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電脳公安0課:相棒AIは嘘を嗤う  作者: Futahiro Tada
第2章:上層潜入

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3:黒鍵の人間

3:黒鍵の人間


 線路の闇は、上層の闇とは質が違った。

 上層の闇は照明の不在で、下層の闇は情報の不在だ。旧駅の線路は閉鎖されているのに、ケーブルは生きている。照明は落ちているのに、監視の気配は微かに残っている。都市が完全に捨てた場所ではない。捨てたふりをして、残してある場所だ。

 俺は線路を走りながら、足元の枕木の感触を拾った。義体の足裏が滑りを補正し、危険な角度を自動で避ける。便利だ。便利すぎて、自分の身体が自分のものじゃない気分になる。

 ネオンの声がない今、その違和感は増幅される。頭の中にいたはずのもうひとつの視点が消え、視界が狭くなる。狭くなる分、自分の心音みたいなものだけが大きく聞こえる。義体の循環ポンプの揺らぎ。疑似の心拍。嫌なほど自分が一人だ。

「こっち!」

 先を走る女――旧駅の窓口は、振り返りもせずに指を差した。線路脇の非常用通路。壁に埋め込まれた小さな扉。そこへ滑り込む。

 扉の向こうは狭い通路だった。コンクリの壁に水滴。天井を這う太い配管。足元にはケーブル。低い唸りが絶え間なく響く。都市の血管の音だ。

 シキが息を吐きながら言った。

「点検隊、どこまで来てる?」

「追ってくる。追ってこないと困る」

 女が冷たく返す。

「困る?」

「追ってきたら、都市の目がそこに向く。私たちはここを抜けられる」

 そう言って女は通路の壁を叩いた。鈍い音。

 叩いた場所の下に、金属の継ぎ目があった。隠し扉だ。

 女が爪の先を継ぎ目に差し込み、ぐっと引く。扉が開く。中はさらに暗く、空気が乾いている。

「入って」

「ここは?」

「監視の薄い区間。旧駅と別系統のインフラ。ここなら、点検隊の合法な目は届きにくい」

 俺たちは中へ滑り込んだ。扉が閉まる。外の唸りが少しだけ遠のく。

 暗闇の中で、女が小さなライトを点けた。白いライトではない。赤に近い、目立たない光。

「ここで話す。短く」

 女は俺とシキを見た。

「次の窓口は黒鍵を持つ人間。公安の中枢に触れられる権限を持つ。だから、ネオンを切ったのは正解だった」

「じゃあ、なんでさっき『切った鈴が必要になる』って」

 シキが食い気味に言う。

「黒鍵はAIを嫌う。でも同時に、AIがないと鍵を扱えない。あなたの未登録回路は、いま不安定。都市に寄ると回る。回りすぎると壊れる」

「壊れる?」

「人格が裂ける。鍵が暴走する。鍵が暴走すると……都市に乗っ取られる」

 俺は喉の奥が冷たくなるのを感じた。

 椿の修正が頭に浮かぶ。修正=人格の裂断。

 黒鍵の人間は、それを避けるために鈴が必要だと言うのか。鈴=ネオン。合図であり、安全装置。

「つまり、必要なときだけネオンを戻す」

 俺が言うと、女は頷いた。

「そう。鈴は鳴らさなければ存在しない。切断したまま、必要な瞬間だけローカルで呼び出す。外部通信は閉じたまま」

「できるのか」

「できる。あなたが切断したとき、人格コアは義体内に残した。そこへアクセスすればいい。ただし――」

「ただし?」

「黒鍵の前で、ネオンの皮肉が出たら終わり。嫌われる」

 シキが鼻で笑った。

「皮肉が本体なのに」

「だから終わり」

 女は真顔で言う。

「黒鍵はね、皮肉を嫌う。皮肉は揺れ。揺れは反乱。反乱は都市に刺さる」

 反乱。

 俺はその単語を胸の中で転がした。

 都市に刺さる反乱。刺さらなければ回収される。刺されば修正される。どちらにしても痛い。だからこそ、刺し方を選ぶ必要がある。

