第七十三話
長らく中断してしまい、申し訳ございません。
本日もよろしくお願いします。
「あら、本日はどちらへ?」
後ろから声をかけられて魔王コージュが振り返ると、そこには彼の最愛の女性が立っていた。
「おう、アクア」
彼と目を合わせ、穏やかに微笑む王妃筆頭のアクア。
国として動き出した彼の地では、早速王妃候補たちが公務に明け暮れていた。
もちろん国家運営の仕事など最初から彼女たちだけで熟せるものではないので、そこに他の仲間たちが補佐に入ってフォローすることで何とかしていたが。互いに不慣れであっても、魔王のサポートも借りればそれも不可能では無くなる。
そんな中で、水の国の中枢に長年居続けて公務に慣れていたアクアだけは一歩抜きん出て余裕があり、そのおかげでこうして出かけようとするコージュの見送りまで行えていた。
「今日はちょっと火の国までな」
「そう……ですか。インカ王の修業ですか?」
「いや、今日は色々と話し合いの方がメインだ。インカ王はベルに続いて飛行術も修得できたから、あいつの修業は普段の自主トレーニングの合間にでも新しいことを教えれば、それだけで充分強くなれるからな」
「それはそれは。天才というのはどこにでもいるのですね」
他愛もない日常会話を交わすと、魔王はアクアに見送られ、島の上空に待機状態で設置してある空間魔法のゲートへと向かう。
「……いってらっしゃい」
その言葉を口にして彼に手を振ったアクアは、その後もずっと彼に向かって手を振り続けていた。
それは彼の姿がゲートに消えるまで、そして彼が火の国へと転移を果たしてからも、暫く続けられていた。
先日の一件以来、万能の力を使いこなせるようにと気合いを入れ直した今の魔王コージュに隙など無い。もちろん仲間たちの心の声も考えも、常時しっかりと拾っている。
ゆえに、もしも島で何かあってもすぐに気付くことができるし、念のため各地と繋げた空間魔法のゲートも島の周辺に設置済みであった。一刻を争う事態でもそれによってすぐに転移可能で、そこには一部の隙も存在しない。
万が一、島の仲間が転移を阻止しようとでもすれば話は別だが、そんなことはあり得ないし、する理由が無かろう。そして技術的にも不可能に近い。
「……いって、らっしゃいませ。魔王コージュ様……」
油断も過信もせず、万全に万能の力を使いこなすようになった魔王に死角などありはしない。この世界で最高峰の力なのだから、抗う者も届く者も皆無。
それでも彼が暴君とならず安寧を齎す存在だったことは、この世界の者たちにとって本当に幸運だったと言える。
彼が世界と結びつき、世界を治める限りは安泰の世が続くことだろう。
「……申しわけありません、愛しき人」
――――だが、だからといって全く何も起こり得ないかといえば、その答えは「否」である。
「ですが、私は……やはり……」
魔王の力が最高峰であっても、それに準じる力が存在しないわけではない。
そして、万能の力を持つ魔王であっても、その中身は悲しいかな十七年しか生きていない少年なのだから。
もしも……もしも長き時を生きてきた存在が、巧みに、狡猾に、彼を出し抜こうと本気で画策したならば――――
「……ずっと、永遠に愛しています。さよう……なら……」
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「――――馬鹿なッ⁉」
目の前で、突然怒号を上げて立ち上がった師の姿に、火の国のインカ王は驚きを隠せなかった。
いつも冷静で何でも卒無くこなす彼がそこまで取り乱すとは、想像もしていなかったのだろう。
「ど、どうした大王様? どうせ、またくだらねぇことで……」
「緊急事態だ! インカよ、俺はすぐに島に戻る! 事情は飛びながらテレパシーで伝えるからそのまま待機していてくれっ‼」
