第四十四話
今回も遅くなってしまい、申し訳ありません。
本日もよろしくお願いします。
怯えた表情でヒルナ少年を見上げるサゾリ。
ヒルナをはさんで反対側で、夢幻でも見ているかのような目をして、同じく彼を見上げるディーナとターシャ。
たった今、十数秒前に起きたばかりの出来事は神の奇跡にも思えることであり、それを引き起こしたヒルナは完全に畏怖の対象となっていた。
当人はさっきまで「完璧な俺TUEEE展開をやってやったぜ、ドヤァ」とのんきなことを想像していたかもしれないが、この結果には彼とて焦らずにはいられないだろう。
何故なら、ここまで目立つことを仕出かして畏怖されては、彼がヒルナとしてここに来た意味が無くなるからである。それに漸く気付けたからこそ、彼も冷や汗を拭うことになったのだ。
「……さて、サゾリとか言ったか?」
「ぐひぃッ!?」
「……」
最早取り返しのつかないほど怯えてしまった彼に対し、ヒルナはできるだけ冷静を装って声をかける。
「お前には悪いが、この二人はもらって行くぞ? それでいいかな?」
「……そ、それは……」
「なに、金ならしっかり払うさ。ほれ?」
そう言って、ヒルナは先ほどと同じ白金貨を指に乗せると、軽く弾いてサゾリへと飛ばす。
だが、そこには何故か1×1メートルほどの板状の結界が付随しており、それは威力も相まってサゾリの体を壁際まで吹き飛ばした。
「ぶへらッ!?」
奇妙な声を漏らしながら、サゾリは透明な結界製の板と壁に挟まれる形で圧し潰され、そのまま壁にもたれかかって気を失った。
ヒルナがやったのは所謂「指弾」という技であり、硬貨を受け渡しするには絶望的に適さない方法である。
なお、そこに結界製の板を付随させたのは意地悪からではない。単純に、表面積の小さい硬貨をそのまま指弾で飛ばすと、サゾリの体を貫通してしまう恐れがあったからだ。
なるべく表面積を広くして威力を全体に分散することで、衝撃で気絶するだけで済むよう調整したのである。つまりはヒルナの優しさだ。
手刀で気絶させてから胸元に硬貨を置いておくなど、もっと優しい方法はいくらでもあった気はするが。
「さて、少し記憶を弄らせてもらうぞ」
それはさておき、ヒルナは伸びてしまったサゾリに近付くと、彼の頭に手を添えて何やら魔法を行使する。どうやら記憶の一部を書き換えようとしているらしい。
人の記憶を下手に弄るのは問題だが、例えばヒルナの顔や二人の少女の行く末に関わるようなことだけを本来の記憶から「忘れさせる」だけなら、そう難しくはないし危険も少ない。
その程度なら、彼の人格や今後の生活への支障も出ないだろう。ただし、彼が感じた怒りや恐怖の感情までは消せないから、引き続きあくどい商売を続けられるかは彼次第だが。
「……これでよし。では、お次は……」
そうしてサゾリの方を片付けたヒルナ少年は、次に二人の少女の方に振り向く。
それに一瞬ビクリとした二人だったが、彼にサゾリほどは怯えていなかった。
「さて、お前たち? よければ俺と一緒に来てくれないか?」
「……え?」
「さっきも言ったが、もちろん性的な行為などは求めていない。お前たちを自由にするために少し話がしたい。ここにいてはあまりゆっくりと話していられないようだから、とりあえず安全な場所に移動しないか?」
