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接木の花  作者: のら
二章
32/35

31. 道場




「ごめんね、樹。すっかり話し込んじゃったわね。」


成瀬家の母屋から、道場へと向かう途中の渡り廊下で、少し慌てながら希が言う。


「ほらここ、ここが道場よ。あぁ…お兄ぃ達怒ってるかなぁ…」


遅れた原因に非があるのか、少し焦っている希に案内された道場は、母屋や本堂と同じように年代を感じさせる古びた木造の建物だった。


「あら?……やけに静かね。居ないのかしら?」


両手を後ろに組んで、小柄な体をちょこんと背伸びさせながら、希が道場の入り口から中の様子を伺っている。

そんな希の背後から、少し緊張しながらそっと頭を傾けて、開け放された道場の入り口の中を覗くと、そこには6畳程の広さがある靴脱ぎ場があった。そして、その両端には何人もの靴が置ける下駄箱が見える。

きっと、練習生の為に設けられた下駄箱だろう。だが、今は一つとして靴は無く、ただガランとしている様子がどこか寂しそうに見える。


…ほんとだ…静かだ…。成瀬さん、居ないのかな?


「まあ、いっか。そのうち来るでしょ。」


希は、たいして中を調べもしていないのに突然こちらに振り向きそう言い放った。


「え?……まぁ、……うん、そうだね。」


希のそんな投げやりな言葉に、少し苦笑いを浮かべながらそれに応える。


……あれ?そういえば……希の部屋で見たあの写真では、希って…道着を着てたんだよな…?

今は、とても稽古するような格好には見えないけど……希は稽古しないのかな?


「……あ、あのさ、希は──」



────ガラガラ…ガシャーン!!



本日2回目となるあの何かが割れたようなけたたましい音が、少女の言葉を遮るように母屋の方から突然聞こえてきた。


「………あ……」


「あぁ……。

…んもう、お母さんたら、また何かやらかしたわね。」


「その…ようだね。」


「…私、ちょっと見てくる。」


「あ……うん。」


…と、その返事が言い終わる前に、希はすでに背を向けて母屋に向かい始めていた。しかし、数歩歩いたのち、ふと何かを思い出したかのように立ち止まった。


「……あ!

そうそう…今、何か言いかけたけど、何だったの……?」


「あ……、やっぱりいい。…ごめんね。」


「そう……。じゃあ……頑張ってね。」


そう言うと、希は軽く手を上げてから相変わらずの早足で母屋へと歩いて行った。


「…………。」


…ほんとは、希は稽古しないの?…って聞こうとしたんだけど、なんとなく……聞けなかったな……。

思ったんだけど……希が今、道場の中に入るのを躊躇ってたような…そんな気がしたんだよね…

…さっきのあの写真といい、 希には触れられたくない何かが、あるのかもしれないし…


……でもまあ、今日からせっかく成瀬さん家に来ているんだ。今は稽古に集中しよう。

ほら、たとえ道場に誰も居なくたって、とりあえずいつものように身体を解してさ、まずは足捌きから……。

…と言ってもこれだけしかまだ教わって無いんだけどね……



「失礼しまーす。」


靴脱ぎ場にある空っぽの下駄箱に靴を入れてから、入り口の内側にあるもう一つの引き戸をそっと開けて、小さく呟いた。


……うわぁ…


意外にもガラガラと鳴った引き戸を開けると、道場の中はテニスコート位はある広さで、静寂の中にもキーンと張り詰めた厳粛な雰囲気が、少女の肌を通して伝わってくる。

そして、何人もの門下生がここで鍛錬の汗や辛労の想いを、この木の床に染み込ませてきたのだろう、擦り減り磨きあげられた床は、滑らかに陽の光を反射させていた。


「ここが、成瀬さんちの道場か……。」


道場の雰囲気にすっかりと呑まれてボーっと立ち尽くしていると、ふと右目の視野の隅で何かが動いた気がした。

無意識にその方へと顔を向けた瞬間────


「────でえぇぇいいぃぃっっ!!!」


誰も居ないと思っていた道場に、耳をつんざく程の声が聞こえ身体を突き抜けていった。


そして、その発した声に続いて、ドムッと言う深い井戸に重い石を投げ込んだ時の様な、とても深く鈍い音が遅れて耳に飛び込んでくる。


その突然の事に面を食らいながらも、音の出所を探ると、そこには白い道着を着た成瀬隼人が、藁を幾重にも巻いた丸太に両の拳を打ち付けていた所だった。


────アッ!!

