第五十二話
本日もよろしくお願いします。
「そういえば、コージュ様?」
魔王島を出て飛行中のベルが、すぐ傍を並走する魔王コージュに声をかける。
海上で高度もそれなりだが、既にベルにはその程度なら問題ではないらしい。
「なんだ?」
「イシュディアという国名は、どういう意味が込められているのか、お尋ねしてもよろしいですか?」
「ああ、それか。至極単純なもので、俺と……よ……お……つ……あ、あいつらの名前の頭文字だよ」
「え?」
未だ「嫁、王妃、妻」などの呼び方は照れるのか、正式に認めたにもかかわらずアクアたち四人を最終的に「あいつら」呼ばわりした魔王。
ベルもその辺は察したのか、特にツッコミもせずにスルーしていた。よくできた弟子である。
「……コージュ様と、アクア様、フラーナ様、ディーナ様、アロエル様ですか? でも、それだとコアフディアとかになるのでは?」
「あー……そのうち正確に話すさ。今はまだ、詳しくは教えられん。今のお前が考えても無駄だから、気にしないでおいてくれ。とにかくそういう理由だ」
「はぁ……」
「そうだな、一番弟子のお前の名を入れられなかった罪滅ぼしも兼ね、話せるようになったら一番最初にお前に教えてやろう」
「本当ですか⁉ やった‼」
ベルも、魔王を慕う存在である。性別はともかくとして。
それを分かっているからか、ベルの悔しさを少しでも和らげようと魔王は粋な提案をする。実際のところ、ベルは自身の想いに折り合いを付けられており、社会的にコージュと認められたいとか四人の王妃候補と同列になりたいと希望しているわけではなかった。
むしろ、一番弟子という他に代えがたい不動の地位、彼との近しい関係が彼の欲求を充分に満たしていた。
さらには今日のように、これから公務や国内外のことで別行動が増える可能性の高い彼女たちより自分の方が常に付き従える可能性すらあるため、国名どうこうなど塗り潰されるほど内心で興奮していたのだ。
そうとは知らず、魔王は今回も彼とイエノロだけを従え、生まれたての自国から飛び立っていた。
どちらにせよ、自力で飛行可能なベル以外は連れて来られなかったのだが。
「さて、これから少し忙しくなると思うが、お前にも手伝ってもらうぞ?」
「もちろん喜んで! コージュ様の頼みとあれば、一番弟子のボクはなんでもやり遂げてみせます」
「頼もしい限りだな。だが飛行中は危ないから、もっと間隔を空けるように」
「はい!」
頼られ嬉しかったのか、さり気なく距離を詰めたベルだったが、そこは許容されず魔王に離れるよう命じられてしまう。
彼の頼みを聞くと言った手前、ベルは有言実行で離れるしかない。どちらにせよ、魔王と一緒にいられるだけでも彼はとても嬉しそうではあったが。
「さて、それではちょっと寄り道をしてから、本格的に巡るとしよう」
そんなベルの反応にも慣れたもので、魔王は然程気にもせず目的の場所を目指して飛行速度を上げていく。
ベルとイエノロもそれに難なく付き従い、彼の赴くまま共に目的地を目指すのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
時は少し遡る。
魔王島と周辺の海を国土として、「イシュディア魔王国」が産声を上げたその翌日のこと。
前日の魔王コージュの言葉を早速実行しようと、仲間たちは鼻息荒く彼の背中を追っていた。
「……皆、素直で良い子ばかりだなあ」
そう嬉しそうに言ったものの、カルガモの親子のような状態には頭を抱えるしかない魔王。
仲間たちは皆、善意で行動してくれているのだから、尚更「散れ」とは言い難く。何か適当な仕事を与えるにしても、流石に国名を決めた翌日では皆無である。
意欲の高まっているところに「じゃあ、草むしりとか積み木遊びでもやっててもらおうかな?」といい加減過ぎる指示を出すのも可哀想だし、どこぞの軍曹のように「まずは資本となる身体作りからだ! 弱音を吐くことは死を意味する!」と全員にトレーニングを言い付けるのもあんまりだ。
なんだかんだ真面目なところのある魔王もまた、皆のために脳が煮え滾るほどに考え込んでしまう。
そうして、考えて考えて考え抜いた彼は、遂にある結論に至った。
「みんな、聞いてくれ」
「「はいッ!」」
