第七十話
大変長らくお待たせしてしまい、申し訳ございません。
本日もよろしくお願いします。
魔王コージュに抱き締められ、その影で泣きじゃくる少女。
十三歳とはいえ、その体は魔王の陰に隠れてしまうほど小さく、か細かった。
「……ユイを頼む」
暫く経ち、その涙と声が少し枯れたタイミングで、コージュは真剣な眼差しで傍に控えるアクアたちに彼女を任せる。
そして、その力強い瞳は一度仲間たちに向けられた後、再び会場内でざわめく参加者たちの方へと移された。
「……」
大らかだった先ほどまでと違い、見ているだけで圧倒される気配を纏う魔王。
次にどんな台詞が出されるのかと注目が集まる中、彼はゆっくりと口を開く。
「……うちの国の者が失礼をした。無礼の責は全て俺が負おう」
その静かな声には、強く深い感情と意思が込められていた。
明らかに先ほどまでとは違う雰囲気に呑まれ、冷や汗を流して硬直する者も。
いつもの魔王ならば「おっとすまん、威圧してしまっていたようだな」などと軽い口調で雰囲気を和らげてくれるが、今の彼はむしろその圧を強めているようにすら思える。
その様子から、参加者たちは彼がこれまでどれほどの実力を隠していたか……否、手加減をしてくれていたのかを悟る。
とんでもない存在だとは分かっているつもりでいたが、今この瞬間に感じる底知れない彼の力の強大さに寒気すら覚えていた。
そんな空気の中、魔王は表情を変えることなく言葉を紡ぐ。
「だが、これで少しは分かっていただけたであろう? 君たちとは縁遠く……ほとんど無縁と思える五種混血の者というのが実在し、生きているということがな」
そう語りながら、会場の人々の目を見回すコージュ。
今の彼と目が合った者は、まるで心の中を見透かされているような錯覚を覚えたことだろう。
しかしながら実際は錯覚では済まない。現実に魔王は心の声を読み解き、彼ら彼女らの本心を見抜いているのだから。
そして、今現在どの者がユイに対して慈愛の心を抱いているのか、あるいは彼女を蔑視しているのかをしっかりと認識していた。
「……五種混血の者というのは身分が低い。というより身分など無いに等しい。見付かったらその時点で島流しに遭う……実質死刑と変わらん仕打ちが待っているなど、それは最早人族のそれとは思えんよ、俺には」
そんな魔王の言葉に、何名かの心の中で「そうだ、五種混血は人では無いのだ」などと悪辣な思念が浮かぶ。
コージュはそれを聞き逃さず、強烈な眼差しをその者たちへと向けた。他の者たちにとっては分かるはずもないのだが、当の本人はさぞドキッとしたことだろう。
「言い方が悪かったな。誤解を与えてしまう言い方だったよ。人とは思えん……というのは、それを平気で行える者たちのことを言ったのだ。つまり君たちのような者のことだよ」
穏やかな口調でそう言い切った瞬間、刹那のざわめきと緊張が走る。
それは一見すれば、彼が全参加者に喧嘩を売ったようにも思えたからだ。六か国が集まるこの場でそんな発言をすれば、下手をすると国同士の争いの火種にもなりかねない。
だが、彼の視線は明らかに数人の者たちにだけ向けられており、それ以外の者は意図的に避けられていた。
だから、一部の者たちは察した。彼は確実に誰かを意識して「君たち」と呼んだのだということを。
「そういう文化……といえば聞こえはいいし、納得せざるを得ない空気も出せよう。まさかそこに他国の者が意見などすれば、それは敵対行為とも取られかねん。地位ある者なら尚更で、最悪……戦争へ向けて口実を作らせてしまう可能性すらあるからな」
「「「……」」」
「しかしながら、この場を借りてハッキリと言わせてもらおう。血統がどうだとか、生まれがどうだとか、そんな理由で人が人の生存権を左右するなどあってはならんことだ。島流しというのが六国全てにある以上、どの国も例外ではない。お前たちのその文化は……絶対に間違っている!」
言葉を濁すことも、オブラートに包むことも、言及を避けることもせず、魔王の口からは明確な否定の言葉が出された。
今回のそれは各国に対する強烈な否定であり、いくら彼の弟子であろうと王たちにも無視や聞かなかったことにはできない台詞である。
「ハハハッ。最初からこうしてハッキリと言えば良かったな。そうすれば俺の家族が泣くことも無かっただろうに」
そう言って天を仰ぐ魔王。
だが不思議と、彼の世界を否定する言葉に激昂する者はいなかった。
