第三十三話
本日もよろしくお願いします。
「……あれか」
そう呟いて飛行を止め、地上を見下ろした魔王コージュ。
その動きに合わせ、同行していたイエノロと加入したばかりの怪物のギルも眼下を見下ろす。
するとそこでは、二つの人族らしき影が町人たちに背中を押され、半ば強制的に歩かされていた。
その一方の体には蔦のような何かが巻き付いており、もう一方はやけに背が低く見えた。
「ほら、さっさと歩け!」
「……はい……」
「……うぅ……」
進行方向にはこじんまりとした入り江のような場所があり、どうやら一行はそこに向かっているらしい。
その場所では、先行した者たちによって毎度見慣れた小舟が準備されていた。
「……毎度思うのだが、あの小舟を作る分の労力とか費用で、もっとマシなことをしようとは思わんのか? それか、今夜は宴だから特別に島流しは勘弁してやろうとか思わんのかな? 思わんのか、そうか」
「……自己完結シナイデクダサイ。オ気持チハ分カリマスガ……」
「お前はこういうのの事情も把握済みなのだな? 封印されてからどういう経緯を辿っているのか、俺も一度くらい経験してみたくなってきたぞ?」
「それは不可能であると推測されます」
二人からツッコミを受けながらも、魔王はいつも通りにブツブツと文句を口にしながら救援対象の様子を窺っていた。
先ほどのギルの時と同様、幻覚や催眠で解決するのも手なのだが、余計なリスクを避けるために毎回こうして相も変わらず、透明化してタイミングを窺うスタイルのままである。
ギルの場合のように緊急性が高く、他の手段が無いならば仕方ないとしても、遠視の件など未解決のままの懸念材料も無いわけではないので。
「そら、もうすぐ舟に着くぞ?」
「今夜は町で宴があるからな。こういうのはさっさと終わらせてぇんだ。キビキビ歩け」
「……くッ!」
「……うぅ……」
そうして一行は、海に浮かぶ小舟のところまでやって来ると、淡々と作業を進めて二人を小舟へと乗せようとする。
僅かに抵抗する素振りを見せた二人ではあったが、多勢に無勢で逆らえる余地は無いと判断したのか、諦めたように自ら歩を進め始める。
――――するとそこへ、後方から駆け寄る者がいた。
「ちょ、ちょっと待っていただけませんか? ハァ、ハァ……」
「あん? ……って、あなた様は!」
「ま、魔法使い様!? どうして、こんな場所まで……?」
そこに息を切らせつつ姿を現したのは、つい先ほど魔王たちが見かけた魔法使いその人であった。
それが予想外だった町人たちは大いに戸惑っていたのだが、どうやらそれは魔王も同じだったようで。
「……これは想定外だな。いったいどうなるのだ?」
「予測不能です。目的が全く不明です」
そうして魔王が、町人たちが注視する中、その魔法使いは息を整えてからゆっくりと口を開く。
「……そ、その人たちを、どうされるおつもりですか?」
「……へ? この者たちですか?」
「この者たちは五種混血であることが判明したので、これから島流しの刑に処すのですが……」
「……その儀式、考え直していただくわけにはいきませんか?」
そんな魔法使いの言葉に、場の空気が凍り付く。
驚いたのは町人たちだけではなく、島流し予定の二人にも青天の霹靂だったようで、もちろんそれは魔王コージュも同じであった。
「……ほう? なかなか面白い展開になってきたな?」
「……魔王様、悪イ顔ヲナサッテマスネ」
ギルが指摘する通り、今の魔王の表情は凶悪そのものであった。
それはともかく、突然現れて意図も不明なことを言い出した魔法使いに、その場にいた町人たちは誰もがポカンとするしかなかった。
いくら恩のある人物とはいえ、こうなって来ると様々な憶測も浮かぶというものだ。
「……あなた様は、この者たちの関係者か何かで?」
「いえ、全く面識は無いのですが」
「……では、どうしてそんなことを?」
「……あなた方は、その残酷な儀式に何の疑問も抱かないのですか? 同じ人族でしょう? 今夜は宴だと喜んでいたではないですか。では、祝い事に免じて見逃すといった免責もあって良いのでは?」
