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電脳公安0課:相棒AIは嘘を嗤う  作者: Futahiro Tada
第3章:魂の倉庫(ソウル・ストレージ)

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1:ゴースト在庫

1:ゴースト在庫


 暗闇は静かだった。

 静かすぎて、都市の呼吸が聞こえない。空調の唸りも、排水の滴も、電力の震えも薄い。第3層――ゴースト保管は、呼吸が止まった場所だ。鴉城が言っていた危険な静寂。都市が掃除や回収を入れる場所。あるいは、都市が自分の胃袋の中を見せないために、音を消している場所。

 それでも完全な無音ではなかった。

 カプセルの並ぶ空間に、微かな電子音がある。

 ピッ、ピッ、と一定の間隔で鳴る小さな音。心拍計の音に似ている。生身の心拍じゃない。魂の在庫管理の音だ。

「地獄だな」

 俺が言うと、声が吸われた。壁に反響しない。吸音材が仕込まれているのか、空間そのものが音を飲むのか。

 ネオンが最小出力で囁く。

「比喩としては正しい。だが、地獄には出口がある」

「出口があるなら、ここは地獄じゃない」

「地獄にも出口はある。ただし、出口に辿り着ける者が少ないだけだ」

 皮肉を抑制しているはずなのに、ネオンの言い回しには尖りが残っている。尖りが残っているから、俺はまだ自分に戻れる。尖りが合図になる。

 シキが小さく鼻で笑った。

「相棒、やっぱり口悪いね」

「口はない。私は信号だ」

「信号が口悪いってこと」

「君の言語感覚は雑だ」

 鴉城が振り返らずに言った。

「私語は最小にしろ。ここは都市の内臓だ。何が耳になっているか分からない」

「耳がないなら静かでも意味ないでしょ」

 シキが反射で言い返し、すぐに口をつぐんだ。

 鴉城は淡々と続ける。

「耳はある。だが耳の位置が違う。ここで拾われるのは音ではない。……揺れだ」

「揺れ?」

「電脳の揺れ。義体の揺れ。呼吸の揺れ。感情の揺れ。ここはそれを検知する」

 感情の揺れ。

 俺の未登録回路が、また微かに脈打った。鍵穴に近づいたせいだけではない。この場所が、俺の原本に近い匂いを持っているからだ。

 目が慣れてくると、カプセルの列が見えてきた。

 銀色の棺が整然と並び、側面の表示板だけが淡く光っている。ID、ステータス、分類。

 分類の文字列は無機質だった。


 GHOST / TYPE-A

 GHOST / TYPE-B

 MEMORY / FRAGMENT

 PERSONA / TEMP

 DELETE / PENDING


 削除待ち――その文字に、喉の奥が冷えた。削除待ち。魂の削除待ち。

 ここは保管庫ではなく、選別場だ。保護ではなく、選別。

 都市は、人間を物として扱う。物語の外側で。

 鴉城が立ち止まった。

 通路の分岐。左右にカプセルの列が伸びている。天井は低く、照明は薄い。

 鴉城の義眼が淡く光り、カプセルの表示板を読み取っていく。

「第3層は迷宮だ」

 鴉城が言う。

「迷う原因は構造じゃない。……分類だ。人間の記憶は、分類されると形を変える。ここではあなたがあなたでなくなる」

「分類されると形が変わる?」

 俺が問う。

「都市は分類に合わせて記憶を整形する。矛盾を嫌うからだ。矛盾は例外。例外は消す」

「俺の矛盾も消される?」

「消される。だから鍵を回すなと言った」

 鍵を回すな。

 だが、鍵を回さずにどうやって探す。鴉城は匂いで探せと言った。

 匂い――俺の雨。俺の現実。

 俺は目を閉じ、下層の雨を思い出した。錆の匂い、油の匂い、排水路の冷たさ。

 それだけじゃない。シキの工房の油。紙の札の乾き。ゴロウの端末の傷。

 削られて薄くなった記憶の縁に、まだ残る感触。

 その感触を胸に、目を開ける。