だが、冗談交じりに会話するつもりで口を開いたインカ王を一蹴し、コージュはこれまでに見せたことのない緊迫した表情と口調で言いたいことだけを告げた。
そして彼は踵を返すと、一瞬でインカ王の下から飛び去って行った。あまりに一瞬のことで、インカ王は取り付く島もない。
「……は?」
呆気に取られるインカ王を余所に、魔王コージュは本気で焦っていた。
すぐさま島に繋げてあった空間魔法のゲートを開くため、火の国の上空へと急行する。空間魔法は地上に設置すると住人がうっかり触れて暴走させる可能性がゼロではなかったので、多少不便でも各地とも上空に設置してあるのだ。
「……っ⁉」
だがゲートを開こうとした刹那、何故か彼はその操作を止めてイシュディア魔王国の方角に方向転換すると、瞬時に超高速での長距離飛行へと切り替える。
そこに誰かがいたならば、魔王の「クソッ‼」という悔しそうな捨て台詞を耳にしたかも知れない。だが人気の無い上空では、その台詞はただそこに置き去りにされるだけだった。
彼がゲートを開かずに直接イシュディア魔王国へ向かった理由は、非常にシンプルなものである。
彼はゲートを開かなかったのではなく、開けなかったのだ。
「間……に……合……えぇぇぇーーーーっ‼」
音速を超え、マッハと呼ばれる速度に到達して空を裂く魔王。
先ほどの一瞬で、彼は力尽くでそのゲートを抉じ開けるより、新しい空間魔法のゲートを生み出したりするより、直接島まで全力で飛ぶのが最も早い方法だと判断を下していた。
その瞬時の判断力は流石万能の魔王の能力だと称賛されるものだが、そんなものは今の彼にとって微塵も嬉しいものではなかろう。
念のため各地に空間魔法のゲートを繋げ、待機状態で設置しておくという用意周到さをみせた彼だったが、今はどうして各地ごとに複数個のゲートを設置した上でそこに隠蔽まで掛けておかなかったのかと後悔の念に苛まれていた。
「“インカ王、すまん! 洒落にならんほどの緊急事態だ! すぐに国の最高戦力を集めて待機しておいてくれ!”」
焦る中で、先ほど置き去りにしたインカ王へとテレパシーを送るコージュ。
島に到着するまでの僅かな間で、今の彼にはすべきことが山のようにあった。
「“さ、最高戦力⁉ ど、どの程度の基準で、だ……?”」
「“世界が滅ぶかもしれない前提で、だ! どんなことがあっても万全に対処できるだけの、とにかく国の最大級の戦力や人員を集めて備えておいてくれ! 俺がどうにかできればいいのだが……”」
「“……ハァ⁉ じょ、冗談……じゃねぇのか……? その……”」
「“とにかく頼む! 聞こえたか、ダード王! シル王女、メイリーン、アード王! それに……アルティナ!”」
すると、魔王は同時に繋げておいた各国代表者との回線にも、酷く慌てた様子で早口に語りかける。
各々に丁寧に説明している暇さえ惜しいのか、突然のテレパシーに驚く彼ら彼女らに説明も無く、インカ王との会話を聞かせるだけという酷い始末である。
だが、彼らしくもない慌ただしさと異常さで、各国の代表格たちはむしろ緊急事態だと察することができた。その緊急度合も。
そして、魔王に呑気に語りかけていると手遅れになる可能性があると瞬時に理解を示し、「了解」や「すぐに動きます」といった短い返事だけを伝えて行動を開始したのだった。
「“助かる! 優秀な仲間を持てたことに感謝するぞ‼ それでは俺はこちらに集中するのでな! また後で呼びかけるからよろしく頼む‼”」
「「“りょ、了解!”」」
「「“分かりました!”」」
「“ま、任せとけ!”」
そんな頼もしい返事を耳にして、魔王は五つのテレパシー回線を遮断する。
そして残る一つの回線に向けて、なるべく冷静を保って語りかけた。
「“……まったく、あの馬鹿め。遂にやりおったわ”」
