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第四十三話

本日もよろしくお願いします。




 ヒルナと名乗る少年の乱入により、足をへし折られる最悪の展開を逃れることができたディーナとターシャ。

 彼女らを痛めつけようとしていた当のサゾリも、今はヒルナ少年と睨み合いを続けている。


 ヒルナがいったい誰なのか分からないままではあるが、ディーナとターシャは二人の動向を見届けるしかなくなっていた。

 そんな中で先に口を開いたのは、サゾリの方であった。


「……てめぇ、何者だ? 目的は何だ?」


 その問いかけに、ヒルナ少年はあっけらかんと答えてみせる。


「さっきも言ったが、俺はヒルナという。ただの客だよ」


「……客、だと?」


「ああ、この店のな。ちょっと入り口が分からず、こんな場所に来てしまったが」


 そんなことを言い放つ少年に、二人の少女はポカンとしていた。

 だが、サゾリはそれが笑えないジョークだとすぐさま理解した上で、臨戦態勢を解かずに返答する。


「……それはそれはお客様。悪ぃんだが、ここはうちの事務所なんでねぇ? とっとと出て行って、表から出直してくれっか?」


「まあまあ、そう言わず。折角来たんだから茶ぐらい出してくれたまえよ」


「……茶ァ飲ませたら黙って出てくんか?」


「ああ、もちろんだとも。()()()()()と一緒にな」


「てめぇ……!」


 その巫山戯(ふざけ)た言い回しに、サゾリは青筋を浮き立たせて怒りを露にする。

 だが一方で、その言葉は二人の少女にとっては救いの言葉ともなった。


「あ、あたしら……かい?」


「てめぇ、どこの回し者だ?」


「言っただろ、ただの客さ。どの組織とも繋がりの無い、ただのヒルナだ」


「そんな戯言、俺様が信じると思うんか?」


「事実なのだがなあ? まあ、信じてもらえなくても別にいいが」


 サゾリとて、普段ならこんな巫山戯(ふざけ)た相手は即座に殴り飛ばして部下に処理させるか、店の外に放り出して見せしめにするところだ。

 だが、そのヒルナと名乗る男は隙が無く、それどころか明らかに自分より格上だと見ただけでも理解できていた。だからこそ彼も動けず、こうしてグダグダと無駄な会話を続けながら攻めに転じる機会を窺っているのである。


「……まあ、てめぇが誰でも構わねーさ。目的は……こいつらを買いてーって話でいいのか?」


「ああ、その通りだ」


「だが、生憎この二人は売約済みでな? 悪ぃが他を当たってくれるか?」


「金ならあるぞ?」


 そう言って懐をまさぐるヒルナに、サゾリは笑いを堪えられずにクカカと声を漏らす。

 サゾリが計画している裏の客に売る額からすれば、ヒルナがいくら出してこようと比較にはならないのだから。腕は立つようだが、裏世界の常識には疎いらしい。


 しかも「店の客」というからには一晩相手をする前提で話しているのだろうし、ここで彼の相手をさせて経験ありになってしまえば流石に裏の客には売れなくなる。あるいは辛うじて売れても、本来狙っている儲けの額からすればサゾリは大損する羽目になろう。

 どうにかしてこの場を切り抜けて二人を未経験のままで金に換えねばと、サゾリは執念深く機会を窺い続ける。


「坊ちゃんがどれだけお金持ちか知らねーけど、この二人は上物でな? 商談成立させた相手は、金貨五十は出す相手で……」


「なら白金貨でいいか?」


「は? だから、いくら出されようと先に買ったやつは……」


 ……と、そこまで言って、サゾリはたった今耳に入ってきた言葉をゆっくりと反芻する。

 そして、その意味に漸く理解が追い付き、信じられないものを見る目で彼を見た。


「一人が金貨五十枚なら、白金貨一枚でちょうど釣り合うだろ?」


「……お、お、おま、おま――――それ、本物か?」


 ヒルナ少年の行動は、サゾリの想定の斜め上を行っていた。彼がスッと取り出したのは、紛れも無く本物の白金貨だったのだ。

 サゾリほど裏社会で金を漁ってきた者ならば直感でそれが本物かどうか分かるもので、視覚的な情報以上に雰囲気や()()()がそれを本物だと彼に伝える。


 だが、そんなはずが無いと彼も冷静に考えを巡らせた。

 こんな若い男が金貨五十枚――――日本円で五百万円を持っていただけでも驚きなのに、あろうことか懐から一千万円に相当する白金貨を取り出したのだ。普通に考えたらあり得ないし、状況を鑑みれば確実に偽物である。