 カプセルの列の中に、ひとつだけ違和感があった。

 表示板が、ほんの僅かに揺れている。光の点滅が不規則。

 都市の整然とした呼吸からズレた点滅。

「……あれ」

 俺が指さすと、鴉城が動きを止めた。

 義眼がそちらを向き、光が強くなる。

「揺れている」

 鴉城が言う。

「分類が合っていない。……ここは保管庫でありながら、保管に失敗している」

 シキがカプセルに近づこうとするのを、鴉城が手で止めた。

「触るな」

「触らない。見るだけ」

「見るだけでも危険だ。ここでは見ることが接触になる」

 鴉城が一歩前に出る。黒鍵のカードを取り出し、カプセルの表示板の横にかざす。

 表示板の文字が一瞬だけ変わった。暗号化された文字列が剥がれ、別の情報が覗く。


 OWNER:UNKNOWN

 STATUS:LOCKED

 NOTE:RETURN REQUIRED


「戻す必要がある」

 シキが呟く。

「誰に」

「……オーナーに」鴉城が答える。「だがオーナーは不明。つまり、都市がオーナーを消した」

「消したって、どうやって」

「分類で消す。記憶から名前を抜く。名前を抜けば、人間はただの在庫になる」

 俺は無意識に自分の名前を思い出そうとした。時任ユウ。

 時任――その姓が、急に薄く感じた。誰が付けた名前だ。生身の頃の俺は本当にその名前だったのか。

 頭の奥で未登録回路がざわめく。

 揺れ。感情の揺れ。

 ここでは揺れが危険だ。

 ネオンが囁いた。

「ユウ、落ち着け。合図を使え。雨音だ」

「雨音……」

「雨音は模倣される。だから匂いを思い出せ。下層の油、錆。具体だ」

 俺は錆の匂いを思い出し、意識を繋ぎ止めた。

 すると、カプセルの表示板の揺れが少し落ち着く。

 いや、落ち着いたのではない。俺の内側の揺れが収まったことで、外側の揺れが見えるようになったのだ。

 表示板の隅に、小さな文字が浮かんだ。

 通常の表示ではない。都市の公式UIではない。

 誰かがこっそり残した落書きみたいな表示。


 見るな

 聞くな

 息をするな


 俺は背筋が冷えた。

 この言葉は都市の言葉ではない。都市は息をするななんて命令しない。都市は呼吸を管理する。呼吸を止めれば異常になる。

 だからこの言葉は――都市の外側の誰かの言葉だ。

 鴉城の義眼がわずかに光を増す。

 彼も見た。

 そして、珍しく低い声で言った。

「……椿が残した」

「椿が?」

 シキが驚く。

「椿は窓になる前、ここへ来ている。……そして、窓になってからも、ここへ触れている可能性がある」

「窓なのに?」

「窓だからだ。窓は内側と外側を繋ぐ。繋ぐからこそ、落書きを残せる」

 椿の声。穏やかな命令。修正。

 それらと、この落書きが同じ人物から出ているなら、椿の中にまだこちら側が残っている可能性がある。

 その可能性は甘い罠かもしれない。

 でも、完全な敵だと思っていた椿が揺れているなら――都市も完全ではない。都市にも矛盾がある。

 鴉城が言った。

「ユウ。君の本体を探す前に、確認しろ」

「何を」

「このカプセルの中身だ。……ここに何があるかで、都市の狙いが分かる」

「鍵を回すなって言った」

 俺は反射で言った。

「回さない」鴉城は即答した。「黒鍵で一瞬だけ覗く。分類を剥がして中身を見るだけだ。君の未登録回路には触れない」

「覗くだけで危険だって」

「危険はゼロにできない。……薄くする」

 鴉城はカプセルの側面にある小さなポートに黒鍵を挿した。

 表示板の光が一瞬だけ消え、次に、別の表示が浮かぶ。

 医療用の波形。脳波に似た波形。

 そこに、短い名前の断片があった。

 REN

「東雲レン」

 俺の喉が勝手に言葉を作った。

 第1章の死者のログ。事故死扱いの配送。死後も監視網にアクセスしていた男。

 ここにいる?

 魂の在庫になっている?

