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Fランクポーターの俺、配信切り忘れで「虚無顔でボスを瞬殺する姿」が全国放送されてた件。今さら「ただの荷物持ち」とは言えない  作者: 伊達ジン


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第1話 不遇職「ポーター」の憂鬱な日常

 ダンジョン特有の淀んだ空気が肺を満たす。

 薄暗い地下道に響くのは、金属鎧の擦れる音と、重いブーツが泥を踏みしめる荒々しい足音。そして、一定の距離を保ってその後ろをついて歩く、すり足のような静かな足音だけだった。


「……あー」


 鈴木悠作は、前を歩く四人の男女の背中を眺めながら、誰にも聞こえないほどの小さなため息を漏らした。

 身長一九〇センチに迫る長身だが、首から背中にかけてひどく丸まっているせいか、そこまでの圧迫感はない。無造作に伸びた前髪の隙間から覗く瞳は、周囲への関心を完全に喪失したような、ひどく澱んだ色をしていた。


 彼の背中には、彼自身の体よりも一回り以上大きな、使い古された登山用バックパックが鎮座している。

 三十路を迎えたばかりのフリーターがダンジョンに潜っている理由はただ一つ、日銭を稼ぐためだ。

 ダンジョン内で魔物の素材を解体し、血抜きをし、泥にまみれながら重い荷物を運ぶ裏方。それが彼に与えられた「ポーター」としての役割だった。


「おい、遅えぞ! もっとキビキビ歩けねえのかよ!」


 前方を歩いていたパーティのリーダーが、苛立ったように振り返った。

 派手な赤髪に、照明の光を不自然に反射する磨き上げられたミスリル製の鎧。中堅クラスであるB級探索者パーティ『紅蓮の剣』のリーダー、炎上烈だ。

 彼は右手の剣を肩に担ぎ直し、傍らに浮遊する拳大の球体――追従型ドローンカメラ、通称『ハエドリ』を一瞥してから悠作を睨みつけた。


「ちんたら歩かれたらテンポが悪くなるんだよ。ただでさえ移動の絵面は退屈なんだ、これ以上同接落とされたらたまったもんじゃねえ」

「……すみません」


 悠作は抑揚のない声で短く応じ、歩幅を少しだけ広げた。

 烈はハエドリに向き直ると、先ほどまでの苛立ちを嘘のように消し去り、人の良さそうな笑みを浮かべた。


「いやー、今日のポーターはちょっとハズレだったかな。みんな、画面がむさ苦しくてごめんな!」


 カメラの向こう側にいる数千の視聴者に向けて愛想を振りまく。おそらく、チャット欄には気の利いた同調コメントや、最後尾を歩く冴えないポーターを揶揄する言葉が流れているのだろう。


 悠作にとって、そんなことは路傍の石ころ程度にどうでもいいことだった。

 見下されようが、配信のネタにされようが、彼の心は一ミリも揺れ動かない。

 現在、彼の脳内リソースの九割を占めているのは、まったく別の重大な懸案事項だった。


(今日のタイムセール、卵一パック九十八円……絶対逃せない)


 時刻は午後三時を少し回ったところだ。近所のスーパー『ライフマート』の特売は午後五時から始まる。ここからダンジョンの出口まで戻り、精算を済ませ、アパートでシャワーを浴びてから自転車を立ち漕ぎすれば、なんとか四時四十五分には列に並べるはずだ。

 先週は鶏むね肉の特売を逃し、三日間もやし炒めで食いつなぐ羽目になった。今週の食費を浮かし、たまには卵かけご飯や目玉焼きといった贅沢を味わうためには、是が非でもあのタイムセールに間に合わせなければならない。


「ったく、無愛想で気味の悪いおっさんだぜ。なんであんなの雇っちまったんだか」

「いいじゃない。荷物さえ持ってもらえれば、あとは私たちが派手に倒すだけだし」


 魔法使いの女が、烈の腕にすり寄りながらカメラの死角で冷たい視線を投げてくる。

 彼らのひそひそ話を聞き流しながら、悠作は黙々とバックパックの肩紐を握り直した。

 現在、悠作の背中にある荷物の総重量は、ざっと見積もって三トンを超えている。先ほど討伐したC級魔物『ロックボア』三頭分の巨大な牙と毛皮、それに大量の硬い肉。物理的に考えれば、あのサイズのバックパックに収まるはずがないし、人間の筋力や骨格で支えられる代物ではない。


