ご褒美
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午前7時、涼介は自転車に乗っていた。
山の奥から朝日が顔をのぞかせて、冷え冷えとした地面に熱を分け与えている。斜めから射す光が直接涼介の顔を照らす。だが、目の下だけが光を反射していないかのように真っ黒だった。
「ひゅー、ひゅー、ひゅー」
文鳥の死に際のような呼吸をしていかにも疲労困憊という様子の涼介である。その一挙手一投足に力が籠もっておらず、今にも転び落ちそうなほどの蛇行運転を繰り広げていた。
部活で精神的にも体力的にも追い詰められて、帰宅途中に小白とのゴタゴタで、癒やしにもなったが突然の出来事への驚きにまた疲労が溜まり、その上大量の課題を一晩で片付けたのだ。コーヒーの飲み過ぎで胃の中が渦を巻いて今にも漏れ出てきそうである。
朝の5時過ぎには宿題もラストスパートを迎えていたが、涼介の体内もラストスパートを迎えた。脳は眠れと警鐘を鳴らし、同時に寝なくて良いという判断を下していたし、体の表面は熱いのに体の芯は冷え切っていて足が小刻みに震えていた。血管は広がり心臓はドクドクと音を鳴らし、瞳孔は開いて瞼は微動だにせず眼球は干からびた。
カフェインをキメた涼介は未だに感覚機能が麻痺していたが、寝たいという漠然とした感情と言いしれない達成感だけが残っていた。
※
「おひゃよー」
涼介は遂に呂律が回らなくなっていた。
「え、りょう……大丈夫?」
気を緩めればはっきり喋ることすらままならないほどの涼介に、昇生は心配そうに声をかけた。
「大丈夫、力は入らないけど」
「一体何があったんだよ?」
涼介のただならない様子に興味を示す昇生に、涼介はよくぞ聞いてくれたと無理やり口角を上げて含み笑いをした。
「ふふふふふ、なんとわたくし中切涼介は、宿題をやってきたのです!」
「……うそ、だろ」
「言っただろ、僕はね、やるときはやる男なのだよ!」
「あの……りょうが、中学時代家庭学習率0.01%を誇る不動の涼介が、しゅ、宿題をやってきただと!?」
「……そんな異名あったの?」
知らないところで異名を作られていた涼介は心外そうな様子で終わらせた宿題を昇生に突きつけた。
それを見た昇生はまたも驚きの声を上げる。このまま昇天しそうな勢いである。
「お前、いきなりどうしちゃったんだ。どこか悪いのか?そういえばさっきから様子がおかしいな、保健室いくか?そもそもお前は涼介なのか?」
「ふっふっふ、バレてしまっては仕方ない、そう!わたしは中切涼介の体を乗っ取って復活した悪魔である」
「悪魔はそんな真面目なことしないだろ、何言ってんだよ」
「ノリツッコミにツッコミするなぁ!」
いきなりコントを始めた二人は暫く言い合って、一息ついた。
「にしてもほんとにどうしたんだ?こんないきなり」
「いやねぇ、僕もそろそろ頑張りたいと思いましてね、大学受験もあることだし」
「そうか、もう高校生だもんな」
「とにかく、そういうなんやかんやを見越して学習習慣をつけたいのです」
「おー、頑張れよ」
昇生から激励の言葉をもらってから涼介は職員室の方へ歩き出した。溜まっていた宿題を提出していくのだ。
涼介の背中を見ながら昇生はポツリとつぶやいた。
「そんな顔できたんだな、りょう」
※
授業の終わりを知らせるチャイムが鳴った。
涼介は所謂ガンギマリした目つきで席を立った。
授業中は何故か寝なかった、というか寝られなかった。おそらく体が開き直ったかそれとも体内時計が起きる時間帯だと認識して脳が命令しているのだろう。
だが疲労はある。そして今から部活が始まる。それが意味するのは
「死!」
突然の叫びに周りのクラスメートが驚いて涼介を見たが、涼介はそんなことお構いなしに頭を抱えて悲痛なうめき声をだした。
涼介の奇行はよくあることなので中学生からのクラスメートは何事もなかったように帰っていく。
だが、昇生はなんとなく察しがついたのか涼介の肩を数回叩いて
「骨は拾ってやる」
と言って先に行ってしまった。
勉強は分かる。将来のためになるから。だが、これに関してはどうしても分からない。もともと、嫌いだったのだ。5歳の頃からやらされていたが、憂鬱で仕方がなかった。だが言えなかった。嫌いだからやめたいと、いくつか胸の内を告白する機会はあった。だが己の小心がためにできなかった。それをズルズル引きずってここまで来たのだ。向上心なんて欠片もない、あるはずがない。試合に出れなくても、負けても、罵倒されても悔しくなかった。ただ周りに合わせて頑張るふりをするだけだった。
(でも、頑張るって決めたんだ)
今の涼介には好きも嫌いもどうでも良かった。ただ、本気でやりたいと思ったのだ。いくら罵倒されても思い通りに行かなくても、一生懸命になることでそれが自分の糧になって自分を強くしてくれると、そう信じて。
※
「もうダメだ、死ぬ、小白ちゃんに会わないと死ぬ!」
練習が終わって涼介はすぐに携帯を見た。小白と7時半に会う約束をしていたのだ。急いで自転車に乗ってあの公園へ向かった。
涼介にとって小白は最高の癒しなのだ。二日間溜め込んだ精神的疲労を小白にあって話すだけで無に帰すことができると心から信じていた。
あって間もないのになぜそう思うのだろうか、なぜならそれは運命であるからに違いない!