 シキが目を細める。

「やっぱり。死者のログは、ここへ来る」

「来る?」

「死んだ人間の電脳は、普通は切れる。でも切れない場合がある。都市が必要だと判断した場合。……必要な魂は回収されて在庫になる」

「必要な魂」

 俺は呟く。

「都市の目になれる魂」

 鴉城が答えた。

「レンは配送。インフラに近い。都市の血管に触れる人間だ。だから回収された」

「俺を誘導するためにも使われた」

「そうだ。死者のログは餌。餌で鍵を誘導する。鍵が動けば、第二の目が育つ」

 胸の奥が冷たくなる。

 東雲レンは俺を誘導するために殺されたのか。

 事故死扱いにされたのか。

 そして魂だけが回収され、ここで在庫になっているのか。

 ネオンが囁いた。

「ユウ、怒りは揺れになる。揺れはここでは危険だ」

「分かってる」

 俺は歯を食いしばった。

 怒りが熱になる。熱が鍵を回す。

 回せば、椿の声が入ってくる。

 だから怒りを冷やす必要がある。

 冷やす。

 シキが言った言葉。

 記憶は熱を持つと暴れる。

 ここは冷やす場所。

 都市は魂を冷やし、在庫にする。

 俺は、カプセルの波形を見つめた。

 REN。

 波形が微かに揺れている。

 まるで眠っているみたいに。

「助けられるのか」

 俺は思わず言った。

 鴉城が即答する。

「今は無理だ」

「なぜ」

「君の本体が先だ。君が鍵のまま回収されれば、レンも永遠に在庫になる。……順番を間違えるな」

「順番……」

「君は感情で動きやすい。だから鈴が必要だ」

 鴉城はそう言って、ネオンの存在を意識するように目を細めた。

 ネオンが最小出力で答える。

「私は感情を抑制する。だがユウの感情を消すことはできない。消せばユウがユウでなくなる」

「その通りだ」鴉城が言う。「感情は敵ではない。扱い方が問題だ」

 鴉城は黒鍵を抜き、カプセルの表示を元に戻した。

 RENの文字が消え、またTYPE-BだのFRAGMENTだの無機質な分類が浮かぶ。

 都市が隠した。

「分かった」

 俺は言った。

「俺の本体を探す。……そして、レンも忘れない」

 シキが俺を見て、小さく頷いた。

「それでいい。忘れないことが抵抗になる。都市は忘れさせるから」

「忘れさせる」

「分類して、整形して、矛盾を消して、名前を抜く。そうやって人間を在庫にする」

 鴉城が前へ進む。

 カプセルの列の間を、迷わず進む。義眼が微かに光り、薄い線を拾う。黒鍵の番人は迷宮を知っている。

 だが、迷宮の奥へ行くほど、空気が冷え、匂いが消える。

 匂いが消えるほど、俺は自分が薄くなる気がした。

「ユウ」

 ネオンが囁く。

「君の未登録回路の熱が上がっている。鍵穴が近い」

「近いなら、見つかる」

「近いほど危険。椿が扉の外にいると言ったが、都市はここにもいる。……椿は音ではなく揺れで触れてくる」

 その瞬間、カプセルの列の奥で、光が一瞬だけ走った。

 白い光。上層の無臭の光。

 暗闇の中で、明らかに異物の光。

 鴉城が足を止める。

「……来た」

 鴉城が低く言った。

「分類が動き始めた。都市がこの層の在庫棚を組み替えている」

 棚が動く。

 魂の在庫棚が、俺たちの前で組み替えられる。

 迷宮が変形する。

 逃げ道が変わる。

 そして、空間のどこかから、穏やかな声が響いた。

 扉の外の声ではない。

 この暗闇の内側から響く声だ。

「ユウ」

「あなたは、見つけた」

「だから、もう休みなさい」

 椿の声が、第3層に入り込んできた。

 鴉城が歯を食いしばる。

「……窓が開いた」

「窓?」

「椿が、内側に窓を作った。都市がこの層に手を入れる」

「どうする」

「急ぐ。……鍵を回さずに、鍵穴に辿り着け」

 矛盾した命令。

 鍵を回さずに鍵穴に辿り着け。

 でも、それしか道がない。

 俺は下層の雨の匂いを思い出しながら、暗闇を走った。

 走るたび、在庫のカプセルが静かに点滅する。

 魂の心拍音が、一定のリズムで鳴る。

 ピッ。ピッ。ピッ。

 その音が、だんだん速くなる気がした。

 まるで都市が興奮しているみたいに。

 迷宮の奥で、ひとつのカプセルが、他より強く光っていた。

 表示板に、分類ではなく、ただ一行だけ文字が浮かぶ。


 OWNER:TOKITO YU


 俺の名前。

 ただし、最後の文字が欠けている。

 ユウのウが消えている。

 シキが息を呑む。

「……見つけた」

 鴉城が低く言う。

「ユウ。ここだ。……君の原本」

 椿の声が、すぐ背後で囁いた。

「おかえりなさい」

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