 だが、悠作は息一つ乱すことなくそれを運んでいる。

 彼が持つポーター固有のスキル【超次元収納】と【絶対運搬】。通常であれば、せいぜい数十キロの荷物を収納し、多少疲労を軽減する程度のささやかな補助スキルだ。

 しかし、悠作のスキルは根本的に常軌を逸していた。

 彼の基礎ステータスが、システムの上限を突破してカンストしているがゆえのバグだった。数万トンの質量を詰め込もうが、彼にとっての体感重量は羽毛のように軽い。


 とはいえ、それをバカ正直に申告するつもりは毛頭なかった。

 出発前、「そのボロいバックパック、案外入るんだな」と烈に言われた際も、「まあ、詰め方のコツがありまして」と適当に言葉を濁しておいた。戦闘職の多くは裏方の作業に興味など持たない。彼らもまた、面倒な仕組みについてそれ以上追求してくることはなかった。


「よし、みんな! このまま一気に第十二層まで下りるぞ! 今日は調子いいし、深層のオーガ狩りまで見せてやる!」


 烈がカメラに向かって剣を掲げると、パーティのメンバーたちも同調して歓声を上げた。

 その言葉を聞いた瞬間、悠作の歩みがピタリと止まった。


(……第十二層?)


 虚ろな瞳が、わずかに見開かれた。

 事前の契約では、今日の探索ルートは第十層までだったはずだ。十層で切り上げれば、午後四時には地上に戻れる完璧なスケジュールだった。

 しかし、第十二層まで下りるとなると話が根底から覆る。道中の魔物のレベルも上がり、戦闘に時間がかかる。階層を移動する手間も加味すれば、どう計算しても午後五時のタイムセールには間に合わない。


(いやいや、待ってくれ。卵が……俺の卵が……)


 悠作の胸の内で、かつてないほどの激しい葛藤が渦巻いた。


 「契約と違います」と声を上げるべきか。しかし、配信の盛り上がりを最優先する烈が、今のノリを削がれることを許容するはずがない。


 ポーターの分際で口答えすれば、間違いなく怒鳴り散らされる。最悪の場合、ペナルティと称して報酬をカットされかねない。目立つ行動は厄介事を引き寄せるだけだ。


「おい、何立ち止まってんだ。置いてくぞ」

「……はい」


 結局、悠作は省エネ主義を優先した。

 波風を立てず、ひたすら無気力にやり過ごすのが一番だ。卵は諦めるしかない。今日の夕飯も、昨日の残りのもやし炒めにするしかないだろう。

 そう結論づけた途端、悠作の顔から微かな未練すらも消え去り、完全に感情の起伏が平坦になった。


 彼らパーティは、薄暗い階段を下り、第十一層、そして第十二層へと足を踏み入れた。

 空気の質が一段と重くなり、肌にまとわりつくような湿気が増す。B級以上の魔物が徘徊する深層への入り口。壁に生える発光苔の光も弱々しく、視界は極端に悪い。


「……なんか、おかしくないか?」


 先頭を歩いていた烈が、警戒するように足を止めた。

 剣を握る手に力が入っているのが、後ろからでもわかった。他のメンバーも歩みを止め、息を殺して周囲を窺っている。

 静かすぎた。

 ダンジョン内には常に魔物の息遣いや水滴の落ちる音、何かが這い回る気配が反響しているものだが、今は不自然なほど無音だ。まるで、この階層の生態系の頂点に立つ何者かに怯え、すべての生き物が息を潜めているかのように。


 悠作もまた、肌を刺すような異常な空気を明確に感じ取っていた。

 だが、彼の思考の大半は別のところにあった。


(もやしだけじゃ腹減るな……帰りにコンビニの夜勤に入ってる店長に、廃棄弁当もらえないか交渉してみるか……)


