場を想像してみよう。
『小野寺……』
『……何?』
『俺達も、ここで結婚式挙げないか?』
『……キュン』
いやいや待て待て。小野寺は「……キュン」とか言わないだろ! 本人が目の前にいるっていうのに、どうして俺の解像度はこんなにも低いんだ!
――こうなったら、実際に口に出すしか……!
「お、小野寺……」
「どうしたの?」
「そ、その……け、けけけ……」
いつぞやの小野寺みたいに、軋みを上げて続きを紡ぐことができない。
「……け?」
「け、け……獣を観にいこう」
「獣……」
「ほら、この先にあるみたいなんだ……えっと、カピバラとかがいるところ」
「そうなんだね、行ってみようか」
「あぁ……」
翔太、蓮、矢野……俺はまだまだ未熟者らしい。
っていうか、どう考えても無理に決まってるだろ!
俺の心(の中で)の叫びは、水族館に木霊しなかった。
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