それは彼のことが恐ろしいからという理由ではなく、参加者たちの大半がなんとなく分かっていたからだ。
彼の話にまだ続きがあるということを。
なにせ、弟子である王たちが真剣な眼差しを彼に向けたまま沈黙しているのだから。
自国の代表が微動だにしないなら、これまでのパターンからしてきっと何かあるはずだと学習していたのである。
「……そこの君。闇の国の三列目にいる君」
「……は? えっ? 我輩でしょうか?」
「そうだ。君には家族がいるかね?」
「は、はい。妻と二人の娘がおりますが……?」
唐突に、会場の一人の男が魔王から指名される。
あまりに突然のことで男はオドオドとし、困惑に染まっていた。それも無理はなく、この場面で魔王に家族構成を聞かれれば誰しもが脅されているのかと錯覚してしまいそうなもの。
「では、そちらの土の国のレディは?」
「わ、わたしでしょうか? 姉と姉の子と三人暮らしですが……あの、わたしの家族をどうされるおつもりで?」
「いや、すまんな。別に君たちの家族をどうこうしようという話では無い。安心してくれたまえ」
そんな断りを受けて、指名された二人はホッと胸を撫でおろした。
だが魔王がいったい何故そのようなことを聞いたのかと、全ての者の視線は一層魔王に集まった。
すると、再び魔王はゆっくりと口を開いて語り出す。
「……ある日のこと、君の娘さんたちが五種混血だったと判明した。そしてそれを嗅ぎつけた周囲の者たちから二人を島流しにしろと命じられたら、君はどうする?」
「……!」
「そちらの貴女も。お姉さんの子どもが五種混血だったと分かり、それを庇ったお姉さんごと舟に放り込まれて死の大地に流されてしまった。どう思うかね?」
「……ッ⁉」
急に浴びせられた残酷な質問に、名指しされた二人ともが言葉に詰まる。
それは彼らだけではなく、会場の参加者たち全員に恐ろしい想像をさせた。
「……お、お言葉ですが、我輩と妻は三種混血。そのうち二つの血が同じゆえ、生まれたとしても四種混血が限界。五種混血が生まれることはあり得ません」
「わ、わたしの姉もです。子どもは既に三種混血と判明しております」
「例え話さ。現実にあり得ないことでも想像くらいはできるだろう?」
「……そ、そうですね。実際あり得ないので正直想像もつきませんが、きっと悲しんで手元に置いておこうと抵抗するやもしれません」
「……わたしは、姉の判断に任せると思います。もちろん親身になって相談には乗るでしょうが」
二人の答えを聞き、魔王は表情を歪めて歯を食いしばる。
「それでも、長年培われた文化だから許されないのだそうだ。君の娘たちは、庇った妻と一緒に大海へと流されてしまった。理不尽にもそれで永遠にお別れだ」
「なっ⁉」
「君の姉とその子も強制的に沖合に流され、死の大地に着くまでもなく海の怪物に舟ごと食われてしまったよ。君の見ている目の前でな」
「えっ⁉」
「他の者たちも想像してみてほしい。自分の家族が、血統だから文化だからと不条理な理由でそんな目に遭わされてしまう情景を。他人の手で引き離され、庇えば自分もそういう目に遭わされる恐怖から黙って見捨てるしかない絶望を」
魔王のセリフに、多くの者たちが顔色を悪くしてざわつき出す。だがそれでもまだ他人事なのか、その大半はすぐに表情を戻していたが。
彼はそれを見逃さず、追い打ちをかけるようにさらなる言葉を重ねた。
「どうだね? 許容できる文化だと思うかね? 君たちは自分の身にそれが降りかかったとき、仕方のないことだと家族の手を離して見捨てることが可能か?」
「「「……」」」
「今この時に、それを廃絶するための努力さえしていたら……と後悔するとは思わんか? どうかな?」
「「「……」」」
そんな話で沈黙する参加者たちの中で、一人の貴族階級の者が手を挙げた。
「……で、ですが、実際にはそうなりません。そうならないよう、我々は自らの血統を調べた上でリスクを避ける組み合わせの婚姻を結んでおります」
「そ、そうですとも、こちらの国も同じでございます。ですから五種混血が誕生するのは、愚かな貴族がそれを無視して駆け落ちした場合や無知な平民が無計画に交わった場合のみなのでございます」
「そうだ、そうだ! 尊き我々が主導する限り過ちは起きないはずなのだ! 我々が悪いわけではない!」
便乗して口を開いた一部の者に、流石の魔王も堪忍袋の緒が切れたようで。