 そんな現実逃避めいた思考を巡らせていた、その時だった。


 ズン、と。

 腹の底を揺らすような地響きが、前方から響いた。


「な、なんだ……?」


 烈が後ずさりする。ハエドリのカメラが、自動的に前方へパンした。

 暗闇の奥。通路の先にある巨大な空洞から、二つの赤い光が浮かび上がった。

 それは、見上げるほど巨大な爬虫類の瞳だった。


『――グルルルルル……』


 空気が震えた。

 ただの咆哮ではない。そこに込められた濃密な魔力が、物理的な圧を伴って烈たちを打ち据える。魔法使いの女が、たまらず膝から崩れ落ちて短い悲鳴を上げた。

 暗闇からゆっくりと姿を現したのは、黒い鱗に覆われた巨大な竜だった。

 四肢には岩盤を容易く砕きそうな鋭い爪、背中には蝙蝠のような巨大な翼。その全身から立ち昇る圧倒的な暴力の気配は、B級探索者程度が束になっても傷一つつけられない、絶対的な力の差を示していた。


「ひっ……!」


 烈の喉から、声にならない悲鳴が漏れた。

 ダンジョン協会が指定する災害級魔物、S級ボス『災厄の魔竜』。通常なら第五十層以下の超深層でしか遭遇しないはずの存在が、なぜかこんな浅い階層に迷い込んでいたのだ。


「あ、ああ……あぁぁぁっ!」


 烈は完全にパニックに陥っていた。

 リーダーとしての責務も、配信での体裁も、すべてが頭から吹き飛んでいる。彼は持っていた重い大剣をその場に放り捨て、誰よりも早く来た道を振り返った。

 そして、逃げ道のど真ん中に立ち尽くしている大柄なポーター――悠作の姿を目にすると、狂乱したように顔を歪めた。


「どけええええっ!」


 烈はすれ違いざまに、悠作の背負っているバックパックを思い切り蹴り飛ばした。障害物を排除し、少しでも時間を稼ぐための反射的な行動だった。

 しかし、烈の脚はまるで硬い岩盤を全力で蹴りつけたかのように弾かれ、激痛に顔を歪めることになった。三トン超えの質量を内包するバックパックが、小手先の蹴り程度で微動だにするはずがない。


(……面倒だな)


 悠作は一瞬、そのまま直立してやり過ごそうかとも考えたが、ここで烈が脚を骨折して騒ぎ立てられても厄介だ。悠作はため息を飲み込み、波風を立てないために、わざとらしく大きく体勢を崩して前方に倒れ込んだ。


 その直後、烈の手から滑り落ちたハエドリのコントローラーが地面に激突し、乾いた音を立てて砕けた。制御を失ったハエドリが、地面すれすれに落下する。


「ひいぃぃっ!」


 烈とそのメンバーたちは、倒れた悠作を一瞥することもなく、階段へ向かって全速力で逃げ去っていった。ただ無我夢中で、後を振り返る余裕など一切ない背中だった。


 重い足音が遠ざかり、広大な通路には、巨大な魔竜と、うつ伏せに倒れた悠作だけが取り残された。


『ゴアアアアアアアッ!!』


 魔竜が悠作を見下ろし、獲物を前にして歓喜の咆哮を上げる。

 口から漏れる灼熱の息が、悠作の乱れた前髪を煽った。


 地面に落ちたハエドリのカメラは、皮肉なことに壊れてはいなかった。

 上向きに固定されたレンズは、迫り来る魔竜の巨体と、膝の砂を払いながらゆっくりと立ち上がる悠作の横顔を、高画質で捉え続けている。当然、配信の接続も切れていない。


 悠作は、ビルほどの高さがあるS級ボスの凶悪な牙を見上げた。

 しかし、彼の表情に焦りや絶望の色はない。

 これでは、卵の特売どころか、コンビニの廃棄弁当をもらう時間すら大幅に遅れてしまう。もはや今日という一日に対する期待値はゼロだ。


 ただ、果てしなく面倒くさかった。

 彼が魔竜の巨体を前にして思ったことは、たった一つだけだ。


「……道塞いでて邪魔だな」


 全国の視聴者が見守るカメラの前で、悠作は小さく呟き、ゆっくりと右手を持ち上げた。

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