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呪いの日  作者: 柿崎蒼
13/15

あと2日





――呪いの日まで、後二日――



「入りますね」


 返事がないのを分かった上で声をかけ、ノックをする。ベッドの上のアリサは昨日と同じように静かに横たわっていた。これだけ見ていると残り数日で息を引き取ってしまうのだとは想像もつかない。どちらかといえばその寝顔は穏やかで快方に向かっているのではないかと錯覚してしまう。今にも「ああ、よく寝た」とでも言って起きて来そうだ。


「ごめんなさい、アリサさん。また迷惑かけちゃいましたね」


 聞こえているかどうかは関係ない。自分に言い聞かせる為にルクロは口を開く。

「思えば昔からそうでしたね。いつもうじうじしていて、アリサさんに守ってもらってばかりで」


 過去を振り返るほど情けない思い出でいっぱいだ。だが、その情けない思い出全てにアリサが登場する。母の墓の前で夜まで泣いていたとき、迎えに来てくれた。近所のガキ大将に殴られたとき、やり返したのもアリサだ。近所の子供達にお菓子が配られたときは一人だけもらうことができなかったルクロに自分の分を分けてくれた。ルクロが大きくなった今でもアリサは変わらず傍にいてくれる。アリサはずっとルクロを守ってくれていた。


「いつも、もっとしっかりしなさいって、男なんでしょ、って怒っていましたよね」


 小さくアリサが動いたような気がした。


「ふふ、ごめんなさい。僕、あんなに怒られていたのに、まだ分かってなかったみたいだ。また怒られちゃいましたよ、今度はレヴィアさんに」


 まるでルクロの声に呼応するかのようにアリサの寝息が返ってくる。


「大丈夫、僕は今度こそ後ろを向かない。って、これで何回目だったかな。強くなるって難しいや」


 思わず苦笑いする。過去に何度もしてきたはずの決意。口にするのは簡単だが、今まで実行に移せなかったのも事実だ。


「ううん、これが最後。だから早く起きてくださいね。変わった僕を見るために」

 ルクロは戸に振り返り、部屋を出た。



 居間ではバレスが椅子に座って一息ついていた。


「おお、どうじゃ、アリサちゃんの様子は」

「ええ、落ち着いているようです」

「よかった、なんとか間に合いそうじゃな」

「できたんですか!?」

 思わず叫んでしまった。

一瞬呆気に取られたバレスが咳払いをする。その顔つきは神妙だ。やはり、そう簡単には行かないのだろう。手前勝手な考えに自分が恥ずかしくなる。


「すみません、焦らせるようなことを言って。先生も大変なのに」

「全くじゃ」

 コツコツとテーブルを人差し指で叩くバレス。

「ワシを誰だと思っておる?」

 バレスはにぃっと口元を歪ませた。

「じゃあ……」

「ああ、ばっちりじゃ。今まで使っていた薬と主成分が近かったのが救いじゃったな。なんとか間に合ったよ」

 バレスはテーブルの上に親指ほどの大きさの小瓶を置いた。中には白い粉末が見える。

 今度こそ、全てが終わる。そう思うと口から何も出なかった。ただただ震えるだけである。


「おいおい、もっと喜ばぬか。ワシがこの二日ろくに眠らないで調合したというのに」

「あ、ありがとうございます」

「ほっほ、なあに、お主のためじゃない」

 数日ぶりのバレスの笑い声に少しだけルクロの緊張も緩んだ。


「しかし、肝を冷やさせてもらったよ。何しろ材料がギリギリしか残っておらなんでな。ぴったり一週間分しか調合できなかった」

「何が足りなかったんですか」

「ナコ貝の身じゃよ」


 ナコ貝はリバトールの海岸に生息する二枚貝だ。小粒の貝で食べる所がほとんどない上、量も取れず出汁取りならば他のものでもよいため、人間には何の役にも立たない貝である。ただ、黒光りする貝殻が目立つので子供が貝殻を珍しがる程度のものだ。かく言うルクロも昔、集めていたことがある。


