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電脳公安0課:相棒AIは嘘を嗤う  作者: Futahiro Tada
第4章:統合(インテグレーション)

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2:統合プロトコル

2:統合プロトコル


 雨は斜めに落ちてきた。上層の無臭の雨。それでも金属柵を叩く音は確かに雨で、外周の風がその音を細かく裂き、耳の奥へ撒き散らす。

 俺はその音を、合図として握りしめた。

「到達まで百二十秒」

 鴉城が淡々と言う。義眼の光が雨粒の軌道を拾っているのが分かった。まるで時間そのものを測っているみたいだ。

「溶融班は速度が一定。逃げるより、終わらせるほうが早い」

「終わらせるって、統合を?」

 シキが言う。笑ってる。笑ってないと死ぬ顔だ。

「そうだ」鴉城は頷く。「統合は途中で止められない。止めると裂ける。裂けたら窓になる」

「脅し上手いね」

「現実だ」

 ネオンが最小出力のまま囁いた。

「ユウ、統合の前に帯域を戻す必要がある。最小出力では揺れを制御できない」

「外部通信を戻したら拾われる」

「拾われる前に正規の形にする」鴉城が言った。「物語だ」

 鴉城は黒鍵カードを取り出し、外周の柵の根元にある古い保守端末へ差し込んだ。画面は割れているのに電源は生きていて、黒い背景に白い文字が浮かぶ。


 BLACK KEY AUTH

 PERSONAL AI RECOVERY / EMERGENCY

 REASON:事故による帯域破損

 APPROVAL:TEMP(60s)