そんな彼女の説得に、町人たちは驚きを露にする。
言うまでもなく、そんなことを真剣に思う者などいるはずが無いのだから。
彼らにとって五種混血とは、排除すべき劣等種であり、同じ人族ではない。
この世界にはれっきとした階級が存在していて、純血種を筆頭に二種、三種、四種と劣っていき、五種混血は最早忌むべき血統でしかないのだ。
だからこそ、そんな発言をする者がいること自体が信じられなかった。
それが優れた才を持ち、自分たちを助けてくれた魔法使いとあっては尚更だ。
「……クックックッ、クハハハハ!」
「魔王コージュ様。あまり大きな声を上げますと、流石に気付かれる可能性が」
「おっと、すまんすまん。だがこれが笑わずにいられようか? あの女、俺と同じことを言い放ちおったのだぞ?」
そう言って、魔王は先ほどまでとは顔色を変え、腹の底から嬉しそうな声を漏らす。
彼の鑑定でも、彼女は三種混血の貴族階級であり、同じ五種混血だから庇っているわけではないと分かっていた。
これまで、五種混血であっても受け入れてくれる者は多々いたが、自ら進んで公の場で差別や迫害に異を唱えた者を見るのは、彼女が初めてである。
だからこそ、魔王は彼女の存在を心の底から喜んだのだ。この世界にもそんな人物がいたことが嬉しく思えて。
「……あなた様――――いや、あんた。頭おかしいのか?」
「え?」
「五種混血を庇うなんて、何かおかしな宗教でも信仰してるのか? そうでなければいったい何が目的なんだ?」
そんな奇特な者に町人たちが向けたのは、異端者を見る目つきだった。
彼女の言葉が彼らの心に刺さることなど当然あり得ず、場の空気はそれ一色に染まりつつあった。
全員が同感だったというよりも、それは最初に発言した者への同調だったのだろうが、どちらにしろ最初に出る言葉は誰からであっても同じ内容になっていただろう。
万が一にも彼女に同調する者が存在していたとしても、そんな発言をした時点でその者が彼女と同じ目で見られることになる。だからこそそうやって、今の文化は途絶えることなく共通認識として根付いて来たのかもしれない。
「ち、違います! 私はただ、普通に考えてもおかしいと……」
「あんた、今なら聞かなかったことにしておいてやる。一応は命の恩人だしな。そんで悪いが、今夜の宴に参加するのは遠慮してもらえないかな? 町の治安のためにも、あんたみたいな狂信者をこれ以上町に置いとくわけにはいかんのでな」
「……はっ!? じょ、冗談ですよね? 意見一つで、そこまでなんて……」
「冗談なもんか。有無を言わさず捕らえないだけでもありがたいと思ってくれ」
町人が魔法使いの彼女を有無を言わさず捕らえるというのは無理だから、それはただのブラフだろうが。
それでも漸く自分のした過ちに気付き、青褪めていく魔法使いの女性。
魔王からすれば彼女が正しいことを言っているようにしか聞こえないのだが、その場の町人で彼女の味方をする者など皆無であった。
いっそ魔王が颯爽と降り立って「彼女は間違ってなどいない! おかしいのはお前らの方だ!」とでも言い放てばかっこいいのだろうが、それだとここまで見守った意味が無くなるので流石に彼も自重する。
というかこの世界では今さらすぎて、魔王もむざむざその程度の浅い正義感に振り回されはしなかった。彼が樹少年だったならまだしも、万能の魔王としてはもっと大局を見据えているのだから。
「……もういっそ、出て行って掻き回してやろうかな?」
「魔王様、自粛シテクダサイ。ソレヲヤッタラ全テ台無シニナルコトクライ、オ分カリデショウ?」
「……冗談だ」
……恐らくは見据えているはずである。きっと。
ともかく、地域によって程度の差はあれど、五種混血を擁護する人物に好意を向ける者など存在するはずがなく。
先ほどまで命の恩人、宴の貢献者、町をあげてもてなすべき相手とまで盛り上がっていた彼女の株は地に堕ち、魔法使いの彼女は今や頭のおかしい狂信者としか見られていなかった。