「あんなもの、薬になるんですか」

「世の中、意外なものが薬になるんじゃよ。普通に食しているものにも薬になるものがたくさんある」

「確か、ハーブなんかも元々薬草なんですよね」

「その通りじゃ」

「けれど、ナコ貝なんて砂浜にいっぱい……とは言えませんが、ぽつぽつと落ちていますよね。足りなければ拾ってくればよかったんじゃないですか」

「そうもいかんよ。なにしろ数百粒の身をたっぷり煮込んで抽出したのがそれじゃ」

「そんなに使ってこれだけ!?」

「いつもは漁のおまけで獲れたものをもらいに行くのじゃが、この時期じゃ漁もしておらぬからのう。足りなかったらどうしようかと思うたぞ」

 もしもの時のことを思うと背筋がぞっとした。

「この小瓶が全て……」

 テーブルの上の小瓶を手に取る。手の平に収まるそれはとても重く感じた。

「その通りじゃ。万が一それを失えば大変なことになる」

 その一言でガラスの小瓶がまるで宝石のように思え、たちまち持っているのが恐ろしくなる。いや、宝石などが例えでは不十分だ。なにしろ、これはアリサの命に等しいのだから。


「飲ませてきます!」

 小瓶を握り締め、慌ただしく立ち上がる。

「おいおい、急ぐのはよいが、こぼしてくれるなよ。そんなに焦らずとも大丈夫じゃ」

「はい」

 小さく深呼吸して木戸を叩こうとする。


 あ。

「あの、先生」

「ううん?」

 まだ何か、とでも言いたげな声をあげるバレス。

「あの……まだ焦らなくてもいいんですよね」

「そうじゃのう。今は落ち着いておるし、一分一秒を争う自体ではないな」

「少しだけ、薬を飲ませるのを待ってもらってもかまいませんか?」

「何を言い出すのじゃ。早く飲ませるに越したことはないぞ」

「そうですよね」

「ワシの診断だと、おそらく明日か明後日あたりが峠になるんじゃないかと踏んでおる。奇しくもまたあの日に亡くなるところであった」

「どうせなら、レヴィアさんにも知らせてから飲ませたかったもので。原因が見つかったのもレヴィアさんのおかげですから」

 無論、薬を飲ませてから呼びに行けばよいだけだ。遅くなればそれだけアリサを危険に晒すことになるのだから。だが、レヴィアの与り知らぬところでいつの間にか事を進めるのは何か違う気がした。あの時、レヴィアが気づかなければそもそも、アリサはこのまま原因も分からず、今年の呪いの犠牲になったのだから。


「そういえば彼女はどこへ行ったんじゃ? 昨日から姿が見えぬが」

 バレスの何気ない一言が心に刺さる。

「はは、昨日少し怒らせてしまいまして。これから謝りに行こうと思っていたところだったんですよ」

「最近アリサちゃんに付きっ切りだったからのう。怒るわけじゃ」

「先生!」

「何、冗談じゃ。何が原因かは知らぬが、早いこと許してもらってくるとよい。女はいつまでも根に持つからの」

「レヴィアさんに限ってそれはないと思いますが」

「どうかの? 女とは得てしてみな、嫉妬深く、執念深いものなんじゃよ」

 バレスがにやりと笑う。冗談が言えるのは余裕が出てきた証拠だ。

「どちらにしろ、飲ませてすぐに効果があるわけじゃあない。少しくらい遅れても大丈夫じゃよ。今これだけ落ち着いているのならば、しばらくは問題あるまい。彼女には世話になった。早く呼んでくるといい」

「本当ですか」

「ああ」

「本当に大丈夫なんですね?」

 バレスはふぅ、と溜息をつき、

「大丈夫だと言っておろう。いくら遅れていいとは言ってもこんな無駄な押し問答している場合ではないのじゃぞ」

 呆れたように言った。

「はい!」

 ルクロはその言葉を確認すると勢いよく扉を開け放った。




 通りを走るルクロはふと自分が小瓶を握り締めたままだということに気がついた。

 大事なものを持ったまま走るのは躊躇われたが、戻ればそれだけ時間のロスだ。ただでさえ貴重な時間を使っている。これ以上伸ばすわけには行かない。

 薄暗い往来に顔を上げる。雲が空を覆い隠し、今にも雨が降り出しそうである。ただ純粋に天気が悪いからなのか、それとも呪いの日を目前に外出を控えているからなのか、通りには人一人見られなかった。