 というか、サゾリが言ったのは()()()五百万という話であり、目の前に出された白金貨なら釣りを出さねばならないのだが。

 普通の人身売買なら下は二束三文から、上は高くても数十万円という相場だから、金貨五十枚ですらとんでもないというのに。白金貨など、複数人でも扱わなければまずお目にかかることの無い硬貨なのだ。


 流石にサゾリなら、以前の奴隷商のように換金できないということは無いが。


「本物だ。ほれ、確かめてみろ」


「グケェ!? バ、バカ野郎!!」


 そして次の瞬間、無防備に放り投げられた白金貨に、サゾリが珍妙な声を上げて慌てふためいた。

 その隙を突いて攻撃してくるのかと思いきや、ヒルナ少年は微動だにしない。


 交渉成立すらしていないのに、相手に一千万円相当の硬貨をただ投げてよこすなど狂気の沙汰としか思えない。馬鹿にも程がある。

 だが、サゾリにはそれが圧倒的な強者の余裕に思え、彼は一層背筋を凍らせることになった。それが、お前などいつでも倒して金を奪い返せるのだというメッセージとしか思えなかったのだ。


 ()()()()()()()()()()()()をしているのに、ヒルナ少年はサゾリにとって本当に恐ろしい相手であった。真相は別として。


「…………た、た、確かに、本物みてーだな。ほ、ほれ、返すぜ?」


 一瞬の逡巡をみせたサゾリであったが、その白金貨を持ち続けるのが恐ろしくなったのか、彼に投げ返す。

 サゾリには、それがあらゆる方向から自分を絡めとりに来る罠に思えてしかたなかったのだ。


 実際はそんなことはないのだが。無欲の勝利である。


「サ、サゾリが素直に返したぁ!?」

「嘘だろ!? 金の亡者のサゾリが金を手放しとぅあ!?」


 彼のその行動があまりに意外だったのか、状況を見守っていた二人からも間の抜けたツッコミが入る。

 一瞬ピキリと青筋を立てたサゾリだったが、今は動けないなと二人のことはスルーしておいた。不意に視線を逸らしただけでもどう転ぶか分からないのだから。


「商談成立ということでいいか? ならばこれを正式に渡すが」


「ま、待て待て! 確かにその金は本物みてーだが、ひょっこり現れた素姓の分からねぇ客に売れるわけねーだろ! どうしてもってんなら、まずは店の客として来い!」


「今まさに、店の客としてここにいるだろ?」


「ちげーよ! 店で女抱いて、実績作れって言ってんだ! てめぇがこの二人の何なのか知らねーし、どんな裏があんのかも知ったこっちゃねーが……どうしても買いてぇんなら、それまでに店で()()()()おいてやる。ただし、額はてめぇが出した白金貨で手打ちだ。他の女抱くのも、もしこいつらを店で抱きたくなっても、それは別料金でいただく。それでどうだ?」


 そんなサゾリの発言に、反応したのはヒルナ少年よりも二人の少女の方であった。


「よかないわよ! あたしらは店には出ないって言ってんだろ!」

「それに、その人との商談にも応じないよ! 結局その人に買われちまったら、その人に弄ばれて終わりだろ? それじゃさっきまでと何も変わらないじゃねーか」


「……黙れ。てめぇらが口を(はさ)めることじゃねぇんだ」


「だ、黙らないよ! その人はとても悪人には見えないけど、それとこれとは別だ!」


 状況を鑑みれば、その少年に買われる以外に二人が助かる術は無いように思えた。

 しかし二人にもプライドというものがあり、ここで助かりたい一心で日和ってしまっては、サゾリに逆らおうとした意味が無くなるのだ。


 筋が通っておらず、結局自分たちがただの商品として身売りされるのは我慢ならなかったのか。

 二人はツーカーで意思を示し、その商談を跳ね退けた上でどうにかこの場を切り抜ける手段を模索しようと頭を必死に回転させていた。


 だが、悲しいかな二人は成人したばかりである。この異常な状況下で自分たちでも気付かないうちに冷静さを失っており、その判断は悪手と言えるものだった。

 その少年の実力とてサゾリのように見抜けてはおらず、彼がこの場から去ってしまっては元の木阿弥なのだと充分に理解することができていなかったのだ。何より、彼が二人を助けるための手段として商談を持ち掛けており、もとから二人の体目当てでは無いなど分かるはずもない。