「……自分の中に眠る可能性を自力で探るのも大事なことだぞ? というわけで、まず最初は自己分析と瞑想を空いた暇な時間にでもやって、自分について徹底的に考えてみよう。細かいことはアクアたちと、弟子のユクたちに任せるのでな」
「「「はいッ‼」」」
「……はい?」
「……へっ?」
「……いや、ちょっと待――――」
「では、俺はベルとイエノロを連れて、早速他国に建国の宣言をしてくる! 忙しくて暫し帰れんかもしれんが、皆は焦らずに、じっくりゆっくりのんびりとやるのだぞ! ではな!」
彼は逃げ出した。
最低である。
……冗談はさておき、魔王は自分がいることで気合いの入り過ぎた皆が熱暴走を起こし、このままではおかしな方向に頑張り過ぎるかもと察したのだ。
色々と頑張ってもらいたいのはやまやまだが、島に暮らす何割かはまだ幼い子どもたちなのだ。集団の空気に中てられ、限度を超えて変に無茶をされても困る。
怪我などであれば彼に治せるが、子どもたちの精神の成熟具合や方向性は治しようもなく、国王という象徴が誕生したことによりヒートアップした今は、最もその危険性が高まっていた。
加熱し過ぎた挙句に、一部の宗教団体に見られるような妙な信仰心などで歪まれては、魔王といえどお手上げである。
なので、仲間たち――――特に子どもらが健全にいられるよう、彼は自分の存在を一時的に皆から離し、クールダウンさせる期間を設ける決意をした。アクアたちに丸投げしたのも、彼女たちなら皆を上手く落ち着かせられるはずだと信じたからだ。
決して、面倒になったとかそういう理由ではない。投げ出したわけでもない。時期を見て、それぞれに見合った適切な仕事を割り振るつもりはあるのだ。
それに真面目な話、他国へ建国の宣言をするのは早ければ早い方がいいという理由もあった。
さっさと六国に認めさせ、正式な国にしてしまってから運営開始しても彼と魔王国なら問題無い。その方が本格的に皆に分担してもらう仕事も発生するため、熟考の末に魔王はそういう決断をしたのだった。
「――――さて、それでは最初の寄り道も済んだことだし、最初の国に乗り込むとするか」
そう呟き、寄り道したとある場所から飛び立った魔王は、ふと何かを思い出したように一時停止して懐を探りはじめる。
「おっと、忘れるところだった。ベルよ、これを持っておけ」
「はい? 何ですか、それは?」
「眼鏡というやつだ。俺特製の、魔法の品さ」
そう言って彼がベルに手渡したのは、薄っすらと色付いたレンズが装着してある眼鏡であった。
一見すると、何の変哲もない眼鏡にしか見えない。
「眼鏡って……上流階級の人たちが視力を補うために持ってる、アレのことですよね? そんな高級品を、わざわざボクのために? 良いんですか?」
「良いも何も、お前のために拵えたのだ。お前が要らんなら捨てるだけだ」
「いえ、捨てるなどとんでもない。毎日丁寧に手入れして夜も一緒に寝ますし、コージュ様と離れ離れの時はこれをコージュ様と思って舐め回し、大切にさせていただきますとも」
「……俺と思って舐め回すとか、ほざいたか? 大事にしてくれるのはありがたいが、普通に持っててくれ。眼鏡は舐める物じゃない」
そんなツッコミを入れて溜め息を吐いた魔王だったが、次の瞬間には真面目な顔をし、ベルにそれの本当の使用用途を告げる。
「冗談はさておき、それはお前の黒い目を相手に認識させないための魔法道具だ。これから他国へ出向く機会が多くなれば、俺たちの島のようにはいかないことも増えてくるだろうからな」
「……」
「もちろん、判断はお前に任せる。お前がそのままでも俺は誇らしいし、無用なトラブルを避けるため目を隠しても一向に構わん。好きな方を選べ」
「……」
それは、黒い目から“魔族”と迫害されたベルの事情を鑑みて、魔王が配慮し用意したアイテムだった。それを装着することで、彼の見た目は一般的な亜人と変わりなく映るようになり、差別や蔑視を避けられるのである。
一方で、彼自身に自己の見た目が普通ではないと意識させてしまうことにも繋がるため、魔王は慎重に言葉を選んでいた。
「……どうです? 似合いますか? コージュ様?」
「……お前は、拍子抜けするぐらいあっさりと受け入れるのだな?」