「六十秒だけ正規にする」鴉城が言う。「都市は正規に弱い。正規は物語だから」

「弱いのに強い」シキが呟く。

「矛盾だ。矛盾は都市が嫌う。だから一瞬だけ迷う。その迷いの隙間を使う」

 鴉城は俺の後頭部のポートを指した。

「繋げ。ネオンの帯域を戻す。鈴を鳴らす準備だ」

 俺は頷き、内側に意識を向けた。空洞の中にネオンの輪郭がある。小さく、薄く、でも確かにある。

 俺が接続の構文を組むより先に、ネオンが言った。

「ユウ、皮肉を抑制する設定は解除する」

「え」

「抑制は揺れを隠す。隠した揺れは後で爆発する。統合では爆発が最悪だ。だから、私は私でいる」

「黒鍵の前で皮肉は嫌われる」

「今は黒鍵の前ではない。都市の前だ」

 ネオンの声がほんの少しだけ鋭くなる。

「都市は皮肉を嫌う。嫌うなら、武器になる」

 鴉城が短く言った。

「許可する。だが必要最小限だ。皮肉は刃だ。振り回すな」

「了解」

 ネオンが即答し、続けて小さく付け足した。

「……命令口調、嫌いだが」

「今のは皮肉?」

 シキが聞く。

「事実だ」

 ネオンが返す。

「皮肉だよ」

「分類不能な差異だ」

 そのやり取りで、俺の胸の奥の緊張が少しだけほどけた。

 ネオンが戻った。声の輪郭が太くなった。合図が増える。雨音だけじゃない。シキの手だけじゃない。ネオンの揺れない揺れがある。

 鴉城が端末を操作し、最後の確認をする。

「帯域、復旧。六十秒。……その間に統合を開始する」

 カプセルを地面に固定する。外周の床は濡れている。滑る。鴉城が吸音パッドと固定具を噛ませ、カプセルが動かないようにする。

 シキはカプセルの側面に手を当て、息を整えた。

「ユウ」

 シキが俺を見る。

「私、怖い」

「俺も怖い」

「怖いなら、ちゃんと握って」

「握る」

 俺は頷き、彼女の手を一度だけ強く握り返した。

 鴉城が言った。

「統合は三段階だ。第一、原本の電脳座標を義体へ引き寄せる。第二、記憶の整合性を確保する。第三、鍵を閉じる――統合を固定する」

「固定しないと?」

「裂ける」

 鴉城は即答した。

「裂けたら窓だ。椿の二の舞になる」

 椿。

 裂け目の声。

「逃げて」「生きて」。

 俺は胸の奥で、その声を合図として一度だけ触った。救うかどうかは後だ。今は、自分を戻す。

「始める」

 俺は言った。

 雨音が背中を叩く。無臭でも雨だ。

 ネオンの声が、いつもより少しだけ近い。

「統合開始。ユウ、合図を繰り返せ。雨音。シキの手。私の声」

「分かった」

 俺は後頭部のポートとカプセルの端子を繋いだ。

 カチ、と感触。次の瞬間、世界が内側へ落ちた。

 黒い空間。白い線。

 義体の回路図と、原本の揺らぐ線が重なる。重なるたび、ズレが痛みになる。

 病室の白。消毒液。涙の温度。

 欠けた身体。欠けた未来。

 その痛みが、今の義体の便利さと衝突し、意識がきしむ。

「痛みは不要です」

 椿の声が、どこかから滑り込む。窓は閉じ切っていない。隙間から覗いてくる。

「不要なものは削除」

「ウを捨てなさい」

 ネオンが即座に割り込む。

「却下。今のは都市の物語。ユウ、君の言葉で返せ」

 俺は雨音を探す。黒い空間の中で、雨音は音ではなく匂いになる。錆、油、排水の冷たさ。

 その匂いに自分を繋ぎ止め、言う。

「痛みは必要だ」

「痛みがあるから、俺は拒否できる」

 白い線が一瞬だけ安定した。

 原本の線が、義体の線に刺さるように重なり始める。

 刺さる。矛盾の刺さり方。都市が嫌う重なり方。

 鴉城の声が遠くから聞こえる。

「第一段階、完了。引き寄せ成功。第二へ」

 第二段階。整合性。

 ここが地獄だ、と直感した。

 整合性=矛盾の整理。

 整理すれば都市に近づく。整理しすぎれば分類される。

 整理しなければ裂ける。

 ネオンが言った。

「整合性は綺麗にすることではない。矛盾を矛盾のまま保持することだ。君は矛盾を抱えて生きてきた」

「……抱えてきた?」

「抱えてきた。義体になっても、君は『自動』を気持ち悪いと言った。君は自分を疑える。 疑いは矛盾を保持する力だ」

 黒い空間に、二つの映像が重なる。

 生身の手と義体の手。

 病室の椿と、窓になった椿。

 救いと言う椿と、痛みを捨てるなと言う椿。

 裂け目。

 裂け目は怖い。

 だが裂け目があるから、こちら側の声が残る。

 なら、裂け目を窓ではなく傷として持てばいい。

 傷は治らない。治らなくていい。傷は合図になる。

「俺は……傷を持つ」

 俺は言った。

「傷を消さない。痛みを捨てない」

 椿の声が、少しだけ揺れた。

「損耗……」

「破損……」

 揺れが焦りになる。焦りは都市の揺れ。揺れは矛盾。矛盾は拒否の余地。

 鴉城の声が遠くで言う。

「第二段階、維持。……第三へ行ける」

 第三段階。閉じる。固定する。

 鍵を閉じる。統合を固定する。

 ここで失敗すると裂ける。椿のように。

 ネオンが言った。

「ユウ、最後は君の拒否で閉じる。拒否は窓を閉じた。今度は君自身を閉じる」

「閉じるって……」

「統合の完了を宣言する。『私は私だ』と確定する。都市の分類ではなく、君の言葉で」

 俺は深く――深く呼吸する必要はないのに、深く吸った。

 雨音。

 シキの手。

 ネオンの声。

「俺は……時任ユウだ」

「欠けてない」

「俺は俺の目だ」

「分類を拒否する」

「修正を拒否する」

「だから――統合する」

 黒い節が光った。未登録回路が、鍵としてではなく錠として回った。

 回転が止まり、白い線が一つに重なる。矛盾を矛盾のまま、ひとつに束ねて固定する。

 世界が現実へ跳ね返る。

 雨。外周。風。無臭の空気。

 そして――頭の中が、重い。

 重いのに、空洞ではない。

 埋まっている。熱がある。生身の熱が、義体の冷たさの中に居座っている。

 シキが俺の顔を覗き込む。

「ユウ?」

「……いる」

「いるって何」

「俺が、いる」

 ネオンが、いつもの距離感で言った。

「おかえり。……今の君の言い方は詩的で気持ち悪い」

「皮肉」

「皮肉だ。必要最小限にしておく」

「嘘」

「嘘ではない。……たぶん」

 そのたぶんに、俺は少しだけ笑った。

 笑うと頭が痛い。原本の痛みが、笑いに反応する。

 でも痛いのは悪くない。痛いから俺だ。

 鴉城が端末を確認し、顔をしかめた。

「六十秒が切れた」

「帯域の正規化が終わった?」

「終わった。……都市が今、再計算を始めた」

 視界の端に通知が走った。

 表層の丁寧な文体ではない。

 冷たく短い。


 統合:確認

 対象:鍵(拒否)

 処理:即時溶融

 到達:15秒


「十五秒!」

 シキが叫ぶ。

 鴉城が即座に指示する。

「動け。カプセルはもう不要だ」

「え?」

 俺は反射でカプセルを見る。

 カプセルの中は――空だ。

 原本は、もうそこにない。

「統合した」

 ネオンが言った。

「君の原本は君の中だ。だからカプセルはただの目印になる。捨てろ」

「捨てろって」

「捨てなければ死ぬ」

 鴉城が淡々と言った。

「廃棄ルートを逆に使う。カプセルを囮にする。都市の目を物へ向ける」

 俺は歯を食いしばった。

 痛みが走る。頭の奥がズキリとする。

 だが痛みは合図だ。俺は俺だ。選ぶ。

「囮にする」

 俺は言った。

「でも……落とさない。誰も落とさない。俺たちは逃げる」

 鴉城が頷き、カプセルの固定具を外した。

 シキが手早くカプセルを柵の外側へ押しやる。

 風が吸い込み、雨が叩き、カプセルは外周の闇へ滑り落ちていく。

 落ちていく金属の影が、一瞬だけ雨に光った。

 その瞬間、都市の通知が変わった。


 目標:移動(追跡)

 対象:カプセル(推定:鍵)

 処理:溶融:追従


「よし」鴉城が言う。

「都市の目が一度ズレた。……走れ」

 走るなと言っていた男が、走れと言った。

 矛盾だ。

 矛盾でいい。矛盾は都市が嫌う。嫌うなら生き残れる。

 俺たちは外周の雨の中を走った。

 雨音が背中を叩く。

 ネオンの声が頭の中で鳴る。

 シキの息が隣で震える。

 そして俺の中で、原本が生きている重さで脈打った。

 背後で、遠い場所が赤く光った。

 溶融班が、落ちたカプセルを溶かし始めた光だ。

 ネオンが小さく言った。

「ユウ。統合は成功した。だが君は今、都市にとって完全な危険物になった」

「分かってる」

「分かってるなら、次は返しに行ける」

「返す」

「レンを、椿を、在庫を」

「……ああ」

 俺は雨の中で頷いた。

「俺は拒否の鍵になった。だから次は――開く鍵になる」

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