……あれは……いつか見た……



────不意に記憶が蘇る。


それは…忘れることは無い。

江之内充に味わされたあの街での惨痛の出来事。自らの不甲斐無さに、自責と嫌悪の念に駆られ、失意の底で目の前が真っ暗だったあの日。

そんな時、公園で初めて出会った成瀬隼人が

とても雄大に見え、また、その時に彼が放った技があまりにも衝撃的で、まるで少女の暗鬱の心に一条の光が差し込んだかのように思えたのだった。

その、あの日あの時の技が、今、少女の目の前で繰り広げられている技と全く同じだった。


隼人は丸太に両の拳を当ててたまま微動だにしない。だが、その数秒後の流れる様な一連の動きが、少女の呼吸を止めた。


彼は、丸太に当てていた拳を一気に引きながら後ろに飛び退き、少しの溜めの後、今度は体をクルッと翻し左足を大きく踏み込んでから、丸太に向かって両手から一気に力を解放した。



「──────ハアァァッッ!!!」


────バァァァァンッッッ!!!



次に勢いよく声と共に聞こえてきたのは、空気を切り裂くような破裂音。

先程の、内に籠もる様なぐぐもった音とは違い、今度はいかにも打ち付けた所から一気に飛び出し拡散して行ったかのような破裂音だった。


その音がまるで衝撃波のようにビリビリと空気から伝わる中、少女は一歩も動けずにいた。


──────す、すごいっ!!

…やっぱり……凄い!!


成瀬隼人の名も知らぬ技に、少女は興奮の色を隠せない。そして、あの公園の時と同じで、またもやその姿に見惚れてしまい、少女は石のように固まり呼吸をするのさえすっかり忘れていた。


やがて、今の雷鳴のような音が、まるで嘘だったかのように、道場には再び静寂が戻ってくる。


「…………。

…やっぱり成瀬さんって凄い……。何であんな事出来るんだろう……

………俺にも出来るかなぁ…?」


独り言を、一通りの技を終えてフゥと肩で呼吸を整えている成瀬隼人の背中に向けてボソッと呟く。


「あれは、"呼空"と"祖砲"と言う技じゃよ。」


……………………え?


背後からの突然の声だった。


「それとじゃな、何に対してもそうなんじゃが、出来るかどうかを疑うよりも、自分は出来る…と信じた方が良いと思うのじゃが?」


背中越しから聴こえる声は、優しく語りかけるような落ち着いた男性の声だった。

慌てて後ろを振り向くと、そこには小柄で真っ白なあご髭を右手で撫でながら微笑んでいる年老な男性が立っていた。


「里山樹さんじゃな。希や隼人から常々話は聞いておる。

…ふむ。なるほど。

写真で見た時の雰囲気とはちと違うが、中々の佳麗な顔立ちをしておる。じゃが、自らを…俺…と言うのは、ちと勿体無い気がするのぅ。」


「……え?

……あ!…も、もしかして、成瀬さんの……!?


────あ、あのっ!は、初めまして…えっと…さ、里山樹って言いますっ!こ、この度は御招き頂きまして有難うございました!あ、あの、一生懸命頑張りますのでどうか御指導の程、宜しくお願いしますっ!」


少女は慌てながらも深々と一礼する。


「フォッホッホ…。こちらこそ、樹さん。

そして、ようこそ我が九楊律心(くようりっしん)流拳術へ。」


お師匠様は、自慢の白髭を撫でながら優しく微笑んで言った。




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