 少なくとも普段のディーナならばそういう部分にも勘が働いた可能性はあったのだが、今はサゾリのプレッシャーや異常な状況が続いている状態なのだから仕方あるまい。


「……ふむ? 俺に買われるのは嫌か?」


「あ、あんたが悪人だとは言わないが、これはあたしらのメンツの問題なんだ。悪いね」


「……そうだな。例えばだが、俺に買われれば一晩相手をするだけで、その後は充分な金を持たせて自由にさせてやると言ったら? 以後は夜の相手もしなくてもいいし、一生不自由なく暮らせるよう金を渡し続けてもいい」


 そんな、二人を試すようなことを提案してみせたヒルナ少年に対しても、二人の態度は変わることは無かった。

 迷いをみせることすら無く、二人は真っ直ぐに彼を見て言い放つ。


「ありがたい提案だけど、それでもあたしらは体を売ったりはしないよ。青臭くて小っ恥ずかしいけども、自分の()()()は好きな相手に捧げたいんだ」

「たった一度だけとはいえ、自分を売ったりしたら一生後悔しちまう。それはあたしたちの姐さんたちから学んだことで、あたしたちは姐さんたちの二の舞にはなりたくない。それを貫き通すことが、姐さんたちへの恩返しにもなるからね」


「……なるほど、気に入ったぞ」


 その答えを聞いたヒルナ少年は嬉しそうにほくそ笑むと、次の瞬間サゾリから視線を逸らし、それどころか半分背を向ける形で二人の少女へと向き合う。

 そして、彼女たちの顔を真っ直ぐに見つめ返しながら、二人に手を差し伸べた。


「何が何でもお前たちを助けたくなった。金は払うが、助けた後は無条件で自由にしてもらっても構わない。それならいいか?」


「ア? てめぇ、何を勝手なこと……」


「な、何言ってんだい? それじゃあ、あんたがただ損するだけじゃないか?」

「金貨五十枚だよ? ドブに捨てていい額じゃないだろ?」


「お前たちのためなら、金貨千枚でも惜しくは無いさ。いいから黙って貰っておけ」


「な、何だってあたしらのためにそこまで……」


 そう言って戸惑うディーナに、ヒルナ少年はクククと笑ってみせた。

 年相応にも思えるその微笑みには、ターシャも困惑するしかなかった。


「おい、俺様を無視してんじゃ……」


「単に俺が気に入ったからさ。ただの気まぐれだよ。そんなわけだから、店主? この二人はもらって行くことにするが、いいかな?」


 自分に背を向けたままでそう言い放ったヒルナに、サゾリの中で何かが弾けた。


「……舐め、やがって……」


 そのあまりに勝手な言動、そして自分を無視し続けて話を進める姿に、ついにサゾリも我慢の限界であった。

 ブチッと擬音が聞こえて来そうなくらい青筋を立て、彼はそれまでの比ではない殺気を放ち始める。ヒルナとの実力差など知ったことかと言わんばかりに。


「「ひッ!?」」


「……ア゛ーー、ブチギレたぜ。もう、てめぇらが泣いて謝っても許しゃしねぇ。まとめて肉塊決定だ、クソども」


「それは困るな。暴力反対だ」


「――――死ねや、クソがァ!!」


 全身を気で満たし、はち切れんばかりに筋肉を膨張させたサゾリが、未だ背を向けたままのヒルナに向かってその剛拳を振り下ろす。

 そのライン上にはディーナとターシャもいて、彼が避けたりすれば二人の命は無いだろう。それも無意識に計算した上でサゾリは拳を振るっており、サゾリはそれら全てが実力差を埋める手立てになると見込んでいたのか。