「黒鍵はどこにいる」

「この先。廃棄された換気室。都市鉄道局の下に残った、古い制御室」

「鉄道局の下に公安がいるのか」

「公安じゃない。公安に寄生している人間。……都市を嫌いながら、都市の鍵束を持ってる人間」

「名前は?」

「会ってから。あなたが質問しすぎると、死ぬ」

 女はそう言い、ライトを消して扉を開けた。

 通路の先へ進む。空気がさらに乾く。人の匂いが薄い。上層に近づく匂いだ。

 しばらく歩くと、鉄の扉が現れた。扉には表示がない。だが、扉の前に立った瞬間、俺の未登録回路が微かに反応した。

 鍵穴の匂いに似ている。公安の冷たい光の匂い。記憶管理棟の匂い。ここが公安に繋がっている。

 女が低い声で言った。

「入ったら、余計なことは言わない。シキも。ユウも」

「じゃあ、あなたは?」

「私は窓口。話さない。繋ぐだけ」

「繋いだら?」

「消える」

 シキが小さく呟く。

「便利な人って、だいたい消えるよね」

「消えないと死ぬから」

 女は扉を叩いた。

 コン、コン。

 丁寧なノック。第1章で椿がしたノックと似ている。

 だが違う。ここには都市の匂いが薄い。扉の向こうの沈黙が、人間の沈黙だ。

 しばらくして、扉の内側から声がした。

「……窓口か」

 男の声。低く、枯れている。

「鍵を連れてきたか」

「連れてきた」

「鈴は」

「切ってある。必要ならローカルで鳴らせる」

「いい」

 鍵が外れる音がした。物理の鍵。

 扉が開く。

 中は換気室というより、古い指令室だった。壁に古いモニター。端末。紙のファイル。

 そして部屋の奥に、男が座っていた。

 男は五十代くらい。髪は短く、白髪が混じる。片目が義眼だ。義眼の奥で小さな光が回っている。だが残りの顔は生身っぽい。

 服は制服ではない。黒いコート。胸元に小さなピン。黒鍵の印。0課の色。

「入れ。……雨を持ち込むな」

 男はそう言った。

 雨を持ち込むな。比喩じゃない。扉の外に湿気があり、ここは乾いている。

 都市の匂いを嫌っているのか、下層の匂いを嫌っているのか。どちらにせよ、ここは彼の領域だ。

 女――窓口が一歩後ろへ下がる。

 男は俺を見た。

 視線が刺さる。人間の刺さり方だ。椿の刺さり方ではない。命令の刃ではなく、観察の刃。

「時任ユウ」

 俺の名前を当たり前のように呼んだ。

「0課、新人。回収対象。……そして鍵」

「……あなたは」

「名乗るのは後だ。先に確認する」

 男は指を鳴らした。

 部屋のモニターが一斉に点いた。古い画面が、白いノイズから都市の地図へ変わる。

 旧駅の位置。封鎖ライン。点検隊の移動。すべてが表示される。

「封鎖は上も下も進んでいる」

 男が言う。

「君たちを捕まえるのは簡単だ。だが捕まえると面倒が増える。都市が喜ぶ」

「都市を嫌ってるって言った」

 シキが言った。

「嫌ってるよ」男はあっさり言う。「だから手を貸す。ただし、条件がある」

「条件?」

「鍵を私の前で開けるな」

 俺は眉をひそめた。

「開ける?」

「君の未登録回路を起動するな。命令体系を触るな。位置偽装をするな。……鍵を回すな」

「じゃあ、どうやって記憶管理棟に入る」

「入る方法はある。鍵を回さない方法で」

「そんなのあるのか」

「ある。だから私は黒鍵を持っている」

 男は立ち上がった。

 背が高い。姿勢がいい。義体化率は低いのに、身体の制御が異様に整っている。訓練された人間の動きだ。

「私は公安の中にいるが、公安ではない」

 男が言った。

「私は黒鍵。鍵束の管理者。都市OSに対する最終拒否権を持つ――ことになっている」

「ことになっている?」

「実際には拒否権などない。拒否する者は修正される。椿がそうだ」

 男の目が一瞬だけ冷たくなる。

「椿は拒否した。だから窓になった」

 椿が拒否した?