 降り出す前に間に合えばいいけれど。


 そんなことを考えながら走るルクロにある疑問が浮かんだ。今まで天気の悪い日は数知れずあったはずである。その間、レヴィアはどうしていたのだろうか。

レヴィアは神といえども実体があり、人と同じように触れるし、人と同じように暖かい。雨が降れば濡れるだろうし、きっと寒さも感じることだろう。誰にも暖めてもらえないレヴィアは、ただ一人きり、木陰で震えていたのだろうか。かつての自分と同じように。


 そんなの、いやだな。


 どうせレヴィアは「気にするな。いつものことだ」と言うに違いない。だが、今は違う。自分がいる。アリサだってもうすぐ助かるのだ。レヴィアはもう一人なんかじゃない、一人になんかさせない。

 そんなことを考えつつ、ルクロは足を速めた。




 いつもの丘にレヴィアはいた。初めて会ったその日のように崖から遠くを眺めており、海のように深く蒼い髪が潮風になびいている。ただ一つ、あの日と違うのは、青々としていた空が今日は鈍色に濁っていた。


「レヴィアさん!」

「ルクロ……?」

「もう、勝手にいなくなっちゃうんだから。きっとここだとは思っていましたが、心配したんですよ」

 振り向いたレヴィアは険しい顔をしていた。


「なぜお前がここにいる。アリサはどうした。まさか昨日私が言ったことが分からなかったわけではあるまい」

 キッとレヴィアの視線が鋭くなる。

「やっと先生の調合が終わったんです」

「できたのか!?」

「はい、薬はここに。後はアリサさんに飲ませるだけです」

「そうか……よかった。本当によかった……」

 それまでとは打って変わって顔を綻ばせるレヴィアにルクロもほっとする。しかし、すぐレヴィアははっとして

「どうしてその薬がここにあるのだ。もう飲ませたのではないのか!?」

 険しい顔に戻ってしまう。

「今は小康していますから。先生のお墨付きです。だからレヴィアさんにも早く知らせたくて。飲ませるところに立ち会って欲しかったんです」

「お前は馬鹿か!」

 レヴィアが怒鳴る。

「私のことなどどうだっていいだろう。もし、アリサに何かあったらどうするつもりなんだ! 急いで戻れ!」

「ええ、もちろん急いで戻りますよ。レヴィアさんと一緒に」

「何を馬鹿なことを……」

「ええ、馬鹿ですよ。でも、レヴィアさんがいなかったらアリサさんは助からなかった。だから僕は凄く感謝しています。だから一緒に来てください。きっとアリサさんも目が覚めたとき、レヴィアさんがいた方がいいと思うんです」

