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「またね」と笑った君は




「NO.236の処分が決まったよ。三日後の午前七時に引渡しだ。それまではもうなにもない。短い間だったけど、管理ご苦労様。また新しい囚人が入るからそれの管理になるからね」


 太田は普段通りの優しい声でそう言った。

 九条は動揺を必死で隠そうとした。


 隠しきれてなかったかも知れない。

 少なくとも目は泳いでしまった。


 それでも太田にはバレていなかっただろう。

「分かりました」とだけ返事をする。




「管理人さん。そろそろアレの時間じゃないですか?」

 檻の向こう側から少女は話しかける。

 この頃になると、すっかり遠慮もなくなっていた。


 友達のようだった。

 だが少女には友達という概念がなかった。



 ずっと牢に入れられ、ここの職員以外誰にも会えずにまで過ごしてきた。

 それでもなんとなく九条と話すのは楽しいようだった。


「もうやらなくてよくなった」

 九条は少女の目を見て、そう伝えた。


「え……」

 少女は困惑した。

 それがなにを意味するのか、まだ分かっていないようだ。


「今まで辛かったな……もういいんだ」

 そんな少女を見かねて、九条は労いの意味も込めてそう付け加えた。




 少女の目から涙がこぼれた。

 意味を理解するよりも先に我慢していたものが溢れ出した。


 ずっと辛かった。ずっと怖かった。

 ずっと誰かに助けてほしかった。

 助けてと言いたかった。


 そして少女はようやく理解した。

 もうあの辛い作業はやらなくていいのだと。

 安堵の涙だった。もうずっと考えないようにしてた。

 作業のたびに感情は捨てていた。

 そうしないと耐えられなかったから。




「……うん」

 小さな返事をした。


 九条が牢屋の扉を開く。

 少女の体が一瞬硬直した。


「なんだよ……」

 そんな反応が返ってくるとは思ってなかったので九条は驚いた。



「ごめんなさい。すぐ泣きやむから殴らないで……」

「なんで俺が殴るんだよ」


「だって……、前の管理人さんが泣くことは悪いことだって、悪いことした奴は罰を受けなければならないって、そういってよく殴られたから……」


 初めて会ったとき、右の頬だけ赤く腫れていた理由が今になって分かった。




「………」

 怯える少女の頭を優しく撫でた。

 大切なものに触れるように、崩れてしまいそうな心を、支えるように。

 言葉はなくとも、気持ちが伝わるようだった。

「泣いていいぞ……」



 少女は不器用に息を吐いた。

 呼吸の仕方も忘れてしまっていた。

 困惑した表情を浮かべて、苦しそうだった。



「笑いたいのに……泣き止みたいのに……なんでかなぁ。胸の真ん中らへん。すごく温かいんだ…。こんなの初めてだからどうしていいか分からない……。ごめんなさい、すぐ泣いてしまう悪い子でごめんなさい……。わたしいい子になりたいのに……」

「お前はいい子だよ……少なくとも俺はそう思う」


 溢れる涙を、人差し指でそっと拭う。

 人の涙に触れたのはこのときが初めてだった。






 廃棄処分前日の朝。

 一枚の許可証を九条はもっていた。

「外出るぞ。っていっても庭だけど。お前、外の世界見たいって前に言ってたろ?」


 幾つものロックされた扉を通り抜け、長い長い廊下を歩いた。

 外に繋がる最後の扉に辿り着いた。

 やけに重そうなその扉をあけると、光が差し込んできた。



 ―――目が痛い。

 窓のない施設にずっといたので、少女は今まで一度も外の光を見たことがなかった。



 ……これが管理人さんの話してくれていた外の世界。

  これが空……。


 真っ青な空間が上にあった。

 表す言葉がないほどの開放感。


 心地よい風が髪を撫でる。

 目はだんだんと慣れていく。

 