そう言われてディーナとターシャが周囲に気を配ると、サゾリが壁に叩きつけられた衝撃で建物が揺れたからか、はたまた彼が放った殺気や闘気を部下たちが察したからか、部屋に多くの足音が近付いていることに気付く。
それはつまり、このままだと彼女たちがここから逃げ出せる確率が下がることをも意味しており、ならば今取れる手段は一つしか無い。このままではサゾリの部下たちに捕まって終わりだからだ。
現状だと彼女たちはヒルナに頼ってこの場を切り抜け、そこから自由に向けて一歩を踏み出すという選択をするしかなかった。そして漸く正気に戻った様子の彼女たちならば、今度こそ選択肢を見誤ることなく行動できよう。
その後のことはともかく、今はそれ以外に道は無い。
「……あ、あんたが、どれだけ強いか知らない……けど、無理矢理あたしを犯そうとしたら、その時は、舌を噛んで……死ぬからねッ!」
「あッ!? あ、あたし、だって! ほ、本気だよ!」
「分かった分かった。そんなことをする気は無いから、死なずに生きてくれ。では、同意を得たと見做してちょっと失礼するぞ?」
「「ふへッ!?」」
せめてもの抵抗と、自分たちの貞操を死んでも守る旨の発言をしたディーナとターシャだったが、彼は然程興味も無さげにそれをスルーして、二人の体を宙に浮かせた。
そして二人を結界製の囲いで包み込むと、彼女たちも含めた全員でその場から姿を消してしまう。
バンッ!……と力任せに開かれたドアの音が室内に響いた時、そこには伸びたサゾリ以外の者の姿はなかった。
……とは言っても、未だその場にはいるのだが。
透明化によって消えた状態の三人に気付ける者はサゾリの部下には存在しなかったようで、その者たちはただただ部屋の中の状況と気を失って伸びているサゾリの姿に驚くばかりであった。
それというのも無理はなく、部下たちも伸びた彼の姿を見るのは今回が初めてだったのだろう。
「サ、サゾリ様!?」
「いったい、何が……」
彼の部下たちが戸惑う中、天井近くまで浮き上がった姿無き者たちの間で意思疎通が交わされる。
(お前たちの姿は俺が透明化で消してあるから、あいつらには見えん。俺に何か伝えたい時は、思い浮かべるだけで思念波として伝わるから、声は出すなよ?)
(……わ、分かり……ました)
(……分かり、まし……た?)
(おっと、これも忘れずに処理していかねばな)
そこで混乱するサゾリの部下たちの目を盗み、ヒルナは床の水溜りをそっと消滅させてから部屋を出ていく。
それは当人たちにも見えていたようで、ディーナとターシャの二人は顔を真っ赤にして頭から湯気を立ち昇らせていた。
そんなことはお構いなしに、ヒルナは二人を連れて普通に部屋の入口から出て行く。
壁を壊したり天井をくり抜いて出ていく手もあったが、それが一番楽で穏便な方法だからである。ちなみに入って来た時も、彼は同様に入口から無音で入って来たのであった。
やがてヒルナと二人の少女を乗せた囲いは天井伝いに通路を抜け、無事に建物から脱出することに成功した。
(……ほ、本当に出られた……?)
(こ、これで、あたしたちは……)
星々の瞬く夜空を見上げ、店から……サゾリから解放された喜びを少しずつ実感し始める二人。
だが、すぐにヒルナは町の上空へと向かって上昇し始め、それに追随するように二人を乗せた結界製の囲いも浮上を始めてしまう。
(へッ!?)
(うえぇッ!?)