それでも町人が誰も彼女に武器を向けないのは、恩人へのせめてもの恩返し……などではなく、どちらかというと彼女が魔法使いだからに他ならない。
その実力はギルを陸に打ち上げた件でも明らかで、だからこそ無暗に刺激するわけにはいかなかったのだ。先ほどの町人の発言ですら、他の者たちはヒヤリとさせられたくらいであろう。
その時、彼女の死角を突くように町人の一人が何か耳打ちをして、他の者を町へと走らせる。
「む? 一人町に向かったな」
「足止めいたしますか?」
「いや、放っておいていい。どうなるか楽しみだ」
「……楽シソウデスネ、魔王様」
町人たちから奇異の目を向けられ、そちらに注意を払う余裕が無かったのか。
魔法使いには気付かれることなく、その町人は街道沿いの林に分け入ることで、まんまとその場を離脱することに成功する。
彼が町に戻ってこの件を言い触らせば、彼女の町中での評価は確たるものになってしまうだろう。
だが、それが分かっていても魔王は静観していた。
「……さあ、さっさと儀式を終えるぞ。宴の準備が間に合わなくなっちまう」
「ちょっ! 待ってくださ……」
「いい加減にしてくれ! あんたは魔法使いのようだが、その力で俺たちを脅すつもりか? 自分の信じる神のためなら、俺たちを悪者扱いか? 俺たちの方が間違ってるっていうのか?」
「お、おい! あんまり刺激すると、本当に魔法が飛んできちまうぞ?」
「い、いや、違……」
「そんなことして楽しいか? 俺たちを断罪したつもりで、悦に浸って嬉しいのか?」
「ち、違います! 私はただ……」
まるで、彼女の方が悪いことでもしているように、町人たちは段々と痺れを切らせて島流しの儀式の続きを始めようと動き始めてしまう。
恐らく率先して彼女に発言している者は、人の良さそうな彼女は自分たちを魔法で無理矢理どうにかできる度胸も無く、そこまではして来ないと薄々察しが付いていたのだろう。
もし彼女が本当に狂信者だったなら無理矢理にでも止められたのだろうが、彼女はどう見ても善良な側の人間であり、町人が喚くような力の使い方や脅しなどは実際ここまで微塵も見られていないのだから。
場の雰囲気は完全に町人たちの方が被害者のようになっており、それも相まって彼女も押し黙って彼らの行動を見守るしかなくなっていた。
「ほら、ボーッとしてないで舟に乗れ!」
「あうッ!」
「うぅ、ヤだぁ……」
「ま、待って! な、ならせめて……私も一緒に乗せてください!」
「「「えっ!?」」」
最早誰もその儀式を止められない。
そんな空気の中で、またも彼女はとんでもない発言をする。
彼女はそれなりの魔法使いなのだから、本気で町人を止めようと思えばいくらでも可能ではあっただろうに。
だというのに、彼女は島流しに同行する趣旨の発言をしたのだ。今回の発言の意図には、その場の全員がすぐに察しが付いたことだろう。
「い、いや、それは……」
「あんたが乗っちまったら、その……魔法が……」
「だ、駄目だというなら、陸を離れたその船に魔法で無理矢理飛び乗るだけです。さあ、どうしますか?」
「……ど、どうする?」
「いや、だけども……」
あまり深く考えず、彼女も咄嗟に口にした案だったのだろう。
だが、それは意外にも妙案だったようで、場の雰囲気からそれに気付いた魔法使い自身の表情も、徐々にドヤ顔へと変化していく。
反対に町人たちの顔色はどんどん悪くなっていき、どうしたものかと視線を泳がせるしかできなくなっていた。
先ほどまでの勢いは何処へやら、誰も決定的なことを言い出せないまま膠着状態へと突入してしまう。
――――そんな状態が長く続く中、転機は町の方角からやって来た。
「……ククッ」
「うん? きゅ、急に笑い出して、どうかされたのですか? 答えは決まりましたか?」
「ああ、すみませんでした、魔法使い様。いえ、儀式用の祭具を持った者が来たもので、つい……」
「え?」
そう言われて彼女が振り向くと、そこには確かに荷物を抱えた男性が走って来る姿が見て取れた。