「“……やはり、あの方は諦めてはいなかったようですね”」
「“すまんな。しっかり警戒していたつもりだったが、向こうが一枚上手だったようだ。まさか俺を出し抜くとは……”」
「“せめて、わたくしとゆっくり話ができていれば違ったかもしれませんが……なんて言っても既に手遅れですね。もしもの話をするより、今はあの方を……どうかお願いいたします。魔王コージュ様”」
「“……また後程、結果を報告させてもらうよ、アルティナ。世界が滅びていなければ、だがな……”」
そう言ってから最後の回線も遮断すると、コージュは間もなく視界の先に見えて来た自国の国土に向け、スピードを落とすことなく突っ込んで行く。
だが、そこに広がる光景に険しい表情を露わにし、彼はそのまま島のとある一角へと猛スピードで降り立つ。
先ほどまでの焦りとは打って変わって、今の彼には諦めの表情と大きな溜め息しか残ってはいなかった。
そうして彼は、その場所にいた人物に向かって近付くと、普段と変わらないトーンで語りかけるのだった。
「よう、アクア。ただいま」
「…………おかえり、なさいませ。お早いお帰りでしたね」
どこかいつもと違う雰囲気のアクアに対しても、魔王コージュは最早動じることなく接する。
「ああ。お前が空間魔法を妨害して、島の結界にまで細工していなければ……もしかすれば発動前に間に合っていたかもしれんがな」
「それでも、まさかここまで早いとは想像以上ですわ。もう二度とお会いすることは叶わないと思っていましたから。流石はコージュ様です」
眼前で繰り広げられる光景とはあまりにかけ離れた、まるで普段通りであるかのような会話をする魔王コージュと王妃筆頭のアクア。
もしもテレパシーでそれを聞いていた者がいれば、あまりの静けさと穏やかさに何も起きていないのかと錯覚していたのかもしれない。
だが、その場に居合わせた者には、その会話など耳に入りはしなかっただろう。
「…………な、何なんですか、これは……?」
――――例えば彼、ベルのように。
異常を感知し、いち早くその場に駆け付けたのは……やはりと言うべきか一番弟子のベルであった。そして、それに同行するようにイエノロの姿も。
「ま、魔法……陣……?」
「ああ。それも特大のな」
「……」
彼らの目の前では、アクアが両手を翳す先で――――妖しく輝きを放つ巨大な魔法陣が、大地に刻まれていた。
それは島に存在する小さな丘を越えた位置に、海岸沿いまでを埋め尽くすほどの広大さで展開されていた。ところどころが虹色に瞬きながら煙のように流れる魔力は、かつてこの島に溢れていた禍々しい属性マナの奔流を想起させる。
そんな尋常では無い術式の意味を理解出来るのは、この場ではアクアと魔王の二人だけである。それは才能溢れるベルでさえ今まで想定したことの無い規模と、そして複雑さであったのだ。
すると無言でそこに力を籠めているアクアの様子を目にし、ベルは急ぎコージュの近くへと駆け寄って行く。
「こ、これ、危険性とかは……?」
「危険も危険、ヤバい代物さ。このままだと世界が滅びかねん」
「だ、駄目じゃないですか⁉ どうして止めないんですか⁉」
「いやあ、それがなぁ……」
その台詞の重さとは裏腹に、間の抜けたような軽い口調でポリポリと頬を掻きながら話す魔王コージュ。
あまりに拍子抜けなその姿に、ベルは思わず彼の腕へと掴みかかって揺さぶる。
「と、止めてくださいよコージュ様‼ コージュ様なら可能でしょう⁉」
「それが……できんのだよ。というか、今止めると魔法陣が暴走して大地が崩壊してしまう可能性が高いのだ。この段階では俺にもどうすることもできん」
「……そ、そんな……?」
ショッキングな事実を告げられ、覚束ない足取りでふらつき始めたベル。
……だが、次の瞬間にはキッと前を向き、その視線を術者と思われるアクアに向けて身構えた。