「……さて、ここまで来れば大丈夫だろう。お前たち、もう普通に声を出しても大丈夫だぞ」
昼日中ならば町を一望できるほどの上空へと浮上したヒルナは、姿は未だ透明にして隠したままで二人にそう声をかけた。
透明化した状態でも、透明な者同士なら互いを知覚することは可能なようで、二人は顔を見合わせてから彼に話しかける。
「……あんた、いったい何者なんだい? 神様の使いか何か?」
「それとも、悪魔? どっちにしろ、サゾリのあんな常人離れした攻撃をあっさり無効化するなんて、とても人間業じゃないよね?」
「ふむ? その質問の仕方だと、どちらかというと悪魔の方が近いかな? 前者は否定しておこう。それとさっきのは無効化ではなく、空間魔法の壁だったから衝撃が伝導しなかっただけだぞ?」
そう答えはしたものの、神の使いというのも強ち間違いとも言い切れない。だが彼女らにそれを説明しても意味はなく、ヒルナはそこを伏せたままで話を続ける。
そしてこの状況で大まかに説明されたところで、空間魔法の仕組みなど彼女たちに分かるはずもなかった。そもそも一般人に魔法の知識など、六属性を除けば皆無な世界なのだから。
「おっと、訂正だ。正確には悪魔ではなく魔王だった。俺は魔王コージュという者でな。よろしく頼む」
「……魔王、コージュ? ヒルナって名じゃなかったのかい?」
「……その魔王様とやらが、どうしてあたしらを高値で買ったりしたんだい?」
続けて出た説明にも、二人はキョトンとしていた。魔王の存在が知られていないのだから、その反応は正しい。
それもそのはず、魔王を名乗る彼が自分たちのために高額の金を払う意味など、二人には到底理解が及ばないからだ。
「しかも……聞き間違いじゃなければ、さっき「自由にしていい」って言ったように聞こえたんだけど?」
「ああ、その通りだ」
「……どこの世界に、破格の金を払って手に入れた女をそのまま解放して自由にする男……いや、人がいるってんだい?」
「ここ、かな?」
「いや、いねーよ! そんなやつ!」
「馬鹿にしてんのかい!?」
そんなツッコミを受け、納得のいかない顔をしている二人に、同じく納得のいかない表情を返すヒルナ。もといコージュ。
どちらが理不尽かはさておき、説明しなければ話が始まらないなと気付いたコージュは、なるべく簡潔に必要最低限の説明を試みる。
「――――かくかくしかじか、というわけである。要は、お前たちのような者を救って歩いているのだよ。魔王……というか一応は国王に近い存在だし、白金貨の一枚程度なら簡単に出せるのもそういう理由だと思ってくれ」
「……う、胡散臭い……」
「……救い出してくれたのは本当のことだし、一応信じてやっからさ? 正直に魂胆を吐きなよ? その内容によっちゃ、話を聞いてやらんことも無いよ?」
「全部本当のことだが?」
「そんなわけあるか! 死の大地を改良したって……できるかッ!」
「クッ! 今回も駄目か……」
最早信じてもらえないのが毎度のパターンだと諦めかけている魔王ではあったが、そもそも原因は魔王の説明下手であった。
そこは自覚しているのだろうが、埒が明かないとでも思ったのか、魔王は遂に二人を力尽くで連れ去るという強硬手段に出ることにした。
「もう、実際見てもらった方が早いわ。嫌なら後でまたここまで送り届けるから、とりあえず一緒に来い」
「「……え!?」」
そうして痺れを切らした魔王に、有無を言わさず自分たちを支える囲いごと移動させられ、二人は為す術もなく海の方向へと飛んで行くことに。そこだけ見れば、やっていることはサゾリ以上に人でなしである。
「い、いや……いやァ! だ、誰か助けて! 犯されるゥ!」
「キャアアアアーー! 神様ァ!」
「ええい、そんなことせんから静かにしろ! すぐに済むわ!」
あまりに不器用なやり方ではあるが、魔王はやっと二人を引き連れて魔王島への帰路に就く。
その悲鳴が大地まで届いたかは不明だが、不憫なことに彼女たちはその後もずっと、誘拐かなにかと勘違いして夜闇の中を叫び続けるのであった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「……で、ここがその島だ」
「……う、嘘……」
「……マジ、かよ……」
暫くして島に到着した二人は、ただただ唖然とするしかなかった。