つい……で笑う意味は分からなかったが、その説明には彼女も違和感など覚えることなく、当然のように納得する。
「……なるほど、そういうことか」
「魔王コージュ様、妨害いたしますか?」
「いや、そのままでいい。俺たちにとっては好都合かもしれんしな」
そこに潜んだ罠に気付いたのは、上空で見守る魔王たちだけであった。
腕のいい魔法使いの彼女よりも、町人たちの狡猾さの方がこの場では勝っていたようで。
「……はぁ、仕方がありません。このまま睨み合っていても埒があきませんので、特別に儀式への飛び入りを許可いたしましょう」
「ほ、本当ですか? いいんですか?」
「……その代わり、町の恩はこれでチャラにしてくださいね? あの怪物の素材や肉も、そのまま町の方でいただいてもよろしいですね?」
その町人は、ここぞとばかりに彼女に不利な内容を吹っかけていく。
だが、願いが聞き入れられたことに喜ぶあまり、彼女は大してそれを精査もせず答えてしまう。
「は、はい! それで構いません! やった、良かったぁ……」
有利不利は別にしても、これで町人の一人が急に話を方向転換し、彼女の目論見の大部分は一見上手くいったようであった。
それは周囲を囲む町人たちには事情が分からず、ザワザワと動揺をみせていたことも一役買ってのこと。
傍から見れば、それは町の代表的存在が独断で決定を下し、周囲の町人たちがそれに動揺しているようでもあったからだ。
実際は代表者でも何でもない町人の一人が、急に場を代表して発言を始めていただけに過ぎなかったというのに。
「……ですが、儀式に加わる以上は、そっちの二人と同じ扱いを受けていただきますからね?」
「は、はい。もちろんです」
「では、早速準備に取りかかります。かなり遅れが出てしまっていますので、少し急ぎめでいきましょう。まずは儀式用の装具を首に着けていただきます。最初は――――魔法使い様から失礼をいたしまして……」
その町人は、たった今手渡されたばかりの祭具とやらが入った袋を開くと、そこから何か帯状のものを手を震わせながら取り出した。
だが、有頂天の彼女はそんな分かりやすいヒントにすら気付けぬまま、その者に背を向けてしまっていた。
「はい、首ですね? これでいいですか?」
そんな説明を受け、彼女は髪を持ち上げて首を露にし、その装具をされるがまま巻かれてしまう。
もしそこで町人が襲い掛かって来たとしても、なお身を守って撃退できるだけの実力が彼女にはあった。そのことが、彼女を余計に無防備にさせてしまったのだ。
――――もし彼女が町人の手のひら返しを不審に思えていたら、その事態は避けられていたことだろう。
だが、そもそも彼女は島流しの儀式というものを、全くと言っていいほど知らなかった。
もちろん一般知識として知ってはいても、実際の儀式のことには無知であり、こうして目にするのは今回が初めてだったのだ。
だから、通常の儀式において、そんな装具など使われることなど無いということも分かっていなかった。
彼女は……あまりに世間知らずだった。世間知らず過ぎた。
そして、少しばかり善良が過ぎるお人好しでもあった。
だから――――
「……プッ、だーっはっはっはっはっ! この女、マジで着けやがったぞ!」
「……え?」
「あ、あんた、マジで知らなかったのか? 見たこと無かったのか、それ?」
「それ……って、この首輪……?」
――――無防備に差し出した彼女の首に、嵌められたその装具が。
それが、「魔封じの首輪」という呪具であるということも、彼女は知らなかったのだ。
そんなものを着けてやろうと企む町人の言葉を鵜呑みにし、彼らの本性が善良であると妄信して自ら首を差し出す愚行を晒してしまったことを、ここに来て彼女は漸く後悔することになった。
現状をすぐに把握できたのは、彼女が優秀である証だろう。だが、その一方で彼女はやはり世間を知らな過ぎた。
世の中に蔓延る悪意に、それを持つごく普通の一般市民というものに、彼女は最悪の形で遭遇してしまったのであった。