「――――いや、まだです‼ 魔法陣が駄目と言うなら、せめてアクア様の方をなんとかして……」
そう言い放つや否や、全力で大地を蹴ってアクアへと突進し始めたベル。
……しかしながら、その視線の先にいた元凶のアクアは、何故か脱力してガクッと倒れ込む寸前であった。
「……へっ?」
ベルがそんな気の抜けた声を出したのとほぼ同時に、彼女の崩れ落ちる体を魔王がしっかりと抱き止める。
その表情は焦るでも怒るでもなく、とても穏やかで落ち着き払っていた。
「……まったく、無理し過ぎだぞ? ほとんど魔力も体力も枯れ果てる寸前ではないか。どれ、俺のを分けてやろう」
「…………申し訳ございません、コージュ様。ですが、お怒りにはならないのですか? てっきり私は、勝手な振る舞いに怒った貴方様に平手打ちされるくらいは覚悟していたのですが……」
「いや、ここまで見事に出し抜かれてしまってはな。俺も形無しで、素直に凄いと思えるよ。というか、流石は俺が愛した人だ……と誇りにさえ感じるほどさ」
「……フフ。それは嬉しい限りで。光栄でございます♪」
状況とは釣り合わない惚気を披露する二人の姿に、ベルは魔法陣へと恐怖を抱く一方でただただ呆れ返るしかない。
その穏やかさは魔王ですら諦めるしかない絶望的な状況を連想させ、世界滅亡のカウントダウンが既に始まっているのではないかと彼に想像を齎した。
「……もう、手遅れってことですか? 世界は、もう……終わりで……?」
そう言ってガクリと膝をついたベルに、何故かキョトンとした顔で話しかけたのは……コージュではなく、アクアの方であった。
「……あの? 先ほどから随分と不穏な物言いですけれど?」
「……へ?」
「……私が展開したこの魔法陣は、そういった……世界を滅ぼすなんて大層なものではございませんよ? 言うなれば、ただの召喚陣ですわ」
「……はい?」
そんなアクアからの言葉を受けて狐につままれたような顔になったベルは、恐る恐る魔王の方へと視線を動かした。
そして彼にアイコンタクトでアクアの台詞の真偽を問うと、魔王はそれに応えるように大きく頷いてみせる。
「……ああ、確かに召喚陣だな。途中で止めると危険極まりないが、このままにしておけば召喚を果たした後で消えるよ」
「私がほとんど全ての生命力、魔力を費やさなければならない少し特殊な規模のものではありますけれど。それ以外は特に害の無い代物です。まったく、本当に冗談がお好きな御方ですわね」
「……な……」
魔王が告げた事実を聞いて、ベルは全身の力を抜いて倒れ込み、ドサッと大きな音を立てて地面に尻もちをつく。
「なーーーーんだァ‼ もう、ビックリさせないでくださいよォ‼」
安堵の表情を浮かべて天を仰ぎ見ると、ベルは大きな大きな溜め息を漏らして、ぐったりとさらに全身から力を抜いた。
流石の彼も、呆れと怨嗟の視線で魔王を睨み、恨み節のように魔王へと向かって文句を投げかけた。
「世界が滅びるとか、冗談にしても迫真の演技過ぎます! 本気で焦ったじゃないですか‼ コージュの意地悪‼」
「フフフッ。本当ですわよ、コージュ様ったら」
「……」
そんな穏やかな空気の二人に見つめられ、魔王コージュはただ一言だけ言葉を発すると、その視線を真っ直ぐに魔法陣の方へと向けたまま……険しい表情へと変わっていくのだった。
「……別に、冗談などでは無いのだがな」
――――その日、イシュディア国は未曽有の危機に晒されることとなる。
彼女の手で、この地に齎されたものによって。
かなりの期間に渡って中断してしまい、誠に申し訳ございませんでした。
それでもブクマを外さずにいてくださった方、新たにブクマやアクセスをしてくださった方には感謝の念に堪えません。本当にありがとうございます。
今後も、よろしくお願いいたします。