※
7時20分、自転車を飛ばして来たので思ったより早く着いたようだ。
太陽はもう沈み公園を照らすのは電灯の小さな光のみ、小白の姿はまだ見えない。
涼介はベンチに倒れ込むように座った。2日分の疲れがどっとこみ上げてくる。
「はぁー、疲れた」
大きなため息をついて背もたれに体を預けた。
今日は宿題がないから、帰ったらゆっくり寝よう。それはそれはいい睡眠が取れそうだ。
だが、最後に小白に会わなければ、明日も頑張るために。
「……小白ちゃん、まだかなぁ」
何分経っただろうか。時計を見る。まだ2分しか時計が進んでいない。30分と約束したのだからあと8分は来ないだろう。
春の心地よい夜風が頬を撫でる。木の葉がざわめく音だけ聞こえる。自然音が涼介の本能に働きかけてゆっくりと心を沈ませていく。瞼に力が入らなくなって、夜の暗闇か瞼の裏の暗闇か分からなくなったとき、涼介は夢の中に落ちてしまっていた。
※
「小白ちゃん……むにゃむにゃ……」
「ふふ、小白ですよ」
(なんていい夢を見ているのだろうか)
マシュマロのように柔らかくて慈愛に満ちた温もりを感じる。これが徹夜明けの睡眠の心地よさなのだろうか、まさに至福である。
(ここに小白ちゃんがいたら僕はもう死んでもいい)
残念なのがこの空間に愛しの小白がいないことだった。だが、なぜだろう、姿は見えないのに近くにいるような気がしてならない。遂に幻覚まで始まったのだろうか、カフェインさまさまである。
「幸せそうですね、涼介くん」
(幻聴まで聞こえるとは、怖くなってきた)
意識は朧げであるが自分が夢を見ていることはわかった。おそらく自分は公園で寝てしまったのだろう。誰もいないと分かっているのでもう少し寝ていてもいいかもしれない。
頭に何かが触れた。等間隔になにかが頭を撫でているのが分かる。あまりの気持ちよさにまた意識がおちてしまいそうだった。
(あれ?なんで頭撫でられてるの?)
誰もいない公園でなぜ自分は頭を撫でられているのだろう。その小さな矛盾は涼介の頭を混乱させるのに十分であった。
涼介は急いで頭を回転させた。徐々に鮮明になっていく意識は大量の疑問を生んだ。
(なんだこの柔らかくて温いものは!なんで僕は頭を撫でられているんだ!というか誰だ)
とにかく状況を把握するために涼介は目を勢いよく開いた。木が横向きに生えていた。
(いや、僕が横たわっているのか)
冷静に状況を把握している涼介に新たな情報が入ってきた。
「ふふ、髪の毛チクチクします」
それは紛れもなく天使、ではなく小白の声だと気づいたとき、涼介は悟った。
膝枕だと。
膝枕と気づいた瞬間、涼介は目を閉じた。状況確認からより長く膝枕を堪能することへと作戦が移行された。
(うむ、僕は寝相が悪くてね、よく寝返りをうつのだよ、つまりこれは決して下心ではない、森羅万象であり極々当然のことなのだ、決して下心ではない!)
そして涼介は極々自然に頭を180度回転させた。
その瞬間、涼介は思った。
(そうか、天国はここにあったのか)
鼻の中に広がるのは甘い花の香り、顔全体を包み込む柔らかくて温かいものは、涼介の魂を体から引き剥がしていく。このまま死んでもいいと真面目に思った。
「りょ、涼介くん!?そっちはだめ!」
「ぐえっ」
両頬をもって勢いよく頭を曲げられた涼介は反射的に目を開けてしまった。
だがそこにも楽園が広がっていた。頬を赤くした可愛らしい顔がこちらを覗いている。周りを白いベールのような髪が囲んで、二人を外界から隔絶している。そして、慎ましくもはっきりと存在している二つの膨らみは彼女の愛らしさと艶やかさを最大限まで押し上げた。
「僕はこのまま朽ち果てても後悔はありません」
「なに言ってるんですか、もう」
「……」
「そ、そんなに真剣に見られると、恥ずかしい、です」
「ご、ごめん」
涼介は名残惜しそうに小白の太ももから起き上がった。時間を確認すると7時40分だった。つまり涼介は10分間小白の太ももを占領していたということだ。
「ごめんね、重かったでしょ」
「いえ、楽しかったですよ」
小白の返答に首を傾げつつ、涼介は気を取り直して小白の方を向いた。
「色々あったけど取り敢えず、昨日ぶりだね小白ちゃん」
「はい、涼介くん」
小白は嬉しそうに微笑みながら言った。
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