魔王コージュの話が本当ならば、二人が連れて来られたのは元々死の大地だった場所である。夜だったから上空から見渡すことはできなかったが、この島に降下する際に周囲に島の気配が無いことは二人にも感じ取れたようで、とにかく今は観念して彼に従う以外の道は無いということも理解できていた。
なお、ゆっくりだったとはいえ、夜闇の中をそんな高い位置から島まで落下したのだから、二人が再び粗相をしたのも無理はない。
彼女たちの衣類の一部にはしっとりと濡れた部分があったが、そうなったのは果たして店の中なのか、今なのか。それは最早彼女たちしか知り得なかった。
それはともかく、久々に地上に戻ったのだと気付いた二人は、他の全てを後回しにして結界製の囲いから飛び出すと、懐かしの地面の感触を堪能する。
二人は色気と妖艶さが特色の淫魔族と蛇人族だったが、大地に頬を擦り付けて「もう離さないわ、愛しの大地……」などと呟く姿はただの阿呆にしか見えない。余程怖かったがゆえの反動なのだろうが。
そうして顔を土塗れにした二人がハッと我に返ると、漸く魔王も本題に入る。
「では、まず最初に仲間たちを紹介しようか」
「……お見苦しいところをお見せしました……」
「す、すみません……」
「その前に……どれ、魔法の練習でもしようかな?」
脈絡もなく、突然そう言って魔王が手を翳すと、二人の頭上から温めの真水が降り注いで二人を水浸しにする。
悲鳴を上げる間も無くズブ濡れになった二人は、ポカンとして魔王の顔に目を向けた。
「おっと、すまんすまん。うっかり魔法の発動をミスってしまった。今すぐドライヤー魔法で乾かすから許してくれ」
「……な、な、何しやがんだァ! いきなりィ! この野郎……」
「……失敗なら仕方ないわよね。うん、許すわ。許すから早く乾かして?」
「ディーナ姐さんッ!?」
その意図が読めたディーナは、ターシャを宥めながら彼に再度お礼を言う。
未だ信用とまでは至らないものの、自分たちの失態を無かったことにしてくれた魔王には一応の謝意を感じたのだろう。
そしてコッソリそのことを耳打ちされたターシャも、少し赤ら顔になって彼を許すことになる。
まさかそのままで仲間たちにも会えないだろうから、二人とも急に水浸しにされるという仕打ちについては水に流して黙認したのであった。
「……それで、その仲間たちってのは?」
「さっき店の外で説明してた、あたしらの前に連れてきたってやつらかい?」
「そうだ……が、お前たちが言うと誘拐したみたいなニュアンスに聞こえるな?」
「あたしらのことは誘拐したのと変わりないだろ? なら正解じゃないか?」
「い、言っとくけど、舌を噛むってのは本気だかんね! 絶対、指一本触れんじゃないよ!」
「分かった分かった。では、あちらに見える屋敷に向かうぞ。ついて来るがいい」
そう言われ、やむを得ず魔王に付き従って歩き出したディーナとターシャ。
すると間もなく、先頭に立っていた魔王がピタリと足を止める。
「おっと、いかんいかん。すっかり忘れていたな」
「……ど、どうしたんだい?」
「まさか、やっぱりあたしらを……?」
「いや、うっかり透明化と偽装を解くのを忘れていたのでな。ほれ?」
くるりと振り返った魔王が手を左右の方向に振り抜くと、それまで透明化によって消えていた姿がハッキリと現れ、同時に偽装も解除されることになった。
透明化の方は、かかっていた当人である三人には解除の実感もほとんど無かっただろうが、偽装が解けたことはディーナとターシャには非常によく分かったのであった。
何故なら、偽装されていたのは――――魔王の本当の姿だったのだから。
仮の姿から魔王本来の姿へと戻った彼に、二人はまた呆気にとられることに。
「公の場に姿を出すことになるから、念のため魔法で姿を変えていたのだ。名前もヒルナという仮の名を名乗ることにしてな。では改めて、俺が魔王コージュである。よろしくな、二人とも」
「「……あ、はい……」」
「それじゃあ、行こうか。皆も待っているだろうからな」
空返事をした二人を伴い、魔王はマイペースに仲間たちの待つ屋敷へ向けて歩を進めるのだった。
今年は酷い夏ですね。コロナに熱中症、夏バテ……どれも罹ってはいなくても、対策やら自粛だけでもキツいことになってます。
皆さんも同じでしょうから、お互いなんとか乗り切りましょう。
あと半月で九月です。そこまで行けば、少しは……(希望)