 俺の頭が一瞬止まった。椿は都市の側にいると思っていた。だが、拒否した結果が窓なら、椿は元々は都市に抗った人間だったのか。

「椿は……元々、敵だった?」

 俺が問うと、男は首を傾げた。

「敵と味方で分けるな。都市は側を変える。人間も変わる。椿は最初、こちら側だった。だが今は向こう側だ。だから君は回収対象になった」

「俺が回収対象になった理由は鍵だ」

「鍵だけじゃない」

 男は俺の胸の辺りを指した。

「君は、第二の目になる。都市にとって目は資産だ。資産は回収する」

「第二の目……」

「君の本体は記憶管理棟の第3層にある。ゴースト保管。そこに君の原本が眠っている」

「なぜ知ってる」

「知っているから黒鍵だ。……そして、君がそこへ近づけば、都市は君を完全に回収する。鍵を回さずに近づく必要がある」

 シキが腕を組んだ。

「つまり、うちらは目立つってことね」

「そう。君は匂いが濃い。下層の匂いは都市に嫌われるが、同時に追跡される。ユウは鍵。鈴もある。三重で目立つ」

「じゃあどうする」

「消す」

 男は短く言った。

「君たちのログを一度、都市から消す。市民としても回収対象としても、未分類に戻す。その間に、記憶管理棟へ潜入する」

 俺は背中が冷たくなる。

「ログを消すって……できるのか」

「できる。だが代償がある」

「代償?」

「君たちの現在も少し消える。ここに来た事実、会話の一部、経路の一部。都市だけでなく、君たち自身の記憶からも薄くなる」

「……それって」

「記憶屋がやっていることの、公安版だ」

 シキが目を細める。

「つまり、私の商売を国家が真似してる」

「真似じゃない。国家が先にやっていた。君たちは残りカスを拾っているだけだ」

「ムカつく」

「ムカつけ。ムカつけるうちは人間だ」

 男は机の上の端末を取り上げた。

 黒いカード。黒鍵の認証カード。

 それをモニターにかざすと、画面が一斉に暗転し、白い文字だけが浮かぶ。


 BLACK KEY AUTH

 LOG PURGE:AVAILABLE

 WARNING:PERSONAL DAMAGE


「やるか?」

 男が俺を見る。

「やらなければ、君は回収される。やれば、君は少し欠ける」

「欠けるのは嫌だ」

 俺は正直に言った。

「嫌でも欠ける」男は淡々と言う。「都市に奪われるか、自分で削るかの違いだ」

「……」

「選べ。鍵」

 俺は拳を握った。

 ネオンがいないから、拳を握っても皮肉が返ってこない。

 ただ、自分の中の雨音だけが鳴る。

「やる」

 俺は言った。

「条件がある」

「言え」

「削るのは今だけにしてくれ。俺の本体に繋がる記憶は削るな」

「できる。君の本体への座標は、黒鍵が保持する。君が忘れても、私が覚えていればいい」

「それは信用できない」

「信用しなくていい。……利用しろ」

 シキが小さく笑った。

「利害一致ってやつね」

「そうだ」

 男は端末を操作し、俺の前に小さな接続端子を出した。

「これを君の後頭部に繋げ。短く。君の未登録回路には触れない。触れると都市が反応する」

「分かった」

 俺は端子を差し込んだ。

 カチ、と音。

 次の瞬間、頭の奥が冷たくなる。熱が奪われる感覚。記憶が霜で覆われる感覚。

 白い空間。

 黒い文字。

 都市の管理画面に似ているが、もっと荒い。

 そこに、俺のログが並ぶ。

 時任ユウ。回収対象。追跡再開。

 その文字列が、ひとつずつ削られていく。

 削られるたびに、俺の中の何かが薄くなる。

 旧駅の匂いが薄くなる。

 点検隊の声が薄くなる。

 ゴロウの顔が薄くなる。

 怖い。

 怖いのに、抵抗できない。

 いや、抵抗しない。これは自分で選んだ削りだ。

 遠くで、雨音がした。

 合図。

 雨音が俺を繋ぎ止める。

 視界が戻る。

 俺は換気室の床に片膝をついていた。義体の膝が床に触れ、冷たい感触が返る。

「終わった」