 サゾリが迫る姿は、そのオーラと残虐性が見せる恐怖心で何倍にも大きく映っていた。少なくとも、普通の人間には。

 当然ディーナとターシャの目にも、今のサゾリは化け物に見えていた。何度もサゾリの殺気は浴びてきたが、なんだかんだ言ってもそれは彼が手加減して()()()()もの。初めてリミッターの外れた本気の殺気に晒され、二人の心を真なる恐怖が支配し、二人とも死を覚悟した。


 その一瞬で心臓は強く握られたように痛みを訴え、脳は冴えているのに首から上の血液が一気に落下して地面に広がったように錯覚する。

 同時に全身の筋肉が強張り、一方で大事な部分の筋肉が力を失う感じがした。その結果か、地面には水溜りができ上がる。

 それは落下した血……ではなく、彼女たちの足と足の間から流れ出たものであり、仄かに熱を帯びていた。


 怒髪天のまま振り抜かれたサゾリの拳は、たとえガードしたとしてもヒルナ少年ごと背後の彼女たちを巻き込んで壁に叩きつけるだろう。

 ヒルナが如何に威力を()()()()としても、体格差が生む物理的なエネルギーは無かったことにはできないのだ。コンマ五秒前ならまだしも、今からでは全力で逸らしたところで二人の少女を庇うことは不可能であった。


 悪魔のような顔で凶暴な蛮力を振るったサゾリが、その身に纏ったエネルギーごと三人へと襲いかかる。

 周囲の大気を巻き込み、室内のあらゆるものをも力の奔流で引き寄せてすり潰すかのように。暴虐の渦が通り過ぎた後は、壁も床もボロボロになっていることだろう。



 だが――――




「……は?」




 ――――サゾリが、ディーナが、ターシャが思い描く未来予想図ならば、その三人の位置取りは奥の壁際へと移動しているはずであり、同時にディーナとターシャは肉塊に変わるか、良くて血塗れのはずだった。


 だが、エネルギー波が巻き上げた塵埃が収まって晴れた後、そこは……先ほどまでと変わらない部屋の中央付近であった。

 ディーナとターシャに至っては一ミリたりとも動くことなく、自分たちが作り出した水溜りによって熱を奪われており、それがかえって未だ生きていることを二人に教えてくれていた。


 サゾリが間抜けな声を漏らすのも当然で、それは物理法則からすればあり得ないこと。

 どれだけ魔法の力があったとて、火・水・光・闇の属性魔法ではそんなことは起き得ない。風の魔法で防御したとしても、土の魔法で壁を作ったとしても、それごと吹き飛ばせるだけのエネルギーをサゾリは放っていたのだから。


「……な、んで……、なん……でだよッ!? こんなのあり得ねぇ!!」


 サゾリは混乱し、一気に憔悴する。理解できない現象に心身ともに消耗し、先ほどまでの狂気に満ちた彼とは別人に堕ちてしまう。

 狂気と暴虐に溢れていた心は恐怖で満たされ、目の前で不動のまま立つ存在を畏怖するあまり、彼の震える両足はズリズリと後退を始めていた。


 今の彼には、目の前に立つのが神に近しい者にさえ思えた。それは強ち間違いでは無いのだから、無意識にそう感じ取れた彼の力量は本物である。

 それもそのはず、一般人の()()()が高くて20台程度のこの世界で、サゾリのレベルは30を優に超えているのだから。


 そんな彼――――サゾリですら指一本触れられない存在が、普通の人間であるはずがない。

 そのヒルナという少年は……言わずもがな、普通ではない。


「そう怯えるな。空間魔法を応用した、ただの結界(バリア)だ」


 ヒルナはそう言って、さっきまでと同じようにサゾリに背を向けて立っていた。


 それは、彼の中では前世の漫画に出て来るありきたりの展開だったのだろうが、現実に起きればファンタジーなこの世界であっても神の奇跡にも等しい。

 そんなものを目の当たりにし、サゾリは遂にその場でヘタリと座り込んで戦意喪失してしまう。


 自分では決して勝てない、傷付けることすら不可能な強過ぎる()()

 ……いや、()()を前にしたことで。




コロナ、本気でヤバいですね。

自宅待機せざるを得ない皆様の暇つぶしになれるよう頑張って書きますので、ご活用いただけたら幸いです。


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