 振り返ると管理人さんが見守ってくれていた。

 いつもの笑顔でわたしを見守っていてくれた。



 初めて見た外の世界よりも、そのことが嬉しかった。

 それが少女が空を見たときの感想だった。



「あの白いのが雲」

「うん……」

 薄い反応になってしまう。

 青よりも白よりも、管理人さんを見ていたかったから。



「管理人さんもこの空の下で生きてたの? みんなもこの空の下で生きてるの?」

「まぁ……そうなる…かな?」


 九条は今一つ少女の発言の意味を理解できなかった。

「そっか」


 少女はそう言うと、九条には見えないように空を見上げながら涙を流した。





 自分一人だけ。




 そう考えてしまったから。

 大空の中、鳥が二匹仲良く飛んでいくのが見えた。

 それがなんとなくすごく、少女には羨ましかった。







 いつもの時間。

 いつも通り九条がご飯をもってくる。

 いつもと違うのはその手が少し震えていることくらい。



「管理人さん?」

「最後の飯だ」

「え……?」

「明日の朝七時。迎えがくる。それでお前はここを出て行くんだ」



 少女が聞き間違わないように、ハッキリとそう伝えた。

 それ以上なにも言えなかった。

 言ったら我慢しているもの全部溢れてしまいそうだったから。



 分かったような顔をして明るく少女はそれに応える。

「お腹減っちゃった。食べよっか」





 二人で食べた最後の晩餐だった。






「ごちそうさま。美味しかったです」

 いつもと変わらず丁寧にそう言って少女は食器を返す。

「管理人さん……」

 ふいをつかれたのかもしれない。

 九条は返事ができなかった。

 それでも構わず、少女は続けた。






「またね」

 少女は笑った。






 一人の少女は、物心がついた頃にはこんな日々を繰り返していた。

 三畳の冷たい部屋で生かされ飼われ辛い作業を強要され続けた。


 目が覚めると血まみれのままいつもの部屋。

 二日後にはまた同じ作業。


 泣くことも許されなかった。

 ずっと一人で耐えた。

 泣こうものなら全力で殴られた。




 ずっと一人で笑うことも泣くこともなく約十五年。


 最後の最後で光に会えた。

 優しさを知れた。温かさを知れた。


 残酷なまでに他人とは違う、自分の人生を知ってしまった。



 九条は善意で空を見せてくれたことを少女は知っていたから、恨んではいなかった。

 それが絶望を知るきっかけになったとしても、感謝していた。

 




 九条の生きている世界が、自分の生きている世界より楽しそうだったから。

 それを知れて安心した。

 それだけでいいのだと本気で思えた。

 九条がその世界でこれからも生きていくのだと知れたから。



 笑うことも出来た。

 泣くことも許してもらえた。

 温かいご飯を毎日三食大切な人と食べれた。

 ただそれすらも出来なくなる。



 それなのに少女は笑って

「またね」と言った。



 もう会えないと分かっていても、それでもまた会いたいから。

「またね」と言えばまた会える気がしたから。

 また会えるなら、どんな辛い目にあっても生きていたいと、そう思えるから。





 

 ―――ずっとだ。

 生まれたときから死ぬまでの間、ずっとこんな日々をコイツは過ごしてきたのだろう。

 たった二週間程度の付き合いでもコイツの人生を容易に想像出来た。

 出来る程度の人生を与えられていたから。

 他人に決められていたから。

 九条はそんなことを考えていた。




 そんな九条に、少女は言う。





「わたし幸せだったよ……」

「え……」


「管理人さんに出会えたから……管理人さんが汚れたわたしをいつもきれいに拭いてくれたから。毎日温かいご飯を管理人さんと一緒に食べれたから。

 ………優しく頭を……撫でてくれたから……全部初めてだったから」




「だから、そんな悲しそうな顔をして泣かないで」

 少女は優しく頭を撫でた自分がしてもらったときすごく嬉しかったから、それを思い出して九条の真似をした。


「ごめん……ごめんな……」

 九条は謝ることしか出来なかった。

 





***






 08:00

 九条はいつも通りパソコンで仕事をしていた。

「九条君、NO.236の最後の仕事だ」



 最後の仕事は少女が使っていた牢屋の掃除だ。

 といっても私物はないので布団を運び出したり床を磨いたりするくらいだ。



 これでもかというほど磨きあげてやった。

 微かに少女の匂いが、まだそこに残っているような気がした。



 部屋を出るとき、最後に忘れ物がないか振り返る。



 いつも少女がいた場所には、もう誰もいない。

 冷たいコンクリートだけの部屋。


 いつもそこにいたのに。

 もう会えなくなってしまった。

「……なんだよこれ」

 誰もいない部屋にその言葉だけを残した。






「掃除終わりました」

「はい、ご苦労様。あー九条君?」

「はい?」

「これ、君宛て。渡してほしいって頼まれた」


 茶封筒を渡された。中身に手紙が一枚入っていた。

 全部ひらがなだったから差出人はすぐに誰か分かった。






かんりにんさんへ


かんりにんさんがみせてくれたそらは

おおきくてなんだかこわかったです

でもかんりにんさんがいてくれたから

こわくなかったよ

だからありがとう





「バカ……やろう……」

 落とした涙は文字を滲ませた。


「これから一人で広い広い宇宙の旅か。せめて複数人用のだったら、寂しさも誤魔化せたのかもな。乗せられた時点で、会話もできなくなるけど」

 まだ飲めないコーヒーを口にもっていきながら太田はつぶやく。


「……太田さん、精神エネルギーで動く探索ロケットって……複数人用のもあるんですか?」

「あるけど私はあまりあれは好きじゃないなぁ効率的に考えて……九条君?」



「すんません。オレちょっと行ってきます」

 そして、九条が研究施設に戻ってくることはもうなかった。








END

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