「気を遣っていただき、ありがとうございます。ですが、ボクはコージュ様の為すことの妨げになる事情を好みません。重要なのは仲間たちにどう映るかであって、他国のよく知りもしない相手に本当の自分を晒すかどうかなど重要ではありません。いずれ、信用に足る人物がいると分かれば、その時に改めて素顔でお会いすればいいだけですから」
「……そうか。お前は強いのだな。とてもよく似合っているぞ、ベル」
そんな言葉を綴ったベルではあったが、哀愁に耽るよりも魔王から褒めてもらったことの方を心底喜んでおり、器用に空に浮かびながらも飛び上がって歓喜の舞を舞っていた。
魔王は、そんなベルを見て感慨深くなり、フッと笑みを零して再び目的地に向けて飛び始めるのだった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……見えてきたな。あれが、闇の国の王宮だ」
とある島々の上空に差し掛かり、やがてそこに大きな町が見えてくると、魔王コージュが一つの建物を指差して話し始める。
「最初はあそこで話をしてみよう」
「何故、この国からなんですか?」
闇の国の出身であるベルは、内心で複雑だったことだろう。
自身が迫害されたその場所なのだから、当然のことである。
「まあ、ベルからすれば憎き国かもしれんがな」
「いえ、そんなことは……」
「お前を弾き出したのは、実際のところは根付いた文化とお前のいた地方だ。この国のトップが命じたわけではない。だから、今から会う王族個人に負の念は抱かんでもら……」
「大丈夫です。ボクは、コージュ様と皆さんに救われましたから。今はもう、そんなのはどうでもいいんです」
「……そうか。分かった」
すっかり吹っ切れた様子でそう言い切ったベルに、魔王もそれ以上は口を噤む。
内心では未だ消えない想いもあるかもしれないが、コージュは彼の強さを信じたのだ。弟子を信じてやることも師の大事な役目である。
「では行くぞ? 準備はいいか?」
「はい!」
「かしこまりました」
ここまで影の薄かったイエノロも、ベルの隣で大きく頷く。
イエノロはイエノロで、ここまでに活躍してくれていたのだが。そんなそぶりなど感じさせない淡々とした様子で、イエノロはいつもの通り空気のように存在していた。
「よし。それじゃあ――――お邪魔するとしよう!」
その言葉とともに、魔王コージュが急降下を開始する。
彼の視線の先には、開け放たれた休憩室でひと息ついていた一人の男と、そのボディガードたちの姿があった。
長い間平和で、すっかり平和ボケしていたのだろうか。国のトップともあろう者が開放的な空間で気を抜くなど愚の骨頂だが、まさか自国のど真ん中で空から急降下してくる者がいるとは戦時下であっても想定できなかったかもしれない。
結局、魔王コージュがその空間に突入する寸前まで、ボディーガードたちは全く反応できずにいた。着地した際に巻き起こった風圧で漸く気付いた者もいたくらいである。
「……は?」
「――ッ⁉ 国王様‼ お下がりください‼」
「緊急事態だッ‼ 厳戒態勢ッ‼」
「国王様をお守りしろッ‼」
「フフン。大丈夫だ、俺に敵意は無い。いきなり不躾で申しわけないが、お初にお目にかかる、闇の国の国王殿。俺の名は魔王コージュである」
そんな声が耳に届いたのか。その場で最も惚けていた男が、ハッとなって漸く表情を引き締めた。
もしも魔王コージュが暗殺の意図を持っていたのなら、今の瞬間だけで彼は軽く十数回は死んでいたのだが。知らぬが仏である。
「……アルファからデルタまでは、かかれッ‼ 敵を排除し――」
「まあ、待てと言うのに。お前たちでは千人単位でかかってきても、俺に触れることすら叶わん。諦めろ」
「……な、なんだと……ッ⁉」
恐らく、ボディガードを統括する部隊長か何かなのだろう。
いの一番に口を開いた屈強な男が、部下に突撃を命じるため放った文言が言い終わるより前に、既に部隊は彼一人を残した全員が膝をついてしまっていた。
そして、彼自身も間もなく立つ力を失ってガクリと膝をついてしまう。他の者たちのようにすぐ崩れなかったのは称賛されるが、結局彼も何が起こったのかすら分からないままだった。
「すまんな国王殿、騒がせた。もう一度言うが俺に敵意は無い。この者たちは有無を言わせぬ臨戦態勢だったので無力化させてもらったが、俺はあんたと話をしに来ただけだ」
「…………そ、それなら、普通に門を叩いていただくわけには?」
「それであんたと会えると思うか? 門前払いが関の山だろ?」