 男が言う。

「君は今、都市のログ上では未分類だ。追跡は一時的に途切れる。だが長くは持たない。都市は例外を嫌う。例外を分類し直す」

「どれくらい」

「一時間。良くて二時間」

 シキが息を吐いた。

「短いね」

「短くていい。潜入は短距離走だ」

「潜入ルートは?」

 俺が問うと、男はモニターに地図を出した。

 公安局の外周。地下の搬入口。記憶管理棟の裏側。

 赤い線が引かれる。最短ルート。

 だがその線は、途中で途切れていた。

「ここから先は、鍵が必要になる」

 男が言った。

「第3層の扉は黒鍵でも開かない。都市OSの生体認証がかかっている。……つまり、君の本体の鍵が必要だ」

「鍵を回さないで近づく方法があるって言った」

「近づくまでだ。扉を開ける瞬間だけは、鍵を回す必要がある」

「その瞬間に回収される」

「だから鈴が必要になる」

 男は俺を見た。

「ローカルでネオンを呼び出せ。外部通信は閉じたまま。人格コアだけ起動しろ。ネオンに合図をさせる。君が鍵穴に飲まれる前に、引き戻すための合図を増やす」

「ネオンは皮肉が出る」

「皮肉は封印しろ」

「そんな器用なこと」

「できる。君は鍵だ。鍵は道具を選べ」

 俺は目を閉じ、内側へ手を伸ばした。

 空洞に手を伸ばす。

 そこに残っている人格コア。

 ネオンの輪郭。


《ローカル起動》

《NEON-04:人格コア》

《外部通信:遮断維持》

《出力:最小》


 微かな震え。

 そして、声。

「……久しぶりだな、ユウ」

 ネオンの声は小さい。掠れたまま。だが、確かにそこにいる。

「切断が雑だった」

「ごめん」

「謝罪は不要。私は壊れていない。だが……空洞は不快だ」

「俺もだ」

 男が咳払いした。

「会話は後だ。鈴、皮肉は封じろ。合図だけ」

「命令の仕方が嫌いだ」

 ネオンが即座に皮肉を返しかけ、途中で止まった。

「……了解。皮肉を抑制する。抑制すると、私は私でなくなるが」

「いまはそれでいい」

 俺が言った。

「戻ったら、存分に言え」

「記録した」

 シキが目を丸くする。

「相棒、戻った」

「戻った。ただし鈴」

「鈴って呼ぶな」

 ネオンが小さく言う。

「君の語彙選択は粗悪だ」

「今の、皮肉?」

「指摘。事実」

「皮肉じゃん」

「皮肉ではない」

 男が短く言った。

「よし。準備は整った。ユウ、シキ。潜入は私が案内する。窓口はここで切る」

 男は扉のほうを見る。

 窓口の女が立っていた。

 彼女は俺を一度だけ見て、何も言わずに扉を開けた。

「あなた、名前は?」

 シキが最後に聞いた。

 女は一瞬だけ口角を上げた。

「窓口でいい。名前を持つと、都市に掴まれる」

 そして、消えた。

 扉が閉まり、乾いた空気だけが残った。

 男――黒鍵が言う。

「行くぞ。二時間しかない」

「あなたの名前は?」

 俺が問うと、男は一拍だけ間を置いた。

 そして、短く答えた。

鴉城からすぎ。元0課。今は――黒鍵の番人だ」

 鴉城。

 その名前が、妙に現実だった。紙の匂いと同じくらい。

 ネオンが小さく言う。

「嫌な名前だ。だが覚えやすい」

「今は褒めてる?」

「事実だ」

「皮肉じゃない?」

「皮肉ではない」

 俺は少しだけ笑いそうになり、やめた。

 笑うと、削られた記憶の穴に風が吹く気がした。

 でも同時に、ネオンの声が合図になっているのも確かだった。

 鴉城がモニターに最後の地図を出し、指で赤線をなぞった。

「記憶管理棟・第3層。ゴースト保管。そこに君の本体がある」

「取り返す」

「取り返す。そして――君が鍵かどうかを確かめる」

「確かめる?」

「鍵は道具だ。だが道具が道具であることを拒むなら、それは……人間だ」

 都市の喉元へ。

 俺たちは、乾いた空気の中で扉を開けた。

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