彼の表情が怒りに染まった瞬間、同調をみせた数人の貴族たちの体がふわりと宙に浮き上がった。
「ひぃ⁉」
「うわあ‼」
「ぎゃあああ⁉」
「お前たちのこの場凌ぎの言葉が聞きたいわけではない。誰の責任かを問い質したいわけでもない。お前たちにも貴族階級の義務という考え方は存在しているのだろう? 下位の者たちの責を問うならば、それを統括している君たちの責も問われるのではないか?」
「「「……」」」
「……いい加減分かれよ‼ 例え話などではなく、今こうしている瞬間にもこの世のどこかで現実に引き離されている家族がいるかもしれないのだぞ⁉ これから島流しにされ、さっき俺が言ったことを現実にその身に受ける五種混血の者がいるということなのだ‼ それが起きるのは君たち国の上層がそんな間違った文化を野放しにし続けているからだろうが‼ 責任放棄して他人事だと無関係を装いたいなら、せめて禁止令の一つでも出してみせてからにしろ‼ それでも何もしないというなら、五種混血の彼ら彼女らを殺したのは君たちだ‼」
怒りに任せ、強い口調でそう言い放った魔王に、会場内が静寂に包まれる。
浮かび上がっていた数名もシュンとなり魔王に許されたのか、ゆっくりと降下し始めていた。
その中心で息を荒げていた魔王コージュは、静かに深呼吸をしてから再び参加者たちへと真っ直ぐ目を向ける。
「……忘れないでほしい。俺のこの国は、君たちがそうやって見て見ぬふりを続けていたことで犠牲になりかけていた者たちを集めて作られたのだということを」
「「「…………」」」
「ハッキリ言って、この島に普通の移住者などほとんど居らん。皆、何かしら憂き目に遭って俺に出会った者たちばかりなのだ。五種混血の者も、四種や三種、それ以外の者たちもな。もし君たちがこの先も見て見ぬふり続けるというなら、この国の人口はさらに増すことになる」
そこまで話すと、魔王はゆっくりと頭を下げながらその続きを口にした。
「……これ以降、俺の国に加わる者たちには不幸を背負ってきてほしくない。普通にこの国に興味を持って移住を希望する者たちか、今いる住人の知人友人や家族だけになってくれればいいなと思っている。だから……改めて言わせてもらおう。俺に君たちの力を貸してくれ」
「「「……」」」
「俺の家族たちに、これ以上涙を流させないでくれ。もちろん君たちの国の民たちにも。どうか、よろしく頼む」
そう言って深々と頭を下げた魔王コージュの姿に、各国の王たちや一部の者たちがざわつきをみせた。
それでも姿勢を崩すことなく頭を下げたままの彼に、イシュディア魔王国のメンバーにも感極まって思わず口元を手で覆ってしまう姿が。
会場内の全ての視線は今、万能の力を持つ魔王がただ真っ直ぐに希う姿に注がれていたのであった。
ただ、彼がそこまでしても未だ意識に変化を見せない者たちはやはり存在する。
……だがしかし、それ以外の者たちはそれぞれで何かを感じ、考えて、意識の中に小さな変化の種を生み出そうとしていた。
それは真剣に。自国の利益も考えながら。慈愛の精神をもって。まるで自分の家族のことのように。もう……他人事とは考えず。
個々で考え方や思惑に違いはあれど、それでも先ほどまでとは雲泥の差である。
魔王はそれを読み取り、下に向けたままの顔に僅かな笑みを浮かべ、小さな安堵を心の中に抱いたのだった。
「――――ゴホン。あー……声を荒げてしまい本当に申し訳なかった。なんだかおかしな空気にしてしまったが、俺の言いたいことは以上だ。それでは改めて、話し合いの続きに戻らせてもらってもいいかな?」
十数秒ほど経ち、さっきまでより少し穏やかな顔で頭を上げた魔王は、ゆっくりとそんな台詞を口にして会議の続きを再開させる。
そこから先は、再び魔王が言葉に詰まることは無かった。
それは彼が冷静に万能の力を扱えていたからという理由もあったが……なにより、先ほどまでは存在していなかったアイディアが会場内のあちらこちらから回収できたからという理由が大きかったようだ。
そんな参加者たちの変化を目の当たりにして、魔王は思った。
この世界の人々というのも、まだ捨てたもんじゃないな……と。
次話からは通常通り(週に一本以上のペースで)の投稿に戻ります。ご迷惑をおかけして申し訳ございません。
投稿できない間も読んでくださった方、評価してくださった方もおり、感謝に堪えません。ありがとうございます。