「……ッ」

 次の言葉が出てこないレヴィア。

「さあ、急ぎますよ! 小康しているとはいえ、油断ならない状況には変わりないですから」

 レヴィアの手を取る。

「全く、飲ませてからでも遅くはなかったろうに」

「もう、そんな攻めないでくださいよ。僕だってそんなこと分かってます。今だって本当は心配で溜らないんですから。薬もここにあるので全てですしね」

「そんな貴重なものを持って……!!」

 わなわなと震えるレヴィア。


 ああ、これ絶対怒ってますよね。


 レヴィアのお叱りの前に先手を打つ。

「ここまで来たからには絶対死守しますから、ね? だ、だから怒るのは帰ってからにしましょう? 現にここまで来ちゃったんですから」

「ああ、戻ったら覚悟しておけよ。全く、バレス殿もバレス殿だ。こんな肝を冷やすようなまねをさせて。バレス殿にも説教だな」

「はは……先生も先に肝を冷やしてますし、許してあげてください。僕が代わりに怒られますから」

「だったら止めておけばいいものを」

「あ、僕のことじゃなくて」

「うん?」

「材料のナコ貝が残り少なかったらしくて、これだけ作るのがギリギリだったみたいです」


 レヴィアが固まった。まるであることに気がついてしまったかのように。

「どうしたんですか?」

 空いた手で口元を押さえ、まるで何か言葉を選んでいるように見える。

「もう、作れないのか?」

「ええ、だから本当はこんなところに持ってくるの、凄く怖いんですけどね」

 再確認されると改めて責任を感じる。飲ませてからくればよかったという思いと、バレスの診断を信じろという思いがせめぎ合う。

「少しだけ、見せてくれないか」

「こんなところまで持ってきた僕が言うのもなんですけど、気をつけてくださいよ」

 レヴィアの手の平に被せるように小瓶を渡す。

 レヴィアは小瓶を受け取ると蓋を開いた。小瓶のふちにについた白い粉末を小指に取ると口につける。

「レヴィアさん?」

「これを、アリサに飲ませるのだな」

「ええ、そうですよ」

「だが、これが全てで同じものを作ることはしばらくできないと」

「そうです。そんな大事なものを何で持ってきたのか、ってお叱りは後でたっぷり受けますから。急ぎましょう」

「……ありがとう、ルクロ。よく知らせてくれた」

「レヴィアさん……?」


 言い知れぬ不安が湧く。

 おかしい。なぜこのタイミングで礼なのだろうか。

 そう思ったときには遅かった。


「これで、今度こそ、終わりだ」

 レヴィアはおもむろに蓋の開いたままの小瓶を逆さにした。


 最初、何が起きているのか分からなかった。

 目の前の子瓶からはさらさらと中身が流れ落ち、宙に放り出された粉末が潮風に吹かれ散っていく。

 やがて小瓶の中身が全てなくなると、レヴィアは手を離した。丘のわずかな傾斜に沿って転がる小瓶はやがて丘のふちから落ちていった。


「ど……え……?」

 頭の中が思考で埋め尽くされ、口は動くが声は出ない。脳の奥が焼けるように熱く、眼に映ったものを必死に理解しようとしている。


「何を、したんですか」

 どうにか紡ぐことができたのはそんな言葉だった。

「捨てた」

 レヴィアのその言葉に呼応して思考が爆発する。

「どうしてこんなことを! これがなければアリサさんは!!」

 しかし、ルクロの怒声にもレヴィアはぴくりとしない。ただ、無表情でルクロを見つめるだけだ。


「……ッ」

 ぐるりとレヴィアに背を向ける。

「……どこへ行く?」

「探すんですよ。貝が足りないのなら探せばいいッ!」

 ルクロは丘を駆け下りた。

 真っ白な砂を素手でがむしゃらに掻く。すぐに小石で指が切れ、砂が傷口に入り込んだ。その度に激痛が走るが、ルクロは決して止めなかった。じっとりした空気が全身に張り付き、流れ落ちる汗と混じってひどく気持ちが悪い。

しばらく砂を掻くが、その程度で見つかるわけもない。

 なら漁に出れば……それも駄目だ。頼み込んだところでこの時期に誰も漁に出るはずがない。ルクロに船を貸してくれる者もいないだろうし、何よりルクロは漁の仕方を知らない。ただ、死ぬ気で海に出たって駄目なのだ。ナコ貝を獲って、それをバレスに届けることができなければ何の意味もない。

 考えろ。アリサを助ける方法を。もう、後ろを向かない、諦めないって決めたんだ。


 ふと、丘を見上げると、人影のようなものが見えた。それはきっとレヴィアに違いないだろう。初めて会った日と同じようにこちらを眺めているのだろうか。ここからではその表情は分からない。不思議とレヴィアに怒りは湧いてこなかった。それもそうだ。これはルクロ自身の責任なのだから。自分の意思でアリサに薬を飲ませるのを遅らせ、自分の意思でレヴィアを呼びに行き、自分の意思で薬を手渡した。ルクロの選び取った結果がこれなのだ。

攻められるべきなのは……自分。ただ、レヴィアがなぜこんなことをしたのかだけが気がかりだった。


「レヴィアさん……」

 ルクロの頬を液体がつたう。それが汗の粒なのか涙なのかはルクロにもわからなかった。


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