「…………目的は何です?」
少し気障な印象を与えるスレンダーなその男は、必死に取り繕って内心の焦りを隠そうとしていた。だが、魔王にそんなものが通用するはずもない。
それでも、こんな状況下でも平静を保とうとする辺りは流石であり、魔王も彼に一目を置く結果となった。
「何度も言っているが、話がしたいのだ。あんたに危害を加えるつもりはない」
「……そんな言葉を間抜けにも信じろと?」
「いや、そうするつもりがあれば既にやっている。この男たちの様子からも、実力差は理解してもらえると思ったのだが?」
「……フフフ、大層な物言いですね? ですが、その言葉は真実のようだ」
そう言って、男は青褪めた顔で自分の周囲に崩れ落ちたボディガードたちに視線を移す。コージュならその一瞬の隙で背後に回ることもできたというのに、あまりに現実離れした状況に男も完全には冷静ではいられないようだ。
「……わかりました。どうやら、その脅しには屈するしかないようです」
「脅しではないのだがな? まあ、この状況では仕方のないことだ」
「……では、奥の部屋でもいいですか? 応接間があります」
「ああ、茶の一杯でもいただけるとありがたい。因みに俺に毒物は効かんから、無駄な画策は止せ」
その言葉で諦めでもついたのか、大きく溜息を吐いた男はくるりと魔王に背を向け、室内の方に歩き始める。
それを見届けた魔王は、膝をついていた男たちに回復魔法を施してやり、軽くなった体で再び臨戦態勢を取ろうとした隊長格の男と目を合わせた。
「いきなりすまんかったな。驚かせて悪かったが、何度攻撃して来ても無駄だ。諦めて俺たちを案内してくれんか?」
「…………それは、できかねます。我々は王をお守りすることが任務ですので、どうあっても不審な輩を近付けさせるわけにはいきません」
「ほう? 力の差を知って尚、俺に立ち向かってくるのか?」
「敵う敵わないは関係ありませんので。この命を賭し――」
「構わん。こっちに案内して差し上げろ、ゲルカ」
背後からそう声をかけられ、ゲルカと呼ばれた隊長格の男が振り返る。
すると、そこでは執事のように室内に続くドアを開ける国王の姿があった。
「し、しかし、国王様……」
「流石に敵わんと分かるよ、抵抗するだけ時間の無駄だ。さっさと用件を聞いてお引き取り願った方が得策じゃないかね?」
「ほう? なかなか話が分かるではないか。少し気に入ったぞ」
「それはそれは光栄です。どちら様だか存じ上げませんが、なるべく早く済むよう心から願っておりますよ」
そんな国王に触発され、ボディガードの男たちも次々と彼の命に従って、周囲を取り囲みながら魔王たちを応接室まで案内することに。
最早諦めの方が上回ったのか、応接間では国王自らボディガードたちに部屋の外での待機を言い付け、彼と魔王一行、そしてゲルカと呼ばれた隊長格の男だけが中に入ることを許された。
もちろんボディガードたちからはブーイングの嵐ではあったが、国王なりに被害を最小限に抑えられるよう考えてのことだったのだろう。最悪の場合、自分が死ぬのは最早確定としても、ボディガードたちには次の王を守ってもらわねばならないからだ。
普通なら王族としてあり得ないだろうが、目の前に配下を従えた埒外の化け物がいては、彼らに王を命懸けで守ってもらうことすら無意味に思えてしまう。ならば、少しでも可能性のある次代の王のため行動する方が幾らかマシであった。
そうして、応接間では王自らが茶を注いで魔王に差し出し、その入り口のドアをゲルカが仁王立ちで塞いで守っていた。果たして、何をどう守れているのかは甚だ疑問ではあったが。
「ほう、王が手ずから振舞っていただけるとは、光栄の極みだな」
「まったく……これなら毒も入りようが無いでしょう? 私も同じものをいただきますのでご心配なく」
「なに、そんな心配は最初からしていないさ。やっても無駄だしな」
その言葉に呆れかえる国王に、魔王コージュはあっけらかんと本題を切り出すのだった。
「改めて、ご挨拶申し上げる。俺の名はコージュ、魔王コージュという。お前たちが死の大地と呼ぶ地を改良し、この度ひとつの国として名乗りを上げることにしたのでな。今回はその初代国王として、建国の宣言と挨拶に出向いた次第である」
次話は今日中には投稿したいと思います。




